2013-11-02

教養を持つためには、自己内面を掘り下げていかねばならない

http://anond.hatelabo.jp/20131101091839

例の宗教の関連記事「大学に何しに行ってるんだろう」に割と同意

東洋経済の元記事も読んだけど、大学生に限らず一定社会的立場を得る人なら誰でも、教養を持つことが望ましいと思うんだよね。

この教養って、単に古典を知ってるとか知識を表面的になぞるだけではなくて、それを自分のものとして消化し身につけなければならない。

そうした中で、子供のころからなんとなく持ってきた価値観常識を、もう一度根元まで掘り起こして新しい知識とともに再構築する作業が必要になってくる。

この掘り起こして再構築という作業の中で、最も根元に近いものが、宗教観なんじゃないかな。

もちろん、自分を見つめなおし余計なものを削ぎ落としていくという作業は困難で、痛みを伴うもの

価値観を揺さぶられることに抵抗がある人が多いのは当然だし、とくに根元の宗教観おい

宗教アレルギーみたいな「宗教」って言葉のもの嫌悪感を持ってる人たちが

拒否反応・思考停止してしまうのも理解できなくはない。

だけど少なくとも東工大レベル学生なら、自分宗教観自覚し、教養を身につけていくことが求められると思う。

「そうやって自己を見つめ直す体験って貴重だし面白い」には完全同意

だたこれは自分がやったことあるからこそ、こう思えるんだろうな。

その最初の体験を提供するために、元記事の教授はああいう授業をしてるんだろう。

やり方に多少の改善の余地があるにせよ、あそこまで批判されるのは不思議でならないね

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