2021-03-11

さよなら賢人

1年近く前に腐れ縁と交友を絶った。

中学校同級生で、高校は向こうが私立の附属高、私は地元公立校に入った。

たまに飯を食ったり酒を飲んだり(今は厳しいからできないが)しながらグダグダと近況を話し合った。

そういえば一度一緒に花火をみた記憶もある。

大学は私がFラン私立文系彼女理系夜間部選択し、昼間はSE・夜は学生をしていて、時給が良いからと夜のビルメンバイトぼんやりしながらやってる自分よりタフだなあと思った。

私は就活が面倒で、バイト先の上司に「ここって就職させてくれるの?」と聞いたら、女性人手不足からとホイホイとバイトから正社員になった。

一方彼女は、大学院に行っていた。院は夜間部学生でも入学できて、そこで昼間部生になって卒業できると。

「これを学歴ロンダリングと呼ぶんだよ」

苦笑いして話していたが、SE夜間部二足の草鞋だけで凄いので、苦笑いでなく誇っていいんじゃないか?と思った。

その後お互い仕事勉強が忙しく交流が途切れ、数年経ち、私が結婚報告と地方への転居のメールを送ると「今、イギリス留学しているよ」と返事が来た。読んでみると、どうやら彼女も院を卒業するのを機に結婚をし、夫が留学をするので自分も学ぼうと思ったと。そのやりとりの中で互いのツイッターアカウントも教えあった。

まだまだ学を極めるのかい英語できるんかい、と、木造アパート秋刀魚の塩焼きがごちそうでsorry japanese onlyの私(夫婦)から随分違った世界に行ってしまったもんだな…と感じた。

彼女帰国したあたりで私は妊娠出産をし、目をぐるぐる回しながらワンオペ育児をこなした。その間彼女技術界隈では有名な企業仕事をして、コツコツと業績を積んでいた。

の子小学生になる直前に、彼女も子を授かり、1年間の育児休暇の間に保育所選びに奔走や、職場復帰のための断乳、体力作りなどをしていた。私はやっぱりぼんやりしながらアパート秋刀魚を焼いていた。

さすがに子どもが大きくなったからと、私たちは数年後に口利きで手頃な借家引っ越したけれど、彼女は住んでいる自治体の子供への福祉のなってなさと、両親のヘルプをより近い場所で受けたいからと、分譲マンションを売却し、それを頭金に実家に近いマンションに移り住んだ。

ツイッター彼女自作ルッコラモッツァレラチーズプチトマトバジルソースサラダとかの写真を見ながら、いいもの食べてるなあ、と思いながら小松菜ちりめんじゃこ煮びたしを食べていた。

彼女企業で確実に出世していって、私は徹頭徹尾ぼんやりしながら何事もこなしているうちに中年のおばさんになっただけだ。

から私と彼女距離がどんどん離れていくことに寂しさはない。

私は10万円のジャケットは買えないし、寝巻きに2万円は使えないし、10万円するジャケットを着て行く場所が思いつかない。PTA

うちの子公立は向かないから、中受のために受けさせるおすすめの塾は?と聞かれても、私の子は中受するほどの学力もない。

精神立場的な距離が離れて疎遠というか交流がなくなっても良かった。

だけれども昨年、緊急事態宣言が出る直前だろうか。

家族北海道旅行に行ったことと、その時の写真ツイートされていた。ちょうど、札幌での感染拡大が注目やニュースになっていた頃だ。

「お前何考えてんだよ?」とよっぽどリプライをつけたくなったが、いつもなら幾つかつくfavやRTが全くないのを見るに、これが皆の意思表示なのだと、私も何も触らなかった。

そして緊急事態宣言が出て、都会は大変だなあと思いつつじゃがりこを食べながらツイッターを眺めていたら

子どもストレス解消のためにファミレスに来ています

と、やはり写真付きで、目線はついていたが、マスク姿の彼女子どもが映っていた。

なんでこいつ、こうなったかなあ?

私より、頭、ずば抜けていいはずだよな?

だって絶対うちよりあるよなあ?

違う世界の住人になったと思った。

憧れはしないものの、尊敬に値する努力をする奴だった。

でもそれが、コロナ禍での行動によって、私の中で全て水泡に帰した。

彼女アカウントブロックして、スマホから電話番号メールアドレス、LINEアカウント、全て消した。

さよなら、賢人。

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