名前を隠して楽しく日記。
って、けっこう駆け足だったり別にさしたるアイデアもなく筋トレとかしてるだけなのに
ー2年後ー
で見違えるように精悍になってることに違和感覚えないどころか自分もなんか成し遂げたような気分になるから読者ってチョロいな
でも強敵の倒し方には意外性盛り込まないと読者は納得しない。なぜか。
でもチー牛は特定カテゴリの男性をうまく表現したナイスワードだと思う
駅構内とか歩いていてさ、チー牛顔の男がスマホにくぎ付けになりながら自分の目的地に向かって、
「チー牛がチギュってるなぁ」と言語化できるようになった
ゲームをノベライズ (小説に置き換えて表現) したというよりは作家としての感性で自由に創作しているように見える。
Hameln とか PIXIV とかに二次創作として投稿されていても不自然に思わないようなテイストというか。
出来が良いか悪いかというと間違いなく良いとは思うのだけれどノベライズという感じがしない。
メディアミックス作品というのは本来は全体を統括するプロデューサーがいて、組織の枠組みの中の小説家というのはプロデューサーの構想を形にする技術者だ。
小説家は文章表現についての専門家ではあっても (メディアミックスでは) 世界観・ストーリー・キャラクターを自由に作れる立場ではない。
逆に小説家に大きな裁量権を与えて作られた小説はメディアミックス作品とは言えず、二次創作だろう。
個人的には久美沙織は公式の許諾を受けた二次創作をしているのであってメディアミックスに関わっているのではないと考えている。
出来の良し悪しで言えば良いというのは重ねて強調しておくけど「ノベライズ」と言うとなんか違うなーという感じ。