はてなキーワード: 資質とは
プログラマではないので、横やりもいいところ。
http://www.ulb.ac.be/di/rwuyts/INFO020_2003/vanRoyHaridi2003-book.pdf
非合法なものも挙げれば、日本語に比べて桁違いじゃないだろうか。
英語論文読んだりしてる機会があると、”できる”のはうなずける話。
発言主の”できる”の程度というか、何を持ってしてできるっていってるのかは
動機としては、純粋に知的好奇心に動かされる結果、いろいろ漁ってるうちに
英語ができるんじゃない、かなぁ。でも、そんなに難しくないよね、技術関連の英語は。
「こういった業界に向いている人材ってどんな人だと思いますか?」という質問に
面接官(デザイナーさん)は「やっぱ絵とかPCが好きな人だと思うよ!!じゃないと、続けていけないと思うし!」と仰られてましたよ
それは、元増田が求めている答を、ちゃんと聞く(尋ねる)能力に欠けていたんだよ。
よく冷静に考えてみ?
「xxが好きな人じゃないと、続けていけない」
これは、どんな業界でも「極当たり前」の事であって、けしてデザイン会社が求める「人材」や「資質」などではない。
逆に言うと、どんな業界でも最低限当たり前の事をアピールしても「それしかない」って思われるだけだ。
勿論、元増田が持っていった作品で、自分のスキルや経験(勿論、その会社で働く上で、であって「同人の作品の」ではない)をアピールするためなら、それはいい。
だが、「絵が好き」をアピールしたかった、なら、もう完全にアウトだ。
まあ、面接官が明言を避けたのかもしれない。
元増田は履歴書に、デザイン会社に有利な経歴や資格を書いてあったか?
普通は、まずは実経験や、資格を問われる。ベタな話、MAC使える?イラレ・フォトショ使える?でもありだ。これは当たり前すぎて出来てもアピールにもならないけど、「好き」よりはずっと良心的
そういうのが望めない人にする「当たり障りのない話」って、面接官が言うような言葉なんだよな。
元増田は、きっと次を望むと思うから、是非面接官の言葉を「それだけ」だと鵜呑みにしないで欲しい。
彼らは10が欲しくても1,2しか言わない。
若いんだから、勢いあってもokだと思う。
次は事業内容にそったアピールができるといいね!
がんばれ
もう契約満了から2年経過したし、そろそろ話してもいいかな、と思ったのでこちらに。
同人ゲームやらそうでないゲームやらお手伝いする中で、当然開発に至らなかったゲーム、というのも存在する訳です。
謝礼も振り込まずに素材だけ受け取って逃げた、とかなら別の話なんですが、素材開発も完了して、依頼料も受け取って、それでも開発完了と至らなかったケース。
これはこれで今考えるととても厄介だよなぁ。
謝礼を頂いてしまった手前、僕はあれこれ主張する立場にはないし、相手を避難する立場には無いので、どのような扱いを受けても文句を言ってはいけないのですが。
やっぱりお手伝いした立場としては、製作したデータが表に出ずにそのままお蔵入というのは悲しい。僕にとって最初の同人活動だと思うと尚更です。
あくまで僕はお手伝いをしただけであって、その素材がどのような扱いをうけたとしても、それは依頼主の裁量だと思っているのでなんとも言えないのです。
幸いなことにそのゲームの事前評価がよかった手前、それで次の依頼や後に繋げることができたので、ノウハウも勉強出来たぶん、全体的に見れば成功だったんだと思うのだけど。
どうしても心に蟠りとして残っているのがアレなんだろーと思います。
そりゃあ開発では自分も未熟(今もだけど)だったので色々と衝突したこともあったし、依頼主もプライドの高い方だったので喧嘩になったこともありました。
まぁ今になって考えれば、僕等の立場とすれば依頼主のイメージを形にするのが第一であって、あまり自身を主張してはいけない(担当部署としてもそうするべきだった)立場にあったので、依頼主にあれこれ文句(ex;マトモな仕様書を出せ)を言ったのは間違いだったと思います。
今はみんなでわいわい楽しく同人やろう、なんて気持ちはもう無くて、割り切って作業として考えるようにしたので精神的負担はかなり減ったのですが、当時はまだそんな気持ちも残ってたのでやっぱり精神的に負担になりすぎたってのはあります。どうしても言葉尻がきつくなってしまって、依頼主のプライドを傷つけてしまいがちになってしまいました。立場はわきまえるべきだと今では反省しております。
立場をわきまえた上での話ですが、それでも開発終了に至らなかったのはシナリオ担当兼リーダーの責任です。
自己評価が苦手なので自身についてはあれこれいうのは控えますが、あのプロジェクトに関わっていた自分以外のスタッフは極めて優秀だったと思います。どのスタッフもセミプロだったりプロだったりする方々で、少なくともヴィジュアル面においては、他の追随を許さない出来でした。結局完成しなかった今、何を言っても絵に描いた餅でしかないのですが、完成していれば、ヴィジュアル面だけでも相当の評価を得ていたのは間違い無いと思います。これだけ優秀なスタッフを抱えていて、それでも完成しないとすれば、それはやっぱりリーダーの責任としか言いようがありません。リーダーがあまりにも未熟過ぎたのが開発失敗の原因なんだと思います。
集団作業で製作される作品の失敗、成功はリーダーの能力に左右されます。今回の件ではまさにリーダーの能力が失敗の原因なんだと思います。
仕様書もまともに出さない、質問する度に説明が違う。曖昧な指示、一部スタッフとの過剰な癒着、リーダーのプライドの高さ。数々の問題があったと思います。
というかリーダーは某スレのやめとけ基準全てに当てはまるような地雷だったわけだし
その辺を見抜けなかった自分も未熟だったといえばそれまでの話なのだけれど。
まぁ二度と製作物が日の目に出ないのはあまりにも不憫だなぁー、と思う。僕だけの問題なら残念でもいいけど
他のスタッフ様にしてみても、貴重な時間の能力を費やして製作したデータが表に出ないのはつらいだろーなぁ。
その辺のことを他の方がどういう風に対処しているのかは知りたい所。
他にも色々と手伝わせて頂いているし、失敗した例にいつまでも取り憑かれているのはあれだから、どっかで毒を吐いて過去と決別しなければならない。それだけの話でした。
努力は無駄になるということはある程度覚悟して作業していくべきなのかもしれません。同人ゲーに関わらず、なんにせよそーなんだろーけど。
かと言って努力しない理由にはならないし。
ん?本気で分からないのか?
ゲイってのは、同性が好きなの。
下半身で物事を考えるのは同性に対してね。
これは対象が違う、って事。
さらに、草食の逆は肉食ね?
下半身で物事を考えるNOT=草食。
ここまでOK?
だけど、その対象は異性じゃない。
(だからこそ「ゲイの方が」という論議をするなら、ゲイ=ヘテロね?)
そこが重要。
女はそういうフェロモンには敏感なんだよ。
つまり、女性は本音を言うとがっついて欲しいのよ。
でも、それをあからさまにしてほしくない。自分含めて。
けど、ヘテロの持つ、外面的な肉食は勘弁。
ってか、ここまで解説しなくてもこうした話って、ゲイブームで必ず出る定番なんだけど、
そんなに薹が立ったっけ?
んじゃそろそろ次期ゲイブームですか?
「女の子に告白して断られたとき、その理由が、『男性には興味ないから』だったら凹む。他の理由の方がマシ」
学生時代の友人数人と、わいわいしゃべっていた時の話。一人の友人がこう発言した。
その場にいた半数以上は賛同しなかったが、1人、2人は彼のいうことがなんとなくわかるという。
私はよく分からない側の人間だった。だって、「あなた個人という人間が私の基準に達していないからお付き合いはできません」よりも、
「あなたの資質や性格に関係なく、あなたに帰責性のない理由によってダメ」の方がいいじゃないか。
しかも、「男性だからダメ」は、たとえば「身長が低いからダメ」「イケメンじゃないからダメ」と違って、そのこと(男性であること)自体はマイナス評価を受けることではない。
個人的には、「実は付き合っている彼氏がいるのでごめんなさい」と似たような返答じゃないのかと思うのだが。
あまりに不可解だったので、理由を聞いてみたら、
「そもそも、同性愛者の女の子を好きになってしまった自分に『なにやってんだオレ』という感覚を抱く」
というのだった。
ますますよく分からない。
そういう告白を受けたら驚くことは驚くだろうが、凹むのはどうなんだろう。
ヘテロセクシャルの女性を好きにならなかったこと=オスとしての欠陥、と捉えているのか?
しかし、異星人じゃあるまいし、当然ながら見た目で見分けられるものではない。
同性愛の女性に対して偏見でもあるのかと聞いたら、そうではないと言っていたが、それならなおさら納得しかねる。
やはり私には、彼の中に偏見があるようにしか思えないのだが、こう見るのは過剰反応なのだろうか。
こういう男性はそれなりにいるのだろうか。あるいは、女性で逆パターンでもいい。
また、もしいたらその理由も合わせて、ぜひ教えてください。
夏になって薄着の季節になって参りまして。
非常に嬉しくない。
自分の胸の大きさを再確認させられるから。冬場は厚着してるからある程度ごまかせる。(気がする)
乳いらないんだよなぁ。かなり本気で。
自分が、性同一性障害とかトランスジェンダーと呼ばれる人間なのか、はっきりとはよく分からん。
昔から男に間違われることが嬉しかった。今でも実は嬉しい。
男と女どっちが好きかと言われれば、最近は女の子。昔は男の子を好きだったこともある。(と言ってもこちとら生粋の喪なんだが)
けれど、制服でスカートを履くことを絶対的に拒みはしなかった。(でも、もしズボンとの選択肢があれば確実にズボンを選んだと思う)
親にまつわる理由があって、身体の改造は出来ない。と言うか、心情的に禁忌に近いと思っている。
だから、多分、今の自分はトランス・セクシュアルとまではいかない、トランス・ヴェスタイトなのかなー。
腐女子に俺女が多いのは知ってる。自称バイが多いのも知ってる。
自分はその部類でしかないのかなぁ、と我が身を振り返ってみることもある。
けど、小さい頃からの資質として、「男に見られたい」という気持ちがあったのは確かだ。
女子にちょくちょく見られる、ベタベタだったりドロドロの対人関係が苦手でもある。(コミュ力の問題という意味ではないと信じたい)
今はおにゃのこと付き合いたい。ふわふわっとした可愛い子といちゃいちゃしたい。けど、百合ー!とかじゃないんだ。いちゃいちゃしてる自分の体のことは考えたくない。
なんかよく分かんないんだけど、この季節、朝晩、店先のウィンドウとかに映る自分の体型を見る度に吐きたくなるんだ。だから、匿名を利用させてもらう。
あー、広い肩欲しい。骨っぽい手が欲しい。薄くても厚くてもいい、乳房じゃなくて胸板が欲しい。
上司が女だった場合のみ個人の資質でなく性別と結び付けて論じられてしまいやすい傾向はあると思う。人数少ないから一人が全体だとみなされやすいんじゃないかと。
http://anond.hatelabo.jp/20090618100854
9歳年下の彼女がいる
まったく予期していなかったことだが、彼女が出来てみれば年下だった。
自分33歳彼女24歳。年上ふぇちの自分としては想像にも無かった状態だ。
しかもこれ以上何を望む?というほどフィットする。横に居るのが彼女である事に、自然かつ特別な幸せを覚える。
なぜ24歳の可愛い若い子が10歳近くも年上の男性を求めてくれたのか?その理由を自分なりに考察してみた。
以上、考察をしてみたがあまり一般性は見出せなかった。
過去の同年代相手の恋愛経験を振り返ると自分に余裕や成熟が足りておらず、相手の声に十分耳を傾け支えとなるような付き合いが出来なかった反省がある。
彼女には猫を膝の上に乗せてるような「、、俺、頑張るんだ」と思わされる不思議な可愛らしさがあり、年齢差も相まって年上&男性としての自覚を助けてくれるのかも知れない。
私の場合、そういう条件を満たす女性というのは、互いに居心地がよいと思える相性合う相手だと考えられる。
その理由になるかは知らないが
社会的背景はよく分かんないし10年後どうなってるとか分かんないけど、今側に居てくれる事に感謝して大切に時間を過ごしたい。
ヒャッホーーーー!人生、春と思えばそこが春だよ!
禍は福を産み、福は禍への先触れであるという。
当時最愛の彼女に振られた冬があったればこそ、今もあるんだろうなぁ、、、と色々感謝しております。
普段はなかなか言えないので、こんな場所でありがとうってつぶやいておきます。うぇっww
【属性】
■32歳男。独身。
【仕事と稼ぎ】
■仕事は忙しくない。
■稼ぎが20代の頃と比べて増えた。経済力はあると思っている。
■イケメンではない。
■とは言いつつ、30際前半の自分の容姿はそれほど捨てたものでもないとも思っている。
■遊び人でもなかった。(ライバルが20代の遊び人であることをしきりに強調するので、もしかしたら20代で遊んでこなかったことにコンプレックスがあるかも)。
■自分には優しさ・包容力などがあり、成熟していると思っている(が、大人しいだけの人かもしれない)。
【結婚観】
■結婚願望が強い。
■結婚相手にキャリア志向を求めていない。つまり女性は結婚したら家にいてほしいタイプ。
■今まで年上としか付き合ったことがなかったが本当は付き合うなら若い子のほうが良いと思っている。
【その他】
■自分は20代前半の女性、とくに十分恋愛経験を積んだ女性の要求をほぼ満たしているため、そうした女性は自分のような男性を求める傾向にあると思っている。
■充分恋愛経験を積んだ女性とは、美人であり、結婚願望があり、その上自分をしっかり持っていて、男性の資質を良く見抜き自分に合っているかを合理的に判断出来、結婚を前提としていない遊びの男とは付き合わないィィィィイイ!女性だと思っている。
結論:えぇーと。増田さんはごく普通の30代独身男性です。今まで付き合ったことのない若くて可愛い彼女が出来て、今は「僕にも可愛い彼女ができた v(^o^)v ヒャッホーーーー!人生の春到来!」と叫びたくなる気持ちも分かります。存分に叫んでください。なんなら今度お酒でも付き合いましょう。というのは冗談ですが、うぬぼれ・自信過剰はいずれ身の破滅を招きます。たぶん少し頭を冷やしたほうが良いでしょう。それが「成熟」というものです。
最後に。いやらしく書いてゴメン。ちょっとからかいたくなってしまっただけなんだ。彼女とうまくいくと良いね。
まったく予期していなかったことだが9歳年下の彼女が出来た。
自分32歳彼女23歳。年上としか付き合ったことがない自分にとっては、寝耳に水状態。
しかも、これ以上何を望む?っていうほど可愛い。もうメロメロにやられてしまった。
なぜ23歳のかわいい若い子が10歳近くも年上の男性を求めるのか?その理由を自分なりに考察してみた。
■同年代の男子にははイケメンも沢山いるが、イケメンは遊び人が多い(一般常識の範疇)
■女性が容姿ファッションに優れていたとしても、成熟前の若い男性は仕事が忙しかったり、遊びを優先したりとうまくいかないことも少なくはない。(かも知れない)
■イケメンは可愛い・綺麗な女性を選ぶが、やはり遊ばれることも多い(のかも知れない)
■不景気と社会構造の変化で、若い男子は稼ぎが多い人はそれほどいない。仮に稼ぎが多くてもガリ勉してきたような男では未熟過ぎて恋愛対象になりにくい。今は一人ですら生きていくことすら厳しい世の中である。
■それほどキャリアを志向していない女性で、結婚願望が強い女性の場合、20代前半で結婚を本気で考えるのは妥当。
■30歳代前半の男性は20代前半の女性の要求をほぼ満たしている。
■30際前半までは容姿はそれほど衰えない人も多いので、恋愛対象としても問題ない場合が多い。
以上の考察で、十分恋愛経験を積んだ女性は上の年代の大人の男性を求める傾向にあると思われる。
この場合、そういう条件を満たす女性というのは、美人であり、結婚願望があり、その上自分をしっかり持っていいると考えられる。
その理由は
■美人なので寄ってくる同世代の男は多い。恋愛経験は豊富だが、必ずしも将来を約束できる男性に巡り合えなかった。
■男性の資質を良く見抜き自分に合っているかを合理的に判断出来る
■結婚を前提としていない遊びの男とは付き合わない
もう何年もプロレスなんてまともに見ちゃいないし、ジャンボや橋本が死んだときほど悲しくもショックでもない。なんだこの気持ちは。
三沢がバックドロップを食って、受身を取り損ねて死んだという。どうやらそれは本当のところらしい。信じられない、という言葉しか出てこない。
プロレスは芝居だ。
三沢は受身の達人と呼ばれてきた。
だから、レスラーはリングで死んじゃダメだ。特に三沢は、死んじゃダメだった。
きっと葬送車には、緑のテープが降り注ぐんだろう。そしてスパルタンXが流れるんだろう。
リングでケガをするやつはレスラー失格だって、三沢、あんたもそう思うだろ?
勝ち負けを見せて金をもらうあんたたちレスラーが、リングで死んだらダメだろ?
あんたを受身が取れなくなるほど追い込んだすべてが憎いよ。
三沢!
最近うちの犬の様子がおかしい。
ちょっと前まではそりゃもうヨボヨボで、散歩に連れて行っても10歩進んで家に帰るくらいの勢いで、
メシは食べないしお通じもないし、かと思えば前がゆるくなってオムツは欠かせないし、
まあ御年14歳の高齢犬だから、獣医さんにも夏くらいが目処ですかねーとか言われてた。
自分もこまめに水を飲ませてやったり、夜に目が覚めるとすぐ隣に寝ている犬の呼吸を確かめたりして、
少しずつ心の準備みたいなものをしておいた。
ところがどっこい、犬は昨日今日すんごく元気になった。
ごはんは一時期の2倍くらいにしてるのに、まだ食べたがる。
散歩の足取りも結構軽快で、こっちが早歩きしなきゃいけないほどだ。
一ヶ月以上前から見なくなっていた「遊んでほしい顔」をするようになったので、
抱きついたり噛みついたり、思いっきり構ってやった。
そこで自分はある疑いを持った。
こいつの中にじいちゃん入ってんじゃねーの?
大島弓子の短編「四月怪談」は、若くして死んだ(正確に言えば仮死状態の)少女とお人好しの幽霊が
互いに生き返る機会を譲り合い、結局二人で一つの体に収まってしまうという話だ。
以来、少女は少し優しくなったり、ささいなことに感動するようになった。
(少女本来の性格ではなく、幽霊の持っていた資質が表に出るようになったらしい)
これと同じ現象が我が愛犬にも起こっているのではないか、と思うのだ。
じいちゃんは数日前にガンで死んだ。
ずーっと自宅療養で、最期は一週間だけ国立病院に入院したけど、
一泊一万円のVIPな病室をもらって、24時間体制で家族が付きそった。
大好きだった氷川きよしのCDをかけたり、サッカーの国際試合を解説してやったりして、
それなりにみんなが手を尽くして見送った。
眠りにつく時はとても穏やかだった。
じいちゃんは犬を大変可愛がっていたし、犬もじいちゃんに一番なついていたので、
だっこ用の布のバッグに入れて、一緒にお見舞いに行ったりもした。
末期の患者さんが多い病棟では珍しいことではないらしく、看護師さんにも可愛がってもらった。
犬は家族用のベッドの上でよく眠った。
あまりにおとなしくって、家族はみんな、じいちゃんが先か、犬が先かって考えてたと思う。
もちろん老いはあるから、動きはのろいし、おしっこのキレも依然悪い。
でも玄関先までおかえりを言いに来たり、食事時に少しは食べさせろやって寄ってくるようになった。
なんでこんなに元気になったんだろうね、おじいちゃんの命を分けてもらったのかしらと母は言うけど、
だって水を出したら飲まないくせに、人の麦茶はほしがるなんておかしい。
缶詰は食べないくせに白いご飯はがつがつ食べるなんてあやしすぎる。
絶対、中にちょっとじいちゃん入ってる。
だとしたらもうちょっと長生きしてもらわなきゃなあ、とか考える今日この頃。
元増田。いいこと言うじゃん。とにかく、すぐ自閉症とかアスペルガー症候群とか、すぐに言う奴多すぎ。特に、自閉症が基本的には先天的なものだということを知らない奴が多すぎる。「自閉症になる」という表現は、間違っていると思った方がいい。自閉症は、基本的に、子供のうちに親が異常性に気づいて病院につれていって発見されるものなので、はっきりと分かるものだ。アスペルガー症候群は、大人になってから診断されることも多いけど、基本的に大人になってから診断されると環境が原因なのか本人の資質が原因なのかの区別が難しくなって、はっきり分からなくなる。アスペルガー症候群なんだ、という主張は、怪しいと思ったほうがいい。
だいたい、「コミュニケーション能力」というのは「相手の意図・感情を読み取る能力」と「自分の意図・感情を表現する能力」であって、知的能力(IQ)とは別にコミュニケーション能力が存在して、コミュニケーション能力が障害されている(著しく低い)というのが、自閉症やアスペルガー症候群の定義なわけだ。で、俺は、ちゃんとコミュニケーションは取れているじゃない。
「図書館員に注意される」
→図書館員が期待している反応(=あ、すみません。と笑ってかえす)を推測する
→「あ、すみません」と笑ってかえす、を行う
だから、コミュニケーション能力はむしろ、あるんだよ。コミュニケーション能力っていうのは、あくまで外部とのやり取りがどうかっていうだけの話で、本人の心情・努力などは規定しない。俺は、コミュニケーションはちゃんと取れるけど、ただ、ムカついただけ。逆に、ムカついてなくてもコミュニケーションが取れない場合もあるわけだ。
人から聞いた話なんだけど、
・アメブロの審査を通って有名人・芸能人カテゴリに入ったブログは1ヶ月毎日更新すると最低ランクで15万円が支払われる
(15万もどこから出すんだ?と思ったけどアメブロは投げ銭のような感じで読者がアバターのようなものを買って、
ブログ主にプレゼントする機能があるからある程度ネームバリューのある有名人なら、熱心な読者(ファン)が
次々とプレゼントを買っては贈ってくれるので、15万くらいは軽くペイできているらしい)
・ランクを上げていくためには読者数・PV数を上げないといけない
・そこでまずPV数を上げていく為に1ページには1日分しか表示しない、ケータイから見る読者にはその1日分も何ページも使って表示させる。
極端な話、無意味な改行を多用して1日分の日記をケータイ換算で10ページ使って表示させれば10PVになる。
なので、みんなどうでもいい日常の報告をダラダラもったいぶって
「実は・・・(いっぱい改行)それがなんと・・・(いっぱい改行)【ここにでっかい写真】(いっぱい改行)これなんです!」
みたいな日記になりがちになる。それも毎日そんな調子だから面白いことも何も無くなってくる
ここまでで充分嫌なんだけど、実際アメブロ見に行ったらどうしたものか結構な人達がそんな下らない有名人ブログつけてるんですね。
安月給でしんどいアイドルとかお笑いの人がそうやって頑張ってるならいいけど、所謂大物や中堅ミュージシャンまでやってるの。
毎日毎日どうでもいい報告ばっかり、くっだらないアホみたいな改行を多用して1ページに1日しか表示しなくて。
それが何か嫌だ。そんなに割のいい仕事なのか。まあ割はいいか。1日5000円だし。でも恥ずかしくないか?
そしてそんな下らないシステムで小銭とPVを稼ぐ胴元も嫌だ。あの藤田とかいう人でしょ?
ホリエモンのときはゲスい見た目のヒトがゲスいことを言いながらゲスい金の儲け方をしてたから仕方が無いと思ったけど、
サイバーエージェントとか楽天は見た目や言うことだけ真っ当な人間のフリしてやってる事がライブドアと変わりないからなんか余計に嫌だ。
でもそれを言うならはてなもそんな変わりない、のかな?まあねー。
//以下、なんかいっぱいブクマされてたので追記(5/31、22時ごろ)。
・せっかくなのでこの話を教えてくれた人にこの話のソース的なものがあれば教えてほしいと訊いてみたのですが、
「自分も人から聞いた話なので明確な真偽はわからん」と。あくまでその程度の話だと思ってください。
・あと「ライブドアはゲスい」のくだりは昔のホリエモンが「金で買えないものは無い」とか言って、よそのあらゆるサービスを買い付けては
ライブドア○○って名前に変えて自前のサービスに組み込んでる頃のイメージです。最近はよく知りませんが、でもブログは私もLDだったりします。
・私は嫌儲か嫌儲でないかでいえば嫌儲の資質が高いという自覚はあります。なので嫌儲の戯言だと思っていただいてその辺は結構です。
でも、自分は「別に誰も損していない」「この話はwin-winだからいいじゃん」とは思えないんですね。
ブログというネット文化としてのシステムがあって、それを意図的に見難く、使い辛く、内容を薄く(数を多く)させることでPV数やらを稼ぎ出しているってことは
やっぱりCAとして「ウチが儲かれば全体的にブログという文化のレベルが下がってもいい」っていう考え方があると思われても仕方ないわけで、
そこにブログブームだとかちっぽけな報酬だとか時代の波的なものに踊らされてタレントやら色んな肩書の人たちが喜んで全く意味のないものを生産している、
そしてそれに対して読者が対価を払っているようでいて実際は全部しっかりとピン撥ねしている胴元が居る、そういうのはやっぱり気持ち悪いと思うんですね。
・あと、これはもう想像の想像でしかないけど、仮に「報酬が払われてる話」が本当だとしたら、多分そこそこの割合でゴーストライターが発生するだろうし、
報酬だって15万とかそこらの額がタレント本人に入るかといったらそうでなくて、きっと事務所やらが跳ねていくと思うんですね。
だとしたらお布施するつもりでいっぱいPVとお金の素(プレゼント)を捧げる読者を、ゴーストライターとサービスの持ち主やら事務所がタレントの看板を使って
ずるずる吸い上げている構図が浮かんでしまって、「タレントの報酬になるならいいじゃん」って話も多分そうはならんよなあって思うんですよね。
・要は企業努力の方向性として「全体に不利益でもウチは儲かるからいい」「色んな人を消耗させるけどウチは儲かるからいい」「質を下げることで逆に儲かるなら、喜んで下げる」。
そういう努力は買いたくないと思ったんです。
・で、そういうのに対して「ビジネスなんてそんなもんだよ、何子供みたいなこと言ってるの?」って言われたら、まあそれはそうだとも思うけど、
別にそれに対して「でも嫌な話だね」って思ったり、言ってもいいじゃん。とも思ったんです。そんな感じ。
まず触れておく。blacksorceryは言葉の使い方がまだ分かっていないらしい。
増田でも絡まれたので、マイノリティ=少数の者と思う人は、以下の文章に出てくるマイノリティは、弱者とか被差別側、被抑圧者にでも読み替えて欲しい。
昨日の記事に、女性はマイノリティって書いたのは失敗だったと後悔している。
元々、エロゲー愛好者はセクシャルマイノリティ、女性がエロゲーへ抗議するのはマイノリティへの差別だって人がちょこちょこいた。
で、こういう世界でマイノリティっていうなら女性だよと書いたことがある。
そのときのマイノリティは別に間違いでは無かったと思っているけど、これにも異論をもらった。
けど、今回独立させて書くときに、マイノリティって書くのは自分でもちょっと違和感があるし、誤解招きそうとも思ったんだけど、ここで書かずにいると前に異論出した人が喜びそうなのが癪に障って、いいや、マイノリティって書いておこう。と。
けど、やっぱりわかりやすくするべきだった。 (http://d.hatena.ne.jp/blacksorcery/20090524)
何度もいうが、「マイノリティ」は基本的に「少数(派)」のことだ。だから、とくだん数の多寡に重点をおかないのなら使わないほうがよいだろう。なぜか。重点となるものに関した用語(例えば被抑圧者、とか)を使うほうが自然だし、それについて語るときに問題点などがはっきりするからだ。これはくどいほど説明したし、辞書での定義ではこう、wikipediaの記述ではこう…と示しもした。「女性はマイノリティではない」という女性たちの声も示した。だが、blacksorceryはあくまでそれに抵抗しつつ、しかしちっとも「"なぜ"マイノリティは『少数派』の意味ではないのか」を語ろうとしない。そもそも、http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で私が書いているのは
だ。別に、「マイノリティかつ女」などあり得ない、という話でもないし、だから女は守られるべきではない、という話でもないし、だから女は文句を言うな、といった話でもない(「人の間違った論を引かずに自分の意見を言え」「気分ではなく論理を結論にせよ、話し合いや権利の意味を考えて」というようなことは書いたが)。そしてもしこれが気に入らないのなら、「なんのことだ」という問いには「~が~だから、~ということだ」と論拠(むろん、マイノリティが基本的に少数派とかいう意味を持つ、という論拠と同レベル以上には説得力のあるもの)をもって語ればいいのである。ただそれだけのことをblacksorceryは語らない(ほかのブックマークコメント者もまるで語らないが。何の根拠も示さず、だが揶揄だけはできるようだから始末におえない)。また、マイノリティをどう遇するか、レイプゲームをどうするか、表現の自由をどうするか、について私が何ひとつ言っていないのに、blacksorceryは
だから君らはマイノリティ。 (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234)
だの
元々君の友達が自分たちは少人数で被害者みたいな科白を書いてたから (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518225205)
だのと勝手な定義付けをする。彼には自分と意見を異にする者がみな「仲間」であるように見えるのか? 女性という「マイノリティ(???)」にも「その嗜好を満たす商品」が提供されている事実を認識できず、
などと書く。彼には事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか?
さて、そろそろ本題に移ろう。本題とは有村悠のことだ。先にあげたhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で、彼はいの一番に現れてこう書いている。
y_arim anonymous, gender, society, あたまがわるい マジョリティ・マイノリティが単純に数の多寡で決まるとでも思っているのかね? たとえば少数民族が多数民族を統治する国家の社会構造について考えてみな。 2009/05/18
当初、私はこれをあまり大したことと捉えなかった。ほんの少しだけ彼の文章を読んでいた私は、彼が馬鹿だとは思っていなかったからである。私はこう思ったのだ、「ははあ、何か勘違いをしているのだな」と。ゆえに、続くhttp://anond.hatelabo.jp/20090518225205では皮肉半分、憂慮半分の文章で返しておいた。しかし有村悠は一向に反応しない。まあべつにいいけど―と思いかけたそのとき、そのエントリはあげられた。http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090521/1242967919である。ちゃんと読ませれば小学生でも分かる内容だが、こんなもの「昔のオタク史にはそんな事実はなかったじゃないか、出してみろよ」と言うamamakoが「事実はもちろんある」と反論を食らっただけの話なのである(細かくはhttp://anond.hatelabo.jp/20090523030043を見てもらおう)。引用されたNaokiTakahashi氏の言も、あくまでamamakoの「昔のオタク史」説に対するリアクションに過ぎない。amamakoこそは昔のオタク史を「知ったこと」だと思っており(ただし、知ったつもりなだけ)、NaokiTakahashi氏たちこそがその「(嘘まみれの)抑圧」に対して反発しているのだ。なのに有村悠には一連のやり取りがまるで逆かのように見えているらしい。私は困惑した。有村にはこんな簡単な状況が見えていないのか? なぜ?
それでも私はまだ疑っていたのだ。彼はそんなに馬鹿ではない、ないはずだ、と。だがまたしても、そんなときにエントリはあがる。"「○○は人間の本能《だから正しい》」というありがちな論法"(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)だ。彼はjoe11111氏のつけたブックマークコメントを引いてこう書く。
子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない。そもそも発端はタバコと子育てを同じ次元で見た駄文でしょ?あんなの最初読んだ時にコメントする価値すらないと思うのが普通
というコメントの前半についてなのですが、これが赤木智弘氏の主張(個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為=子育ては趣味といってよい)への反発であることを踏まえると、
という部分には「本能《だから正しい》」という価値判断が含まれているように読み取れます。「本能《だから当然》」でもいいのですが。
しかし、《》の部分は実は偏見なのですね。本能であるということ自体は、本来いかなる価値も帯びないのです。そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
なぜ? 確かに「子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない」という文章は分かりにくい。率直に言えば、私にもはっきりした意図がまるで分からない。が、これはそのまま読めば(「子育ては趣味」という論への反発としても)「子育ては本能だから、義務だからやるとか趣味だからやるとかいう理由などない」としか読みようはないだろう。そこに「正しい」とか「正しくない」とか言う価値判断は必ずしも入ってこないのだ。「当然かどうか」についてはなおのことである。善人が善事をなすのは当然、悪人が悪事をなすのもまた当然。「当然」に価値判断などありはしない。この価値判断は、有村も書くようにただ「含まれているように読み取れ」るだけであり、それさえもさしたる根拠はなく、「有村が」自身の解釈においてそのような意味を「与えている」というのに過ぎないのである。にもかかわらず、有村は書く。
そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
そこに、joe11111さんの主張と同じように《だから正しい》《だから当然》、あるいは《だからやむを得ない》という価値判断を含ませると、戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます。
正確に読み取ることなどできなそうな「joe11111さんの主張」をなぜ有村は読み取れるのか。さらに続く
joe11111さんは、子供を産み育てることは理由などないほどに当然の行為だとおっしゃりたいのだと思いますが、それは結局倫理的・道徳的に好ましいという意味です。
については失笑するほかない。兎のつがいがさかって子育てし始めたらどうか。それは理由もないほど当然の行為だろうが、それも倫理的・道徳的に好ましいのだろうか。
いや、根拠の薄い憶測解釈も、結果的に当たっているのならそれはそれでいい。しかし、その解釈は当たってなどいなかった。有村の解釈が披露される以前に、joe11111氏はコメントの補足をしている。
ご指摘に関しては、まさに仰る通り「論点のすり替え」です。「だから正しい」がどれにかかっているのかはハッキリしませんが、「子育ては義務議論」にかかっているのであれば私はどちらの味方でもありません。どちらかを正しいと主張したいがために持ち出した論点のすり替えではありません。
私が言いたかったのは
人間が子供を産み育てることに誰にでも共通する普遍的な真理などあるはずがない
↓
発端の記事
(http://news.livedoor.com/trackback/4109939?tc=cf328439421c63bb4f2056d5d3d1a1fd)
はそれを「趣味」と決め付けた
↓
joe11111氏はどちらが正しいかなど主張しておらず、「論点のすり替え」も(話を正邪や好悪などにすり替えているのでない以上)「自然に訴える論証」でもなんでもない。つまり、有村の論は全く・完全に誤読であった。有村解釈の部分は実は偏見で、《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えていたのは、まさしく有村悠であったのである――さあ、有村はどうしたか。
追記
この記事をタラタラと書いている間に、joe11111氏のブログのほうでお返事をいただいていた。
こちらを更新したあとでトラックバックに気づいた次第、申し訳ありません。(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)
y_arim 2009/05/25 20:45
わあ、すみません。この記事がアップされたことに気づかず、ぼくのブックマークコメントの内容を改めて書き直したブログ記事を上げてトラックバックを打ってしまいました。ご笑覧いただければ幸いです。
とりあえず、joe11111さんの意図は了解いたしました。(http://d.hatena.ne.jp/joe11111/20090525/1243242720)
これだけ。これだけである。誤読で「偏見」だの「自然に訴える論証」だの「誤謬」だの「戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます」だの…散々に難じておいて訂正もない。無礼について謝罪のようなものもない(「申し訳ありません」「すみません」は単にエントリアップのタイミングについての話である)。
泡沫フリーライターめ、なぜこんな文章を書いて恥ずかしくないのだ。事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか? 有村には事実に基づいてものを論じるという資質そのものが欠けているのではないだろうか。なにがモノカキだ、なにがライターだ? おまえはblacksorceryと違ってそれを自称しているのではないのか。矜持の差は、覚悟の差はないのか。
増田にも頑固なオッサンいっぱいいるしな…。
人間、歳食うと頑固になるのは避けられないのか?
何故そういうことが起こるのか?
それとも本人の資質によるところが大きいのか?
厚生労働省の最大の問題は、年金や保険といったビジネスをやってしまっていて、図体が大きくなりすぎている点にある。これを、再分割して細かく分けようという話らしいが、もともと、国営でやる事が間違っているネズミ講である年金を抱え込んでしまっている限り、そこが最大の予算を食う場所になる事は変わらない。
国営ネズミ講を破綻させるか、個人や家族名義での積み立てを消費するという形式へと誘導してソフトランディングさせない限り、分割は、社会保障に縦割りを発生させるだけである。
縦割りで間違った活動をしてしまうのは、問題を省庁に投げる人の資質のせいであり、問題を投げつけられた省庁としては、上からの命令である以上、何かの結果を出さなければならないが、どうやってもまともな結果が出せるわけが無いのだから、省利庁益の為に働くしかないという事になる。官僚が政治家を馬鹿にしてまともに働かないのは、政治家の側にも問題があるのである。
駐車違反が目障りなのは、駐車場・駐輪場が十分に無い店舗の側の問題であって、取り締まる警察の問題ではないのに、駐車違反だから警察だろうと問題解決を押し付けたら、取締りを民間に丸投げして天下り先を作ってしまった([2003.3.28])。車が無ければ生活できない地方において、運転代行という事業が発生し、タクシー会社が営業妨害だと陳情したら、運転代行に二種免許が必要になり、結果的に、飲酒運転が増えてしまい、挙句の果てには飲酒運転を厳罰化してみたりという、世情に疎いお坊ちゃんやエリート様が、問題文に含まれている単語に脊髄反射して処理担当を割り当てた結果、社会が混乱するのである。
行政の改革は必要であり、その手段として、厚生省と労働省を合併させた巨大省庁を発生させ、国民の生活や人生設計に国家が直接介入する状況を問題視させるという手段に対し、直接介入を止める方向に進むというのが国民の認めた正しい道だというのに、わざわざ分割して時間を浪費しようというのだから、筋が悪いにも程がある。
一般に"優秀な人"という評価の正統な解釈は、他人の下で使われている状態で優秀な人という意味である。そういう人がトップに立つと、変化に対応できず、反動保守という懐古趣味に走り易い。問題解決の役に立たないばかりか、解決の為に変化させた事を、改革の痛みや出血と称し、ことごとく否定するようになる。無論、改革手法の選択ミスや行政機構の企みで、一般市民に痛みや出血が発生するように捻じ曲げられてしまった制度がある事は事実であるが、そういった制度に対しては、何ら対策を講じようとせず、既得権益層の痛みや出血にのみ、大盤振る舞いをして支持をつなぎとめようとする行為は、国民の支持を不要と言っているに等しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090515193531
本気にさせるには自分から動くしかない。他者(いくら娘でもね)の動機づけは、キッカケになっても継続するための意志に繋がらない。
人間の三大欲、食欲、性欲、集団欲に訴えかければ、何か継続する意欲を引き出せるかも知れない。
「美味しい物を食べにいこう!」「男が集まるところに行こう!」「たくさん人が集まるところに行こう!」
そう、誘いかけてみたらどうかな。
それと視野を拡げるというのは、本人の資質によるところが多いので、狭い世界でお母さんが満足しているのなら、それはそれで一つの生き方として認めてあげてはどうかな。
そういうことなら、
「今、就職活動をしたほうが得なのか、ドクターとってから就職活動したほうがいいのかは彼氏に聞いてみましょう。
3年我慢してくれ、どっかで学者以外の就職口みつけるからって言われたら、別れないほうがいいかもよ。
なんらしかの算段が彼にあるかもしれないので。」
ってことで。とりあえず、彼に真剣に考えてもらうのが一番じゃないでしょうか?
ドクターとったら、先生の推薦でどこどこへ行けるから…とか言ったら、その推薦は絶対にとれるの?とか。
ドクターとったことで就職できた人の例を出されたら、それはドクターのせいなのか、その人の資質のせいなのか?とか
徹底的に聞いたほうがいいと思います。その人のためだと私は思うので。
(自殺されちゃう可能性は怖いですが…。それを引き受ける覚悟がなかったら何も言わず身を引いたほうがいいと思います)
単なるある個人のその場限りの提案なので、いろいろほかの方にも聞いてみたほうがいいと思いますが、私ならこうします。
徹底的に聞く場合は、1週間内に考えてきてとかのように、今すぐ答えを求めないという姿勢がいいと思います。
2,3ヶ月は付き合ってあげないと、さすがにどんな人でも壊れます。
今日、社会人三年目になって初めて後輩を叱りました。何についてかと言えば、新入社員がやってしまいがちな「遅刻の連絡をメールだけで済ませてしまいました」というアレです。今じゃフレッシュマンの心得としてR25にも載ってる失敗例を彼は見事に実践してくれたのです。
普通の新入社員だったら“叱る”のではなく、普通に“注意”程度だったでしょう。ただ一つ違ったのは後輩君はわたしの一つ下、すなわち今年入社二年目だということです。新入社員ならまだしも二年目の子がこんな基本中の基本のミスをするとも思えず、帰り際そっと後輩君に事情を聴きに行きました(ちなみにこのミス、偶然にも上司や他の先輩の耳には入っておりませんでした。つまり彼に協力した後輩がもう一人居たのですが…置いておきましょう)。
彼の返答はそれはもう見事なもので「メールで伝えました!」とのハキハキとした良い笑顔。うん、この時間にその元気はすばらしい。だがね、チミ…悪いが今から説教するよ?…と、今回の件の何が悪いのか、どうすればいいのかと後輩君に話し始めました。するとみるみるしぼんでいく彼の笑顔…ああ、なんという罪悪感。相手を傷つけないように慎重に言葉を選びながら、私も懸命に一つ一つ彼に伝えていきました。そうしていると、頭に広がっていくいくつもの既視感…あれ、これなんてデジャヴュ…ああそうか、そうなんだ。今私が彼に伝えている言葉は、今まで私が言われてきた言葉そのものなんだ。そして、目の前で落ち込んでいる後輩君は昔の私と同じなんだ。
「わかりました…反省します。教えてくださって本当ありがとうございました!」話し終わった後の彼の言葉にどれだけ安心したことか。正直言うと、話している最中の私は緊張と苛立ちで足が震えていました。人を叱るということがどれだけの労力を使うものか、やっと理解できた気がします。相手に伝えている言葉がそのまま自分に跳ね返り、逆に自分の資質そのものを問われているような感覚に陥る…そして終わった後は、心の奥からどっと疲れが噴出す…叱るということは叱られる側の何倍もの力を使うものなのだと初めて知りました。
わたしに何時間も説教してくれた大学の先輩、ダメな点を一つ一つ教えてくれたバイト先の上司、分かるまでとことん付き合ってくれた今の職場の先輩、そして怠け者のわたしを一社会人に育ててくれた両親…。今まで自分を叱ってくれたたくさんの人の想いが今になって感じられて、帰り道は一人泣くのをこらえていました。
嫌われ役でも悪役でもいいから、悪いことは悪いとちゃんと叱ってあげることのできる先輩になろう。自分が受けた愛情を下の子たちに伝えてあげよう。なんて、少しは自分も社会人らしくなったかなと思った4月終わりでした。
久しぶりにこういうの書いたけど、やはり発言はすべきかもね。
と、以下、酔っぱらって帰宅してからの戯言です。
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自分が生まれて育った場所に愛着を感じない人間がいるかどうか。
日本人の愛国心のうち大部分を占める、郷土愛、それって生まれた土地への愛着だよね?
それが血筋だけで変わる物だと思う?
それが在日韓国人だというだけで持てないとしたら、その原因はなんだと思う?
個々人の問題や、資質、血筋による物だと思う?
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断言できるけど、100%朝鮮半島にアイデンティティのある在日韓国・朝鮮人はいない。
(正確を期した言い方をすれば、ニューカマーを除く、だけど)
そういう立場を取られる方々への嫌悪感、防衛本能が、昨今の日本の、嫌韓、ネット右翼といわれる動きに繋がっていると思っています。
そういった嫌韓などの差別にさらされるから、日本の恩恵よりもアイデンティティを優先してしまうんだ。
そして、これは、理解しづらいかもしれないけど、マイノリティとマジョリティの話になると、
防衛本能が働いて仕方ないのは、マイノリティ側だと思うんだよね。
マジョリティの全体が悪いとは僕らも思っていない。
けど、どんな集まりにも馬鹿はいるし、マジョリティの中の馬鹿はマジョリティ故にある程度以上のまとまりを持って、
時にはマイノリティ全体以上のまとまりをもって、マイノリティを攻撃するのだから。
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それでも、ほぼ100%に近い在日韓国・朝鮮人は日本が好きだよ。
帰れとかいう日本人以外は結構好いている。
総体になるとなんとも排除の姿勢を示されるが、それが個々人の想いとは思っていない。と信じてる。
だから日本にいるんだし。
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結局。
たぶんカジュアルに偏見を書く人々の大半は直接知らないんだよね。
虚心に付き合ってだめだと思うなら、仕方ないけど。そんな奴見たこと無いけど。
で、冒頭の台詞につながる。
http://anond.hatelabo.jp/20090413004828
加藤諦三の本なんか読んで癒されるのがいいですね。
制作秘話を書いた富野由悠季の「∀の癒し」と一緒にお読みください。
真に受けないでくださいよ。
あっと、もう、ちょっと話を聞いてください。
世の中には「落ち武者狩り」あるいは雅に申し上げますと「落穂拾い」などといいまして、
恋愛して遊ばれるぐらいなら、どーでもいいんですが、
気が付いたら新興宗教から抜けられなくなっていたりや
世の中には落とし穴や地雷が意外にたくさんあるのです。
まあ、どちらかというと、騙されても「勉強になったわ」などと
強がる女性のほうが魅力的であります。
閑話休題。
ところで、ちょっと前に内田樹がこう書きました。
どのような相手と結婚しても、「それなりに幸福になれる」という高い適応能力は、生物的に言っても、社会的に言っても生き延びる上で必須の資質である。
それを涵養せねばならない。
これを妻に見せたら、「は?結婚するのは一人でしょ?」と言われました。
ボストンにいる女性の友人も、似たようなことを言っていました。
「はずれを引かない能力よりも、あたりを引く能力の方が大事じゃないの?」と。
はは~ん、と思ったのです。
女性からすれば
というのは
どのような相手とでも寝られる
という意味と同義であり、
無意識のうちに強烈な反発があるわけです。
これはもう情動レベルの問題だから、理屈うんぬんじゃないわけですよ。
「私は私が認めたオンリーワンか、TOP3以外は絶対にイヤ!」
と。
話を戻しましょうか。
まあ、20歳を越えてから、
たいへんです。
最後に、NHK教育の木曜夜9時半から再放送している「Style UP」は、すごくいい番組ですよ。