はてなキーワード: win-winとは
こないだの金曜日はじめてちかんにあった。
毎朝、駅で乗り換えて満員電車に乗る。
その日も同じように乗り換えると、完全に満員状態。
自分の腕を胸の前において、となりのおじさんのうでに当たらないようにガードする。
ドアが閉まって、数秒すると自分の陰部のあたりに何か3点触れているのに気付いた。
その日はワンピースにタイツという格好で、スカート越しに誰かの指が触れている。
それに気付いた次の瞬間から、真ん中の指が自分のクリトリスを撫でてきた。
「ちかんだ!」自分の顔が少し歪むのがわかる。
視界に男性は数人。全員こちらを向いている。
「恥ずかしい」と顔をそらす。
体は動かない。指はずっと動かされている。
頭がぼーっとする。ちょっと気持ち良くなってくるww
「はぁあ」とそらした顔の先にいるおばさんにむかって吐息がでる。怪訝な顔をするおばさん。
もっとして欲しいと、腰を少し前にずらす。
指の動きが少し止まって、2倍の速さにwww
と、電車が揺れて私の周りに空間ができたので指が離れて痴漢終了。
明らかに、高校生だか大学生の男の子だけが私から目をそらしている。
あー朝から盛っちゃったかーとなんだか申し訳なくなった。
実は、今朝の異常な混みようで胸をガードする腕の角度がおかしくて、
片方だけその男の子の目の前にぼろんとある感じになっちゃったんだよね…。
気持ちよかったのと、朝忙しかったので、ちかんの件はそのままで乗り換えて出社しました。
すぐトイレで下着見たら、クリトリスのとこだけ濡れてたんで、そのままちゃちゃっとオナって普通に仕事しました。
最近のオナネタはそのことで、いつも「だめ…はやくしなきゃ横浜駅に着いちゃう…!」って思いながらするようにwww
むしろ私処女だし、その子と性欲処理としてセックスするのならお互いにWin-Winかもwwむしろ誘う?www
ま、そういうのする人って精神的にあれだから、ふつうの人間関係は無理だろうなぁ。笑
でも今日駅行ったら、警官の数が増えてたので、痴漢が多発のニュースを受けてか、
昨日今日その痴漢が調子に乗って私以外にやらかした痴漢報告をしたおにゃのこがいたのかもなぁと思ったりした。
そんだけ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101002-00000115-jij-spo
落合監督が卑怯者みたいな扱いをされてる書き込みを見かけるが、
そもそもこの2人、住んでる世界が違う訳で。
落合監督は野球と言う勝負の世界で生きてるんだから、勝つためには、
いや、相手を負かすためには最善を尽くすのがアタリマエ。
ホリエモンは経済界の人間。経済ってな、原始人までさかのぼれば
そもそも物々交換で、win-win であることが前提。そこで自分1人だけ
win すれば(明確な loser がいなくても)そりゃ叩かれる。
それでも、ルール内でやってるうちはまだ良かったのに、調子に乗って
いつのまにやらルールの外に足を踏み出したから逮捕されただけ。
まぁ、誉められたモンじゃないのは確かだが。
思ったんだが、ホリエモンの政界進出、今となっては惜しかった。
言い方悪いけど、もっとあくどい手段をもって勝てたかも知れん。
酷い状態にはなってなかったのかも知れない。
いや、別にホリエモン本人でなくてもいいんだけどね。
頭の切れる外交官がいてくれれば。
このくらいの負荷ならOKでしょって主張する人はなぜかみんな自分1人がそういうアクセスをするならという前提で話してるようだけど、みんながそういう高負荷かけたらどうなるかって発想はないの?
都合のいい時だけ万人に開かれてるシステムなんだからと言うくせに、かける負荷の妥当性については自分ひとりが帯域使った場合の前提で話すとかダブスタじゃないの?
そもそも今回のクローラーもそうだけど、一括取得して負荷かけるようなそれに見合うような使い方を本当にしてるの?
ある程度の負荷に対応するシステムを作るにはコストかかるんだよ。ただじゃないんだよ。
サーチエンジンのクローラーは通常1分数回レベルで抑えてる上に、捕捉されることで多数の人にアクセスされやすくなるといういわばwin-winの関係だけど、個人が作ったクローラーに、相手に対して与えられるメリットってあるの?
今回の状況って、個人用に図書館の目録作りたいんですとかいって図書館の全部の棚の前にびっしり大量の人がはりついて他の人が棚使えなくなってるような状況と一緒でしょう。
ご自由におとりくださいと書いてある店のチラシを1人で無意味にごっそり全部持っていくようなもんだよね。
そりゃ技術的には可能だろう。でも可能なら何でもやっていいの?
増田が何を問題にしているのか全く分からないんだが。
V系好きでチヤホヤされたがりな男が、同じV系好きな女が居てしかもチヤホヤされたい欲が満たされる場所を見つけただけじゃないか。
需要と供給が合致、Win-Winの関係でみんな幸せになれる場所にいるだけだろうに。
というか、「前の彼の見た目の方が良かった」ってそりゃ単にお前の好みじゃねえか。それがなんで彼がチヤホヤされる事と関係あるんだよ。
実は「私にモテるより腐女子にモテた方が良いってわけ!?許せないムキー!」って悩んでいたりするの?
そいつに惚れてるわけでもない限り、別にどこで誰にモテてようがどうでもいい事だろうがw
何かズレてんな…
俺が感じてる違和感ってのは、みんな「とりあえず用意された」
感動プロット(ケータイ小説だの安っぽい演出だの)は散々叩いてありきたりだって言ったくせに、
いざハヤブサになると擬人化で「こんな感動絵描いてみました!泣けるよね!?ね!?」
って動物化的な大騒ぎが目障りってだけ。
それで、もたらした結果が良いとか悪いとかはカンケー無い
AKB48の商法とか、搾取されてる人間がいて、Win-Winの関係作り上げられてて、「良いこと」
なんだろうけど、気持ち悪いし不健康だって感じて、それを発言することも許されるよね?それと一緒
支持を得たいなら利益に訴えろと。
そして君の訴えている利益は国の利益ではないのだから、他所の議論でやってくれと。
もしくは外野であることを自覚した上でやってくれ。
いや、国の利益にはなるけど。
日本が鎖国して、完全に自給自足経済を確立し、それでやっていけるというなら、話は別だけど。
因果を気にしろと。
だからそう言ってる。
その関係が築けないところに、持続的な国益など存在しない。
では、対立しかないところに「国益」はあるのか?
少なくとも、日本において。
国益のみを追求して、結果として破滅したのが大日本帝国だよな。
まぁ、自分にいわせれば、国民を不幸へと導くこと自体が国益に反するといえるが。
自分の目的は、あくまでも自他共栄であり、「他人の不幸の上に自分の幸福を築かないこと」だ。
それはそれとして、私的な組織内のことであれば、その通りだろう。
でも、国となると、そういうわけにはいかない。
それは無理だな。
相手と自分のwinを同調させようとしないものに、win-winの関係は構築できない。
仮にできたとしても、偶然の産物でしかなく持続可能なものではない。
ちがうよ。
「あるべき姿」を論じている地点が、内部の地点ではないことが不誠実だ。
意味不明。
国民が自らの思いを語ることが何故不誠実?
「内部の地点」とは何を意味するの?
「内野」だと認識してるんだから、「外野」でないと自覚がなくて当然。
そこで、その共同出資者と会社の選択について話すとき、自分だけの「あるべき姿」というものを論じるところに、内部の意識、言い換えれば当事者意識の足りてなさがある。
それは違う。
自分だけのあるべき姿というのは、自分の内部に留まってる限りにおいてだろ。
問題は、どれだけの人の支持を得られるかどうかだろ。
「これこれこうすることが我々のためになるからこうしていきましょう」と、共同の利益に訴えかけることこそが、当事者のやりかたというもの。
だから、そう言ってるだろ。
「善」を進めること、協調してwin-winの関係を構築することが、共益に資するのであり、結果として国益にも合致すると。
足下だけ見て進んでも、転ばないでいるだけだろうが。道に迷ったら何にもならない。
前を見据えた上で、足下にも気を配りつつ進むというのが、普通のあり方じゃないの?
君がこの国の独裁者なら「べき論」を振り回すだけで充分だろうが、他人の協力を取り付けなくては何もできない立場でそれをやるのは、何もする意思がないと言っているのに等しいだろ。いや、別に本気でどうこうする必要はないんだが、せめてそういう内輪の人間であるというポーズだけでもとってくれ。
だから、啓蒙してるんだろうが。
プレイヤーが最初からwin-winを求めるのは筋違い。あくまで自分のwinを求めた結果、win-winの状況が最もプレイヤーの利益にかなうというのならそうすればいい。
それは無理だな。
相手と自分のwinを同調させようとしないものに、win-winの関係は構築できない。
仮にできたとしても、偶然の産物でしかなく持続可能なものではない。
あくまでたとえなので細かい違いを言い出したらきりがないのだが、裁判における弁護士と検事のようなものだと思ってくれればいい。
それぞれがお互いの立場で争い、裁判官が裁定する。このとき弁護士や検事が、お互いの足場も忘れて裁判官のつもりで裁定するべきではない。それは己の仕事に対して不誠実であるということでもある。
裁判官がどのように判断するかを想定せずして、有効な主張や立証ができるものなのかね。
いかに自分に有利な法律構成であっても、裁判官が認めなければ何の役にも立たない。
民事訴訟にしても、大半が和解での決着だよ。互いに譲り合って解決する。
そこでエゴを丸出しにしたら、和解での決着よりも得るものが少なくなったり、かえって失うこともある。
ほどほどのところで相手を立てることが、結局は互いにとって良い結果となるもの。
したがって、必ずしも個のみの最大化を目指すことがいいってことはない。
むしろ、調和を目指す方が、かえって結果的には最大化になる。
つまり、君が共栄を考えるのは結構だが、それをプレイヤーである国家に求めるのは間違っている、ということだ。それを求めたければ、国ではなくもっと別のところにやってもらったほうがいい。
身近なところからでも啓蒙はしてるけどな。
自分が正しくて。みんなが間違ってる。
コミュニケーションがうまくいかないのは、みんながそうだからだ。
だからそこで自分の正しさを説明し(そして理解されず)無駄骨を折ったり、
自分の正しさと、他人の正しさを共存させるために努力しても、相手の無努力で水泡と化す。
WIN-WINの結果を得る事は不可能ではないが極めてむずかしい。なぜならこちらはWIN-WINを考えていても、相手は自分のWINしか考えていないから。
ましてや LOSE-LOSE を避けるために LOSE-WIN なんかを選択した日には、向こうは味をしめて更なる地獄に堕ちる。
自分もみんなも正しい、ということは理想であるが、実現は極めて困難だ。
だから「間違ってる人(=他人)」とのコミュニケーションは、ギリギリ最小コストで行うべきだ。
うまく行ったら、それは自分が賢かったのだ。(もしかして相手も賢かったかもしれない)
うまく行かなかったら、それはもともと相手が間違ってるのだ。
いずれにせよ、コミュニケーションコストは低めにとることが重要だ。
いざというときのために。
やってきた中から日本に居着くかどうかが問題なんであって、そのためにはまずよりたくさんの外国人に来日してもらう必要があるんじゃないの。
母数が多ければ多いほど、互いに都合の良い外国人の数も増えるんだし。
それを遙かに上回る「都合の悪い外国人」が入ってきたら、結局の所トータルでは損。あと、日本にとって有益な外国人は他国にとっても有益である場合が多い。そういう人は往々にしてあっさりと他の国に行ってしまうのは、日本生まれでアメリカに帰化したノーベル賞受賞者がいることからも明らか。
入国の段階で厳しい審査をしたり何らかの誓約させる方式で事足りる。
外国人を呼び込みたい→外国人に住みやすい国にしよう→そのために参政権を付与しよう、という流れがトラバ元の主旨のはず。
しかし外国人に住みやすい国と、日本人に住みやすい国は同時に成立出来ない可能性が高い。
アメリカではそうなのかも知れん。
外国人を多く呼び込む目的で参政権付与に賛同している連中はそう考えていない。日本を豊かにするための手段としか認識しておらず、その際他国に与える影響は考慮に入れていない。
問題は、どちらが最初のwinを取るか、という点。外国人を呼び込みたい連中は「まずは日本がwinしないと」という考えの持ち主。その後で相手国がwinするかどうかは別にどうでもいいと考えてる。
まずは、相手国が自力でwin出来るようお膳立てし、その後で日本が見返りをもらうという順序がいい。ほとんどの国は日本より豊かじゃないわけで、豊かな方が先にwinすると、相手国はズルズルとloseの立場に甘んじざるを得なくなってしまう。
やってきた中から日本に居着くかどうかが問題なんであって、そのためにはまずよりたくさんの外国人に来日してもらう必要があるんじゃないの。
母数が多ければ多いほど、互いに都合の良い外国人の数も増えるんだし。
トラバ元読め。この辺とか。
外国人に対するインセンティブと日本人に対するアドバイスとの関連がよくわからんのだが。
やっぱり出たかそういう思想が。「後々お前らも得するんだから今は我慢してまずは俺たちを豊かにしろ」と相手に押しつける発想。アメリカ的独善だね。移民を奴隷扱いする事を社会全体が暗黙に受け入れてるアメリカのやり方。はっきり言って日本には馴染まないよ。
アメリカではそうなのかも知れん。
でも日本人も外国人も住民として共生して、共存共栄しようって思想じゃないの?
その過程で他国の発展を阻害する可能性について、メリット強調してる奴らがちゃんと考えてるようには思えん。「よその国の事など知ったことか」と開き直る奴すら現れるし。
可能性程度なら、それこそレイシストの無茶な妄想も考慮せんといけなくなる。
日本は他国との繋がりがなければ持続的な発展を望めないんだから、必然的にwin-winを目指すことになる。
一時の繁栄で満足するなら、独り勝ちでいいってことになるだろうけど。
◆日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介
日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。
会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。
会社依存症にかかると、その会社の経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。
また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。
上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。
なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。
このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。
そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。
たとえば、以下のようなものが考えられます。
・要求分析、要求仕様定義、システムアーキテクチャ設計、RDBスキーマ設計、サーバの負荷分散設計、各種サーバのパフォーマンス解析・チューニング、デザインパターン、マルチスレッドプログラミング、システム管理、ネットワーク管理
・マネージメント、プロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル
・普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎
・Unix、RDB、正規表現、Java、Perl、TCP/IP、.NET、C#
日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。
いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの会社に依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。
いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。
国家に対しても同じことが言えます。
政府は全ての国民を幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。
ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。
もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。
もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家に投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家が自分の選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家に投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。
だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。
たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者が搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。
あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者の所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。
あるいは、少子化対策で、実質的に独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。
あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。
あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。
あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員の自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。
労働者保護や消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。
要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険な投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。
この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。
しかし状況は変わりました。
いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。
日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。
本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。
いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの国家に依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。
いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1
こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症と愛国心とは別の話です。
これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。
経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。
夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。
むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。
そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。
「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。
むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。
日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。
むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。
食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市は世界中にたくさんあります。
どんなところでも、けっこう住めば都なのです。
また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険な地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。
それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twitterやtumblrやmixiで遊べるし、ブログのコメント欄でクネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像をダウンロードすることもできるし、はてブで脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。
「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。
せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。
●依存症からの脱出は難しい
ギャンブル依存症、アルコール依存症、買い物依存症、恋愛依存症、セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。
また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。
日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)
これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。
利回りのよい債権や株式に自分の資産を分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。
日本の国債や株式で資産を運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本の国債や株式で資産運用することは可能です。
それどころか、そもそも、日本の国債や日本の株式で資産を運用しなければならないということはありません。
むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分の資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。
資産は、全世界に分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中に分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。
だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。
ここで、「日本がキャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。
まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。
日本は属地主義なので、自分が居住している国や地域に税金を納めることになっています。
このため、日本でキャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2
現在、属人主義を採用しているのは、アメリカとフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。
ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。
また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間に国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。
日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。
ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。
そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。
そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。
たとえば、前述のUnix、Web、RDB、Java、Perl、.NET、C#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。
また、これらに関連する要求仕様定義、オブジェクト設計技術、デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計、プロジェクトマネージメント、スケジュール管理なども、特定の国家に依存しないスキルです。
これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。
実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。
むしろ、日本よりも快適に働いているようです。
もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。
これらの標準的なITスキルは、このように、会社や国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。
たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングやデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャや再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBのスキーマ設計のスキルも、ほとんどが、いまだに現役です。
TCP、UDP、IP、HTTP、SMTP、POPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETやC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。
このように、長期的に安定した技術やスキルを選んで身につけるようにすれば、会社、国家、時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。
ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。
一方で、ヨーロッパ、BRICs、VISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニアの需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。
ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。
つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。
一方で、上級エンジニアは技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。
従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。
あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。
今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。
このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症を治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。
日本人が海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。
たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス。
それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。
あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。
もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。
実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分のデザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。
こういうビジネスのネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。
とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。
とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。
これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。
スモールビジネスのスキルとは、小さな会社向けのマーケティング、マネージメント、経理などのスキルです。
たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。
そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-winの構造を作り出す必要があります。
また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。
さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。
また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。
こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。
思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。
そして、スモールビジネスの醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。
日本のサラリーマンの頂点とも言える、上場企業の社長の年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。
これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的に年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。
実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。
「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。
自営業は、あたると凄いんです。
どのようなモデルで日本依存を脱却するのであれ、共通して必要な Permalink | 記事への反応(0) | 22:10
相手の行為に対して感謝を要求されているのに、
俺の行為には何の見返りも俺は求めなかった。
それは俺が感謝を要求するなという押し付けをしているようにもとれる、ということか。
そういう意味では、やはり、一方的に親が感謝を要求しているのがまずい、となるのか?
それとも俺がお互いにwin-winな関係を築こうという努力をすべきだったのか?
しかし、それは俺から築くべきものだったのか?
なるほど確かに、それは育て方のミスではないか。
追記
当然の義務のおしつけ→感謝も見返りもなにもない行為のおしつけ→感謝を要求しないという押し付け
と、とってみた。意味が違ったらごめん。