2008-09-28

大学院教育がすべきこと

mixiに書いたものなんだけど、大学院を中退しました。に触発されて、公表してみたくなった。

(一部加筆・修正)

中退というポジション

最近転職を考えているんだけど、院中退というポジションはいろいろとめんどくさい。

長い間入院していると、世間的なお金感覚というのが分からなくなるので、去年仕事を見つけるときも、世間的な基準から見たら年相応の年収からは相当安い月収で履歴書を書いた。

当時としては、社会人経験もないことだし、仕事上のスキルもないわけだから、このぐらいの安月給から始めないと仕事は見つからないだろう、と思っての求職活動だったのだけれど、実際に仕事を始めてみると、たぶん院に進学する人種というのは学習効率が非常に高いので、仕事上のあれやこれやについての飲み込みや吸収はとても早いということを自覚するようになった。そうすると、自分の中に「こんなことなら安売りするんじゃなかった」的な気持ちが出てくることになる。

もちろん、そうしたポテンシャリティなんてものは求職中には分かるはずもなく、気づきもしなくて、結局なんか労働力の大安売りをしてしまったのだし、そうでもしなければ社会人経験のない30男に就職先なんて見つかるわけがないんだという暗示にかかっていたのでしょうがないことだと思う。企業だって、安く買いたたけるものは安く買っとけみたいな気持ちで採用したのだとも思うけれども、でも実際に仕事を始めて仕事を覚えていくと、どうにもこうにも当初の給料とは釣り合わなくなってくる。で、年一回の昇給分を考えても釣り合わないので、転職を考える、ということになってしまう。

なんかね、退院して一般企業就職するというとき、なんかワンクッションあったほうがいいと思うのですよ。「院卒は社会人経験がないから役立たずだ」みたいな世間に流布した言説に毒されてしまうと、結局自分のポテンシャリティを見失ってしまって本当の役立たずになってしまいかねない。たぶんだけど、対社会ということを意識した場合、院生自己評価というのは、同世代の社会人と比べた場合、かなり低くなってしまうんでは、とも思う。

ついでに大学院希望することとしては、抱えた院生の全員が研究者になるなんてことはどう考えてもあり得ないことなので、博士課程の院生に対しては、後の一般企業での職務に就いた場合の自分のポテンシャリティというものを十分に自覚できるようなソーシャルスキルトレーニングカリキュラムとして取り入れるべきだと思う。そういうトレーニングをきちんとできてれば、「院生は役立たず」みたいな妙な自己暗示にかかって自己卑下をすることもなくなるだろうし、適切な年収で適切な職に就くことができるようになると思うよ。少なくとも「社●●●士」なんて誰も知らないような資格を取らせるために、●●調●系の講義を取らせるよりもずっと役に立つはずだ。

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