はてなキーワード: 自己評価とは
好きなのに結果が出ないって悲しいし悔しいよね。
彼女から書いてきた事は自己評価高過ぎてとっても鼻についたけど、とりあえず「『得意』ではないでしょ」って書くのは我慢してみたよ。
でも、がんばってるねはちょっと言えそうもない。
スルーが精一杯でした。
今後もうっかり言わないように気をつける。
と、ネットで知り合った友達が言う。
「ブログはしばらく休止してるけど、毎日見に来ている人いて申し訳ない」
「でも、ブログ書いててわかった。私、文章を書くのが得意なんだって」
「だから、書きたいけど、書く気になれなくて」
「毎日見に来てもらうのもかわいそうだからブログを閉鎖した方がいいのかな?」
と、相談なんだが呟きなんだかのメールを送られて困った。
文法は間違ってないけど、自分の考えに酔った文章をこれでもか!! と書き連ねているだけ。
共感するには我が強すぎる内容。
「・・・かもしれないけど、でも、私は間違ってないよね?」という自己弁護が散見される。
しかし、ヲチをするほどは痛くはない。
毎日見に来ている人がいると言っているけれど、話の端々から察するに10人以下らしい。
検索で来た人がいるだけじゃないかなぁ。コメントは一切ついてない訳だし。
元々は、私のブログに毎回長文コメントを書いていくので、ご自分のブログを作ってはどうですか? と進めて始めたブログ。
文章を書くのは好きなんだろうと思う。
文章を書いて自己主張をするのが好きなんだろうと思う。
ブログに書いているようなことをリアルに聞いてくれる人はまずいない(はず)
ブログには何を書いてもいいんだけどさ。
メールで「あたし、文章得意だと思うんだよね」ってメールで送られると返事に困る。
本当は「『好き』かもしれないけど『得意』ではないでしょ」って返事したい。
書いたらお約束のように切れられるからまだ書いてないけど。
自己評価の高い人って否定されると切れるもんね。
http://anond.hatelabo.jp/20081205004633
これを見たから書けるんだけど。
小さい頃からモテなかった。ルックスはブサイクとまでは言われない。とりあえず「普通」「印象ない」と言われる程度なので、それほど悪いものではない。背は低い。勉強だけは得意だったので大学は一流どころ。もちろん就職も一流どころ。おそらく、スペックだけじゃなくて+αの総合力でモテないのだと思う。「黙ってると普通なのに話すとキモイ」と言われたこともある。これは、高校大学の学生時代も、就職してからの20代でも(女って言われるほど男の条件見ないよね?と思わせられるが)変わらない。黙ってたら女は寄ってこないし、必死で話しかけてご機嫌取りをしようとするとキモイといわれる。そしていろんな理由のため、知り合う女性はみな彼女になるには至らない。
30過ぎて変わってきた。得意分野はインテリ層。彼女らは婚期が徐々に去っていき、にもかかわらず自分にふさわしい、既に結婚した友達に張り合える条件の良い男を求めている。ときどき「あなたにはかなわないな」と賞賛されることを望む。でも、自分より「下」な男は好まない。だから、自分の条件をことさら誇らずに「大したことはないんだけど」「もう30過ぎたらそういう過去の成果には意味あんまりないよね」と言っていればよい。お互い、とても意味を感じていることは分かっている。あと、金をそこそこ貯めているのも女の見栄本能をくすぐるらしい。からかわれながらも、大事にされる。「独身だからお互い貯まるよねー」と言われつつ、美味しいレストランで彼女のプライドを壊さない程度にちょっと多めに割り勘。こちらの奢りに彼女の抵抗がなくなったら自宅マンションに連れ込んでセクース。そんなプロセスを踏むことで、彼女たちがデキル女としての自尊心と自己評価をギブアップするきっかけになるようだ。
そんな私は恋愛に関する感覚が狂っている。条件のいい女を「乗り換える」のが好きだ。実際、今の彼女も、私に当時別の彼女がいたのを別れてもらい、付き合った。でも、手に入れると飽きてしまう。
手に入れた女には興味を失う。だから東大卒や元ミスなどハードルの高い女を「ハンティング」するのが好きになってしまった。たぶん、その人が「本当に」好きなんじゃないと思う。自分ではその時は情熱的になって追いかけているつもりだけど。彼女が自分の価値をどこまで叩き売るか、試してみたいのだ。我ながら寂しい人間だ。そして、ハンティングした女がどこまで自分に「降伏する」かもテストする。金銭、時間、地位、自分のプライドと天秤にかけさせる。そして自分を選ぶとようやく安心する。その繰り返し。エンドレス。そして新しいハンティングに移る。
随分と長い間女装してきて、いまでは一人暮らしを始め思う存分女装ができる。
でも、一人なんだよなあ。
自分ではけっこう女に見えると思う。でも、しょせん自己評価なわけで。
長い間「女装」で検索して、色々な人を見てきた。きれいだなと思える人はたぶん普通の人の想像以上に少ない。おそらく興味のない人は最初に生理的嫌悪を覚えるはず。そんな中にいるとどんどん基準なんて下がっていくわけで、自分がまともな目を持っている自信がどんどんなくなってくる。
こうなると誰かに見てもらいたいのがけれども、信用できる人に会うと言うのがとにかく難しい。
やっている人は多数いるけれども、リスクはやっぱり大き過ぎるし何よりそう言う環境で評価されてもやっぱり信用ならない。
さらに、女装に興味がある周辺の人は、動機がエロで始めた人がすごく多い。(おおむね女装者と女装者好きの男、女は倒錯くずれみたいな人が多く、腐女子は全く見かけない)
mixiもやっているんだけれども、とにかくエロい人ばかりから誘われる。
正直困る。興味がない以前に怖い。近づきたくない。
私自身も確かに変態だろうが、尻は狙われたくない。
そうやってほとんどの女装する人があつまるコンテンツから遠ざかってきて、一人さびしく女装をしている。
時々リスクを冒して、大々的に評価してもらおうかと思う時もある。リスクを冒した人はとても楽しそうにしている。
でも、結局そうすることはない。
誰か一人に安心して「女に見えるかどうか?」を聞いてみたい。今までの詐欺写メを見してみたい。
ネット非コミュみたいな話になったがその辺愚痴らしていただきました。
あーあー、あと老けるだけなんだよ。焦るよ。
最近は情報の共有化が進んでいるせいで、若い世代でも「恋愛で取ってはいけない行動」の水準が高くなってるんじゃないかなあ。
そう考えると、若い世代って大変だよなーとか思う。
そもそも、恋愛に適応した行動の取れる男女って成人でもあんまり見ないけど、評価基準だけは昔と比べて上がって見えるんだよなー。
出来る奴がろくにいるとも思えないのに、そういう「ありえない行動」に対する非難みたいなのってしょっちゅう目にするというか・・・。
これって、他人への評価に限らず、自己評価の低さにも繋がってるんじゃないかしら。自分には恋愛やるような資格ねえよ!みたいな話する人多いし・・・。
まあ、どうでもいいんだけど、「不器用」なのと「悪意がある」のだけはごっちゃにしないでね。あなたがそうしてるとは思わないけど、ブクマとか見てるとその辺がわかってない人が多い気がするから。
あと、正直あなたも自己評価が低すぎる気がした。
それで私自身に特別な魅力があった訳ではなく、察するに単純に世間一般のギャルじゃなくハードルが低そうだからというただ一点のみでそうなったのだと重々承知していますので自惚れるつもりも嬉しく思う気持ちも無いんです。
これって、つまりあなたの
それと「イケメンなら・・・」の件ですが、オタク男子の中でギャルが必ずしもモテる訳ではないというのと同じでイケメンもオタク女子の中で必ずしもモテないですよ。
これのちょうど裏返しなんだけどなあ。イケメンでなくてもなぜか場の状況によってモテる男ってのもいるでしょ?あなたはそういうポジションにいるんですよ。
「ハードルが低い」というのはあなたの価値が低いということとは違うと思うんだけれど。オタク男子にしてみたら、「世間一般のギャル」のステレオタイプは彼らを外面だけで判断して話を聞いてくれないから、価値が高くないんだよ(もちろん見た目がギャルだからってそんな人ばっかりじゃないんだけどね)。誰だって、自分の話を聞いてくれる人、話題が会う人には同性異性を問わず何らかの好意を持つよね。そしてたまたま彼らにとって、あなたは話を聞いてくれる数少ない異性だったから、つい舞い上がってしまったというだけのことだと思うんだけど。
言い換えれば、あなたは無自覚に彼らにとって十分魅力的なツボを突いてしまってるんだから、彼らにだけ自制を求めても現実問題解決しないと思うよ。だって、あなたの行動は実際「イケメンよりもオタクがいい」という行動を取っている人と区別つきにくいんだから。
どうすればいい、とアドバイスするのは難しいけど、美人が告白されすぎて困るというのと問題の質としては似てると思うんだよね。そういうことを言えば言うほどある種の人を逆撫でしてしまうのは事実だし、誤解に誤解を積み重ねられると不愉快になるだけ。だから、こういう話はここに書くんでなく、信頼の置ける友人と酒を飲みながら話すべきだと思うんだけど。
あと誤解しないように。私は自分が男性とも女性とも、モテとも非モテとも言ってないからね。その辺は敢えてわかりにくいように書いたつもりなので。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081111/1226362835
ここでも取り上げられている話題だが。とうとう開き直った。
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081106/1225952057
http://b.hatena.ne.jp/letterdust/20081110#bookmark-10714312
letterdust 言ってることはわかるけど、自分がかわいくてしかたないから同意しない。
自分がかわいくてしかたないから「半ば本気で死んで欲しい」とd:id:HALTANを脅迫したわけですね、わかります。
「脳の失敗」とか、「国語の成績が悪そう」とか、それもやはり「自分がかわいくてしかたないから」ですね、わかります。
そりゃあ確かにd:id:umedamochioにバカ呼ばわりされて仕方ない人種だよ、ネガブクマカーというのは。
「はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。」それはそうだ。
なにしろ自分の憤懣、鬱屈、無力感、ルサンチマンをぶちまけるためにアカウント取る人種がいるんだから。そして自分の気に入らない他者を勝手に障害者だのなんだのとレッテルを貼って、自分を免罪するのです。
梅田さん、ネガコメ問題というのは、あなたがおそらく考えている「無神経」とか「無配慮」とかの問題よりよほど深い暗黒なのですよ。
世間には、あなたのように自分が自分であることを実績を通して肯定・承認できる人ばかりではない。そんなことはもちろん百もご承知でしょうが、この自己承認・自己肯定、ひいては自己愛の問題でこじれてしまうと、いとも簡単にダークサイドに堕ちる人種に、はてなブックマークはとても便利な拡声器なのです。
「自分は社会を呪っている!この呪いの大声にせめて耳を貸せ!」と叫ぶけだものたちが、一般世間では滅多にいるものではない。例えば企業や大学で、「あれはもう活動家だから」とハブられるような凝り固まったボーダーラインの向こう側の人が、どれだけいますか。1%もいないでしょう。でも、いま、はてブには、実社会でハブられた輩が集まってきてしまっているのですよ。そして周囲のブックマーカーのルサンチマンも共鳴させて顕在化させてしまう。こんなに低コストで人を罵ってスカッとできる娯楽を提供してくれて、株式会社はてなには感謝していますよ、あなたが「バカ」と呼んだ人たちは。
「モテ・非モテ」、「マッチョ・ウィンプ」、これらの話題がなんではてなでだけ盛り上がったか?アメブロや楽天広場では絶対にこんなことは起きない。それは、来る人種から既に違って来ているからです。技術的な簡便さや可能性ではなく、自己愛を甘やかす可能性に惹かれて群れる人たち。
ボーダーの向こう側の人は、同意や賛同を広く求めるわけではない。実社会では目立たない、声も上げられない、気の小さい人たちですよ。だからなによりもまず、自分がなにか罵声でもいいから声を上げて誰かが反応してくれることに飢えている。そのためには、ネガティブに喧嘩腰に叫ぶほうが良い。極論に走るほうが良い。ホームレスを全力で助けないお前らは殺人者だ、あたしは助けた!みたいなナルチシズムで充満した叫びまで、時にはてブは宣伝してくれる。周囲が唖然とするような「過激」なコメントであればあるほどよい。穏健なコメントは流されるだけだからです。そして中には、「自分も障害者だから見過ごして」とか言い出すのまで、この通り、いるんですから。「サヨクですから」とか、強弁すればするほど反論も含めて大きな反応があって嬉しがる、可哀想なのもいる。
しかし、「過激なコメントで目立とうとする」行為の裏の自己愛の、なんと卑小で醜悪なこと。
そうやって「かわいそうな自分」の「傷口」をさらけ出したりしながら、社会で真っ当に生活を営んでいる大多数の人の、ちょっとしたつぶやきにも揚げ足を取りに来て、絡み、毒づき、罵り、自分を確認する。それでいて専門家の言説の専門性も攻撃し、同時に大衆も「騙されている奴隷」のように見下す。そんな浅ましい人が集まったのは、キーボードをちょっとの間カチャカチャやっていれば自己アピールができ、一際エキセントリックなコメントにスターをつけ合う、そんなありがたい環境をはてなが整備してくれたからですよ。御社の開発したサービスはそれだけ優れているのです。自信を持って下さい。
そしてこのはてなというコミュニティは、このままでは、ルサンチマン芸者の発表会がずっと続くのでしょうね。いまのうちにはてなポイントをアマゾンで使ってしまおうかと思います。
以下加筆。
kyo_ju 言及しましたね!, ゆっくり, していってね! ご自分がネガコメ全開。
id:kyo_juがつけたタグ、「言及しましたね!」が面白い。上記部分ではなにもこのkyo_juに関する言及はされていないのに、自分からはしゃいでしゃしゃり出てくるということは、まさに自分の行動原理を説明してくれましたね!これは自分のことですよ!ということだろう。
今後id:kyo_juは、自分が自覚してブックマークで「ルサンチマン芸の発表」をしている、わかってやっているという前提で批判されて当然ですね。自分から「言及しましたね」と言ってるんだから。
id:letterdustについては、この自称ADHD患者はさぞかし自己評価が低いんだろうな、プライドの傷つきを癒そうとして、悪態で他者に注目されたいという意図で行動して、自分で自分を止められなくなっているんだろうな、この先にはなにもポジティブな可能性はないことは重々自分でも承知だろうな、くらいしかもう言うことがない。
y_arim anonymous ネガティヴブックマーカーはこういう場がないとネガティヴを発散できず秋葉原とかで人殺したりしかねないので、クズの収容所としても維持しておくといいんじゃないですかね。実際、クズの居場所はあってもいい。
いや、まさに「クズ」たちなんだが、それも自薦で名乗り出るよっぽどの「クズ」たちなんだが、人殺す度胸はないだろう(笑)。秋葉原の加藤はもっと腹が据わっていた。彼に比べれば、「さあて今日もネガコメでスカッとするか」と、物欲しそうに他人に絡んでくるだけ、自分たちの行動の底の浅さはわかっているようだが。
もしかしたら気分を害する話かもしれないのだが真剣な悩みなのでできれば聞いて欲しい。
最近気づいたのだが、俺はどうやら好きな異性のタイプというものは「性格が自分好みな人」らしい。
(揚げ足を取られる心配よりわかりやすさを優先すれば「性格が良い子」ということ)
これまでの付き合いでわかったことだが、他の人がギブアップしてきたような子も含めて、俺の場合、相手の外見に関しては、かなり酷いところまで許容できる。というか、いくら歪んだ顔面だろうが破天荒な体型だろうが相手の容姿や化粧はだんだん好ましいものに思えてきたりするのだが、性格だけは(うじうじ自己評価が低い場合)頑張っても好ましいものとは思えなかった(たとえその子がカウンセリングや増田で悩みを吐露して頑張っているのがわかっても)。
理不尽な太り方をされたり雪山の天気ほど変わりやすいバストサイズに振り回されたりヒダヒダの汚さに気付かされても、俺はだいたい萎えたりもせず真剣に突き合って抱きとめるのだが、そういうときに心に湧き上がっている思いは「こいつのこの外見さえ直ってくれればなー」ではなく、「こいつがもうちょっと性格良ければこういうことも苦じゃないのになー」という気持ち。醜い思いかも知れないがそれが正直な感情だった。外見自体には耐えることができた。耐えられなかったのはそういう外見への自己評価の低さからくる諍いなんだ。
逆に性格の良い子と付き合っていたときは、本当に何でも舐めてあげられる気持ちだった。上記と同じような目にあっても最初からおおらかな気持ちで抱きとめることができた(いつでもホイホイ挿れて真剣に愛撫していないとかではない)。
結局他に男ができて別れるはめになったりするわけだが(涙)。
※優しいだけでは女の子は感じないよとかいう話は本題ではないのでここでは結構。
性格が一番好きなところだと、真剣に好きなのだと思ってもらえないのだろうか。性格ってそんなにその人の性的魅力とは別物? 俺はそうは思えないのだが・・・。
「好きな異性のタイプは性格の良い子です」なんて言うとありふれた人間にみられてしまいそうな風潮があるのはなぜだろう。性格最優先で恋愛対象を選ぶことはそんなにありがちことなのか?性格ってそんなに軽薄な要素?
少なくとも今まで生きてきた中で見掛けて来た会話やインタビュー等で、好みのタイプを(冗談やネタも含めて)性格重視に答えている人にはことかかない。
その理由としては、
のうちのどれなんだろう。
「好きな異性のタイプは性格が自分好みな人です」ということは、本当にありふれたことなんだろうか。
別に相手の外見を見る気がないわけじゃない。外見は見慣れていけばあばたもえくぼに見える自信があるのだ。
だから聞きたい。
もしあなたの目の前に、「好きなタイプは良い子」「好きなタイプは良識人」というような人が現れたら、印象薄い?
別にカモフラージュで言っているのではなく、それが正直な気持ちだから今後そう言って過ごすべきかと考えているのだが・・・。
「嫁に浮気がばれて家を追い出された(T_T)今からそっち行く」
って突然メールが来たwww
あーあww私達の関係オワタなwww
とりあえず「こっちくんな」って送っといた
今すごい動揺してる。
彼は奥さんに、「離婚だあああ!!」と泣き叫びながら包丁を突きつけられたそうだ。
そりゃそーだ。3人目の子供が生まれた日に、20の小娘に中田氏しまくってたんだぜ?
最低な男だ。そしてそんな男に本気で惚れきって、若さを武器にたぶらかしてる女はもっと最低だな。
それにしても奥さんが不憫でならない。何も悪いことしてないのに。
私と同じか、それ以上に彼を愛してたのに。亭主関白な彼のために尽くしてたのに。
毎日おいしい料理を用意して、毎日きれいに掃除洗濯して、3人の子供の面倒も見て、彼の身の回りの世話もなにからなにまでしてあげてたのに。
「浮気じゃないだろうか、いや疑うなんて彼に悪い、きっと私達のために一生懸命仕事してくれてるはず」とか思いながら、
そんな疑念を振り払うために家事に没頭したり。全くの想像ですけど。
包丁の向けられた先は彼ではなく、彼の中の私だったんだろう。
今は私を憎んでるというよりは、生理的な気持ちの悪さを感じてるんじゃないだろうか。ゴキブリに対する嫌悪感と同じ種類の。いや別に私が自分をゴキブリ以下の存在だと卑下したい訳じゃないんだけど。いやしたいけど。でもなぁんの意味もないよねぇー。
ひょっとしたら幽霊に近い恐怖かも知れないね。なんでバレたのかは知らんがメールでも見られたんじゃないの。あーだとしたら私の顔も見られてるかも。まあそれはともかく、彼女には限られた情報しか渡ってない訳で、彼女にとって私はすごく得体の知れない存在のはずだよね。うわあ怖い。気持ち悪い。誰だお前は!?ってふつーは思う。
3人のお子さんも、両親のただならぬ雰囲気を察して怯えてるだろう。今日土曜日だしね。包丁見ちゃったら確実にトラウマだよね。大きい子は中学生だから、なにがあったのか感づいてるかも。
4人の家族はなんにも悪いことしてないのに。あまりにも可哀想すぎるよね。
彼も彼で奥さんに小さな不満はあったんだろうが、まーこれはちょっとひどすぎるね。とにかく今の私には、彼が反省して私と別れ、家族を本当に愛してくれるよう祈るしかない。
じゃあ私の話をしよう。お前らこっからが本番だぞぉー。
上の話は罪滅ぼしのつもりかなんかだよね。こんな話をしたところで許される訳でもなんでもないのに、ていうか私は言い訳をしたいだけなんでしょ?
増田で懺悔したらなんかいいことでもあると思ってるの?叩かれるだけですけどwwまあでも私ドMだからねー。叩かれたいのかもしれないね。
私は未成年のうちに飲酒喫煙をしたことがない。信号無視は出来ない。当然万引きやチャリパクったりとか出来る訳もないwww
校則違反も出来ませんでした。とにかく、世間の規則を破ったりタブーを侵したりして、非難されるのがすごく怖い。「悪いこと」が殆ど出来ない。
だからと言ってそれらの「悪いこと」が平気で出来る人を嫌ったりとかはなくて、むしろへーすごーいうらやましーいって感じ。
そんな頭の固い人間が不倫って超予想外。そもそも私には長年付き合ってる彼氏がいて、一生そいつだけを愛して生きるんだと思ってた。
あとね、私は、人を非難することが出来ない。どんなことをされても、申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言われたら、許さざるを得ない。
そんな感じで当時の彼氏に私は使われていた。いや、彼は悪いやつじゃあないんだぜ。でも無意識に私を頼って、使って、振り回してたんだよね。私がにこにこ笑って、なんの文句も言わないから。
私の不満は溜まっていったよ。それでも文句は言わなかった。最初はよく言ってたんだけど、彼も彼でちょっと頭が悪くて、私の指摘を理解することが出来なかった。数年後に「あの時言ってたことが今分かったよ!あの時はごめん!」とか言われたりするんですが、まあその頃は私がちょっとやんわり文句を言うだけでもすぐキレられてたので、私はぜーんぶ妥協することにした。それがいつしか習慣になり、自然にドMに調教されていったりとか。
まあでも不満は募るわけ。ごくごくたまーに人に愚痴ると「その扱いはねーよwwwやばいから今すぐ別れろ」とみんな口を揃えて言いました。私もこれはやべえと思ってたけどでも、彼とこれからもこのまま付き合ってれば、「次の人」を探す必要がないじゃない。とにかく自己評価が低いので、私を愛せる人間は彼以外いる訳ねーよと思っておりました。
そしてこの不倫男ね。この人は私の一回り以上年上。個性と才能を強烈に持った人で、ずっと私の憧れでした。ストーリーを作ったり絵を描いたり、まあヲタ業界なんですが。でも家庭があることも知ってたし、私にとっては手の届かない、雲の上のような存在でした。
で、あるとき「今度作る話の登場人物のモデルにしたい。君の事色々教えてよ」と言われ、私歓喜。憧れのあの人とお近づきになれる!!でもねーそもそも私は、ヲタ丸出しで友達もロクに作れなかったし、自分のことを誰かに話すことが全然出来ない子だったんだよ。精神科医にも言えなかったんだぜ?お前病院通う意味ねーだろっていうwwww
うんメンヘラだよ。でもなんだかんだ言ってみんな夜寝るの苦手なんだろ?仲間なんだろ?え違うの?まあいいや。
とにかくね、普段全然人と話すの苦手な癖に、多分誰かに自分を知って欲しいって気持ちは強くて、このときは「いいシナリオを書くためだから!」という大義名分を脳内で繰り返し、とても饒舌に自分の生い立ちを話したのだよね。親について、友達について、学校について、彼氏について。
まあなんかそしたら自分自身でもなんか自分を見つめなおしてしまい、話しただけなのになんか色々自分のことについて気づいたりしたんだよね。なんという名カウンセラーwww
そして彼は私の必死ぶりを見て「こいつ確実に俺に惚れてるじゃねーかwww」と気づく。憧れだけど実際はかなり前から惚れてたんだね。でも私には彼氏もいたし不倫なんぞしてたまるかwwっていうのもあったし、好きとかじゃないから!違うから!と無意識に自己暗示をかけ続けていたのであった。
しかしその後、私は彼の誘いにホイホイついていって、寝た。ちんこでかかった。「そんな冷たい彼氏より俺の方がいいだろ」とか言われて、まあ一夜限りの関係だしwwセックス中だしwwとか思って「うん(*'ω`*)」って言ったらいつの間にか恋人だということになっていた。おいおい待てそれはまずいだろ、ていうか恋人ww愛人の間違いだからwwって思っても、だって私優柔不断だしかなり好きだったし!言えなかった!それに据え膳食わぬは恥って言うじゃん?だめ?どう見てもテラビッチですよねーwww
それでね、気がついたらお互い本気で恋愛になっていた。私は長年付き合った彼を捨てた。これは未だに正しかったのかよく分からない。
ピル飲んでたので、度々お泊りして中田氏し放題。でもね、男性諸君、ピル飲んでる子とするときも出来ればゴムつけたほうがいいよ。性病も怖いし、ピル飲み忘れてたらどうしようとか、どうしようもなく怖くなるから。彼がどう思ってたかは知らんが、私はおmんkから垂れる精液を見る度にどうしようもなく恐ろしくなった。
それでも彼に頭を撫でられたり、腕枕してもらうのがたまらなく好きだった。
私、多分大人にあんま褒められてこなくて、叱られてばっかりだったんだと思うんだよね。親の愛に恵まれなかった子よりはマシなんだけど、だから年上の人に褒められたり愛されたくなって、憧れを持っちゃうんだと思う。中学生のとき、先生に変に憧れを持ったりしたけど、それもそういうことだったような。今思うとねー。
もうコンプレックスを埋めるためだから、必死。べったべたに甘えてた。彼が引くぐらい。でもそんな私をますます可愛がってくれて、嬉しくて仕方なかったなあ。
でも、彼は私と会うとき以外はずっと指輪を身につけていた。たまに指輪を外し忘れてて、その左手を見る度に私はそのまま線路に飛び込みたくなった。
まあなんかそんな感じで、愛されるのが嬉しくてたまらない反面、尋常でない罪悪感に苦しめられることとなった。
そして今日ね。そうかあ。別れるんだなあ。突然で心の準備出来てないよ。
でも、いつこうなってもおかしくなかったんだよね。
本気で愛しちゃってたなあ。辛いねえ。
でも奥さんはもっと辛いんだよねー。
私は心底私に死んで欲しいが、本当に死ぬと奥さんを傷つけてしまうことになるよね。だから出来ない。
奥さんには幸せになって欲しい。
私には地獄に堕ちて欲しい。
地獄っていうのは罪人のためにあるんだろうな、多分。死後の永遠の苦しみが手に入れば、罪が軽くなったような錯覚を受けることが出来る。
それにしても私ってば、なんという喪女+ビッチ=メンヘラ女≒ヤンデレwww
全く、明日からどうやって生きよう。
なんかなんにもないって感じー。
博士課程に進む理由は人によって千差万別だが、中には、あまりブログなどで公言したくない類の理由もある。
自分が進学する理由は、もちろん、研究がおもしろいというのが大前提だが、最大の理由は親が教授で自分が一人っ子だからだ。
兄弟姉妹のことを考える必要もなく、家は持ち家で、親の定年まで後10年以上ある。ぶっちゃけて言えば、自分は一生働かなくても、親の金だけで食っていけるはずだ。
大学に入った当初は、自分が恵まれていることに申し訳なく思ったりもした。だけど、大学で学年を重ねていくと、いろいろな人間を見る。
自分と同じぐらい、経済的・家庭的に恵まれている知り合いがいたが、悩んで留年を重ねてしまって、まだ学部を卒業できていない。おそらく、「自分は恵まれているのに、こんなことじゃだめだ」ということで自分を責め続けているのだろう。そういう気配は微塵にも漏らさないが、よくわかる気がする。逆に、自分よりずっと才能面で恵まれていて、「こいつは博士を出て大物になるだろう」と学部のころから思っていた奴は、途中でうつ病になって大学院をやめてしまったりした。バイトしながら研究をして、M1のころからガンガン成果を挙げている人も知っているが、その人は、一つの分野で5年??10年に一人出ればいいほどの才能の持ち主だ。最初から才能に恵まれていたとしか思えない。
そういうのを見ていると、学部の終わりごろには、「才能も運のうち、親や家庭環境も運のうち」と、思えるようになってきて、気にならなくなった。
それでも、自分が恵まれていることについては、あまりおおっぴらには語りたくない。
「経済的に恵まれている人間は、滅多にそのことを口外しないものだ」というのは、知っておいた方がいいと思う。
口外しても、ねたまれるか、そこまで行かなくても「君は恵まれているんだから、もっと成果出せるでしょ」みたいに思われるのがオチだ。
ただ、さすがに隠しているのも変に思われるので、研究室では隠してないが・・・話すのは飲み会の席で尋ねられたときぐらいにしている。
「博士課程っていうのは、才能に恵まれている人間か、経済的に恵まれている人間が行くところだと思う。」←これ、重要。それ以外の人間が行っても、苦しむだけだ。
自分は、たまたま、理解のある親とよい家庭環境を持っていた。「経済的なことは関係ない」、「真面目にやっていれば成果が出せる」という意見もちらほら見かけるが、そういう人は、結果的に才能があったのだろう。
博士課程は「楽しさ」を求めていくところではない。博士課程と企業と、どちらが「楽しいか」と言われれば、圧倒的に企業だと思う。楽しい仕事が好きな人は、企業に行ったほうが良い。その理由は、分野にもよるが、基本的に大学の研究室ではチームワークが期待できないからだ。人は、社会的な生き物なので、ほとんどの人間はチームワークで仕事する方が一人で仕事するよりも「楽しい」と感じるはずだ。
企業は人を選べるし、チームワークを乱す人は排除できる上に、賞与を使ってモチベーションを上げてくれ、失敗しても責任の一部は法人が被ってくれる。
研究室は人を選べないから、チームワークを乱す人は排除されず、業績を上げても金銭的に特になるものは何もなく、失敗したら(研究に深刻なミスが見つかったら)個人の責任になる。
自分は、「一生の間に博士号というものを取っておかないと、死ぬときにきっと後悔する」と思ったから、企業と比べても楽しくないことが分かっていて、博士課程に進学した。こういう考えの背景には、「親が教授」という家庭環境が多分に影響していることは否めない。
これから、博士進学か就職かを選ぶ時期になるが・・・大学教員は、よっぽどのことがない限り、博士課程を薦めるものだと思っていい。
大学教員が企業の上司と決定的に違って、別に、あなたの将来について何の責任も負わないということは、覚えておいたほうがいい。
部下がどんなに使えなくても、会社は人件費を払っているので、上司はその部下をうまく活用する責任を問われる。
一方、学生がどんなに無能でも、大学教員は基本的に何の責任も負わない。無能な学生を何年も留年させておけば、研究室の評判は悪くなるだろうが、それを気にしない教員は本当に気にしない。
金融危機で、また、就職氷河期がやってくるだろう。企業も人を見るようになる。
博士3年間でそれ相応の業績をあげられなかった人には、容赦なく不要な人材の烙印を押される。
自分は、端的に言って、一生働かなくても困らない家庭環境を持っているから進学した。
それでも、才能面で全く見込みがなかったら、進学はしなかっただろう。自分の才能は、自己評価では中の上ぐらいだと思っている。
今年、就職か進学かで迷っている人は、よく考えたほうがいい。おそらく、9割の人間は、就職の方が幸せな人生を送れる、と自分は考えている。
自分は、元が恵まれていて申し訳なく思っているところがあるので、そこまで幸せじゃなくてもいいや、と思えたから就職を手放した。
元が恵まれていないと感じている人は、ほぼ間違いなく就職した方がいいと思う。
が知りたい。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970
がホッテントリに再浮上している。
このエントリは、コメント133、トラバ166、ブクマ2273
その反応の多くは「元気がわいてきた」とか「やってみよう」という好意的なものだ。
で、
このような、元気がでたり、やってみようと思ったひとたちの9ヵ月後が知りたい。
その元気はどうなったのか?
やってみてどうだったのか?
人生はかわったのか?
3日で忘れちゃったのか?
いまも机の前に印刷して張ってあるのか?
「やっぱうまくいかねえじゃん」とまたひとつ挫折を重ねたのか?
いまは別のライフハックに夢中なのか?
この記事をホッテントリで再度見かけたときに、にがい気持ちになったのか?
なんて書くと、元エントリに批判的なように見えるかもしれないけど
わたし自身も自己啓発的なものに勇気付けられたりすることはよくあるんだよね。
でもその勇気は持続しなくて反動的に自己啓発的なものに憎しみを感じてしまう。
で、うまくやれないことで自己評価が低くなる。
それの繰り返し。
だから、ほかの人が自己啓発的なものと
どのようにつきあっているかをしりたい。
あなたのその後をぜひこのエントリにトラバ、ブクマしてください。
追記
このエントリへの反応への反応を書いてみたよ。
「「1ヶ月間だけ、思い切りがんば」ったその後」のその後
http://anond.hatelabo.jp/20081014005347
ところでアスペルガーと自己愛性人格障害入った境界例人格障害って併発するものなのかね?
どうでもいいことだが。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/
に誤診を受けるケースと併発してるのではないかというケースについて報告があります。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/2006/11/post_b692.html
また、
「意味不明な人々??発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」(ご本人自身がADHDなお医者さま)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
では、ほとんどはジャイアンと受動型ASではないかとまでおっしゃられてます。もちろん、諸説あるとは思いますが。
「精神疾患に見える発達障害シリーズ??」(上記ブログ内記事)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20070922/1
心療内科の3年間の臨床経験では、少なくとも自分で「AC」とか「境界例」とか「自己愛」と言って正直に受診する人はほとんど結果としてADHDだった。
きちんと発達障害を除外する作業を進めたとすると、もしかすると「自己愛」や「境界例」はほとんどがジャイアンと受動型ASだったということになるのではないかという実感がある。
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080305/1
受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている。そしてジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。
私見では、
1.アスペ特有の「他人の痛みが想像しにくい」「他人には理解しにくいこだわりや執着を持つ」などの特徴が、人格障害と誤解されやすい
2.遺伝傾向が強く親にも発達障害があることが多いため、生育環境に問題を生じやすく、人格障害(かそれに近い思考)になってしまうことがある(見捨てられ不安、低い自己評価から来る二次障害)
が混在しているのではないかと思っています。
http://anond.hatelabo.jp/20081012020810
>非モテが変わるのに比べればまだ楽なほうだろ。
>
>コミュニケーションスキルを身につける必要もないし、まったくのゼロから学ぶ必要もない。
>
>性的な視線で見るのを我慢して、女をやさしくする必要すらない。
>
>自分から見ればはるかに楽だよ。
>
>(眉を整えたり、髪の毛を整えたり、雑誌を見て服装の研究をしたりしてるんで)
君の場合は、外見をどうのこうのしてもしょうがないと思いますよ。
問題はそこではなくて、君が言ってるように「コミュニケーションスキル」にあるので。
・性的な視線で見るのを我慢する
・女にやさしくする
ことができないと、どんなに美形でもドン引きされます。
(まあ、まれにそういう鬼畜が好きという人もいなくはないかもですが、健全な関係ではあんまりないかな)
わざとでなければ本格的に社会性の発達障害があるんだと思います。多分程度の軽い発達障害があって、それが原因で幼少期からいじめられてきて(世間は社会性の発達障害にきわめて冷たいです)、自己評価が低くなって二次障害になってるんじゃないかな。まあ、記事をざっとみただけの素人判断ですが。
個人的には、専門医を訪ねて相談の上、ソーシャルスキルトレーニングを試してみることをお勧めします。
参考:
http://www.nichibun.co.jp/book/NBbooks/ISBN4-8210-6167-8.html
なんかそういう状況に陥ると、自己評価って壊滅的なほど下がるよな。だって自分はその親友に負けてるとはつゆほども思ってなかったんだもん。
今にして思えばわたし酷い扱い受けたなあ。不倫を、隠しておくのが辛くなったからってカミングアウトされた。わたしは別れたくなかったからなんとか話し合おうとしたけど向こうは逃げるしプリンちゃん(メンヘル、別れ話になると「死ぬ死ぬ」云ってたらしい)は「彼を自由にしてあげて!」とかわけわからんこと云ってくるし。そのうちプリンちゃんのこともうっとうしくなったらしい元夫は更に別の女と浮気、プリンちゃんキレてわたしに「彼ったら酷いんです!わたしどうすればいいのー?」と泣きついてきた。おまえらまとめて氏ね、と今なら云えるが当時は自分が我慢してみんなの話をきいてやれば、離婚は避けられなくてもみんな幸せになれるんじゃないかと思ってた。おめでたすぎる。
ボロボロになってなんとか片付けたけど、ふと気付いたらわたしはいま幸せじゃない。人生から逃げてばっかりの夫とあのまま結婚生活を続けてたら確実に今より不幸だ。けど、「幸せじゃない」状態が続くのもぼちぼち限界。幸せになりたいってどういう心持ちなのかももう分からない。あの時勢いにまかせて死んでおけばよかったのかな。
こういう発想をするのは自己評価の低い人間だよね。疫病神キャラ。
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親はいつごろ死ぬかな。親が死んだら、もう悲しませなくて済むからわたしも死んでいいなー。
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いつもより多めにのんだ薬がぐるぐる回ってきたので寝よっと。
博士の壁ね。
確かにその通り。
博士号をとるには乗り越えるべき壁があるし、そこを自分としては乗り越えられなかった。
つまり博士論文を仕上げられなかったわけだが、その点では能力が及ばなかったのだろうな。
だが、博士課程に進学した当初は当然博士論文を仕上げるつもりでいた。
そこんとこを「逃げ」の一言で片付けてほしくはないな。
査読論文一本を仕上げるのだって大変なことなのだから、博士論文を仕上げるなんてことはとんでもない能力と努力を必要とする。
博士号っていうのは、そういう研究者の唯一の誇りみたいなもんだし、博士はやっぱり尊敬に値するよ。
しかし、現状、博士号を取ったからといって就職口が待っているわけじゃない、というのも事実なわけで、博士号をとりながら万年非常勤講師な人も、文系分野ではざらにいる。なので、世間的にはあまり意味のない博士号をとるために大学院に残って、あくまで博士論文を仕上げることに熱意を注ぐか、それかある程度のところで見切りをつけて就職するか、という選択も、大学院に残っていると現実的な問題として立ち上がってくる。
けれど、大学院ってところは、この二つの選択のうち一つの選択についてしか、つまり博士号をとってアカポスに就くということについてしかトレーニングの機会を提供しない。でも、少子化による大学数の減少は続いていて、それにともなって学部学科の減少とアカポスそのものの減少が続いている。そうなると、大学院が抱えてる院生がすべてアカポスに就けることなんてことはなくなる。いわゆる「ポスドク」問題ってやつだ(それでも、6年くらい前なら、我慢して40代まで研究を続ければ、いずれどこかに就職できる、なんてことが言われてた)。
大学のアカポスが減っているのに、研究者志望の学生数というのは一定数いるわけなので、ここにはどうしたってミスマッチが生じてくることになる。ところが、一部の大学の研究職の人間が考えているのは、どうやったらアカポスへの就職に有利なように制度を変えるか、とか、自分たちの学問分野の有用性を社会に分からせるか、という点になってしまって、研究室の孤島に住んでたせいで世間から切り離されたしまった院生の意識をまともな方向に持ってく、だとか、「一般的な」就職に有利なスキルや意識を持たせるとか、そんな方向にはほとんど関心を寄せていないわけだ。
「ポスドク」問題が現に生じている中、大学院の教員としてはアカポスにありつけないのは本人の責任で、アカポスに就けないで別の道に行くのも本人の問題なんだから、と言いたいのだろうけど、それはいかんだろう、と思うわけだ。アカポスに就けないのは、能力の問題同様に構造的な問題でもあるのに、そこに目を瞑って「アカポスに就けないみたいだね、ハイサヨウナラ」はないだろうよ。そんなこと言われたら、一般常識を知らない院生は絶望するしかなくなってしまい、鬱病になったり自殺したりするんだよ。だから、大学院にいるうちに、研究室に引き籠もってる院生に対してまともな自己評価と自己意識を持たせてあげる必要があるよ、というわけ。
mixiに書いたものなんだけど、大学院を中退しました。に触発されて、公表してみたくなった。
(一部加筆・修正)
最近転職を考えているんだけど、院中退というポジションはいろいろとめんどくさい。
長い間入院していると、世間的なお金の感覚というのが分からなくなるので、去年仕事を見つけるときも、世間的な基準から見たら年相応の年収からは相当安い月収で履歴書を書いた。
当時としては、社会人経験もないことだし、仕事上のスキルもないわけだから、このぐらいの安月給から始めないと仕事は見つからないだろう、と思っての求職活動だったのだけれど、実際に仕事を始めてみると、たぶん院に進学する人種というのは学習効率が非常に高いので、仕事上のあれやこれやについての飲み込みや吸収はとても早いということを自覚するようになった。そうすると、自分の中に「こんなことなら安売りするんじゃなかった」的な気持ちが出てくることになる。
もちろん、そうしたポテンシャリティなんてものは求職中には分かるはずもなく、気づきもしなくて、結局なんか労働力の大安売りをしてしまったのだし、そうでもしなければ社会人経験のない30男に就職先なんて見つかるわけがないんだという暗示にかかっていたのでしょうがないことだと思う。企業だって、安く買いたたけるものは安く買っとけみたいな気持ちで採用したのだとも思うけれども、でも実際に仕事を始めて仕事を覚えていくと、どうにもこうにも当初の給料とは釣り合わなくなってくる。で、年一回の昇給分を考えても釣り合わないので、転職を考える、ということになってしまう。
なんかね、退院して一般企業に就職するというとき、なんかワンクッションあったほうがいいと思うのですよ。「院卒は社会人経験がないから役立たずだ」みたいな世間に流布した言説に毒されてしまうと、結局自分のポテンシャリティを見失ってしまって本当の役立たずになってしまいかねない。たぶんだけど、対社会ということを意識した場合、院生の自己評価というのは、同世代の社会人と比べた場合、かなり低くなってしまうんでは、とも思う。
ついでに大学院に希望することとしては、抱えた院生の全員が研究者になるなんてことはどう考えてもあり得ないことなので、博士課程の院生に対しては、後の一般企業での職務に就いた場合の自分のポテンシャリティというものを十分に自覚できるようなソーシャルスキル・トレーニングをカリキュラムとして取り入れるべきだと思う。そういうトレーニングをきちんとできてれば、「院生は役立たず」みたいな妙な自己暗示にかかって自己卑下をすることもなくなるだろうし、適切な年収で適切な職に就くことができるようになると思うよ。少なくとも「社●●●士」なんて誰も知らないような資格を取らせるために、●●調●系の講義を取らせるよりもずっと役に立つはずだ。
書かなくてはだめなような気もするし書かなくて大丈夫な気もする
今、あのときの出来事が思い浮かんだ。私はいつでもこうなのだ。終わった出来事はどんどん美化されていくように思える。今になって思うとまずまずよかったのではないか。のどもと過ぎれば熱さを忘れるということなのです。
思えば、他者の期待に応えるのは僕にとってなかなかつらいものなのです 応えていたのはほとんど過去の自分を救おうというまあ一種の自己救済みたいなものでした。もしくはただただ目の前で自分が原因で人が苦しむのを見たくなかったのです。自己評価がとても低いのでそれを満たすという側面もありました。ここまで理由を挙げてみて思うことはなんと利己的に動く醜い人間なんだということだけです 凄まじい自己擁護にみちています。
一番の負い目はそれをつきとうせなかったということです。隠しとうせよ。最後の最後で自分大事ですか。みっともない。もちろん、調子がよくなれば実は私はどんな人にも何の責任も負うていないということになるのでしょうが、実際僕の生活はほとんどこの考え方を元に進んでいて、すべては自分の寛容さによるものだともよく思っているのです。ですが愛というものについては幾分まいってしまいます。社会的な了解部分と自分の了解部分が最も重なるのですおそらくですが。 法律道徳などは気にしないところから鑑みるとですが。
これから先何かにつけてあの思い出がばちっと頭の中で光るでしょう そのたびに無気力になりうつになるでしょう。人から一番ほしかったものはもらえずに苦しみ、その苦しみを苦しいとしっていながら相手に与える。残酷かつ理不尽。
今、愛ってことに参ってしまう理由がぼんやりながらわかったような気がします。僕が心の底から一番欲しいものなのです。何か確信を持って盲目的に宗教のように信じたいのです。心の底から信じたい、それだけですとにかく信じたい 僕の貧弱な分析によると宗教心と愛はこのちからがあるように思えているのです 無垢、純粋、に何かを主体的に信じきれる。一番ほしいのは実は私なのです
「私くらいの非モテになると、最早可愛い子を見ても嫉妬心すら起きないよ。逆に愛しくなるよ」
と言ってアイドルの写真集(女男どっちもだけど女の方が3倍くらい多い)を集めてる女友達がいるんだけどさ
こういう自己評価が低い人と付き合うにはどうすりゃいいんだろうな
別にその趣味自体はいいんだけどさ
なんか自分の事を必要以上に低く見積もってるんだよな
昔いじめられてたっていうから多分それが原因なんだろうけど
一度、いやなんでよ、別にお前可愛いじゃん、みたいなこと言ってみたんだけど
完全聞いてない。「ハイハイお世辞お世辞wwwww」みたいな感じで。
つーかほとんど「好き」に近いこと言ってるんだけど全部流されてる。
それとも全部気付いた上で振ってるのか。そうには見えない。違う奴に対してもこういう風だし。
あーもうなんなんだよ