はてなキーワード: フリーターとは
非技術職というより、業務におけるスキルが磨かれないのが一番痛いでしょうね。
単純労働と言われるような職種でも、正社員であればそれなりに必要とされているスキルがあるものですが、フリーターやパートだと、
毎日帰りは終電、土日も何だかんだ言って出勤、残業代は上限有りで残りはサビ残、ってのは珍しくないよなー
労働時間が少ない正社員もあるけど、そう言うのは給料が少なく将来性もない。
それでもフリーターよりはマシだが
自分のことすらまともに考えられない人がフリーターやってるんじゃないですかね。
他人のことなんて優先順位で言えば10位以下でしょう。
正社員 | フリーター | |
---|---|---|
労働時間 | 少ない | たくさん |
給料 | たくさん | 少ない |
賞与 | ある | なし(寸志が出る場合がある) |
有給 | ある | なし(ある場合も) |
福利厚生 | ある | なし |
教育制度 | ある | なし |
ちょっと変えてみた。将来性については個々にもよるので削除。
フリーターは確かに時間だけはあるだろうけど
ではその余った時間を有意義に使えてるかといえばそうでもないんだよな
何をするにしても金はかかるし
かといって家で金のかからないような趣味をしてるってのも有意義かどうか分からんし。
つまり自由時間あたりに使える金が多いから、様々な贅沢なことも出来る。
つまり自由時間あたりに使える金が少ないから、貧乏生活が続く。
自分の興味があることはあるけど自信もないし独創性もあると思えない。
ので資格の道に逃げようと思った。資格持ってても結局は就職活動しなきゃいけない。
なら大学院か、と思った。だが大学院も行きたい人が行くところであり、そこにいくための戦争に生き残れるとも思えない。推薦もらえるか自信がない。自分の専攻自体は面白いから好きなんだけど、突き詰めてどうなる?って周りからよく言われる専攻だし。
フリーターになって自分が生きていけるだけの金を稼いで生きていこうかねと思った。
がしかし50とか60とかになって解雇されたらどうしようと思った。職見つかるのかな。
でも正社員の方が3040になったら給料良さそう。出会いもありそうだし。
何が悪いかって、動く前から「これはダメあれはダメ」って言ってるから
どれもできそうにないんだろうなと思った。確固たる目的はない。
もう死ぬかとも考えたが、なんとなく後味が悪そうで死ぬのもできない。怖いのもある。
中高の頃は、「人生に飽きたら死ぬ」とか格好いいこと思ってたのにな。
オンナなんだから嫁に行けばいいじゃなーい とかも思うが今まで一度も彼氏できたことない。
この先できるとも思えない。
頑張らなきゃ生きてもいけないこんな世の中じゃ
約1年ほどNEETみたいなことやってた俺からいわせてもらうと、NEET5年生以上は神。
もう立派な国家資格として認定すべき。でもって、国は公務員として採用しろ。もしくは大企業ども逆指名しやがれ。はっきりいって、NEET5年生以上は稀にみる逸材ぞろいだ。オールスターといっても過言じゃない。76世代なんて粗大ゴミ以下。
俺はNEET1年しかやれなかったけど、正直、途中から頭おかしくなりかけたし、幻聴とか幻覚じゃないかというくらい頭ん中で色々な思想とか思考が毎日毎日ぐるんぐるんなってくるし、その上、友人やら親族からも蔑まされているように感じるわ、部屋はというと、こち亀の日暮ですか?みたいな惨状になるわで、なんだこの精神修行はって話ですよ。しかも、そんな精神修行したからといって、現世じゃこれいったリターンは全くといってないわけで。いや、例え、親の脛かじってたとしても余程の覚悟と精神じゃないとNEET5年生なんて全うできないよ。俺的難度でいえば、NEET5年生>司法試験。俺が人事やるなら、NEET5年生>>>>>>>>>>>>>>>>>>>灯台>地底>総計>>>>>>>>>>>>>>フリーター>>>>>>NEET一年生で高評価。
来月から、正社員として働くことに決まりました。好き好んでフリーターやっていたわけではなかったので、採用が決まってホッとしつつ、やる気に満ちています。
2000年 大学卒業・就職氷河期であったこともあって、就職浪人?みたいのをすることに
2001年1月から2003年1月くらいまで 療養?闘病生活。働くことはおろか、日常生活もやっとの生活。もちろん実家暮らし。まさに家事手伝い(できるときは家事を全面的にやってはいた)
2003年4月 ぼちぼち働けそうなので、本屋でアルバイトを始める。月16日勤務(勤務先の都合で働く日数の上限が決められてた)
2004年4月 まだフルタイムで働く自信はなくって、事務のパートタイマー 月から金 10:00から16:00
2006年4月 事務のアルバイト 月から金 8:45から17:30(いわゆるフルタイム)
ちなみに、大学卒業してからもう7年経っちゃってるのをみての通り、30歳になりました。今までずっと正社員として働く機会も自信もなく(あくまで病気の心配が一番大きいのですが)、30歳過ぎて「正社員の経験なし」の人間が、その後果たして正社員になれるだろうか、なれまい。と思った私は、最後のチャンスとばかりに正社員で働く事にチャレンジするのであります。
病気はほぼ寛解しています。ストレス耐性もついてきてるし、仕事の仕方もだいぶ学びました。
いまは、アルバイトだけれど、実際は正社員の人と全く同じ仕事をこなしていますし。もちろん責任とかの違いがあるのはわかっていますが、それよりも待遇の方が違いすぎる環境なのが、現実ですよね・・・
200年の大学卒業の時点で、「自分の専攻を生かした仕事をしたい」なんていわずに、えり好みしないでどっかに正社員として就職してたら、うつ病にはならなかったかなー・・・などと、詮無いことを考えた時もありました。正直、今の大学生が(就職の面で)たいへん羨ましくもあります。
正社員になったからなんだ、ということもないのですが、自分の中で、正社員になれないといつまでも一人前になれない気がしてるのです。けじめというか通過儀礼というか、次のステップへの足がかりというか。
これまでもこれからも、「うつ病とどう付き合って生きていくか」をずっと私は考えなければいけないでしょう。こつこつ積み重ねてきた自信を生かせるように、元気に生きて生きたい。
この世の金のからむ問題の9割は金以外の問題に辿り着く。ニートやフリーター、自分の望まない労働に従事している労働者などは何度も「金さえあれば」という叫びをあげてきたが、それは同時に「金儲けして誰かを安心させたい」とか「我が子に望む道を与えてやりたい」という人間らしい思いからだった。どんな金持ちだって、ぽっかりあいた心の隙間は埋められない。自分と周囲の人間が幸福に暮らすだけの十分な金があってなおがつがつと金を求める人間は、一般におそらくかなり奇異視されるか、よくて軽蔑されるだろう。
「お金は何よりも大切だ」などとのたまう人間がいるが、とりあえず十分な金を持ってから喋れ、と言いたくなる。そんな言葉をいう人間は、とりあえず金には困らない生活、すなわち人間らしい人生を体験したことがないからそういうことをいうのである(あるいは人間らしい人生を送っていたこともあるが、その価値を理解しなかった)。それに今は、金だけあっても何にもならない時代なのだ。大体、金が無くても人の心を掌握できている状態(尊敬されている状態)は望んでも得られる物ではないし、周りに誰もいなくても金がある状態の生活の心寒さは時には致命的ですらある。使える金だけは捨てる程あるのに好きでもない酒と女に溺れて身を持ち崩し薬で死ぬ金持ちの馬鹿息子を見ていれば、たとえ食べるものに困る日があっても、とりあえず家族が笑い合えて幸せに暮らせる名も無き市井の生活の方がどれだけ豊かかなんてことは簡単に分かる。どんなに金があっても、豊かな家族愛や自尊心を持ちえていない人間は死ぬしかないのである。「金無き生など生きるに値しない」と反論する人間もいるだろうが、そういう人間は社会に出たことが無いのだろう。金を中心とする価値観など日常の生活の中で簡単に破壊されうるものである。たまに、どんな仕打ちを受けても金への執着心を失わず、守銭奴のように振舞える人間がいるが、そんなもの全体のうちのごくわずかの事例であり、問題ではない。普通の感覚で守銭奴の人生を一生送ることは難しい。豊かな人生を大切にする気持ちさえあれば逃げられずに済んだ妻、失わずにすんだ家族や命がどれほどあったことか。
いや、絶対的な虚無である死(あるいは不治の病)はどんなに豊かな人間愛があっても避けることができない、という人間もいるだろうが、それがどうしたというのだろうか。その問題は愛があっても無くても解決しようの無い問題であり、的確な反論にすらなっていないのである。それに、絶対的な虚無である死や不治の病のその最中でこそ、金があれば「金があるからこいつはオレの世話を…」などという猜疑心にかられ人は狂うものだ。
何度も繰り返すが、金さえあればこの世の問題のほとんどは解決できると思うのはちゃんちゃらおかしいのである。血縁関係とか社会的強迫観念(「働かないといけない」)とかそういうものを金に置き換えることが、人としての生き方を損なう非常な危険なのである。金に縛られる人生をこそ我々は恐れなくてはならない。
…というわけで、今すぐ金を捨てて私にください(笑)。
この世の問題の9割は金で解決することが出来る。ニートやフリーター、自分の望まない労働に従事している労働者などは何度も「金さえあれば」という叫びをあげてきた。学歴だって金で解決できる。金があってもなお、学歴を求める人間はおそらくかなり少数だろう。金さえあれば学歴も資格も何もいらないのである。
「お金よりも大切なものがある」などとのたまう人間がいるが、そんな言葉を金のない人間の前で言ってみろ、と言いたくなる。そんな言葉をいう人間は金のない生活、すなわち極貧を体験したことがないからそういうことをいえるのである(あるいは極貧状態にあったこともあるが、それを脱した)。それに今は、金さえあれば人の心だって買える時代なのだ。大体、金が無くても人の心を掌握できている状態(尊敬されている状態)よりも、周りに誰もいなくても金がある状態の方が生活は豊かである。大勢の家族に囲まれても何も食べるものもないアフリカを見ていればそんなことは簡単に分かる。アフリカの家族がどんなに豊かな家族愛や自尊心を持ちえていても、当面の問題である金が無いから死ぬしかないのである。「自尊心無き生など生きるに値しない」と反論する人間もいるだろうが、そういう人間は社会に出たことが無いのだろう。自尊心など日常生活の中で簡単に破壊されるものである。たまに、どんな仕打ちを受けても自尊心を失わず、聖人のように振舞える人間がいるが、そんなもの全体のうちのごくわずかの事例であり、問題ではない。金さえあれば失わずにすんだ自尊心がどれほどあったことか。
いや、絶対的な虚無である死(あるいは不治の病)はどんなに金があっても避けることができない、という人間もいるだろうが、それがどうしたというのだろうか。その問題は金があっても無くても解決しようの無い問題であり、的確な反論にすらなっていないのである。
何度も繰り返すが、金さえあればこの世の問題のほとんどは解決できるのである。わずらわしい血縁関係とか社会的強迫観念(「働かないといけない」)とかそういうものも金さえあれば何の痛痒も覚えない問題になるのである。金さえあれば。