はてなキーワード: 境界例人格障害とは
私の周囲には人を信用できないという人が何人かいる。そういう人に限って人脈に恵まれているし、信用できないと言いながら人と一緒にいることが多い。恋人や友人(彼らは大体知り合いと言うが)もいる。
彼らは親を恨んでいたり嫌っていたりする。だが話を聞いてみると大したことはされていない。そりゃあ理不尽に殴られているとか、理不尽な暴言を浴びせるとか、それならわかる。
しかし、そうではない。一般的な教育ママじゃない? と言う程度の親なのに何故か親のせいだと信じ込んでいたり、親に縛られ続けていたりする。
そりゃあ私は話を聞いただけだし、実際に体験していないから事実はもっと過酷で悲惨なものだったのかもしれないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らのもう一つの共通点はいじめ被害者という過去である。
いじめられたことを引きずるのは不思議なことではない、ただ私が疑問に思う点は彼らは社会的に見て勝ち組に近い存在なのにどうして執拗に過去を振り返るのだろうということ。
正直私もいじめ被害者側の人間だけど、それは過去のことと割り切っているしもうどうでもよいことだ。その価値観を押し付けるつもりは微塵もないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らは心療内科に受診してもろくな診断を得られないようだ。
統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、発達障害、双極性障害など様々な症状を持っている。
薬を服用しても回復することなくむしろ悪化したり、ジスキネジアなどが発生するようだ。私の周りはそんな人が同一人物なのではないかというほど同じような状態に陥っている。
ネットではいわゆる境界例人格障害のような振る舞いをするので、よく喧嘩になっているのを見かける。
でも、実際に境界例人格障害かと言うと疑問に思える点がいくつもあるし、恐らく境界例ではないのだろうと思う。私は医者ではないからはっきりとしたことは言えない。
そんな彼らは不幸なことに沢山の薬を服用し続けている。薬を飲んでも調子が良くならないのに薬を服用し続けるなんて不毛だと私は思うし、セカンドオピニオンを勧めるのだが
大体彼らは良質な医者の元へたどり着くことができない。
薬を大量に服用し、依存している彼らが一か月以上待たなければ受診できない病院を選ぶはずがないのだ。
正直、どうしようもない。
私も彼らの「知り合い」ではあるが、どうすることもできない。
個人的な予想だが、彼らは発達障害なのではないかと考えている。発達障害の二次障害ではないかと。
発達障害の二次障害なら統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、双極性障害と誤診されるのにも納得がいくし、薬で症状が悪化する理屈も理解できる(発達障害者は薬に対して過敏に反応してしまう)。
だが、もしも発達障害とわかったところでどうすることができるのだろうか。
減薬の離脱症状に耐えられるのだろうか、というより適切な減薬をできる医者にたどり着くことが可能なのだろうか。
減薬したところで彼らは薬物療法だけでは改善しないだろう、ではカウンセリングを受けるようになるだろうが、それが続くのだろうか。
そもそも人を信用していないと言い切ってしまう彼らが、カウンセラーに心の内を打ち明けられるのだろうか、高い金額を払ってカウンセリングに通い続けられるのだろうか。
では精神科病棟に入院して改善するか、そんなはずはないだろう。
どうしようもないのだ。
そんなどうしようもない人たちは一人くらいだと思っていたけど、案外少なくないことをしって唖然とした。
彼らがいつか報われる日が訪れるのだろうか。
私は彼らの「知り合い」として心配に思う。
いやあ、もうまさしくそれこそが非モテの特徴だと思うよ。イケメンとブサメンにしてもそうだし、処女は貞淑だけど非処女はビッチとか、相手に100%の好意を示してもらえないのなら全否定されたも同じとか。
これ(http://b.hatena.ne.jp/entry/9816184)なんかも、「非モテ批判は矛盾してるじゃねーか!」という内容の記事に、「極端から極端に行くからダメなんだろ」ってブコメが沢山ついてるし。
実は、「努力しなくていい」「皆俺に気を使え」「実は物凄い才能がある」っていう思考回路は、皆境界例人格障害や自己愛製人格障害によく見られる特徴なんだよ。あと、モテと非モテ・理想の処女像と肉便器の非処女像といった極端な二極化思考をする『分裂』や、好きな女が自分の思い通りにならなかったら、今度はその女を激しく貶める『理想化と脱価値化』や、一番モテないことを格好悪いと思っているのは他ならぬ自分自身だが、それを直視したくないので、世間が自分のことをモテないことで罵っているのだと思い込み、その世間に対して反発するといった『投影』なども、その種のパーソナリティ障害によく見られる特徴だよ。
これも境界例の特徴の一つなのですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。白か黒かのどちらかの世界しかなくて、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。そして、すべてか無かという、二つの選択肢しか持ち合わせていないのです。
併発する場合もあるよ。アスペルガー症候群は生まれつきで、人格障害は生育歴によるものだから、生まれつきアスペで生育歴がアレだったりしたら、併発する可能性は十分にある。しかし、アスペと人格障害は分けて考える必要があるんだよ。
時々非モテがアスペを自称していることもあるけど、そういうのはマジアスペの中じゃ嫌われてるな。「生まれつきだから仕方ない=自分のせいじゃない=努力しなくていい」とか「俺は障害者だから支援されるべき=皆俺に気を使え」とか、あとアスペって時々天才がいるから「自分は実は物凄い才能がある」っていう優越感も感じられて、非モテが自称するには色々と魅力的な障害なのかもしれない。
まあ実際は、アスペ特有の『特定の分野に物凄いこだわりを見せる』という特徴が世間に『天才』と認識される人はほんのわずかで、大半の人はこだわりが明後日の方向に向かっていて生きていく上で役に立たないし、「努力したくない」とか言ってたら生きていけないから、世間に馴染もうと必死。
実際、アスペの集まるコミュニティを覗いてみるとわかると思うけど、モテるかモテないかで悩んでいるアスペはほとんどいない。悩みの大半は就職と職場の問題。あと、家族とうまくいかないとか、モテるかモテないか以前の切実な問題に直面しているかんじ。
実は、「努力しなくていい」「皆俺に気を使え」「実は物凄い才能がある」っていう思考回路は、皆境界例人格障害や自己愛製人格障害によく見られる特徴なんだよ。あと、モテと非モテ・理想の処女像と肉便器の非処女像といった極端な二極化思考をする『分裂』や、好きな女が自分の思い通りにならなかったら、今度はその女を激しく貶める『理想化と脱価値化』や、一番モテないことを格好悪いと思っているのは他ならぬ自分自身だが、それを直視したくないので、世間が自分のことをモテないことで罵っているのだと思い込み、その世間に対して反発するといった『投影』なども、その種のパーソナリティ障害によく見られる特徴だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081014005347
ところでアスペルガーと自己愛性人格障害入った境界例人格障害って併発するものなのかね?
どうでもいいことだが。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/
に誤診を受けるケースと併発してるのではないかというケースについて報告があります。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/2006/11/post_b692.html
また、
「意味不明な人々??発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」(ご本人自身がADHDなお医者さま)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
では、ほとんどはジャイアンと受動型ASではないかとまでおっしゃられてます。もちろん、諸説あるとは思いますが。
「精神疾患に見える発達障害シリーズ??」(上記ブログ内記事)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20070922/1
心療内科の3年間の臨床経験では、少なくとも自分で「AC」とか「境界例」とか「自己愛」と言って正直に受診する人はほとんど結果としてADHDだった。
きちんと発達障害を除外する作業を進めたとすると、もしかすると「自己愛」や「境界例」はほとんどがジャイアンと受動型ASだったということになるのではないかという実感がある。
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080305/1
受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている。そしてジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。
私見では、
1.アスペ特有の「他人の痛みが想像しにくい」「他人には理解しにくいこだわりや執着を持つ」などの特徴が、人格障害と誤解されやすい
2.遺伝傾向が強く親にも発達障害があることが多いため、生育環境に問題を生じやすく、人格障害(かそれに近い思考)になってしまうことがある(見捨てられ不安、低い自己評価から来る二次障害)
が混在しているのではないかと思っています。