2008-09-20

ぼやき

書かなくてはだめなような気もするし書かなくて大丈夫な気もする 

 今、あのときの出来事が思い浮かんだ。私はいつでもこうなのだ。終わった出来事はどんどん美化されていくように思える。今になって思うとまずまずよかったのではないか。のどもと過ぎれば熱さを忘れるということなのです。

思えば、他者の期待に応えるのは僕にとってなかなかつらいものなのです 応えていたのはほとんど過去の自分を救おうというまあ一種の自己救済みたいなものでした。もしくはただただ目の前で自分が原因で人が苦しむのを見たくなかったのです。自己評価がとても低いのでそれを満たすという側面もありました。ここまで理由を挙げてみて思うことはなんと利己的に動く醜い人間なんだということだけです 凄まじい自己擁護にみちています。

一番の負い目はそれをつきとうせなかったということです。隠しとうせよ。最後の最後で自分大事ですか。みっともない。もちろん、調子がよくなれば実は私はどんな人にも何の責任も負うていないということになるのでしょうが、実際僕の生活はほとんどこの考え方を元に進んでいて、すべては自分の寛容さによるものだともよく思っているのです。ですが愛というものについては幾分まいってしまいます。社会的な了解部分と自分の了解部分が最も重なるのですおそらくですが。 法律道徳などは気にしないところから鑑みるとですが。

 これから先何かにつけてあの思い出がばちっと頭の中で光るでしょう そのたびに無気力になりうつになるでしょう。人から一番ほしかったものはもらえずに苦しみ、その苦しみを苦しいとしっていながら相手に与える。残酷かつ理不尽

 今、愛ってことに参ってしまう理由がぼんやりながらわかったような気がします。僕が心の底から一番欲しいものなのです。何か確信を持って盲目的に宗教のように信じたいのです。心の底から信じたい、それだけですとにかく信じたい 僕の貧弱な分析によると宗教心と愛はこのちからがあるように思えているのです 無垢、純粋、に何かを主体的に信じきれる。一番ほしいのは実は私なのです

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん