はてなキーワード: 方向変換とは
カメラ移動速度遅くしてる人が多いんじゃないかと思うんだけど、逆にそれが良くない気がする。
酔いやすいという家族のプレイを後ろから見てて思ったのだけど、
方向転換するときに、まず移動用スティックで向き変えてんだよね。
そしてその後、移動しながらカメラの方向を動かすんだけど、移動と視点移動を同時かつ独立にするから、
大体このとき画面がグラグラになる(操作が下手なせいもある)。
動かしたい方向を向くようにカメラの方を動かしてる。
このほうが、自然と見てる方向と移動方向のずれがなくなるから酔いにくいと思う。
(もちろん急激な方向変換時には移動用スティックでの向き変更も併用する)
このやり方はノロノロとした方向転換しかできないので、まともに使えないんだよね。
それが酔いやすいプレイスタイルに繋がってるんじゃなかろうか。
と思った。
そりゃ長い間続いてるアニメとかゲームを当初から応援してる人に比べたら、好きでいた期間は短いし、当然当時のことは知らないし、
でも、好きって気持ちに変わりはないんじゃないのかなって思うのね。私が言っても説得力ない気がするけど。
出来の悪い釣りだなあ。
本気でみんなと仲良くしたいと思ってる新人が「好きでいた時間の長さや費やしてきたお金なんて大事じゃない。好きって気持ちはみんな一緒なんだから、ずっとそのジャンルを支えて続けてきたファンのみんなと私を今すぐ同列に扱ってよ」なんて口にするはずがないんだよなあ。
「お前が10年かけて注いだ愛も時間も、つい最近知ったばかりの私と同じ重さだと思うよ」なんて真顔で言えるとかどんなサイコだよ。
なにそれ、それって作品に向ける愛の重さは一律0グラムで遊びにかけたお金も時間も価値は0だからどんなに積んでも等価ですって事?
それを自分の中で勝手に考えるのはいいけど、それをこれから仲良くしたいはずの相手に直球でぶつけてくるわけ?
ああ勘違いしないでね、作品自体が古参より新参を大事にするのは勝手だと思うし、古参が新参より人間として優れているなんて事もないから。
界隈が古参を大事にしすぎて新作が出てるのにどれも過去作の臭いが強くなりすぎて古参でもウェーってなるような状態はこっちも嫌だしね、まあここは自分の勝手な意見だけど。
作品を楽しむその瞬間の思いに、古参も新参も関係ない、みんながそれぞれの楽しみ方をして別にいいし、マンネリ化や方向変換に文句をいうのも自由だよ。
でもさ、一人のファンが他のファンに向かって「あなたがこれまでその作品に注いできた愛情や時間や知識って、ぶっちゃけ重要でもなんでないですよね」と口にする以上は、それなりの争いに身を投じる覚悟をした方がいいよ。
カイジの言ってた「思ってるうちはいいけど口に出したらもう戦争しか無いだろうが」って台詞が正に当てはまる状況だから。
「新人の私の好き=古参の人の好き」とか「費やしてきた時間もお金も重要じゃない」って言葉の裏に、他人がその作品を好きに思っていた大切な時間をどれだけ軽んじていた自分が潜んでいたかを胸に手を当てて考えてみ。
貴方みたいな「自分の好き」しか見えてないのに「他人の好き」を語るような人間は、ニワカだろうが古参だろうがいずれコミュニティを無茶苦茶にぶち壊す。
ハッキリ言うけど、人として生まれ変わるまでこっちに来ないで。
公教育に予算がないからといって体罰や苛めまがいの指導が許されるわけじゃないだろ。これは最低限の要求であって高望みじゃない。これが高望みなら教員は児童相手に犯罪し放題になる。そういう教育なら廃止するほうがマシだ。
行進の練習ごときで「体罰や苛めまがい」呼ばわりした上で「最低限の要求」か。前提となる認識を間違えた上で「この程度の要求ものめないなんて!」と逆上して極論批判に走るのが、モンペにありがちな行動パターンなわけだが。
とりあえず5人で100人(これは理想的な人数だ。普通はもっと少ない。)のイマドキの中学生を相手にしてるところ想像してみな。でもってその100人を一週間後に「整然と行進」させる必要があるとして(そのことの是非はここでは不問。だって文科省が体育全体を通して「集合,整とん,列の増減,方向変換などの行動の仕方を身に付け,能率的で安全な集団としての行動ができるようにする」ように指導せよと定めているんだからな。)。場所は教室みたく静かな所じゃなく、グラウンドだよ。あんた家庭で、「親一人子ども二人」くらいの状況で、街中を歩く際に「整然と行進」するよう、声も荒げず子どもにプレッシャーも感じさせず、指導できてるか?一人一人話して聞かせて、諭して賞めてやる気を引き出して? でもってそれが一挙に十倍になったらどう思うね? それでもなお「みんなが足をそろえないと終わらないぞ。周りをよく見て呼吸を合わせて。駄目だ、もう一週」とマイクでがなり立てるくらいのことを『体罰/いじめ』呼ばわりするかね?
……というかな。大体想像はつくんだけど、あんた多分そういうのを「やらされた」経験はあっても自分が「やらせる」側に回ったことが無いだろ?
で、な。あんたの不満は結局の所あんたが批判してるソコにあるんじゃなくて、要は学校と教師が嫌いだっつー所にあるんだよ。まずはそこを自覚した方が良い。結局その教師が嫌いで全く信頼してないから、何されようが体罰のような強制感を感じそこから何かを学び取ろうという気も起こらず「いじめだ!」と騒ぎ立てているんだろう?客観的に見れば全く外見上同じであっても、仮にそれがあんたが心から信頼してる相手にされたことだったら、全然印象は違うだろう?
それは教育システムの問題じゃなくて、あんたを指導した教師とあんたの、ごくごく私的な関係の問題だよ。でもって更にあんたが問題なのは、未だに教師をスーパーマンか何かと勘違いして「悪いことを何でも先生のせいにできた生徒時代」気分で教育批判をやってることだよ。
重ねて言う。世の中になんか美しげな言葉で「教育は子どもの中からわき出る学びへの意欲を云々…」と教育を語る意見があるけど、ありゃ嘘だ。本来「子どもにとって嫌なことを押しつけるのが教育の本質」なんだよ。もし子ども全員に本当にムラムラと『学びたい意欲』なんつーものがあるとしたら、それこそ教師なんて必要無い。あるいはこう喩えた方が正確かな。食欲と同じで、子どもには「何かを学びたい」欲はあるさ。でも「身につけさせなくてはいけない(必須の栄養素と同じで)もの」は、決して子どもにとって「食べたい/おいしい」素材ではない。それを脅して賺してだまくらかして「食べたい気に/おいしい気に」させ、食べさせるのが学校という場であり教師の仕事だよ。その教師の「料理」の腕が下手だったからといって、料理して食わせてること自体が体罰だとかいじめだとかまして無意味だなんて極論に走るのは、同じ予算でもっと上等な事ができるというプランなりを示してから言って欲しいんだぜ。
そう、いくらマズかったからといって『給食なんて意味無いぜ』なんて意見を言うのは、子どもなら許されても大人なら恥ずかしい。本来その程度のことは、分かってて良いだろ。まあせめて高校生にでもなった時点で、な。