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2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020113615

女側から見たらサブの男ってあくまで繋ぎだしなー。

彼氏と別れて次に本命になる相手が見つかるまでの時間つぶし。

でもそれをサブの男側から見たら「ふらふらしてる女を引っ掛けて遊んでやった」と思って満足できるのなら、サブの男に対して罪悪感を感じる必要もないね。

win-winの関係でよろしいんじゃないでしょうか。

2009-10-03

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0909/29/news031.html

何か色々ひどい内容だったので、ちょっと書いてみる。

「勝てないゲームなら、ルールを変えよう」という発想には大賛成なのだけど。

まず労働資本の話。

資本主義においては、資本を持った者が強い。そして、資本が多ければ多いほど有利に働くという構造のはずである。それでは、私たちはどのような資本を持っているのだろう?

……中略……基本的には「労働資本」に頼るしかない。自分自身が「原資」になって、毎月の給与が「利回り」になるというわけだ。

もし、あなたが年収600万円を稼ぐ労働者だとすると、年利5%で計算すると、1億2000万円の資本を回転させていることになる。こうして考えると自分自身ってすごい資産価値なのだな、と関心するだろう。

貧乏人の気休めによく使われる詭弁。「働ける」ということは生きていて生活しているということなのだから、それだけで金がかかる。一年の衣食住にかかる経費を計算して、それは死ぬまで続く返済だと考えてみたらどうだろう。僕は死にたくなる。

気持ちの面だけではなくて、そういう毎月の支払いがあるので、労働資本投資する際にはリスクも利回りも高い選択を取ることが難しいはず。大きな数字を見て気分が良くなっても、現実は何も変わっていない。

次にゲーム理論の話が出てくる。囚人のジレンマについて丁寧に解説してくれているので原文をよく読んでほしい。かなり恣意的な数字だが、こういうケースもあるだろうと仮定して進める。(説明が無いが、表の中の数字は、左側が労働者の利得、右側が雇用者の利得。「利得」とはこの場合「利益」と言い換えてもいいだろう)

しかし、ここで「あれ?」と思った人は多いだろう。表を見れば明らかだが、お互いに利得が大きい(5.5)「がんばる」×「高く雇う」という組み合わせがあるのに、わざわざお互いに利得の少ない組み合わせを選んでしまっている。これがゲーム理論で言うところの「囚人のジレンマ」と呼ばれる現象だ。

その通り。

囚人のジレンマ」は2者間の選択肢の均衡が、必ずしも最適解にならないという現象である。なぜ、こうした事が起きるのかと言えば、お互いの利益だけを最優先にするために起こる矛盾なのだ。つまり、「自分利益」を追求するあまり、「木を見て森を見ず」状態になってしまい、みすみす得られたはずの利益を逃してしまうということだ。これは大きな機会損失である。

だんだんおかしくなってきた。

この“機会損失”をなくすには、全体にとっての最適解つまり「会社にとって何がベストか?」を関係者全員のルールとすることである。つまり、このゲームルールを変更しなければ、いつまでもこの機会損失は続くことになるのだ。

労働者にとっては「雇用者側に立つ」ということだ。これは「雇用者になる」ということではない。「経営者の視点で働く」ということである。そうすることで、自分にとって、ではなく、会社にとってベストな働き方になる。……以下略

そしてお決まりの、「利己主義を止めて全体主義になれ」だ。こういう論には、ゲーム理論をもってくる意味が無い。小さな「知の欺瞞」みたいなものだ。ここでは「囚人のジレンマ」は説教臭い寓話にしかなっておらず、この理論から得られる知見は捨てられている。

ここで、原文の筆者は表を書き換え、

 10 8

  8 6

という単純な構造にした。労働者雇用者の利得を一体のものとして扱う、という意味で。しかし、読者にこの表を見せることはない。読者はこの表を見たら当然、「どう分配するの」という疑問を抱くだろう。元々は分かれていて、自分の利得はいくらなのかはっきりしていたのだから。つまり最初の表には大して意味が無かったのだ。

それに「雇用者労働者でどう利益を分配するか」何て歴史的な難問に足を突っ込んだら、マルクスから復習しなければならなくなる。そんなのネットコラム原稿料には多分見合わないだろうし。

この単純なバージョンの表は、ただルール曖昧にしただけで、利益が増えるとはどういうことか、という問題に全然触れていない。それもそのはず、このルールは最初から一つの企業の中だけで完結しているので、経費節減以外に利益を増やす方法が出てくるわけが無い。

そこで、ちょっと複雑な数字パズルを導入し、新しいことを覚えたような気にさせ、「協力は尊い」と説教する。でも、「2の利得を諦める」というのは、ビジネスの否定だよ。(5. 5)の答えはwin-winになっているよう見えるけど、なっていない。「目の前にある2の利得を諦めなければ、2の利得を得られる可能性は無い」と言っているんだから。ビジネスじゃなくて胴元が勝つようになっているギャンブル

ゲーム理論だの囚人のジレンマだの持ち出さないで、そのまま書けば良かったのに。「あなたの利益を最大化するため、立場の違う人とも金銭的な面を含め協力し合いましょう。その際は、組織の外部を意識することで最適な妥協点が見いだされるでしょう」とか。原稿料は貰えないかもしれないけど。

2009-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20090814112438

もっと良い餌を使ってほしいな。

釣られる方も美味しい餌ならWin-Winじゃん?

2009-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20090810025053

その考え方は合ってて、余裕のある(今はどこもないけど)大企業とかはそういう考えのもとやってる。

特に理系企業に多いよ。なんでかって、職場結婚が多いから。

嫁さんの待遇が悪いと旦那もイライラして能率が下がるのよ。

すんごい分かりやすいけど、これがまた一定の効果を上げるし、CSR的にもいいしでWin-Winな関係。

2009-08-04

なぜか間違える“勝間勝代”

言葉Win-Win

前置きはこれぐらいにしておいて。

なんだろう、これ。kkって人をイラつかせる電波でも出してんの?

http://anond.hatelabo.jp/20090804162924

出版界の救世主だけど、出版の人と飲んだら、やっぱり男女問わず読む前から生理的ダメって人もいるって!

俺も全然ダメな方。でも、初期に比べたら、相当、ファーストインプレッションにでも、気を遣っていると思う。

でも、やっぱり無理だ。

twitterも俺には無理なタイムライン

ただ、誰が書いても客観的になる文章(会計とか)は簡潔で的を得ているから、

食わず嫌いせず、読む。あるいは、表紙を捨てて読む。

まあそれだったら、勝間本である必要ないんだけどな!

2009-06-27

宮崎宮本

世間的に、宮崎駿の知名度って高いけど、宮本茂の知名度って低いよね

業績は宮本茂はぶっちぎりで高いのに

このあたりはやはりメディアを通して発信されるアニメという媒体のなせる技なんだろうか

やはりマスコミも儲けさせないと駄目なんだろうか・・・ゲーム視聴率の敵だしなぁ

とかそんな事を思った。

やっぱ流通とかいろんな業界巻き込んで盛り上げていかないとだめなんだなぁと

テレビ局だけじゃなく、ゲームの販売店とかとwin-win関係の構築が重要なんじゃないだろうかと

だからDL販売とかってうまくいくのかなぁ

と心配です。


話変わるけど

テレビ離れとか言ってる時代にそこそこハイビジョンテレビが売れてるけど

それってゲームのおかげだったりすすんじゃないの?

とかそんな事を思った。

テレビ関係者は、面白い番組作れないのならゲーム宣伝をするべき

2009-06-06

大阪WTC庁舎移転案、平松市長橋下知事に「責任転嫁だ」と責任転嫁

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090606-OYT1T00052.htm

 一方の平松市長は前日、WTCへの府市同時移転提唱した橋下知事の発言について、「現実味がない。両方入れるスペースはない」と反論し、蜜月関係だった2人が批判し合う展開となっている。

 橋下知事記者会見で、府市同時移転に関する平松市長の反論について、「極めて行政的な言いっぷり。中之島(の現庁舎)をつぶして、(WTC周辺を)府市合同で官庁街にするくらいの判断を期待する」と切り返した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20090605-OYT8T00084.htm

http://www.asahi.com/politics/update/0604/OSK200906040078.html

平松市長は何のために関淳一市長を蹴落として市長になりたかったんだろうか。

WTCの庁舎移転案は平松市長よ、おまえの選挙公約だろうが!

http://www.team-osaka.com/article.php/20071107125547830

 平松「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)を最終処理後に市が買い取り、市役所を移し、現市庁舎は近代美術館にする。中之島が一大文化ゾーンになり、人が集まってくる。夢を語れる街にしたい」

WTC大阪市役所を移転、現庁舎は美術館にするというのが平松市長の案。後で平松市長自ら放棄しているが、私はベストではないがベターな案であったと評価している。なぜなら国との契約大阪市近代美術館建設しなければ違約金を最大で48億円払わなければならないからだ。

大阪市会議

http://www2.city.osaka.jp/shikai_kensaku/index.html

平成21年3月定例会常任委員会文教経済・通常予算) - 03月12日-04号

福田賢治委員  それから、前も議論あったと思いますけども、国からこれもし美術館できなかったら違約金を払わなあかんと、お金の面でもせかされてるわけでありますね。ですから、その点について違約金が幾らなのか、あるいはまた、今日までの経費、どれぐらいお金かかったんか、ちょっとお聞かせいただけますか。

松井ゆとりみどり振興局文化部博物館企画担当課長近代美術館担当課長 お答えいたします。

 近代美術館の整備につきましては、平成10年に基本計画を策定したほか、平成15年までに中之島4丁目の1万6,900平米の国有地を約226億円で取得しております。また、この間、美術作品の収集に努めてまいりました結果、収蔵作品は約4,200点を数え、うち購入作品は約1,000点、購入金額は約153億円でございます。これらの作品を中心に平成元年以降の20年間にわたって43回の展覧会を開催しており、入場者数は約110万人でございます。

 また、近代美術館建設予定地の国との売買契約におきまして、平成24年3月という期日の指定などが特約として規定されており、最大で約48億円の違約金が生じることとなっております。以上でございます。

福田賢治委員 今お聞きいたしますと、もう既に多額の経費が投入されてるわけであります。準備室の経費は今御答弁になかったわけでありますけども、土地代が226億円、それから美術品が153億円、この美術品につきましては、収蔵作品が約4,200点で、そのうちの購入作品が1,000点、購入額が153億円、土地美術品だけで単純計算しますと379億円、これに20年間の準備室のコストを加えますと400億円ぐらいになるんちゃいますか。それに違約金が48億円。こうなってまいりますと、一体いつまで大阪市はその貴重な美術品、モディリアーニの例の購入時に話題になったと聞いておりますあの作品は、今は何か倍ぐらいになってるそうであります。当時の値段が19億3,000万円ですけど、倍近くになってるそうであります。そういった、あるいは市民からの美術品をずっと持ったまま置いておくということは、大阪市はいつの間にコレクターになったんやということであります。コレクターというのは、持っといて人に見せずにひとり喜んでるだけなんであります。

WTCは人通りの少ない湾岸にあり、民間企業への売却が困難、しかも現在でも大阪市の部局・外郭団体がほとんど入居し「第二庁舎」と揶揄されている。(なぜ市の部局が入居しているのかといえばWTCを運営する三セク破綻を回避し大阪市責任が巡るのを回避するためだ。)

http://osakadeep.info/17.shtm

WTCに市庁舎機能を移転・集約し、その上で現庁舎は美術館改装、国への違約金支払いを回避した方がましだ。だからこそ平松市長選挙公約に掲げたのだと理解していた。この案はある程度の合理性はあるがベストではない。美術館改装なら他の場所でも可能だからだ。御堂筋沿いの一等地である市庁舎を美術館改装のために手放すのは愚行である。市庁舎こそ民間企業に売却可能な優良物件だ。WTC破綻すべくして二回も破綻した。二次破綻による大阪市への負担は1000億円とも指摘されている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/osaka_h/20090327kf03.htm

http://www.asahi.com/politics/update/0327/OSK200903260177.html

であれば、大阪市課題は如何に1000億円の負担を軽減し大阪市民や企業への増税を回避するかである。市庁舎は売却するのがベストな案だ。

この案を実現しようとしたのが橋下知事である。橋下知事府庁舎をWTC移転し、現庁舎を売却することにより、建替え計画のコストを削減しようとした。しかもWTC大阪市から100億円で買い取ろうとしても採算性は取れるのだ。大阪市大阪府Win-WIn関係が築けたはずである。しかしそもそもWTC大阪市建設した三セクであり、そのツケを大阪府大阪府民が支払うのは合理性に欠ける。

つまり「本来は平松市長がやらなければならない仕事を、できないヘタレな平松市長に代わって橋下知事がしてあげているにも関わらず、橋下知事を『責任転嫁』呼ばわりする平松市長厚顔無恥さ」がよくわかる記事だということだ。なお、平松市長

「市役所も府庁も全部は入れるスペースはなく、現実的にはあり得ない」

という発言には呆れた。まず一部メディアではWTCには府庁舎の入居は不可能とする偏向報道がなされているが、1~3階に入居するコンビニ飲食店に退去してもらえば府庁舎の移転は可能である。また市庁舎の移転についてはATCの利用を検討すべきだ。大阪市WTCのみならず、ATCという別な破綻物件も抱えている。こちらも大阪市の部局が多く入居しているものの、無駄にスペースの利用しているだけである。つまりガラガラだ。以下のサイトを御覧いただければお分かりだろう。

http://osakadeep.info/13.shtm

こんなガラガラ物件を利用せず市庁舎に居座り続けるつもりとは、平松市長は一体どういう神経の持ち主なのだろうか?ろくな政策決定ができないのならば、即刻辞任すべきである。

2009-05-30

嫌な話を聞いた

人から聞いた話なんだけど、

アメブロ審査を通って有名人芸能人カテゴリに入ったブログは1ヶ月毎日更新すると最低ランクで15万円が支払われる

 (15万もどこから出すんだ?と思ったけどアメブロ投げ銭のような感じで読者がアバターのようなものを買って、

  ブログ主プレゼントする機能があるからある程度ネームバリューのある有名人なら、熱心な読者(ファン)が

  次々とプレゼントを買っては贈ってくれるので、15万くらいは軽くペイできているらしい)

ランクを上げていくためには読者数・PV数を上げないといけない

・そこでまずPV数を上げていく為に1ページには1日分しか表示しない、ケータイから見る読者にはその1日分も何ページも使って表示させる。

 極端な話、無意味な改行を多用して1日分の日記ケータイ換算で10ページ使って表示させれば10PVになる。

 なので、みんなどうでもいい日常の報告をダラダラもったいぶって

 「実は・・・(いっぱい改行)それがなんと・・・(いっぱい改行)【ここにでっかい写真】(いっぱい改行)これなんです!」

 みたいな日記になりがちになる。それも毎日そんな調子だから面白いことも何も無くなってくる

ここまでで充分嫌なんだけど、実際アメブロ見に行ったらどうしたものか結構な人達がそんな下らない有名人ブログつけてるんですね。

安月給でしんどいアイドルとかお笑いの人がそうやって頑張ってるならいいけど、所謂大物や中堅ミュージシャンまでやってるの。

毎日毎日どうでもいい報告ばっかり、くっだらないアホみたいな改行を多用して1ページに1日しか表示しなくて。

それが何か嫌だ。そんなに割のいい仕事なのか。まあ割はいいか。1日5000円だし。でも恥ずかしくないか?

そしてそんな下らないシステムで小銭とPVを稼ぐ胴元も嫌だ。あの藤田とかいう人でしょ?

ホリエモンのときはゲスい見た目のヒトがゲスいことを言いながらゲスい金の儲け方をしてたから仕方が無いと思ったけど、

サイバーエージェントとか楽天は見た目や言うことだけ真っ当な人間のフリしてやってる事がライブドアと変わりないからなんか余計に嫌だ。

でもそれを言うならはてなもそんな変わりない、のかな?まあねー。

 

 

//以下、なんかいっぱいブクマされてたので追記(5/31、22時ごろ)。

・せっかくなのでこの話を教えてくれた人にこの話のソース的なものがあれば教えてほしいと訊いてみたのですが、

 「自分も人から聞いた話なので明確な真偽はわからん」と。あくまでその程度の話だと思ってください。

・あと「ライブドアはゲスい」のくだりは昔のホリエモンが「金で買えないものは無い」とか言って、よそのあらゆるサービスを買い付けては

 ライブドア○○って名前に変えて自前のサービスに組み込んでる頃のイメージです。最近はよく知りませんが、でもブログは私もLDだったりします。

・私は嫌儲嫌儲でないかでいえば嫌儲資質が高いという自覚はあります。なので嫌儲の戯言だと思っていただいてその辺は結構です。

 でも、自分は「別に誰も損していない」「この話はwin-winだからいいじゃん」とは思えないんですね。

 ブログというネット文化としてのシステムがあって、それを意図的に見難く、使い辛く、内容を薄く(数を多く)させることでPV数やらを稼ぎ出しているってことは

 やっぱりCAとして「ウチが儲かれば全体的にブログという文化のレベルが下がってもいい」っていう考え方があると思われても仕方ないわけで、

 そこにブログブームだとかちっぽけな報酬だとか時代の波的なものに踊らされてタレントやら色んな肩書の人たちが喜んで全く意味のないものを生産している、

 そしてそれに対して読者が対価を払っているようでいて実際は全部しっかりとピン撥ねしている胴元が居る、そういうのはやっぱり気持ち悪いと思うんですね。

・あと、これはもう想像想像でしかないけど、仮に「報酬が払われてる話」が本当だとしたら、多分そこそこの割合でゴーストライターが発生するだろうし、

 報酬だって15万とかそこらの額がタレント本人に入るかといったらそうでなくて、きっと事務所やらが跳ねていくと思うんですね。

 だとしたらお布施するつもりでいっぱいPVお金の素(プレゼント)を捧げる読者を、ゴーストライターサービスの持ち主やら事務所タレント看板を使って

 ずるずる吸い上げている構図が浮かんでしまって、「タレント報酬になるならいいじゃん」って話も多分そうはならんよなあって思うんですよね。

・要は企業努力の方向性として「全体に不利益でもウチは儲かるからいい」「色んな人を消耗させるけどウチは儲かるからいい」「質を下げることで逆に儲かるなら、喜んで下げる」。

 そういう努力は買いたくないと思ったんです。

・で、そういうのに対して「ビジネスなんてそんなもんだよ、何子供みたいなこと言ってるの?」って言われたら、まあそれはそうだとも思うけど、

 別にそれに対して「でも嫌な話だね」って思ったり、言ってもいいじゃん。とも思ったんです。そんな感じ。

2009-04-27

痴漢を防ぐためにも痴漢冤罪を防ぐためにも

電車内にカメラを設置すればいいと思うよ。

男にとっても女にとってもwin-winじゃん。

壁を乗り越えることに意味ってあるの?

今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・

そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの?

その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。

で、そもそも、何で「壁を乗り越えよう」としているんだっけ?壁って何?業績?業績を上げるって、他者からの評価を上げることじゃなかったっけ?あれ?でも、壁を乗り越えても、他者からの評価は変わらないんだよね。企業大学も、あなたを捨てて、軽々と壁を乗り越えられる人を採用するだけ。結局、あなたは負け犬

あなたにとって、今やろうとしていることが「壁」である時点で、すでに、もう決着はついているんだよ。競争社会では、壁につまづいて、それを乗り越えたことは評価されないの。壁を壁と思わず、進める人が評価されるの。壁にぶつかった人は、もうその時点で、負け犬なんだよ。壁にぶつかったら、もう、その時点で、評価は決まっているんだ。

でも、負け犬と評価されても、死刑になるわけじゃない。負け犬でも、生きていることは許してもらえる。僕らは怖がりだから、死ぬのは嫌だ。社会には、負け犬のための場所があって、そこで、かろうじて生きることはできる。そこで、社会とのwin-win関係が結べるんだ。社会は、「壁に乗り越えること」なんて求めてないんだよ。壁にぶつからない人を求めているんだよ。社会は、壁にぶつからない才能を持った人だけに用があるんだ。壁にぶつかったら、もうその時点で、社会は、その人に用なんかないんだよ。でも、かわいそうだから、壁にぶつかっても、かろうじて生きていていいことになっている。僕らは、壁にぶつかったという罪を償う代わりに、「生きていい」というお墨付きをもらえる。ここに、僕らと社会との間の、ひっそりとした約束事があるんだ。別の言葉で言えば、win-win関係、難しく言えば、社会契約っていうのかな。ルソー社会契約論とか、高校教科書に出てきたよね。

そういうわけで、壁を乗り越えることには、本当は意味なんかないんだよ。「壁を乗り越えよう」なんていうのは、人をタダで働かせるための、スローガンに過ぎないんだ。もう、壁にぶつかった時点で、あなたの評価は決まっているんだ。高校・学部・修士博士企業、全部そうなんだよ。壁にぶつかった奴は負け。壁にぶつからなかった奴が勝ち。壁にぶつかった奴は罪人で、壁にぶつかったという罪を、一生つぐなわないといけないんだ。

【追記】

ついでに言っておくと、僕は東大卒です。東大入学は、僕にとって壁ではありませんでした。まぁ、その後、壁にぶつかったわけですが。いろいろ反論はあるみたいですけど、「自分にとっての壁を乗り越えたんだからいいじゃない」みたいな意見は、単なる自己満足だと思っています。たとえ自分の中では成長したと思っていても、他人から見たときに自分が成長していることを示せなければ、「自分の成長」を客観的に示せないわけです。壁を軽々と乗り越えられる人間が、壁にぶつかる人間より優れていることは、明らかです。競争社会では、壁にぶつかった人間は不要なのです。その代わり、壁にぶつかった人間は、壁を乗り越えた人間を恨み、妬み、殺されないように自衛することは許されています。それが競争社会意味あると思っています。

【追記2】

今までの記述矛盾するかもしれないけど、少し冷静になってみる。とりあえず、自分経験は、次のようなもの。高校のころから、「壁を乗り越える」というのは、まず、「自分の壁」を探して、その後、ぶつかることだと思っていた。当時から、「xx君は数学ができてすごいな~」、「でも、数学自分の壁じゃないから、そこそこできればいいや」というようなことをやっていた。こうやって、ぶつかるべき壁を絞っていった結果、一応、「自分の壁」は見つかったんだけど、今ぶつかろうとしている壁は、数学英語の「基礎力」がモノをいう壁でした、という話。だったら、最初っから「自分の壁」とか「壁を乗り越える」なんていう考え方をせずに、基礎力を鍛えておけばよかったな、という話。

でも、だからといって、「基礎力をつけようとしたら壁にぶつかったけど乗り越えました」なんていうことをアピールするのはひどい勘違い企業にしろ、大学先生にしろ、他人が自分の基礎力を評価するときは、そもそも「壁にぶつからない人」を高く評価する。基礎力をつけるときに、自分の壁を乗り越えた、バンザーイ、なんていうのは、甘っちょろい自己満足

だからね。何がいいたいかっていうとね。

個性とかオリジナリティーとかうざいです。結局、基礎力がないとおもしろいことはできません。オリジナリティーの高いものを作るには、基礎力が必要。

・逆に基礎力さえ高ければ、オリジナリティーの高いものが自然に出てくるのです。

・基礎力をつける段階では、「壁を乗り越えたかどうか」は評価されません。壁にぶつかった時点で、あなたは、壁にぶつからなかった人より劣っているとみなされます。つまり、もう、そこで序列ができているのです。あなたは、負け犬です。

・ただ、壁にぶつからなかった人を羨み、妬むことは許されています。個性とかオリジナリティーとか独創性とか、馬鹿げた幻想に踊らされるよりも、人を羨み、妬みながら静かに生きていたほうが、幸せ人生がおくれると思いませんか?

ということです。

2009-03-22

正しい博士の生き残り戦略

・ただでさえ博士は余っているのだから、これから博士になろうという後輩や子供たちには、いかに自分の分野での博士課程進学が苦しく厳しく魅力のない選択であるかを説いて周り、就職を勧める。こうすることで、彼らは後悔しない博士進学が出来るようになり、博士には余剰博士を減らすというメリットを与え、結局はwin-win関係を築くことができる。

企業からも研究費が来ると大変ありがたいので、企業の人には、逆に、自分研究がいかに魅力的で実用的であるかを説いて周る。

・どうせ英語論文誌や国際学会の質と数しか評価されないのだから、日本語では発表しない。

論文や申請書を書いて祈る祈祷術を見につける。

2009-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20090309014955

仕事仲間なんて本質的に全員利害対立者だから駄目だろう。

win-winとかどう考えても妄想だし。

2009-03-02

遊びの上のことだけど

PBCって遊びのこと。あえて増田で書いてみる。

いやほんと素晴らしい遊びだよねこれ。腐女子如何に関わらず、文章書く系のオタクたちにとってはたまらんって。相手やシチュエーションが変われば、何もかもが変わる。一生飽きないんじゃないかと思う。現時点でも十年以上やってるわ、気づいたら。もうあれですよ、夢がひろがりんぐですよ。新しい人(キャラクターでも、プレイヤーでも)と出会うたびに、わくわくし続けている。

でもね、無限の可能性がある遊びだけどね、やっぱ人と人が触れあうもんですからね。なかなか難しい遊びなんだなと近頃しみじみ思う。自分だけが気持ちイイように演じると、遊びが遊びとして成立しなくなってしまう。「私」は「おまえ」を楽しませるためにいるんじゃない。私たちはお互いが楽しくなるように助け合う。たとえ刃物使った喧嘩シチュエーションであっても、別れ話のそれであっても。どちらか一方が、エゴを通そうとしたら途端に世界破綻する。その原則を理解できないと、ほんとの意味で楽しめない。リアルでの日常会話と同じだ。ジャイアニズムを過剰に振りかざす人と、楽しくおしゃべりするのは大変だ。

相手を立てるからこそ、自分が生きてくる。怒っている演技をしても中の人笑顔。改めて書くと当たり前のことだけど。特に前者については、常に意識するのが難しかったりする。お互いにとって良い関係てのは、ビジネスだけじゃなく、人間関係全般にとって望ましいものだと思う。win-win関係てやつ。

あーまとまらなくなっちゃった。独りよがりなプレイの人をちらほら見かけて、なんとも嫌な気持ちになった夜のおはなし。「空気読め」って風潮が日本ダメにしたって2chスレ見かけたけど、やっぱある程度は必要な技術だと思う。「空気を読む」って。

あとついでに書いちゃうけど、プレイヤー権限を振りかざしまくるプレイて好きじゃない。自分キャラクターもしくは自分が気になってるお相手さんがいるところいるところ、どこにでも、他の人とマジな話をしていようと、他の場所から「来ちゃった☆」ってするとか(これも空気読めないの一環だな)。そのエンカウント率はなんなんだ、と思う。キャラクターは千里眼持ちじゃないのにね。

2009-02-27

ホリエ日記を読みながら

ホリエモン日記です

http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10214351577.html

ホリエモン日記の中にある、ブログの記事です

http://blog.livedoor.jp/dokuringo777/archives/532824.html

金融危機で話題になった「投資銀行のトップたちの報酬が妥当なのか」どうかについて、触れられています。確かに、世の中には多くのお金を稼ぐ人がいます。でも、同じお金を稼いでいても、まわりに認めてもらえる人と、そうでない人がいるのは事実です。なぜでしょう?というのが、上記2つの記事に載っています。そして、自分もこの件に興味を持ったので、書きます。長いのでパソコンで読むとよいでしょう。もし事実と明らかに異なることを書いているようだったら、指摘してください。よろしく御願いします。

結論から言えば、今回話題になった投資銀行家たちの報酬は「三方よし」に合致していないんじゃないか、ということです。自分金融が悪だとは全く思いませんが、「彼らは社会に対して、本当に報酬に見合ったこと(社会プラスになること)をしているの???」とは考えます。民衆サイドの中には、ただの嫉妬や無知金融による儲けを批判する人もいるでしょうが、そういう人たちだけの主張ならこんなに大きく取り上げられることは無いはずです。スポーツ新聞コラムに載るくらいです。冷静に「金融で儲けるのもアリだよね」という多くの人たちまで「この報酬はどうなの?妥当なの?」と感じているからこその問題なのではないでしょうか。

ところで、「三方よし」というのは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことです。これを社是にする会社もありますね。簡単に言うと、自己利益のみを追求するのではなく、相手や社会にもプラスとなるような取引を心がけるという近江商人の心構えです。Win-Winの先駆けです。この考えに則って(のっとって)考えれば、同じ稼ぎでも「三方よし」に当てはまる稼ぎと当てはまらない稼ぎでは、相手や世間からの風当たりが違うわけです。今回の「巨額報酬に対する批判」は、このあたりに原因があるのではないかと思うわけです。

「世間」の解釈は様々ですが、今回は日本的な意味ではなく広義の「社会」とします。

批判が起きるということは、「三方よし」の言う「世間」の考えと、彼らの年収とに大きなギャップがあったということです。大きなギャップが生まれるパターンは、(1)彼らの年収は適正で、一般事業に携わるわれわれ民衆の作り出した「世間」が彼らを過小評価している。(2)彼らは何らかの倫理的に適さない方法で稼いでおり倫理的に正常な感覚を持った「世間」がそれに気づいた。 ・・・の2パターンです。今回の批判は、この2パターンが同時に発生したと考えてさしつかえないのでは、と思います。どちらか片方に完全に非がある/ない、とは言い切れないからです。

(1)に関して言えば、われわれは彼らの業務内容を完全には把握していない、というのが事実です。もちろん本当の意味で完全に把握できたりしたら、「あの会社はヤバい」「AとBは、今度合併するらしいよ」という情報も把握できるということなので、それはそれで社会が崩壊するでしょう。

ただ、大まかに言えば彼らの行っている仕事は(ア)銀行業務(イ)運用業務/証券業務 に大別されます。きっと(ア)(イ)の合わせ技のような業務もたくさんあるでしょう。そして、(ア)を充実させるために(イ)が必要だったり、またその逆も然りでしょう。(ア)も(イ)も、現代のほとんどの企業がお世話になるサービスです。彼らが尽力したからこそ資金調達できたり、うまく合併できたりするわけです。そうやって元気になった企業が、われわれに良いサービス製品を提供してくれるのです。その資金調達力や、陣頭指揮の能力ノウハウ合併時の財政的なテクニックのみではなくパフォーマンスの良い職場環境を生み出すためのコツなども心得ているはずです。また、彼らがリスクをかぶって証券化して広めてくれないと、事業のためにお金が必要な人(企業)は資金調達に困ります。そんなこんなで、彼らはあまたの企業ライフラインを構築したり太くする仕事をしていて、しかも世界的に見てそのような業界リーダーであるので、彼らの報酬は妥当だとも言えます。製造業と違って、直接の生産設備は不要ですし。ITインフラはすごいでしょうが。

ただ、彼らは自分たちの仕事について多くを語りません。仕事柄、語れません。今回の批判は、彼らの「世間」に対する油断にしろ、しょうがないにしろ「説明責任を果たしていない、説明できない」ところに原因があるとも考えられます。収入の根拠を可視化しきれていない。プロジェクトやその他仕事で彼らの良い仕事を直接見たことのある人からすれば、今の彼らは「悲哀のヒーロー」に見えるかもしれません。

(2)に関しての代表例は、多くの方がご存知のサブプライムローンです。他にも多くの金融商品が生み出されては、時代の波に消えて行きます。その時代の移り変わりすら、彼らは利ざやとして稼いだり、損したりするのですが。そのようなエピソードが紹介されているのが、この本です。金融に詳しくなくても、面白く読めます。よく想像されるような、すばらしい人格者で、頭脳明晰で、経済学数学に長けていて、でもネジの外れた投資銀行家たちがたくさん出てきます。

市場リスク 暴落必然か』リチャード・ブックステーバー (著), 遠藤 真美 (翻訳)

http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF-%E6%9A%B4%E8%90%BD%E3%81%AF%E5%BF%85%E7%84%B6%E3%81%8B-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC/dp/4822246671

鋼の錬金術師』という漫画で生み出された(もしくは有名になった)言葉に「等価交換」という言葉があります。無から有は生まれない、水は石にならないなどのいわゆる世の原理原則をひとまとめにした言葉ですが、当たり前のことながら的を射ています。多くの人たちが、前述した「この報酬はどうなの?妥当なの?」という疑問を持つのは、先のサブプライム問題がこの等価交換を破るようなモデルに見えるからであり、事実破綻したからです。言い方を変えれば、その疑念を直接証明できなくても「三方よし」のガイドラインに引っかかった。これが、稼ぎへの批判の源泉なのではないでしょうか。

バブルの教訓と同じく、常に価値の上がり続けるものは有りません。どんなに良くても、横ばいです。不動産だけでなく、金融商品も同じです。時間物理概念が有効である限り、原理原則を超えて稼ぐのは不可能です。ここで無理矢理稼ごうとするから、金融が批判されるのだと思います。金融そのものは、「人間」でないとなし得ない、高度で理性の問われる概念/枠組みなのですが。

以上、長く書きましたが、先の高額報酬批判の原因は、(1)が2割、(2)が8割かなと個人的には思います。秩序ある経済が復活し、様々な産業が息を吹き返す(もしくは生まれ変わる)ことを望みます。わかりやすかろうが、そうでなかろうが、本当に「三方よし」を実践して金を稼ぐ人や企業は大規模な批判には晒されません。また、稼ぐ金に関わらず「三方よし」の概念は有効なので、自分も普段から強く心がけようと思います。

2009-02-24

大学院に進む人の9割は死んでいい

大学院っていうのは、1割の優秀な研究者を選別する場所だ。1割の優秀な人がいれば、残りの9割の人間は必要ない(特に、博士課程)。科学への関心とか情熱とかは一切関係ない。結果だけが重要なのだ。大学院に進んで、結果が出せなかった9割の人が、楽に自殺できるシステムがあるとよい。そして、たくさん自殺者を出した研究室がたくさん研究費をもらう。

こうすれば、日本科学は飛躍的に発展すると、ネタでなく、本当に思う。世の中、人余りで、大半の人間は不要なのだ。不要な人間が生きていても、他人に迷惑をかけるだけだし、迷惑をかけた本人も他人に迷惑をかけて申し訳なく思うだけ。大学院自殺者が増えることにより、社会は不要な人材を処分することが出来、大学院生はきちんと社会にお詫びしながら死んでいくことができるので、win-win関係を築くことができる。大学院自殺者増加は、むしろ喜ぶべきことなのだ。

2009-02-17

Win-Winはもう古い

ゆうちょオリックスの間だけ良くても駄目。

世間良しも含めた「三方良し」でなくちゃ。

村上春樹にとっての「うなぎ」みたいなものとか。

2009-02-12

単純作業は機械にやらせればいい。人間はもっと付加価値が高く創造性のある仕事に従事すべきだ。社員一人当たりの生産性を高めていくことが,ますます激化していく競争社会において生き抜くための鍵ですよ。

こういう前提で,顧客業務改善の提案をする。経営層は熱心に聞く。うまくいけば注文がもらえて,うちのエンジニア仕事を与えることができる。客も喜ぶ。Win-Win関係だ。

でもどうなんだろうね。人間は必ずしも,高付加価値創造性のある仕事に就ける人ばかりではない。海老の殻をむいて孫の小遣いを稼いでいた婆さんから仕事を奪っておいて,彼女にいまさら何をさせようというのだろう。ある企業では知的障害者倉庫ピッキングをさせていたが,それが機械で合理化されたらできる仕事がなくなってしまった。

労働グローバル競争の場だ。言語や習慣で多少バリアが残ってはいるが,限られた雇用をめぐって世界中の人が争っている。日常で目にするように,清掃や小売は今や中国人が主役となった。多くを持たず,多くを望まない,というような生き方はもはや許されない。非熟練・低賃金労働という「下」のポジションだって,機械第三世界に奪われてしまう。より高い価値を生み出していかなければならない。もっとがんばれ,もっと強くなれ。でもそれができない人はどうすれば?

野菜を箱に詰めたり牛乳を配ったりしていればギリギリ生活できるような,「誰でもできる仕事」へのアクセスを誰にでも保障するような,そんな仕組みはできないものかな,と考えている。

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090129230014

ってか、学生さん

前売り券制度にしろ時間帯・曜日限定割引は他の業種でもやってる

営業努力の一環なんだから、映画だけをピンポイントで批判するあたりが、

学生さん臭いと思った。

なんか、彼女と行く予定でペアの前売り券を買ったけど、公開前に別れちゃったので

八つ当たり、みたいな。


前売り券って、売れ行きの事前調査という以外に関係会社・協力会社へのノルマ券って

意味合いもあるし、「安く売る代わりに事前に買ってね」という、販売側と購入側の

win-win関係リスク分散でもあるし。映画で解説すればね。

スーパーだってタイムセールタイムバーゲンをやっているし、

交通機関の回数券やプリペイドカードだって、期限付きだったり紛失保証がない代わりの割引だし、

・・・もーちょっと商売の話を考えようぜ。

2009-01-27

大相撲に見る、繰り返しゲームにおける競争減殺

千秋楽で7勝7敗の力士に負けてあげる理由はわりと簡単に説明がつく。

既に勝ち越しor負け越しの決まった力士にとって、今場所の1勝の価値はあまり高いとは言えない。

これに対し、勝ち越し負け越しのかかった力士にとって、今場所の1勝の価値は極めて高い。

そうすると、既に勝ち越しor負け越しの決まった力士は、比較的安いコストで大きな恩を売ることができる。

相撲は繰返しゲームだから、その恩は次のゲームに持ち越される。

だから、今場所で恩を売っておくことで、自分が7勝7敗で迎えた千秋楽でリターンを得ることができる。


このシステムを更に強化しているのは、このトレードが仲間意識によって業界全体で行われている点だ。

プレイヤー間に何らの繋がりもなかったならば、この恩は特定の相手にしか売ることができない。

いざ自分が7勝7敗の時に、恩を売った相手に当たることができるとは考えにくい。するとこのシステムは機能しない。

ところがこれが業界全体で行われているならば、どのプレイヤーに売った恩であっても返って来ることが期待できるのだ。

まさにWin-Win。和を持って尊しとなす。人間かくありたいものである。


ただ、これが「他の力士を優勝争いから脱落させないため」となると、また違った説明が必要になるだろう。

2009-01-14

anond:20090114014748

目的からいえば消費に回すのが良いっていうのはわかってる。

けれど、わざわざ消費するよりは、貯蓄するか納税に使ってしまった方が私として利益があるのではないかと考えてしまうよ。

ゲーム理論的に考えれば、全員が全員消費に回せばwin-win関係になるだろうと思う。けれど、一人しか消費に回さなかった場合、その一人が極端に損をする。ミニマックス的な思考からは、消費に回すべきでないと思えてしまうよ。

2009-01-03

リゾートでのボランティア

弟が仕事を辞めた。将来ずっと続けられる仕事じゃないから、とか時間が不規則で辛いとかそんな理由。んで、転職でもするかと思ったら沖縄リゾートボランティアを半年するんだとか。

自分はわざわざ働くのに敢えて賃金なしなんて考えられないんだけど、なぜか所謂自分探し病的な人たちってのはボランティアとか好きだよな。ボランティアなんて、雇う側からしたら体のいいタダ働きじゃないか。そうか、ある意味利害が一致してるから双方ハッピーwin-win(笑)みたいな感じなのかな。

2009-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20090102193756

今までいわゆる社会不適合者の人たちが生きていけるゆるい社会だったのが崩れてきたからみんな騒いでるんだと思ったんだけども。

私物をほとんど持ってなくて寮と工場とを往復する生活で、土日はパチンコ競馬タバコと酒が趣味。交友範囲は寮内。

安価労働力 = 単純作業できる仕事場 というWin-Win関係が崩れたので困ってるんでしょう。

そこに居る人が努力しないのではなくて、努力しない人が仕事できる場所がいままであった、それがなくなったからどうしよう、という社会現象では。

2008-12-20

「好きな男性歌手結婚したのでファン辞めます、嫁は死ね」という女性リスナー

そういう人なら、「衣装デザインと肌の色が変わったマンガヒロインを見て描かれていない設定を考え出し、裏切られた!と怒って単行本をズタズタにして作者の実家に送りつける男性読者」の気持ちが理解できるんでしょうか。

『かんなぎ』ナギ様の非処女騒動で傷ついたのは誰なの?-きなこ餅コミック

アイドル恋愛発覚・結婚発表後の騒動ではこれらの暴言は定番なんでしょう。しかし、怖い。

3次元騒動で危惧するのは「罵倒されている本人の目に暴言が触れる可能性がある」ことです。憎悪アイドル本人でなく、恋人子供に向けられていることも。

宮野真守の件は驚きました。好意的なコメントしか見てなかったので。

憎悪が本人以外のところに向けられるのはこわいなー。宮野氏とお相手にはある程度リスクの覚悟はあったろうけど、子供死ねとか……お前ら人間じゃねえ!

かんなぎ」騒動も驚きましたが、宮野さんの結婚についての騒動にもそうでした。

私と友人は彼のファンでしたが、友人がこの発表発狂するかの如く怒り、グッズやCDを売り飛ばしました。(壊さないだけマシ?)

私としては好きな人が幸せになるなんてとても良い事なのに、ショックを受ける友人達が分りませんでした。それを伝えると偽善者呼ばわりされたので縁切りましたが……

はぁ?宮野厨を批判する書き込みがあったけど 意 味 不 明 。

好きな人が幸せになったら喜べ・・・とか正義厨の意見押し付けウザイ

奥様や子供が旦那の業を受け継ぐのは当たり前。

過激なファンの方って、対象自分の思う通りに一生生きてけば満足なものなの?

明るい好青年だとは思うけど、結局「演技」という部分にしか興味ないので、その気持ちは分からないなぁ。


アイドルグループHATENAのマスダくん(仮)が結婚しました」。

ショック、とか寂しい、とかまでは理解できます。というか実際ショック受けました、正直寂しかったです。

ファン数人で「集団失恋パーティー(笑)」とかしたさ。ケーキ買ってきて酒飲みつつPV観ながら「あーちくしょうマスダ、人のものでもいい男だよなぁ!」とかクダ巻いてました。どう見ても負け犬女の集団です本当にありがとうございました

出てくる罵詈雑言は「幸せなっちまえバーカ!」「嫁さん泣かすなばーかばーか!」とかそんなんですよ。

彼が未婚だからって別にコンサートで「アリーナブロック○列めの…そう、赤い服のキミ。ぼくとつきあって下さい!」とか言われるなんてありえない(まゆたんかよ!)、結婚したからってとたんに歌が下手になるわけじゃない。

「彼(偶像)」と「自分(一消費者)」の関係が変わるわけじゃないのになんで「ファン辞める」なんだろう。

プライベート増田某」が結婚によって充足とか安定とかして、「HATENAのマスダくん」の歌に深みがでるのならファンとしてこれほどウマーなことはないじゃないか。これぞまさにwin-win関係

仮に自分がマスダくんの嫁になれたとしても(絶対ないからこその例え話)、今度は自分がそういうちょっと愛情表現の行き過ぎたファンの標的になるってことじゃないか。怖いよ。マスダくんが理想王子様でも、増田某がいい夫だとは限らないし。

顔も知らない赤の他人たちに、生涯の伴侶をけちょんけちょんに言われることを自分への応援だと思って(まあ一応応援といえなくもないですが歪みすぎだよね)「うれしい!俺もっとがんばる!君たちがいやならあんな嫁とは今すぐ別れるよ!!」とか言うような人だったらそのほうが嫌だw

子供をたたくのは問題外。

「憎い女の子供」なんだろうけど、「彼の子」じゃないか。ひどいこと言うなよ。

中川勝彦ファンがしょこたんを叩くというのは観たことがない。

(観てないだけであるのかもしれない。ないといいな)

スタッフ、ここ見てるんでしょう?リリースが落ちついた今になって発表するなんて卑怯」

mixiのファンコミュニティなんて仕事としてチェックしてないと思うし見てたとしてもそこから意見くみ上げるスタッフなんていないでしょ。

卑怯って何?「マスダくんが結婚してるって知ってたら新曲なんか買わなかったのに!」ってことかな。ご祝儀払わされた気がして嫌なんでしょうか。新曲聴く機会を自分で手放すのはもったいないと思うんだけどな。

「嫁は評判悪いらしいですよwwwww」

それって「マスダくんは女の趣味が悪いんですwwwww」ってことだよね。マスダくんに対する悪口だよね。そんな楽しそうに言うことか?

つかそれどこの誰のどういう評判だよ。芸能人の奥さんが誰でどういう人かなんて、芸能人同士とかじゃなきゃ知りようがないし進んで知ろうとも思わないよ。

好きな人が幸せになったんだから祝福しろ、しないのはおかしいとは言わない。

でも、ファンなのにその人の不幸を願う気持ちを理解するのは難しいです。

2008-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20081116210537

日本終身雇用制が相応しい」とか「会社社員を守り、社員会社のために身を粉にして働く。どこかの首相言葉じゃないですけど、それが美しい日本労働スタイル」なんて、単なるきれいごとだってことが、失われた十年のあいだに証明されてしまった。企業は容赦なく不要な人材のクビを切ったもの。今だって、金融危機に端を発した不況がひたひたと足音を立てて日本経済に近づいていて、企業派遣社員の首をいっせいに狩りはじめてるでしょう。

そういう時代の流れに逆らって終身雇用制を維持し、「会社社員を守り、社員会社のために身を粉にして働く。どこかの首相言葉じゃないですけど、それが美しい日本労働スタイル」っていう価値観に賛同する社員を集められる会社があるなら、それはそれで良いんじゃない?その価値観共感する人たちなら、「理不尽は耐え忍べ」っていう社長からのお達しにも反発することなく、進んで入社してくれる。彼ら彼女らはパワハラだなんて言わないでしょう。社員もあなたもWIN-WINだと思うよ。でもその価値観に馴染まない人たちはあなたの会社には入らない。間違って入ってしまった社員がいて、そういう社員に対してあなたが「理不尽は耐え忍べ」と言ったなら、彼ら彼女らはパワハラだと言って出て行く。今はそういう時代です。

これは良い悪いではなくて、単に事実としてそうなの。で、ついでに言うと、日本が右肩上がりの経済成長をするようになれば、おそらくは、また終身雇用制が一般化していくと思うよ。

あとさ。社長だって下げたくもない頭を下げているっていうけどさ、社長って何のために仕事してるの?顧客、ひいては社会の問題をビジネスによって解決するために仕事してるんじゃないの?理不尽な客に怒られる覚悟もなく起業したの?なんらかの理想を実現するために会社経営して、経営する結果として、顧客から怒られることも含め、その企業の最終的な責任をとる社長という仕事をすることに決めたのは自分だよね。自分で決めたことなのに、ほかの人に対して、その苦労を思い知れといわれても、なんて自分勝手なやつなんだろうとしか思えないな。さらにいうなら、自分で決めたことなんだからそんなに嫌ならやめれば良いじゃない。誰もあなたに強要しないよ。

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081029115531

なにそれwそんな人自分なり周りなり知人の知人になりにいるのwww聞いたことないわwwwwww

仕立て上げられたくなくて,向こうから避けてくれるんでちょうどwin-winじゃん

何の不満があるのか。

つうか酔っぱらい避けるとかホームレス避けるレベルの話だからそんなこと言われても知らねーよとしか

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