はてなキーワード: グローバル化とは
みんなが恒久的に金持ちになってるのが現実でしょ。100年前千年前と比べて明らかに暮らしはよくなってるわけで。むしろそうならなくなってる最近の日本が異常なんだよ。グローバル化で競争が激しいからとか少子高齢化人口減少で成熟した先進国の日本はもう成長しないとかもっともらしい事いう人いるけど、グローバル化少子高齢化が起きてるのは日本だけじゃないけど、低成長が続いてる先進国は日本だけなんだよな。一人当たりGDPが日本より多い国は10以上あるけど成長率はどれも日本より上。労働生産性はG7最下位が十年以上続いてて、まだまだ伸びる余地はあるはずなのに欧米へのキャッチアップが終わったとかいうのがいるから困る。
0.はじめに
僕のまわりにはプログラマをやめてニートになる人が続出している。さまざまな事情はある。しかし、それは主にウェブのせいじゃないだろうか。
1.ネット中毒
もはやネットで読める内容には限度がなくなった。活字中毒とネット中毒は悪化の一途をたどり、文字を読んでいないと禁断症状を生じるまでにいたった。つねに活字を読んでいないと不安でたまらないため、外出も仕事も寝ることすらままならない人間になってしまう。
これがネット中毒である。
wikipediaさえ読んでいれば欲求が充足されてしまうため、もはや他の事をする気力を失ってしまうのだ。2008年、wikipediaを読みきろうとして死んだものは3667人を数えた。流行語大賞は「wiki死」であった。
2.仕事がつまらなくなった
技術の進歩とともにプログラミングは確実に簡単になっている。生半可な技術による差異化は難しくなり、「高速道路の先の渋滞」に巻き込まれ、競争が激化するようになった。
産業構造が成熟し、仕事に完璧さや人間性や安定性が求められるようになり、もともと人間のクズのようなプログラマたちはもはや仕事をすることができなくなった。お山の大将であることだけが彼らの生きる道であったのだ。しかし、もはやローカルな小山は存在しない。
昔であれば英語が読めてプログラムが書ければ、街の秀才くらいにはなれただろう。しかし、いまやそんなものは最底辺労働者にも価しない。勤勉で健康で快活で従順でなければ最底辺労働者にも価しないのだ。
グローバル化の進展は、とくにパッケージソフトやフリーソフトウェアの流通促進につながり、ソフトウェアを発表ないし発売してアテンションを得るには、国際的にトップレベルの仕事をする必要が生じるようになった。
そうして、生き延びるには受託で同じようなウェブシステムを延々と作り続けることが増えた。単調な疲れる仕事に、心を打ち砕いて働くには、生粋のプログラマたちは怠惰で傲慢すぎる。
ウェブをみると、上には上がいることがすぐわかってしまう。知識でも知性でも趣味でも教養でも人間性でも個性でも、上には上がいることがわかってしまう。自分がどんなにありふれた人間なのかがわかってしまう。
ウェブをみると、下にはもっともっと落ちていけることがすぐわかってしまう。いや、多くは語らないけど。
自分と同じような能力の人間が、どうしようもない愚痴をいって、同じようなことを考え、朝から夜中まで努力をしつづけて、冴えない生活を送っている日記を読む。皆ががんばればがんばるほど、どんどん苦しくなっていることに気づく。
それすらもままならず、落ちていく大勢の人がいる。
4.セカイ系 (用法あってるかな??)
比べるものが無茶なのかもしれない。
かたやGoogleの連中、博士号レベルの知識を駆使し、億万長者となるものたち。
それを比べて「シリコンバレーへ打って出ろ」、「好きを貫け」などという言葉は絶望を生むしかない。
しかし、それしかないのだ。肥大した自我と、悪化した労働現場のはざまで、日常に希望を持つことができないのだから。
5.結論
ウェブが仕事や私生活の両面において競争と虚無感を加速させ、人心を荒廃に追い込む。
競争を逃れるためにオンリーワンを志向すれば、誰も顧客のいないフロンティアに到達してしまう。
とにかく日本から逃げるしかない。全力で逃げるしかない。死なないで生きよう! 途上国といえど、ビザを取るのは難しいかもしれないが、なにか方法はあるはずだ。世界のどこかで、きっと生きていける。おいしい食べ物とあふれる日光、平凡な幸せがきっと待っているはずだ!
結局のところ、「人に押し付けられるかどうか」だよな。この話。
っていう anond:20071123003336 の意見が一番的確だと思う。俺とか(多分)この増田とかは、実害も悪意も感じられない「マナーの違反」ごときで「ひとに何かを押し付けられたくない」し、何よりも「押し付けたくない」んだわ。まっぴらだよ。
元増田みたくマナー、マナーうるさい連中の気持ちがわからんとは言わんよ。その場その場で適切なマナーがあるってのも認める。俺だってマナーには従って生きてきたつもりだ。しかしそれを「他人に要求していい」っていう感覚は理解できん。本当に心から理解できん。なんでそんな無邪気に、無責任に、無根拠に、人に何かを押し付けられるわけ?
ってここまで書いて気付いたけど、これって要するに「ひとに押し付けないのがマナー」ってことだな。実害も悪意もない人間に何かを押し付ける、それがマナー違反だと思ってるんだ。それは自分と違う文化の存在を認めているからだ。俺とあんたは住んでる世界が全然違う。何が正義かとか何がマナーかとかは考え方がきっと全然違う。どうやっても理解しあえない部分がきっとある。だから、お互い共存していくために、相手に要求するのは最低限度の「ルール」だけにしておこう。そういう前提がある。
「自分のマナー」を押し付けるのは、「自分と違う価値観の人間がいる社会」の中では「マナー違反」だ。
郷に入れば郷に従え、っていう言葉は言いえて妙だった。「郷」の中では、みんなほとんど同じ価値観だったんだ。だから押し付けても問題なかった。ほとんどの問題は郷内の人間で完結していたから、郷の外側の事情は無視できた。だけど今はそんな時代じゃない。グローバル化、っていう単語が普及して久しいが、色々な「郷」から来たひとが共存してるし、共存せざるをえなくなっているのが現代だ。ある意味で「郷」なんてもう超局所的にしか存在しないんだよ。
もう一回言うけど。
「自分のマナー」を押し付けるのは、「自分と違う価値観の人間がいる社会」の中では「マナー違反」だ。
だから俺は押し付けない。あんたらが誰かにあんたらのマナーを押し付けるのなら、俺はあんたらを「マナーを知らないやつ」と軽蔑するまでだ。
追記。「押し付けるな」というのは「提案するな」という意味ではない。そうでないとそもそも誰も「マナー」を共有できないし。納得できるなら、あるいは従っておくほうが合理的なら、従ったところで実害のないマナーには従うことで、社会は成り立ってるんじゃないかと思う。
夕食を食べている時に、アパートで一緒に住んでいるインド系アメリカ人Yは言った。
『同じガイナックス制作でも、フリクリは好きなんだけど、エヴァは嫌いだよ。
1話2話は見たけど、後はすっげーつまんなくて、見るのを辞めちゃった。』
アメリカではシンジ君のような内気な少年タイプの主人公はあまり理解されないと言う。以前ネットで見つけた
"アメリカオタクが選ぶ好きなアニメキャラクターアンケート"みたいなページでシンジ君がボロクソにけなされていたのを
思い出す。Yも優柔不断なシンジ君が嫌いなんだと思った。でも、Yの次の発言は少し予想外だった。
『映画版のエヴァ(古い方)も最悪。でも、唯一、テレビ版の最後の二話は最高だった。』
え、という感じだ。おめでとう、で終わるテレビ版のラストは日本のファンには不評だった。作者自身もテレビ版の最後を上書きするように
映画版を見た。映像美がクライマックスに達するのも、哲学的な主題に一応の結論が出されるのも映画版のエヴァだ。何でテレビ版の
最後は良くて、他は駄目なんだろう。Yは続けた。
『宗教的すぎるんだよ。キリスト教のさわりだけかじったようなストーリーが受けつけないんだ』
あ、と思った。かなりEye-openingな発言だった。
キリスト教的価値観はアメリカという国の根本的なものを形成している。
宗教的自由を求めて移民してきた中産階級達が設立者となった国である。妊娠中絶の問題も
ゲイの婚姻問題もIntelligence Design(笑)も、アメリカの政治のジューシーな部分を占めるのはキリスト教(もちろんプロテスタントが主流)
が関係する政策論議だ。宗教右派からの支援に頼っている政治家だけでなく、民主党左派系の政治家達もキリスト教へのリップサービス無しには
国民多数からの支持を得られない。
そんな国である。キリスト教教育に関しては日本より何歩も先にいっている国である。
そんな国で、旧約聖書だの、リリンだの、キリスト教を土台にしたストーリーのアニメが受けるか否か。
作者はアメリカンアニメギークのポリティカルコンパスのぶれ具合を全く知らないのであるが、
まず、聖書の教えに忠実でないストーリーは保守・右派には受けないであろうことが予想される。
更に、Evangellionという題名がEvangelical(宗教右派とほぼ同意語で使われる)を連想させることから
宗教右派にあまり良い印象を持たない左派(都会のスタバでラテを飲みながらThe New York Timesを読む人たち)
にも支持を受けないに違いない。
キャラの性格云々よりも、宗教的なストーリー故に、エヴァンゲリオンはアメリカで受け入れられにくいのでは無いか、Yと話している
時にそんな仮説が浮かんだ。作者は余り覚えていないが、Yに好評だったテレビ版のラスト二話は、
More philosophical, but less religiousだったと記憶しているが、まぁ、定かではない。
そんなYは今、ファイル共有ソフトでDLしたアニメ版ひぐらし(Free Fan Sub)に夢中だ。園崎魅音と梨花ちゃまがお気に入りだそうだ。
グローバル化の波を感じずにはいられない。
HERO「ん、ここはどこだ?」
Mr.X「うん、申し訳ないがそれは言えない。」
HERO「なんだと?いったい何のために俺をここに連れてきた!」
Mr.X「うーん、それも言えない。」
HERO「くそ!忌々しいやつめ、俺をこの部屋から出せ。」
Mr.X「じゃあテラスに出よう。コーヒーを持ってこさせる。」
HERO「…何を企んでいるんだ。」
Mr.X「そうだな、一般的な話なんだが、最近グローバル化でね」
HERO「…何の話だ。」
Mr.X「だから世間話だよ、グローバル化で業務進捗の手法も標準化が進んでるんだ。」
HERO「はあ?」
Mr.X「君のところはいいよ、個人事業だから。どちらかというと手厚く保護される立場だ。」
HERO「はあ。」
Mr.X「だから一定規模以上の事業所は一定のルールの元に仕事をしないといけない。」
HERO「…。」
Mr.X「で、善悪や事業を問わず取引先と秘密保持契約ってのを結ぶんだ。あ、コーヒー飲んで。」
HERO「あ、いただきます。」
Mr.X「ところが法務部は頭が固いから必要以上に条件を盛り込む。」
HERO「へー。」
Mr.X「まあお互い様だから、結局ガチガチの秘密保持契約になる。念の為にこれ一般論ね。」
HERO「そうなんですか。」
Mr.X「そんなわけでこれからは何をするとか野望とか宣言できそうにないんだよ。」
HERO「ふーん、ってエエエエ!?」
Mr.X「ウチからは何のリリースも出せないからそちらで調べていただいて。」
HERO「調べるって無理っすよ、何から調べるの?」
Mr.X「だからそういうの言っちゃ駄目なんだよ。他にも出資者利益の保護とかあるしさ。」
HERO「じゃあ俺もう要らないって最終通告?」
HERO「これが格差社会?資本の大きいものばかり優遇されて。」
Mr.X「ふう、あのね、手続きや制限が増えたのはウチでしょ?君が今まで楽しすぎだったんだよ。」
HERO「ウウウ、訴えてやる!覚えてろ!」
あんまり難しいことは分かんないけど、景気回復でこれから社会に出て行く若い層は正社員就職が主流になり、就職氷河期世代とリストラにあった中高年だけが取り残されておしまい、で果たして済むんだろうか。
経済のグローバル化で、"職"自体の格差が大きくなっていて、高いマージンを得られる上流職と低いマージンしか得られない下流職に二極化していて、その内実を見ると、上流職の高いマージンが下流職の低いマージンによって成り立ってるみたいな構造だと個人的には認識してるんだけど。
実際、少子化でフリーター層が担ってるような下流職はなかなか人が集まらなくなり人件費を上げざるを得なくなるという状況が徐々に現れてきていて、それに対して経団連なんかは、国際競争力を維持するために不安定雇用・低賃金を維持したまま外国人労働者を大量に受け入れることを強く主張してたと思う。
アメリカや中南米など格差の激しい国は慢性的な治安の悪さという問題を抱えてるわけで、日本もこの流れで行くと確実に治安は悪化していくと思う。
負け組の貧しさは自己責任と勝ち組は主張するけど、勝ち組も自分や家族の身の安全を守るのは自己責任、となったらいっぱしの(?)格差社会って気がする。
規制緩和やグローバリゼーションによって下層しか流動化しないから問題なんじゃないのか。
上層だって流動化してるだろ。先進国の労働者は後進国からみりゃ上層だぞ。
それに規制緩和とかグローバル化による競争の激化で落ちぶれた大企業やリストラされたその社員なんかいくらでもいると思うが。
格差がまったく固定できずに下層が希望を持てる社会のほうが固定化したまま絶望しなきゃいけない社会よりいいでしょ。
ところで、「格差を問題視する人」が「社員とフリーターの立場が逆転しないようにする」の意味がわかりません。実際、どういうことをしたの?
労働規制の緩和や首切り賃下げに反対するってことは既存の社員のために新卒とか失業者を犠牲にするってことなんだよ。企業が配分できるカネは有限なんだから。
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
生き延びるとは、非常につらいことであって、俺らはそれに慣れてはいない。今までは守られていたという感覚が強かったから。
終身雇用制なんてのは既におわっとる。 これからは、やる気があって能力もある人たちが組み合わさっていろんなものが動くのだろう。
バイトや派遣の雇用制度がよくなったら、ネガティブなことを言ってる人たちは、同じことは言ってられない。
格差とか一定の保証とか、夢を見すぎていたのかもしれない。国も企業もやってることはぼろぼろ。神話はもろくも崩れていったのを何度も見てきたんじゃないのか?
もう国とか企業とかに頼ろうとする考えはやめたほうがいい。何度も裏切られて結局いいことはないだろう。せめて頼っていいのは10-20代と年金もらってるお年の人ぐらいでいいんじゃないか?
グローバル化によって、いいものは全世界から持ってこれるようになった。 テレ東のカンブリアなんか見ていて、バイデザインの商品は世界地図みたいなつくりになっているのは、もう当然な時代だろうという感覚がある。
既に、一部は経験しているはず。俺らはネットによって様々な人間を見ることが出来る。この感覚が全世界に広がる。
もしかしたら、言語が違うから、こういう感覚を広めることが出来ないということだろう。 なにか日本語を最後の壁として残しておいているような。 でも鎖国していた日本は結局開国した。これから同じようなことがもう一度起こるのだろうか。
以上駄目文。書きたかったので書いた。後悔はしてない。
この感覚はこれからずーっと持たないといけないとなると、重くてつらいような、でも重みがうれしいような気がする。
最後にひとつ。常に新しいことにチャレンジする人。がんばってください。
変わっていく、変化していくことに恐れないでこれからも生きて生きたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#
http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#
■やっぱりさ、温情なんかやめて
悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。
「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#
■転売がイケナイのって
今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。
その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?
けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#
■
更生できなかったら無期懲役。
更生の見込みがなければ無期懲役。
本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。
人のやることに完璧はない、という問題であって、
http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#
■http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
360やPS3をHD対応のTVやモニタに繋いでプレイしてみろ。
戻れないだろ…。
http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#
表に出てきていない。
実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり
末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。
何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。
特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。
7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。
自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。
http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#
■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説。
http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#
ひたすら勉強だ。
学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当に生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強。学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。
http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#
■http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#
「サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴るときに使われる決り文句のような気がする。
夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、
とか。
http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#
■アルコール抜き
昨日はアルコールなし
一昨日は氷結350ml
だんだん普通の生活?にもっていけるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#
■http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#
http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#
■職種と生産性
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
■何でも楽しいという友人
「数学と現代文はパズルだし、物理や化学や生物や地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙の根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間の根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通に新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい。漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」
大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。
そして奴は、東大へ行った。
知ることが楽しいのだという。
他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。
たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。
「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」
「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」
「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときはサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」
「それ楽しいか?」
「楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」
「そういうもんかなあ」
「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットでサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」
言うまでも無く奴は非常に博識である。
だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。
小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。
「どうとでも楽しみ方はあるよ」
「どこがだよ。つまんねーよこんなん」
「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」
「うーん」
「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい」
「まあそれはそうだけど」
「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」
俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。
http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#
■http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
知的好奇心つながりで一つ自分の話を。
自分は東京の街並を眺めるのが好きです。
特に新宿の高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。
ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、
その部品に使われる小さなネジ・・・
と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。
で、はたと気がつく。
今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!
普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?
こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。
こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#
■格差と想像力
こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#
私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。
大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。
卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外で勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。
アメリカの大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。
もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカの大学で博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生がごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。
それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFLの勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。
その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学で日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報は常識であったらしい。まぁ、ハーバードだMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。
中堅大のハンディキャップは就職活動に現れる。ハーバード、MIT、スタンフォード、イェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードとMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。
もし日本の大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。
結局、人間は社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。
結局私は海外で就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#
■http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#
増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#
■そうね
クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、
書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。
俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。
http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#
■http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#
自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。
そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)
http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#
- 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
- オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
- 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
- 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
- 構成の再整理
追記:
もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#
■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。
これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。
なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。
でも、やっぱり苦手。
http://anond.hatelabo.jp/20070220202457
なぜ日本人は、「子供というのは世界で一番大切なものだ」とか、「妻はこの世で一番素敵な女性だ」とか、「家族はかけがえの無いものだ」みたいな事を言い切れない人が多いのだろう。
言わずもがなのことをわざわざ口に出すのは野暮という文化だからじゃないですかね
でも最近は、わざわざ言わないとわかってもらえない世の中になりつつあるかも。グローバル化ってやつですか?知らんけど。
海外旅行で、これは地元のおっさんに頼むしかないが本当に信頼できるかわからない、という状況に陥った友人にいわく
彼に「I trust you」と言ったけれど、わざわざそう言うこと自体、心の底では信頼してませんよってことだよね
GDPは付加価値をどれくらい出したかだから、原料とかの海外依存度高くてもGDPに占める外需の割合が低いことはある。
そのスタンスだと株とか先物とか為替なんかの相場をどう読むんだろう?
というか、どう考えていいのかわからなくなる。特にコモディとか。
人口の増減率なんか年1%にも満たないんだから株や為替を読むときにはノイズのようなものでは?個別の企業の売上・利益や商品のはやり廃りの変化なんか年1%よりもっと大きいんだから。生活水準を左右するのは一人当たりの生産&消費なわけで両方減るなら需給関係も人口規模以外の要因の影響のほうが大きいはず。人口減っても土地の供給はかわらないのでこれは相対的に価格は下がりやすいかも知れんけど、住関連の費用が下がるのは生活を苦しくする要因ではないから人口減少で経済が悪くなるとか心配する必要ないよね。
財務省のデータなんてでっちあげだとか言われちゃうかもだけど、それ以外日本の国有資産を管理してるところおもいうかばんので、ちと探してみた。
財務省の統計がでたらめとは思わないけど、財政問題のとき悪そうに見せれる部分だけ出すのをでっち上げとみなしてる。政府の債務の数字ばかり取り上げて政府の資産とか国債を誰が保有してるかとかは余り取り上げずに増税が必要とか言い出すから。
こういうのをみると「対外債務ない」という言葉に違和感あるよね。
というか対外債務がないって誰がいいだしたんだろ。
その数字は日本政府だけじゃなくて日本の企業とかの債務や債権を合わせたもの。対外債務がないというのは日本政府の債務(国債)は9割以上国内で保有されてて、日本政府が保有する外債のほうが多いから対外純債務(債務??債権)はないという意味では?民間を合わせても対外債務より対外債権のほうが多いので純債権国だけど。
ちなみに食料輸入額は6兆円ぐらい。これで6割の食料を確保できてるわけだから10兆円収入あれば自給率0%でも今と同じ量の食料は確保可能。
ちょっと外債の国別の内訳はちょっと見つけられなかったけど、米国債がほとんど?
しかも日本は対米ドルに対しては円安に介入しすぎと圧力が強まってるからそのうちレンジかわりそうだよね。市場に任せて100円切るまで円高が進むと、もっと悪化するよね。債務も圧縮されるから影響ないという考えなのかな。
いずれにしろこのままなら時間の問題(5,10年以内)な気がする。
日本政府の外債の内訳は大部分米国債だったはず。円高になれば為替差損あるけど、日本全体では輸入品が安くなるという形のリターンがあるので別に食糧やエネルギーが輸入できなくなって困るようなことはないという考え。逆に円安が進みまくっても輸入が減って輸出が増えやすくなるし、対外純債権国なので平気。時間が経つにつれ人口へって国全体として必要なエネルギーや食料も減っていくので、これらの海外依存度が高くてもそれほど気にするようなことでもないと思う。
これからは補修でいきましょう!っていう姿勢は個人的には歓迎なんだけど、それじゃ困るってひといっぱいいそうだから抵抗あるだろうなって思ってる。
コストを増やすことがムリということは現代においちゃ停滞だからね。
でも公共事業はここ数年削られ続けてるし、多くの政党では減らすべきものと捉えられてるから抵抗はすくないんじゃないかな。公共事業減れば税負担も減って困るより歓迎する人が多いから政治家もそういう方向になってるんでは?現状では公共投資はGDPの4%以下でたいした負担でもないんだけどね。
あぁ、なんとなくわかった。将来への認識は変わらないのかもしれないけどそれを是とするか否とするかが違うだけかな。自分は日本が「そうなりだした」ときにいささかの混乱がおきると思ってるんだ。たぶんそこが違うのか。
日本が少子高齢化人口減少すること自体はたいした混乱がないと思ってるけど、バブル崩壊後のように政策のミスで景気が悪くて混乱が起きるとかの方がこれからもありそうなことで、そういうときに少子高齢化やグローバル化のせいにしてごまかされるんだろうなと思ってる。
この前新聞かなにかかな温暖化で起きる影響について書かれていたものがあったんだけど
えーと
あと思ったのは現代社会と19世紀?以前との世界とがあまりにも比較できないかもしれないこと。
人口だとかの増減のパーセンテージは、大分増えるかもしれないグローバル化があるから、そんなに変わらないとしても人口数掛けたら数億だとか数十億だとか、まあ数千万だとかはいっちゃうかも。
60数億がそのまま原始世界だとか中世世界とかで生きるのを我慢するんだったら別に大丈夫大丈夫、かもかも。
そんなところかな…
現代社会での影響はかなりわからないから、人間での時代区分人口推計とか生物の種数・個体数なんかのデータはとりあえず一番必要かも参考資料として。