はてなキーワード: フリーターとは
いままで就職できずにフリーターに流れてた単純労働の層までホワイトカラーに流れたということなのかな?
フリーター→正社員→マックのバイトが足りなくなる→マックの時給があがる→マックの店舗で不採算店は潰れる→個人飲食店の客足が増える→大規模店の個人商店に対しての有意差が減少→繁盛した個人店舗が息子に実家を継がないか→大企業のノウハウを詰め込んだ個人店舗が成長→マーケットの食い合いで潰れる大企業→能力のない社員が社会の荒波へ→フリーター
こりゃまた人員を理由とした業界の再編がありそうだ。(長期的に見て)
明らかに、それは間違っている。
'80 年代のピークと言えば、ちょうどプロ野球・阪神タイガースが吉田監督のもとで日本シリーズに勝利をおさめた頃だろう。
その頃の我々は、それより以前のアイビー/プレッピー・ブームからは脱却し、MTV や SONY Music TV に入れあげていた。マドンナやデッド・オア・アライヴ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、あるいはポール・ハードキャッスル「19」といったアーティストや曲の 12inch バージョンをカセットにダビングして友人やカノジョに配っていたものだ。
就職状況としては、プラザ合意に端を発する「円高不況」のために、まだまだ産業の主軸であった大方の製造業は採用を強く抑制していた。したがって、今のフリーターやニートどころの騒ぎではなかったはずだ。
ところが、NTT 株の放出、およびその値上がりをキッカケとしてバブルが始まった。株って儲かるのか、という意識が市井に広まった。買いが集まればとうぜん株価も上がる。どんな銘柄を当てずっぽうに買ってもキャピタルゲインを手にできるという状況があった。
音楽面では、しかし、その頃にはもう先述のようなハード・ディスコ・サウンドは影を潜めていた。ステイシー・Qやバーデュー、ペット・ショップ・ボーイズ、あるいはサマンサ・フォックスといった軽めのサウンドが流行したのがこの時期だろうか。
そして、バブル崩壊の瞬間は突然訪れる。そう、1990 年年初の東証大発会のときの株価大幅下落だ。通常、大発会は新年ご祝儀相場と呼ばれ、株価は上昇する。しかしながら、それまで見たこともなかったまったく逆の事態に、関係者たちは一様にうろたえた。あとは知っての通りだ。
偶然、バブルの終わりと '80 年代の終わりとが重なっていることが、両者を混同させた最大要因と言えるだろう。さらに、その後にもジュリアナやヴェルファーレといった「文化」があったのは言うまでもない。しかし、それらとて打ち上げ花火のようなもので、長続きすることはなかった。
本当の '80 年代とは、皆がほど良く貧乏で投げやりで、しかしながら楽しむことにかけては人に負けたくない、そんな時代だったのだ。
ここで働くフリーターは、好きな物に囲まれて、上司からうまいようにやる気を引き出されて搾取されてるこ事に全く気づいてない、
近隣の店舗の(といっても関東だとか近畿だとか東海だとかで範囲は広い)バイトが自主的に集まる小さな会議みたいなのがたまにあったんだけど、
くだらない話や売れ筋教えあったりのどうでもい話ばかり、それにバイト休んでいってるので休み扱いで交通費も自腹、
こういうのに参加しないと「あいつはやる気ないしダメだね」って事になる、で、主催者はマネージャーなんかに「褒められました」って喜んでた、ほんとクソだと思ったよ。
最低賃金のまま転勤しちゃえば全然余裕なんてないし、イ○ン系の中に入ってる店は盆も正月もないし実家も帰れない、金が無いし時給稼ぐしかない。
これの繰り返し、もう惰性でこの流れにのるしかないって思ってやりきるか、会社の言う通りに動いてはやく楽な位置についてバイトをコキつかうかのどちらか、
まぁどっちも「時間も心も売ってながらワーキングプアでそう金にならない、じゃ仕事を自分の都合よくするしかないね」って思ってるのか知らないけど、店長が変な人が多すぎた。
自分がライブいくから他店舗にヘルプに来てだとか、客にナンパまがいな事したりだとか、レンタルDVDかえさなくちゃって早く帰るやつとか、ちょっと裏で寝てくるだとか、言い出したらきりがない。
中にはバイト想いの店長もいるけど、待遇良くは出来ないからせめて自分だけでもって感じがするし、結局その状況をほったらかしにする経営陣が腐りきってるんだろうなと思う、ほんと辞めて良かったよ。
ゴメン。
昨日量産型ザク??のプラモが300円で売ってたので思わず衝動買いしてしまった。
シャーザクもあったけどやっぱり緑だろ!とか思って・・・
でもね、思うんだ。
多店舗展開しないとあの価格で商品を展開できないし、
雰囲気をだすためだろうけどあんな陳列してたら万引きなどのロスも絶えないだろうし。
普通にやってたら家賃だけでアウトじゃないかなって。
多分その社長さんは自分がドクリツした当初には時給マイナスの時期を経験しているはずで、
そのままの感覚できてるんだとおもう。
その値段でもフリーターが「何かおしゃれ」「何かおもしろそう」オーラに引きずられて集まるというのも大きな要員。
でも、その社長さんの感覚だと企業体としての寿命は短いかもね。
飽きられちゃっておしまいか・・・
そこで「女の社会性は」とかひとくくりにしてしまうところが若いね。プッ
社会の古株としては、このごろアルバイトに従事している人々のプロ意識がなくなってしまったと感じる。特に、マニュアルがあって「あなたはこういう接客をしてください」って訓練を受ける職種(ファーストフード店員など)以外の、コンビニの店員やらツタヤの店員やら配達員やらは、顧客サービスの意識が皆無。あなたの方言にプッと噴出すのも、仕事とプライベートが分けられてないからだと思う。
昔(といってもフリーターという言葉が定着した90年代)も若い子は若い子でたいした仕事はもちろんできず、マニュアル言葉も批判対象ではあった。けど、今のアルバイトは、仕事ってレベルじゃない。どうしちゃったんだろう。
フリーターって年とると本当に悲惨だよ・・・
若い頃はいい。
漏れも「レコード屋でバイトしながらバンドなんていい生活だなー」
社員の漏れなんかよりよっぽど自由で楽しそうだった。
ところがね、30になると「変わる」。ホントに。びびるよ。
30になっていったフリーターを結構見てきた。
「あんな明るいハイテンションの人がなんで?」
っていうくらい暗くなっていく。可愛い彼女がいた人も、
いつのまにか別れてる。無職率も増加(バイトがないわけでは無いが、やらない)。
そして見てて一番つらいのが、無理に大物ぶるんだよね。
脇から見てれば人気も無いのに歳くって居座ってるから扱いづらいだけなんだけど
(漏れも人気がないけど)。やってる人ならわかると思うけど、
あの落ち着いた、独特のスカしたような感じ・・・あれが痛々しくみえてくる。
漏れはバンドやりたいひとはガンガンいくらでもやればいいと思う。
ただし、計り知れないリスクが控えている事も心得て欲しい。
年収が高い男性の方が低い男性より結婚している割合が高いというような統計があって、
新たな貧困層の存在が非婚化、少子化社会に拍車をかけているという解釈がある。
あれ、順序が逆な人もけっこういるんじゃないのか?
つまり、年収が高いから結婚できたのではなく、結婚したから年収が高くなったという風に。
少なくともおれはそうだ。
嫁さんとの結婚を決めたとき、おれは30歳を目の前にした年収200万のフリーターだった。
ただ、1年後の結婚を目標にして、それまでに正社員として就職することという希望を出された。
幸い適当な会社にもぐりこんで結婚できたのだが、おれは嬉しくて仕事をがんばった。
それから5年が経つ間に、子どもも生まれたし、年収は5倍近くになった。
だからといって、高年収だから結婚できたなどと思われるのが心外なのはいうまでもない。
古い考え方だとは自覚しているが、結婚し、子どもができたら、やはり責任感が生まれる。
そういった縛りがない人間とは、収入に差が出てきてもおかしくないと思うんだ。
統計数字の大勢をひっくり返すほどの影響力はないと思うけれど、
そういう可能性、傾向を考慮しないというのも、個人的には納得がいかない。
http://anond.hatelabo.jp/20070404215429
2chで良く見かけるコピペだけど、別に今さら始まったことではないとおもうよ。
で、これから少なくとも2030年ごろまでは更なる高齢化社会になることは間違いないんだが、
>物覚えが悪くいざって時に首を切りづらい高齢フリーターは嫌がられ、バイトも見つからない。
ってのは、違う気がするんだよね。アルバイトやパートにも、ご老人の方も多いですよ。
若者が絶対的に少なくて集まらないんだからしょうがないし、移民だって多く受け入れてるわけじゃないし。
>同世代は孫ができ、退職後は退職金やこれまでの貯蓄、年金等で、
>贅沢とは言えないまでも普通の暖かい老後を送る。幸せな普通の人生と言える。
というのも、どうかと思うけどね。老後だから隠居できるとは思わん方がいいですよ。
元気な老人はもっと働け、働けないやつは死ね、という社会になってたりして。
10〜20代:適当に暮らしていても、親もまだ現役世代なのでまだまだパラサイト可能。
夢がある、やりたい事を探しているなどといいつつ、社会人に比べると たいした苦労もなく、
自由を謳歌した気ままな生活を送る。一生フリーターでもいいやなどと豪語する。
20〜30代:同級生たちは中堅どころ。自分はまだまだ浮草生活。ただ、親が退職した頃から
生活費が苦しいことをリアルに感じ出す。しかし改心していざ職に就こうにも
年齢制限、職歴なしで全て書類落ち。面接にも漕ぎ着けられない。ようやく現実を知る。
身分に差がつき始め、恥ずかしくて友人の結婚式や同窓会に出席できなくなる。
30〜40代:社会人の同級生はぼちぼち管理職となり月収も増え、ボーナスの額に一喜一憂するが、
自分の時給は20代の頃と変わらない。それどころか、体力は衰える一方なのに、
仕事はバイトで、相変わらず、単純作業・深夜・立ちっぱなし等の肉体労働。いまだ職歴なし。
普通の庶民の生活に憧れるが完全に手遅れ。結婚も家庭も諦める。絶望が全身を支配する。
40代〜 :若いフリーターの方が使えるのでバイトを首になる。新しいバイトを探すも、
物覚えが悪くいざって時に首を切りづらい高齢フリーターは嫌がられ、バイトも見つからない。
当然、貯蓄があるわけでもなく、親戚からも疎まれる社会のお荷物と化す。
いつしか一線を超えてしまい、雨風をしのぐためのビニールシートを購入する。
服は毎日同じ。プライドを捨て、コンビニ・飲食店の残飯あさりを始める。
・
60代〜 :同世代は孫ができ、退職後は退職金やこれまでの貯蓄、年金等で、
贅沢とは言えないまでも普通の暖かい老後を送る。幸せな普通の人生と言える。
一方、長年に渡る浮浪者生活で体はボロボロ、あちこちが痛む。しかし健康保険もないので
頭はそれほど良くはなかったけど(悪くもなかったが)
それ以外の点は自分とまったく一緒だ.
自分に何一つ価値がないような気がしてる。今までにやってきたことって、何か意味があるのだろうか。
そのことに気付きもしない人,考えもしない人がどれだけいることか…
「周りの人が進学するから」とか「親がそうしろと言うから」自分もそうする.
皆と同じようにしていれば安心だと思ってしまうのだろうな.
早い内にその疑問を持つことはとても大事だと思う.
自分は就職直前に疑問になり,何がしたいか分からなくなり,今フリーター.
疑問を持たなければ無難に仕事して生活していけたのに,それでも意味や生き甲斐を求めてしまう.
人によく言われたのは「何でもいいからとりあえずやってみろ」ということ.
今は何の意味があるのか分からなくても,いずれ分かる(見出せる)時が来る.
大事なのは常に「何の意味があるのか」問い続けること.でなければ答えは出るはずがない.
「しなかったことによる後悔はしたことによる後悔より大きい」
時間がある今の内にできることは何でもやっておいた方がいいよ.
私みたいになりたくなかったら・・・
http://anond.hatelabo.jp/20070322142757
そうやって生きてる人もこの日本にはたくさんいるって話ですよ。
職業フリーターでも、生きてくだけならどうにかなるんじゃないですか。
がんばってください。
私たちの主な仕事は2ちゃんねる等のニート、フリーター達が集まる掲示板やブログの監視とコメントの書き込み。1書き込みは100円だ。上限はない。書けば書くだけ金が転がり込んでくる寸法だ(もちろん、会社の意向に沿わない書き込みは対象外だが)。給料は国民の血税から出ているから、私たちは会社の屋台骨を気にすることなく毎日大量の書き込みができる。
書き込みの内容は、主に反日、嫌韓、嫌われ者作り。「チョンは氏ね」「こいつのどこが美人なんだ?ブサだろ」「空気嫁」と、対立や書き込みを煽る発言が大半だ。「釣り」と言われようが気にせず続けることがポイント。釣ろうが釣られようがそいつはそのスレッドに来たことになり、盛り上がりの一端を担ってくれるからだ。他にも「日本は私が変える!」といきまく人間のブログに賞賛の書き込みを大量に投下し、ブログに縛り付け外に出なくさせる作戦も行っている。こうすることにより、ストレスのはけ口をネットに集中させ、現実世界に出させないようにしているのだ。
「中央集権国家プロジェクト」に引き抜かれたのは1年ほど前のことだ。当時私は日雇い労働者として、毎日死んだ目をした人を大量に乗せたバスに揺られ、波止場の工場でコンビニへ運ぶ商品の仕分けをしていた。
そこに希望はなかった。毎日のように重い荷物を運んではカゴに乗せる作業を繰り返し、日々筋肉痛に悩まされた。仕事が遅いと、中国人の上司にわけのわからない日本語でダメ出しをされた。抜け出したくとも1日7000円の薄給では家賃を払うことが精一杯で、リクルートスーツを買って就職活動をする余裕はなかった。
そんな時に、高校時代の友人にこのプロジェクトへの誘いを受けた。パソコンをいじるだけで月100万は堅い。やり方は俺たちが教える。友人としてお前を今の生活から脱出させてやりたいんだ・・・。余裕がある時ならばそんなマルチ商法のような誘いなど断っていただろうが、当時の私にとって他に選択肢がなかったことは、ある意味幸運だったのかもしれない。
今、私は麻布の高級住宅街に家を借り、毎日タクシーで通勤し、仕事が終わったら六本木で遊びまわる天国のような生活を送っている。金が金を生み、人脈は果てしなく膨らんでいく。日本という国がある限り、私たちは一生生きていけるのだ。
最近では成金を悟られないように色々な勉強会に積極的に参加するようにしている。そこでわかってきたことは、現在の日本の統治システムがどれだけずさんであるかということと、それに気づいていない国民がいかに多いかということだった。いや、私たちが気づかないように仕向けているのかもしれないが。
石原が歌舞伎町浄化の後、クラブの営業も規制し始めたことはあまり知られていないが、なかなかの好判断だったと思われる。夜の街には自治政府ができやすい。それを法で規制するのは独裁者の常套手段だ。おそらく石原は若い時分に夜遊びを繰り返し、闇取引の多さを目の当たりにしてきたのだろう。
最近ではひろゆきの賠償金問題が話題になっているが、私はひろゆきの言っていることにはおおむね賛成だ。借金を踏み倒しても捕まらないのなら踏み倒せばいいのだ。もしかしたら、踏み倒したら捕まるような法がこの国では永遠に整備されることがないことを知っての発言かもしれないが。
なぜなら、その法を成立させてしまうと、踏み倒すことで生計を立ててきた在日団体、企業が黙ってはいないからだ。彼らを怒らせれば、在日とべったりの日本政府の要人達のスキャンダルはすべて明るみに出るだろう。だから、提出されたとしても、彼らは全力でそれを阻止することになるだろう。
救いようのない構図だが、これを打破しようとする人間は今はブログで自分の意見をこれ見よがしに披露し、私たちの書き込みによって悦に浸ってしまっているから、この国で目立った革命が起きることはまずないだろう。
まず、僕が起業を考えるに至った経緯について、ちょっと話をする。
僕も、去年の3月ごろは就職活動をしていた。IT業界で、アニメーション制作を合理化するシステムを作りたかった。これから必ず必要とされる分野だけに、今から手をつけていれば確実に利益を手にできますよ、どの企業の面接でも訴えた。しかし、どこの企業も僕の言うことに耳を貸してくれなかった。
そして、大手企業の推薦で落ちたのを機に、急にやる気が失速、というダメ人間っぷりを僕は発揮。実家には金がなく、これ以上大学院に残ってもう一度就職活動をする余裕がない。そのうえ、ドクターに行く金もない。留年もしているので、奨学金ももらえない。というわけで、何もしないまま修了を迎えることになった。
自分も働いて、自分で金を稼がなくてはならない身。しかし、文系修士の既卒なんてどこの企業も採ってくれるはずがない……。そうなると、フリーターになるしかないことに思い至る。
ただ、僕は目的もなくフリーターになるのがいやだったため、どうせフリーターになるなら目標を持とうぜと思うようになった。さらに、自分はアニメ・映像業界へのこだわりが強い。このこだわりを仕事に生かせれば、どんなにつらいことがあったとしても自分のモチベーションを高めて生きていくことができるだろう。
そういうわけで、起業してアニメ業界の役に立ち、自分もその対価で食っていく、ということを目標にするようになったのである。
かなりのマイナス思考から始まった起業の意志である。しかし、どんな言い訳をしようと、一度宣言してしまったからには後には引けない。持ち前のマイナス思考でブレーキを踏みつつ、前進していくのみである。
まず、大きな目標として、「現在のアニメーション業界において、歴史的に構築されたヒエラルキーのもと、アニメーターや制作進行はただのオペレーターとなっている。そこで、アニメーターや制作進行などの仕事を、自己実現を達成する手段としたい」という思いがある。
それを実現する第一ステップとして、 (1) アニメーション・スタッフリストの整備による業界全体の把握 (2) 中小アニメーション企業のWebサイトの制作 をしたい。
いちおう、二つの事業をやっていきたいと考えている。
スタッフリストを集計していて分かったのだが、中小アニメーション制作スタジオは、ほとんどがWebサイトを持っていない。それどころか、住所や連絡先すら公開されていない。これでは、アニメーション制作会社の社会的信頼が得られることは難しいだろう。一方で、中小アニメーション制作会社には、Webサイトを作る暇も金もないのかもしれない。
そこで、僕がアニメーション制作会社のWebサイトを、定型に従って安価に作れば、相手も喜ぶし自分も懐に金が入ってくるのではないか、と考えた。
経済産業省は現在、「コンテンツクリエイター登録制度」というのを考えているらしい。そこで、必要な基礎統計資料となるのが、スタッフリストである。僕はアニメーションのスタッフリストを集計してデータベース化することにより、この動きを支援したい。
アニメーション・スタッフリストとは、アニメーション番組の最初と最後に出てくる、スタッフや制作会社の名前の記載されたテロップのことである。
アニメーション業界は最近やっと産業としての体をなしてきたが、まだまだ発展途上である。特に、関連データの統計があまり整備されていない。
一方で、アニメーションスタッフリストは、テロップという確実な証拠を基にした良質な統計情報である。これを見れば、誰がどの作品とどの作品に関わっていた、というようなことがすぐ分かるからである(すぐ分かるようにするには情報の加工が必要なのだが、それは後のエントリーで述べる)。
アニメーション産業において統計情報がそろっていない現状をふまえると、アニメーションスタッフリストを集計する意義はあるといえる。
これを集計しているサイトとしてD2_STATIONや不審倉庫があるが、それらは残念ながら、リレーショナル・データベース型になっていないので、「○○という人は××という番組と△△という番組の両方に名前が載っている」というような検索の仕方ができない。
私は、リレーショナル・データベース型でスタッフリストを整備し、Web上で登録した人が手軽に検索できるような形にしたい。
(4)は会員制サイトにし、使用料を利用者に払ってもらう。 (6)は、CD-Rにでも焼いて販売する。
親身になって相談にのってくださったことには、たいへん感謝しています。
それで、起業する際に、協力者としてお金を貸してくれるところと、商売相手はどこにしたほうがいいのか、という話題になった。
起業家の方は、「アニメーションのスタッフリストを拡充して、ジャンル、視聴率とその番組のプロデューサー・監督の名前だけ取り出せるようにしとく。それで、『この番組で、このジャンルでこのプロデューサーとこの監督なら、視聴率はこれくらい取れたから、このスタッフで行きましょうよ』とビジネスのネタにする人たち、つまり広告代理店やテレビ局、ビデオグラムメーカーあたりが商売相手としていいんじゃないかな」とおっしゃった。また、「自分の作ったネタでビジネス慣行が変わるとしたら、それはそれで面白いんじゃない?だって、プロデューサーと番組実績がすべて公開されるわけだから、これは商売相手にとってビジネスプロセスを変える大きな力になると思うよ」ともおっしゃった。
そのまま鵜呑みにするわけではないけれども、自分のビジネスがどうアニメーションビジネス慣行に影響するのか、一度考え直してみたほうがよさそうた。
まず、経済産業省や日本動画協会やクリーク・アンド・リバーや映像新聞などは、出資元として有望であろう。
また、パッケージの売り手は、アニメーション製作会社になるだろう。
Web上のデータベースシステム(MySQL)のデータは、アニメーションマニアでも自由に参照できるようにしたい。ただ、Web上のサービスでは、ジャンルや視聴率を載せないで、パッケージとの差別化を図る必要がありそうだ。
とりあえず明日あたり、今まで考えてきたことを文書化する必要がありそうだ。
修士論文執筆時に自分が作り上げたスタッフリストを見て、「パラメータが少なすぎて買う気がしない」という指摘を受けた。たとえば、視聴率とジャンルを付加してみたらどうか。そうすれば、アニメーション企画者が「このジャンルでこのプロデューサーとこの監督との組み合わせだったらこれだけの視聴率がとれたんだから、同じスタッフで行きましょう」というような提案を仕事とする、テレビ局や広告代理店、ビデオグラムメーカーなどに売り込めるだろうと。
また、そうすればアニメーション業界に緊張が走り、業界の構造も自ずと変わっていく。そうなったら面白いだろう、とも言われた。もっとも、そうなると指名される人が限られてきてアニメーション業界が二極分化することも考えられるし、新しい表現分野でのチャレンジも行われなくなるだろうから、そこは気を配らないといけないわけであるが。
日興は上場維持。
>判決では・・・
上は産経の社説からの抜粋なんだけれど、堀江はともかくとして、多額の退職金までもらって今ではのうのうと暮らしているだろう日興の旧経営陣に対しても「配慮や自覚が微塵も感じられない」と思うのは俺だけでしょうか。
こんなにも日興経営陣と堀江の境遇を分けたものはいったい何なんだろうか・・・
中学校からの旧友である俺の(石田純一似の)友達は、こんなことを昔から言っていた。
「人生なんて運でしょ」
俺も最近、つねづねそう思うようになった。
ヒルズで誰もが羨む贅沢な暮らしをしている人たちのどれだけの人が実力で、その地位と名誉を勝ち取ったのだろう。たぶん、パーセンテージにしてみたら実力や努力が絡んでくるのなんて数パーセントにしかならないと思う。
よくテレビに出てくる成功物語で「俺はこうこうやってここまでのし上ったんだ!」みたいなのを言っている世間的に言えば人生の成功者らしき人がいるけど、同じようなことをした人がどれだけ失敗しているかなんて考えてもみないだろう。
別に、「だから実力や努力なんて必要ない」なんて言うつもりは毛頭ない。努力なくして何かを成し遂げるなんて出来ないし、努力もしないくせに現状に不満をたれてる輩なんて救う必要がないとさえ考えている。
ただ、それでも「人生なんて運でしょ」と思わずにはいられない。
俺は、 まぁ、(醜いところは沢山あるけど)世界でも有数の平和な国=日本に、しかも五体満足で生まれきて、それに裕福とは言えないまでも十分に幸せな家庭と良い友達に囲まれて学生生活を送ることができ、なんと4月からは都内、それも港区にあるとある会社で働く。
それだけでも俺は相当に運がいい。
世界広しと言えでも、これ以上に運がいいやつなんて実はそんなにいないんじゃないの。
そう言えば、ハケンの品格を見てたらこんな名台詞があったな。
「人生の運試しはこれからです。
あなたはまだスタート地点に立ったばかりです。」
僕らはまだスタート地点に立ったばかり。ニートもフリーターも大貧民も大富豪も、もうすぐハコりそうな弱小雀士も5万点持ってる強者も、
まだまだ先は分からん。
これから社会人になる全ての人へ!
私はまごうこと無き貧乏育ちだが、今おつきあいしている方はたぶん中流の上くらいの育ちの方だ。彼は服飾品を買いにいくとき、いつも新宿伊勢丹に行く。私は今まで、イトーヨーカドーやしまむらの服で過ごしてきたというのに。
そんな彼と私を比べてわかったことというのは非常にたくさんあるのだけれど、地味に生き方を変える違いというのがある。
それは、快不快に対する感覚の差だ。
裕福な育ちをしていると、不快なものに対して非常に敏感になるみたいだ。いや、貧乏な育ちをしていると不快感に鈍感になるという方が正しいか。
私は彼とつきあってしばらくした頃、彼が普段着ているシャツが1万円以上するものだと知って非常に驚いた。彼の服は決してハデではなく、デザイン的にもただのチェックのワイシャツや、無地のTシャツに見えたからだ。正直、そんなにお金がかかっているもののようにはとても見えなかった。
しかしそのことを知ってから彼の服をよく観察してみて納得した。まず、生地がしっかりしている。細部の縫い止めなどもしっかりしていて糸の端などは見えない。生地を縫い合わせている部分も柄がしっかりとつながるような縫い合わせ方をされている。これは彼の手入れがいいのもあるだろうが、生地がよれたりしわになったりしていない。
一方の私の服は、首元がよれたり生地がくたくただったりひどいときにはちょっと穴が空いたりとかしている。
両者の服の快適さに差があることは明らかだ。
おそらく彼は私が普段着ているような服を着たら着心地が悪いと思うだろう。私自身が何も感じず普通に着ている服であっても。
彼は努力家でまめだ。そして彼自身が自覚しているかどうかはわからないが、その努力とまめさは彼の快適さを維持するために非常に貢献している。
私はと言えば不快さに慣れているというか、不快さを簡単に我慢できてしまうため、多少の努力と不快さを天秤にかけて、不快な方を選択してしまうことがままある。例えば、部屋の掃除をしなかったり、洗い物を後回しにしたり。
突然ではあるが、私は先日留年をした。そして大学を卒業するための努力をすることと、大学を辞めてフリーターになるかを天秤にかけ、フリーターの道を選びそうになった。貧乏には慣れているから大丈夫。そう思ったのだ。
結局はきっちり大学を卒業する道を選んだのだけれど、私は不快感に鈍感だから、フリーターの道を選びそうになった。彼ならおそらくその両者を天秤にかけることすらしなかっただろう。
だから、快不快に対する感覚の差は地味に人生の明暗を分ける、そう思うし、実は格差の固定化ってこうした育ちの問題が意外と大きくあるのでは?などとも思う。
追記
安物の服が悪いって言ってるんじゃなくて、安物の服をしっかりメンテも買い替えもせずに着たおしている貧乏性が悪い、どうしてそんなに貧乏性でも平気なのかと言ったら不快感に鈍感だからだって話っす。
http://anond.hatelabo.jp/20070320171804
学費生活費自腹っす。