はてなキーワード: 天皇とは
いや、うーん、確かにその辺のネトウヨよりはずっと文芸的な説得力があるのだが、これを認めると、際限なく戦争や侵略の責任を放棄することになりそうでまずそうな。
簡単に記しておこうと思います。
まず一つ目はhttp://anond.hatelabo.jp/20090417220609でも挙げられている「takashi-ha氏」の騒動。
二つ目は「天皇はいらない! 」というキーワードで起こった騒動です。
http://anond.hatelabo.jp/20090417220609 に大まかな顛末は記載されていますが、若干補足しておきます。
まず、takashi-ha氏の投稿内容に対して嫌悪感があったという件については、実際に追ってみるのが一番だと思いますが、元増田氏が挙げられているユーザの方の中でも冷静に書かれている以下のエントリを読んでもらうのが良いかと思います。
※興味のある方は2chのヲチスレなども参考にしてみるとよいかもしれません。
なお、元増田氏のエントリでは「排除のプロセスはhiro_kun騒動時などと同様」とありますが、hiro_kun氏騒動の際は、「利用規約によるはてなへの通報⇒対象ユーザへの呼びかけ⇒対象ユーザが無視⇒はてな運営によるハイクからの排斥」というプロセスが行われているのに対し、今回はtakashi-ha氏が自主的に後にされたことになります。hiro_kun氏との場合とは若干様相が異なっています。
もう1件今週あったのが、「天皇はいらない! 」というキーワード(からはてなハイク全体に飛び火した)の揉め事です。
キーワードそのものは少し前(今上天皇陛下の金婚式に即して立てられたものと思われます)でしたが、そこでの議論の加熱ぶりに対して、一部から「政治・宗教・思想に関する議論そのものが迷惑行為である」という話が上がり、はてなサポート側に通報するという事態が発生しました。
これだけならまだはてなハイクの「一部分に対する揉め事」で済んでいた話だったのですが、その後様相が「政治・宗教・思想に関する議論」から「議論そのものはハイクでやるな!他所でやれ!」に変わった結果、揉め事の影響がはてなハイク全体に波及する状況になりました。
その後、元々の事態ははてなサポートから「論評の範囲をこえた個人攻撃、侮辱、あるいは荒らし行為に至らない限り、迷惑行為にはあたらないと判断している」との公式見解があり、一まず事態は沈静化しつつある方向にはあるようです。
※こちらの顛末の詳細に興味がある方は「天皇はいらない! 」キーワードを追いかけてみて下さい。
http://anond.hatelabo.jp/20090402020114
意外に思うかもしれないが、
日本というのは、個人性の強い文化なのだ。
とりあえず、Wikipediaの「爵位」という項目を読んでみてくれ。
欧州の爵位に共通しているのは「爵位」という名誉は何らかの貴族の家系そのものに対して与えられているのではなく大本の爵位(官職)が担当する行政区域(公爵領、侯爵領、伯爵領など)に対して与えられているもので、爵位の保持とは言い換えればこうした領域の保持の事という点である。つまり特定の地域が何らかの爵位が担当する区域であるなら、その区域を実効支配する人物こそが爵位を名乗るに相応しい人物という形になる。
こうした点は家柄そのものに与えられる称号である日本の爵位制度とは大きく異なるため、注意が必要である。例を挙げれば、ある一つの家が複数の爵位を保持している状況は日本においては制度的に考えられない。しかしヨーロッパの場合はその爵位の担当する所領を保持していることが爵位の保持と同義であるから、ある家が7つも8つも爵位を保持していることは全く珍しくない。こうした複数の爵位を保持する家の場合、もっとも重要な爵位以外を切り離して嫡男以外に分け与えることすらある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D
「神のもとの平等」という建前のある西洋では、
「高貴さ」は王権神授説的な「神の代理人」として合理化されており、
「立場」に由来しているものとされている。
(あくまで建前上の話である)
一方、日本では、「現人神」がいたり、「生き仏」がいたり、カジュアルな「ネ申」だっているわけで、
神性を含む「高貴さ」は、「血統や個人の振る舞い」に由来している。
つまり、西洋に比べ個人性が強いのである。
だから、元増田がいうような
「総理大臣とは役割である」という考えは、
日本ではそもそも馴染みがないのだ。
あるいは一般論で言えば「ノブレス・オブリージュ」でもよいが、
「高貴なる個人が、そうでないものを導く」という価値観である。
それが「ニュータイプ」だったり「イノベイター」だったりするわけだ。
(追記注:西洋的にはノブレス・オブリージュは「高貴な立場にある人間が・・・」であり、個人性は建前上、消されている)
こういったものは建前上、西洋では受け入れられない。
つまり、
「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」
ということにしているのだ。
日本はそうではない。
王権神授説的な
「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」
という考えは輸入しなかった。
日本では、「高貴さは、その人個人に由来する」のが当たり前であり、正義なのだ。
今までの話を一般化すれば、
「日本という物語は、個人を神格化することで受け継がれている」
ということになる。
だからこそ、「総理大臣とは役割である」という考えは、
日本では建前にもならないわけだ。
Mr.マリックが去年「学校へ行こう」というバラエティー番組で記憶術を披露していました。いつもの超魔術と銘打ってはいたものの、要は覚え方のコツというかノウハウでした。
おもしろそうだったので実際に自分で試してみたところ、これが非常に効果的だったのです。これは仕事でも使えると試行錯誤を繰り返し、仕事への応用方法を自分なりに確立できたので紹介します。
といっても万能の方法ではありません。それなりの努力も必要ですし、効果も限定的です。しかし、非常に高い「確実性」を誇るのがポイントです。
下準備として、自分の体の部位にあらかじめ番号をふっておきます。
例えば
1:頭頂部
2:おでこ
3:右目
4:左目
5:右耳
6:左耳
7:鼻
8:口
9:アゴ
10:首
といった具合です。
よかったら試しに1~10までの割り振りを覚えて下さい。割り振りっていうか順番ですね。基本的に上から下へ、右から左へという法則なのですぐに覚えられると思います。
頭頂部から首まで順番に手で触りながら覚えるとあっという間です。
覚えるべき事柄と体の部位とを組み合わせたイメージで覚える。この時、出来るだけ痛かったり悲惨だったりするイメージをつくり出すのがポイント。
試しに日本国憲法の章立てを覚えてみましょう。
1:(天皇)天皇陛下が笑顔であなたの頭頂部にかかと落としして頭頂部がめり込んで血がブシュー!
2:(戦争の放棄)戦争の放棄→太平洋戦争→日本兵な連想。日本兵があなたのおでこに銃剣を突き立てて血がドバー!
3:(国民の権利および義務)国民の権利といえばやっぱり選挙権でしょう。選挙に浮かれるあまり、うっかり投票用紙の角が右目にささったイメージで。紙で指をすっと切ったら痛いですよね。ちゃんと自分の右目をイメージしてリアルに想像してください。あれで切れたのが指じゃなくてあなたの右の眼球だったらと思うとイテテテテテ!
4:(国会)国会議事堂の特徴的なシルエットは誰でもすぐに思い浮かびます。国会議事堂のあのとんがっている部分が左目にぐっさりささって目が潰れてアワワ!左目めがけて凄い勢いで突き刺さってくる国会議事堂!もちろんすさまじい衝撃で頭から後ろに吹っ飛びます。その衝撃を左目に可能な限りリアルに感じて!
5:(内閣)内閣といえば総理大臣。麻生さんがあのひんまがった口から舌をちろちろ出してあなたの右耳をなめ回します。右耳に至近距離というか密着して聞こえてくるびちょびちょという音と生暖かさとくすぐったさをリアルに想像して!
6:(司法)司法といえば裁判官。裁判官が「静粛に!」とかドラマでやっているあのコンコンやる木槌を力一杯握りしめて、何をやるかと思ったらあなたの左耳めがけてフルスイング!すさまじい衝撃!鼓膜ポーン!血がブシュー!
7:(財政)財政といえば一万円札のイメージで。福沢諭吉があなたの鼻の穴に指をかけてあの1万円札の表情をまったく変えずに鼻フック攻撃
8:(地方自治)地方自治といえば今は橋下大阪府知事でしょう。橋下知事がラグビー経験を生かしてあなたの口めがけて頭からタックル!あなたの歯はボロボロに折れたけど、橋下知事の頭にも折れた歯が刺さって血だらけでえらいことに!
9:(改正)改正ってイメージしにくいので、ひっくりかえして「セイカイ」で。ちょっと苦しいけど細かいことは気にしないのがポイント。児玉清が「正解!」って言いながらクールに素早い膝蹴りをあごにぶち込んでくる。アゴがこなごなに砕けてあなたがぐにゃんと反り返りながら吹っ飛ぶ様子まで想像しましょう。
10:(最高法規)日本の最高峰富士山の樹海で首吊り自殺。サイコーホーとサイコーホーキ。いや、オヤジギャグとしてはレベル高い方だと思いますよ。澄み渡った空に浮かびあがる富士山と、その下に広がる薄暗い樹海で今まさに首を吊るあなた!首にロープがぐいぐい食い込んできます。思わず助けを呼ぼうとしますが、声は出ません!く、苦しい!!
この文章を1回読んだだけで10章までの章立てを覚えてしまった人も少なくないと思います。
では、さっそく試してみましょう!
1:頭頂部は何だっけ?ですぐに思い出しません?
2:おでこがどうなったんですっけ?
3:右目がすんごい痛いことになっていましたよね?
4:左目も痛くってほら!何が突き刺さったんですっけ?
5:右耳は気色悪いことになってましたよね?
6:左耳には理不尽な攻撃が加えられていましたよね?
7:鼻の穴にあんなことをするのがあの人ってことは?
8:口がえらいことになってましたよね?
9:あごという人体の急所に強烈な攻撃が!
10:首をどうしたんでしたっけ?
ね!?覚えていたでしょ?
今度は試しに、何も見ないで頭頂部から首まで順番に自分で思い出していってみてください。
どうでした?
もしかしたら1回目は詰まっちゃったかもしれませんが、少なくとも2回目はほとんどの方が全部思い出せたと思います。
漫然と「体の部位と結びつけてイメージして」という記憶法はよく見かけますが、少なくとも私はそれでは覚えられませんでした。ところが、マリックの場合は「悲劇的」という言い方をしていたと思いますが、要は「体の部位の痛み」と結びつけると不思議とくっきりとイメージできて、とにかく忘れにくいのです。
ヒッチコックの怖い映画を見たときの感覚って、その場面のほんの一部をちらっと思い出しただけであのゾクゾクする感覚まで鮮明に蘇って来るじゃないですか。痛い!とか怖い!という感覚はすごく原始的な感覚ゆえなのか、強烈に記憶に刻み込まれるのだと思います。
そして、簡単には忘れないし、どんな状況でも確実に思い出せるのがポイントです。
試しに、先ほど覚えた日本国憲法の章立てを、明日の朝起きてすぐに思い出そうとしてみてください。自分でもびっくりするぐらいすらすらと思い出せますから。
この覚え方のノウハウだけでも十分にびっくりしますが、本当の問題はこれを実際の仕事や生活にどう生かすかです。
マリック式記憶術はMr.マリックがこれまでテレビ番組で何度も紹介してきたので、覚え方のノウハウ自体を知っている人がけっこう多いと思います。しかし、これまでずっと単なる余興扱いされてきたようです。たしかに、応用できる場面が非常に限定されているのでそれも仕方ないとは思いますが、実際の仕事に使えないわけではないですし、場合によっては非常に強力な武器になります。
一定の期間は絶対に思い出せるという「確実性」
に尽きます。「痛み」という根源的な感覚を利用している故か、本当にどんな状況でも思い出せるのです。実際に試してみた人は分かると思いますが、まさに体に刻みつけられる感じです。
もちろん弱点もあります。最大の弱点は、
ということです。
Mr.マリックがテレビでこの記憶術を披露する際は「3分以内に被験者全員が15のキーワードの羅列を覚える」という実験をやることが多いようです。その際に、被験者に対してすべてのキーワードについての「痛い」イメージをマリックが提示するのがいつものパターンです。日本国憲法の章立てを覚えた方なら、確かにそれなら15のキーワードを3分で覚えるのは簡単なことだと思うでしょう。
ここにちょっとしたトリックがあるわけです。良くできた「痛い」イメージを自分で一から考えていたら、けっこうな時間がかかってしまうのです。もちろん慣れてくると3分で15個分イメージを考えて覚えるところまで可能ですが、マリック式記憶術を体験するのが初めてという被験者には無理でしょう。それを、マリックから被験者に対して良くできた「痛い」イメージを提示してしまうことで初心者でも3分以内で15個というスピードを可能にしているのです。
私はマリック式記憶術にスピードを求めるのは見当違いだと思っています。より「痛い」イメージをしっかりとつくるために、ある程度時間がかかるのは仕方がないことです。しかし、よく出来た「痛い」イメージがいかにくっきりと体に刻みつけられるかは、日本国憲法の章立てを覚えた人には分かってもらえると思います。
他にも弱点があります。最大で40程度のキーワードが限界です。そして、あまりにも強烈に刻みつけられるがゆえに、キーワードのセットを短い期間で次々と切り替えるのは難しいといった問題があります。私の場合は少なくとも1週間は経たないと前に刻みつけたキーワードを引きずります。
ということで、マリック式記憶術のポイントはとにかく高い確実性なのです。
では、どうやって仕事に生かすか?
実は、Mr.マリックは自分自身が本当にマジックショーの仕事に使っているノウハウを披露したのだと思うのです。
* お客さんを前にして極度に緊張せざるをえない状況
* 手順をひとつ忘れてしまったり前後してしまうだけで失敗してしまうマジックショー
* 手順を書いたカンニングペーパーを見るわけにはいかない状況
ね!?この状況でマリック式記憶術こそが威力を発揮するのは分かりますよね。
人前で何も見ずにしゃべった経験のある人は分かると思いますが、しっかりと覚えたはずの記憶でも、緊張によって「真っ白」になってしまうものです。私も昔お笑いをやっていたので何度も経験があります。
ポイントになるのが、往々にして忘れるのは「内容そのもの」ではなくて、「手順」だということです。「内容そのもの」については自分で一生懸命考えるのが普通ですから、ある程度は覚えていて当たり前なのです。ただし、「手順」については、例えばAという結論を言う前にBというエピソードをひとつ挟んだ方が効果的みたいなことについては、後から色々と作戦を練って考えたものだったり、色々な都合で仕方なくそうなったものだったりして、もちろん自分で考えた手順なんだけど、必ずしも自分の自然な感覚に沿ったものでは無かったりします。だから、忘れるのです。
だから、Bという内容そのものは覚えているんだけど、「Aという内容の次に話すべき内容はBである」という手順の方だけをいわゆるど忘れしてしまって、ワケの分からない状態になって、冷や汗ばかりが吹き出して、口ごもるばかりで…なんてことになってしまうわけです。
例えばこれが「工場見学の案内」みたいな仕事だったら、歩いていく順路に従って説明するしかないわけで、ド忘れのしようがありません。
対して、ステージの上に自分が主役として立っていて、「すべての手順を自分がコントロール出来てしまう=しなければならない」という状況においては、自分が事前の準備で練り上げた手順というものが、ある意味で足かせとなって「頭真っ白」という状況を生み出すのです。
この頭真っ白になる可能性は、鍛錬によって確率を下げることは出来ても、ゼロにすることは難しいです。いつも決まった会場や状況だったりしたら、あるいは何とかなりそうな気もしますが、普通は会場や状況は毎回変わるわけで、人間の鍛錬=パターンの刷り込みはそうした変化に弱いものです。
ところが、マリック式記憶術なら、あれ?何だっけとなった場合でも、まさに自分の体がカンニングペーパーになったような感覚で「手順」を思い出すことができるのです。「右耳の次は左耳だから…」と落ち着いて思い出せば、そういえばそうだったと思い出すことができるのです。
ということで、マリック式記憶術が威力を発揮する場面を整理すると
* 準備にある程度時間をかけられる状況
* 紙資料などを手元に持てない場面
といったところです。
私の仕事は人前でプレゼンする機会がけっこうあって、ここ一番の時にはマリック式記憶術を使っています。プレゼンの際にパワーポイントや紙資料が手元にあれば、手順はパワーポイントや紙資料を見ればいいわけですが、本当に勝負をかけているプレゼンの時には、私は手元に何の資料も持たずにプレゼンにのぞむようにしているのです。
非常に大変ですが、こちらの誠意はめちゃめちゃ伝わるので、大きな成果を上げてきました。
また、職場の朝礼や飲み会の挨拶などで、ちょっと気の利いた論理展開をしようとする時にも便利です。せいぜい5つくらいの項目で展開するわけですが、普通にやっているとこれがけっこう忘れてしまうんですよね。
結婚式でのスピーチなど、紙を持ってもおかしくはない状況でも、マリック式記憶術を駆使して何も持たずにさらりとこなせると、出来る奴と思われること請け合いです。
ということで、実は普通に働いている分にはマリック式記憶術が活躍する機会ってめちゃめちゃ少ないです(笑)
正直、そりゃそうです。毎回毎回覚え込んでプレゼンなんてやってられません。
でも、ごくたまにしかない機会だからこそ、いざめぐってくると猛烈にプレッシャーを感じて、何かすがるものが欲しくなるものです。そして、何時間も何時間もかけて覚えたところで、頭が真っ白になる恐怖は結局無くなりません。
でも、マリック式記憶術を知っていると、とにかく「痛い」イメージを練り上げて、その「痛み」を何回か繰り返しイメージするという明確な「やるべきこと」が見えるというのが大きいです。自分なりのゴールを設定できるので、私は非常に精神的に楽になりました。結果的に非常にリラックスしてそういう場に臨むことができるようになると思います。
ということで私なりの具体的なやり方です。
1. プレゼンする全体を内容によっていくつかの項目に分ける。
2. 分けたそれぞれの項目にタイトルというかキーワードをつける。
3. そのキーワードと体の部位とを「痛い」イメージで結びつけていく。
4. 何回かリハーサルをして自信をつける。
5. 本番
といった感じです。
マリック式記憶術の副産物として、プレゼンの内容とそれぞれの項目の意味合いについて自分なりにあらためて考えることができるというのがけっこうデカイです。逆に言うと、本当に勝負をかけるプレゼンだったら、資料を見ながらやる場合でも、2のキーワード付けの段階まではやっておいて損は無いと思います。
細かいテクニックとしては、私は体の下の方から優先的に貼り付けていくようにしています。というのも、人間は何かを必死で思い出そうとすると上を向いてしまうもので、そんなとき、体の下の方の部位と結びつけておけば、上目遣いを中和できるからです。ということで、私はたいてい右足の裏で何かを踏んづけてしまうイメージから始まって、肛門に何かが突き刺さるイメージくらいで終わりになることが多いです(笑)
そして、内容自体は自分で地道に一生懸命覚えるしかないです。というか、自分で覚えられない程度のインパクトのない内容だったら伝える価値が無いと思って、その内容自体を練り直した方がいいと思います。
あくまで「手順」を「確実に」覚えられることにマリック式記憶術の意味があるのです。そして、その「手順」を「確実に」覚えられることの価値がいかに大きいかは、人前で何も見ずにプレゼンした経験の多い人ほど分かってもらえると思います。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
電波を受信したため、以下の妄想を書きなぐる。この文章に特定の意図など欠片も無いと言っておく
新作の度に増える東方界隈人口!そしてより一層進む「お客様化」によるトラブルの増加!界隈はこのやっかいな「お客様」の受け皿としての商業化を熱望した!そしてついに神主も本格商業化に踏み切ることにした。神主にしても自由気ままに作品を作るにはあまりに界隈が巨大になりすぎたという事情もあった。彼の同人活動は「のんべえ会」の非東方作品で続ける事となった。
プラットフォームがXBOX360と決まったあたりのゲハ板はいつものハード信者たちの罵り合いにくわえ、東方厨とアンチ東方厨が加わりいつも以上にカオスというかいつも通りであった。しかし「紅魔郷」からの本家が移植され、神主の気まぐれで長年放置されてきたレザマリバグだの文花帖号外だのといった懸案事項も開発チームが組まれることにより次々と解消され、界隈は商業化を快く受け入れることになる。まあソフトの値段が当然高くなったり、追加ステージの有料配信とかで金が吸い取られるようになったが、金を払うことによるファンの意識向上によりトラブルが以前よりも減少した事は特筆すべきことである。
コンシューマ化による他の変更点としては
第2章:アニメ化第1期第2期
ゲームのコンシューマ化と平行してアニメ化の話も進んでいた。制作スタッフはそこそこの面子である。第1期(全12話)は紅~妖の幻想郷パートと外の世界の秘封倶楽部パートが平行するという構成になっており。第1話が秘封パートから始まった事での困惑も大きかった。作画的にはいい時と悪い時の差が激しく、咲夜さんの登場回がちょうど作画の「谷」にぶつかり実況板が祭になった。一部ファンが作画のよかった美鈴のファンに八つ当たりする事も。ちなみにフランはDVD特典の特別編にのみ登場する。紅以降殆どストーリーに絡まなかった為である。そして第1期は八雲紫との弾幕戦と、秘封倶楽部のメリーとを重ね合わせるような構成で幕を閉じる事となる。
第3章:アニメ化第2期
DVDセールスも好調だったのか、1年後に「永夜」を扱う第2期(全26話)が放映された。何せ4チームそれぞれがバラバラの思惑で動き、時に敵対するという原作であるためか、アニメの時系列を殆どバラバラにして巧みに組み合わせるような感じで作られ非常に難解な構成となっていた。どれくらい複雑かといえば「第1話の冒頭が「永夜返し」から始まる」と言えばわかってくれるだろうか。あまりに内容が入り乱れるため脱落するファンも多かったが、作画は1期よりも格段によくなっており、とくに妹紅との弾幕戦の回は神回と評判が高かった。この放映後はソフトセルのみの「花」とか第3期と続いていくが省略する
第4章:同人界の流れ
アニメを見たりプレイしたり楽しむのみのライト層と、同人に漬かるディープ層の住み分けが進み、規模は漸増を続けていたが混乱は他作品の同人界隈と殆ど区別がつかない程度まで落ち着く。アレンジCDを出したりするときに多少の制約は増えた(例えばZUN以外の作曲家による東方曲の扱いについて)がそれ以外は特に変化は無かった。まあ「締め出しを食らった!俺たちは切り捨てられた」と騒ぐ大手アレンジャーの主語の大きいファンとかは少しばかりいましたが。
第5章:斜陽、冬の時代へ
隆盛を誇った界隈も、リリースされるゲームに決算期対策とおぼしいミニゲーム集が目立ってきたり、アニメが一通り原作を消化した事でなんとなく下り坂の黄昏に入っていく。神主はマイペースにコミケで作品を頒布し続けている。ファンもじょじょに脱落していき、残ったファンは細々と活動していく。まあ最初期に戻ったようなものである。