0.はじめに
僕のまわりにはプログラマをやめてニートになる人が続出している。さまざまな事情はある。しかし、それは主にウェブのせいじゃないだろうか。
1.ネット中毒
もはやネットで読める内容には限度がなくなった。活字中毒とネット中毒は悪化の一途をたどり、文字を読んでいないと禁断症状を生じるまでにいたった。つねに活字を読んでいないと不安でたまらないため、外出も仕事も寝ることすらままならない人間になってしまう。
これがネット中毒である。
wikipediaさえ読んでいれば欲求が充足されてしまうため、もはや他の事をする気力を失ってしまうのだ。2008年、wikipediaを読みきろうとして死んだものは3667人を数えた。流行語大賞は「wiki死」であった。
2.仕事がつまらなくなった
技術の進歩とともにプログラミングは確実に簡単になっている。生半可な技術による差異化は難しくなり、「高速道路の先の渋滞」に巻き込まれ、競争が激化するようになった。
産業構造が成熟し、仕事に完璧さや人間性や安定性が求められるようになり、もともと人間のクズのようなプログラマたちはもはや仕事をすることができなくなった。お山の大将であることだけが彼らの生きる道であったのだ。しかし、もはやローカルな小山は存在しない。
昔であれば英語が読めてプログラムが書ければ、街の秀才くらいにはなれただろう。しかし、いまやそんなものは最底辺労働者にも価しない。勤勉で健康で快活で従順でなければ最底辺労働者にも価しないのだ。
グローバル化の進展は、とくにパッケージソフトやフリーソフトウェアの流通促進につながり、ソフトウェアを発表ないし発売してアテンションを得るには、国際的にトップレベルの仕事をする必要が生じるようになった。
そうして、生き延びるには受託で同じようなウェブシステムを延々と作り続けることが増えた。単調な疲れる仕事に、心を打ち砕いて働くには、生粋のプログラマたちは怠惰で傲慢すぎる。
ウェブをみると、上には上がいることがすぐわかってしまう。知識でも知性でも趣味でも教養でも人間性でも個性でも、上には上がいることがわかってしまう。自分がどんなにありふれた人間なのかがわかってしまう。
ウェブをみると、下にはもっともっと落ちていけることがすぐわかってしまう。いや、多くは語らないけど。
自分と同じような能力の人間が、どうしようもない愚痴をいって、同じようなことを考え、朝から夜中まで努力をしつづけて、冴えない生活を送っている日記を読む。皆ががんばればがんばるほど、どんどん苦しくなっていることに気づく。
それすらもままならず、落ちていく大勢の人がいる。
4.セカイ系 (用法あってるかな??)
比べるものが無茶なのかもしれない。
かたやGoogleの連中、博士号レベルの知識を駆使し、億万長者となるものたち。
それを比べて「シリコンバレーへ打って出ろ」、「好きを貫け」などという言葉は絶望を生むしかない。
しかし、それしかないのだ。肥大した自我と、悪化した労働現場のはざまで、日常に希望を持つことができないのだから。
5.結論
ウェブが仕事や私生活の両面において競争と虚無感を加速させ、人心を荒廃に追い込む。
競争を逃れるためにオンリーワンを志向すれば、誰も顧客のいないフロンティアに到達してしまう。
とにかく日本から逃げるしかない。全力で逃げるしかない。死なないで生きよう! 途上国といえど、ビザを取るのは難しいかもしれないが、なにか方法はあるはずだ。世界のどこかで、きっと生きていける。おいしい食べ物とあふれる日光、平凡な幸せがきっと待っているはずだ!
これまでの人生で「自分より上の人がいる」のに気がつかなかったってことは、よっぽど世界が狭いか、よっぽど鈍いか、あるいは信じられないほどに優秀だったかだろうな。
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