2023-06-02

好きだった仕事休職するのがつらい

企画職と専門職の間のような仕事をしている。

就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。

扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラ更迭されるタイプ上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。

そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。

とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。

そこでも管理職に就いたり、年単位プロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。

けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。

病院に行ったのは今年の1月下旬だったように思う。

なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。

命に別状のないものほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。

そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。

退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。

専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社自分たち必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。

次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。

から会社組織心配ほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。

それから、通院や体調の関係仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。

月1ほどで血圧採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。

さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそもスケジュールバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。

ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性ほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。

子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。

客観的に見て、自分環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。

子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せ人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。

両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。

同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分当事者になって初めて分かったことだった。

この記事は、かつての不理解自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。

自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間産休を取る場合もあるということを、かつての自分無自覚想像の外へ置いていたと思う。

からこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。

人は自分から遠い立場人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。

世間的に、産休や育休からの復帰をとりま環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者いるかもしれない。

彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。

そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。

いつか当事者としての記憶が薄れて、また想像力が及ばなくなった時のために、この記事を残しておけたらと思う。

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