2015-10-29

360カメラを1年間使って学んだこと

私がリコーのTHETAを利用して1年になる。THETAは360カメラ代表するカメラだ。360カメラを持ち歩いている間にいろいろあったので、誰かの考えの助けになればと思い、記す。

__事象__

まず、虚実を織り交ぜて、経験したことを書いておく。以下の3つのケースを複数回経験したことで、私は学べたから。

ケース 01

浅草寺の参拝のため、雷門から仲見世、本堂に続く行列に1人で並んでいる時のこと。

靴同士がぶつかりそうな参拝者の列の中、列が進み周りの風景が変わるたびに、私はカメラを手に持ち上に上げ、撮影をしていた。私が何度目かの撮影を終え、カメラを下げたところで、偶然隣にいた人が声をかけてきた。「それはなんですか」

私は黄色いTHETAを持っていた。パッと見ではレンズに気づいたとしてもなんのためのものか、知らない人は気づかないだろう。私は「周囲を一度で撮影できるパノラマカメラです」というような答えをした。人からは「珍しいものですね」というような返事があった。

ケース 02

浅草寺の参拝のため、雷門から仲見世、本堂に続く行列に1人で並んでいる時のこと。

靴同士がぶつかりそうな参拝者の列の中、列が進み周りの風景が変わるたびに、私はカメラを手に持ち上に上げ、撮影をしていた。

帰ってパソコン写真を取り込み閲覧していたところ、自分の顔を片手で、連れと思われる人の顔を片手で、明らかに隠している人がいた。列に並んでいる中でこういう姿勢普通は取らないと思えるほどに明示的に。

ケース 03

浅草寺の参拝のため、雷門から仲見世、本堂に続く行列に1人で並んでいる時のこと。

靴同士がぶつかりそうな参拝者の列の中、私はカメラを手に持ち上に上げ、撮影をした。私が撮影を終え、カメラを下げたところで、偶然隣にいた人が声をかけてきた。「それって全部が撮れるカメラですよね。写真を削除してもらえませんか」

強い言い方に聞こえ、列に並んで隣にいることもあり、トラブルを起こしてはいけないと、まず「わかりました」と答え、持っていたiPhoneでTHETAにつなぎ、相手にできるだけ見えるように削除の操作をした。その人には連れがおり、次に声を掛けられることはなかった。

__学んだこと__
見せびらかさない(だが隠れて使うべきでもない)

360カメラはまだ一般的ものではない。テレビ会社ビデオカメラと異なり、360カメラを見てそれをカメラだと理解する人は少ない。360カメラを知っていても、様々な理由で所有していない人が多くいる。

その中でも、新しい技術や道具に対し、拒否感を示す人が一定数いる。その人に対しては、その技術・道具の存在を忘れてもらうのが一番である、というのが私が身につけた処世術だ。

360カメラを使うときは手を挙げる必要があり、良くも悪くも、目立つ。目立った時、そういう人が近くにいることを知らせてくれるシグナルになっていると思えば良い(だが知った時には大抵近すぎる位置にいる)。

写真の削除には速やかに応じるべきである

肖像権人格権について議論するべきかもしれないが、法的に権利侵害していないとしても、人と人の間には法律以上に信頼の関係があるべきであるコンパクトデジタルカメラと異なり、360カメラ画角から外れることはできない(遠ざかることはできるだろうが)。相手が不快だと思い、その原因が自分にあるのであれば、それを取り除こうとする努力をするべきである360カメラ場合、それは写真の削除しか対応がない。

Googleストリートビューがどうか、とか、監視カメラはどうか、とか、そういう議論はするべきではない。少なくともGoogle削除依頼を受け付けていることを公表しているし、防犯など公共利益保証するものと、趣味360カメラは同じものではない。

しかし、削除を望む声がない限り、私は撮影した写真を削除しない。ケース02の写真は今でもある。なお、私の撮影ブログFacebookなどでの公開を目的としていないので、写真は個人での利用にとどまっている。

なお、削除をしろと言いながら名刺など連絡先の提示を求める人もあるが、提示には応じるべきではない。相手は削除を促す意図か、公開の抑止力を期待していることもあるだろうが、より大きなトラブルに巻き込まれる可能性もある。速やかに削除したことを断言し離れるべきである

撮影できる場所撮影できない場所カメラによって異なることはない

新しい道具は人の認識拡張させる。今まで当たり前だと思っていた風景360カメラで撮りたいと思い、撮ることで新たな発見をすることがある。

しかし、撮影禁止場所はもちろん、電車内や店内など、一般に写真を撮るべきではないと社会認知されている場所撮影はするべきではない。

先週、電車内でTHETAを使った人が、別の人に絡まれているのを見た。その人達の間で何が応酬されたのかは知らない。県で唯一の線路の狭い電車の中で、そういう事件があったことと、1人の声が非常に大きかったから、不快に思い、不憫に思った。だから、こうして考えを書き、公開した。

ありきたりの結論だろうが、360カメラはただの道具である。それを利用する人が考え、慮り、うまく使わなければならない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん