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2008-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20081117233527

一番下の箇所を先に読んでもらったほうがいいかもしれん。

君はその公式を丸暗記して使っただけ。別に明示しなくたってソースはわかる範囲で確認してます。あなたとは違うんです

丸暗記って。いやいや僕の言っていることさえ正確に読み取れていない。どうでもいいけど別の増田の言ったことは科学のお作法の書籍には書いているかもしれないけど、僕は確認していないんだ。それはともかく、僕のいう元増田論理的な間違いはわかった?調べなくてもわかることだから。論理的に判断できること。それだけ。公式適用でいいよ。

そこが違うと言ってるんだよ。君が知らないことは専門家しか知らないなんてもんじゃないんでな。

僕が知らないとは言っていないんだけど?僕の問題じゃないし。そういう形式的な間違いを元増田は繰り返しているんだ。

俺が持ち出した記事は「権威」とかではなく、まともな事実に基づいて丁寧に議論していることは読めばすぐわかる。それがわからないのであれば君は端的に言って勉強不足。

前段でも間違った推測をしているのだけど、「わかっていない、知らないこと」ことと「(分かっているなしに関係なく)根拠を聞くこと」は同じでない。また僕がやっていることは、議論の形式に沿っているかのチェックだけだから、内容が分かる分からないは範囲外。内容がわかってなくてもチェック可能ってことね。

そんなこと書いた覚えないけどね。

「もちろんその通り。」が何に呼応しているか、他人の尻馬など随分元増田との主張とに一致が見られる。違うと言うならそれでいいけど。

「おちょくる」=「釣り」なのか。なんとかならんかその短絡。厳密に議論したいという割に君自身が粗雑すぎる。全然ダメ

そうでもないんだ。文体の全体的なトーンが。これ釣りを否定すると厄介なことになるよ。強く否定するということは、逆に正しいことが多い(笑)。僕の経験から。全然ダメなんて聞くと、ああやっぱりって。

さらに僕は厳密に議論したいとは言っていないのだから、勝手な読み方をしている。論理的に構成されているか、論者が論理的な思考を備えているか、ラフなチェック機能だって言ったじゃん。ざっと読んであーだめな人だから、ちょっとチェックかけて気が付くかな、あーやっぱり気が付かない、ダメな人ってかんじで。そういうところはダメな人だけど、新書の知識は使えるよ、っていうことは別に矛盾しないし、内容自体も否定はしていない。だから専門家でないと分からない内容ではない、書評氏の議論は丁寧、なんていくら主張しても関係ないし。

建物に例えると、構造はちゃんと出来ているかな、というのが僕のやっていることで、元増田がやっていることは内装の素材が基準にあっているかとかだから、基本重ならない。偽装マンションでもいいものをいれちゃあいけないってこともないんだろうし、いれたからどうなるわけでもないのだろうし。だけど構造設計が偽装されると建物全体の価値が下落してしまうね、ということはあるわけで。だから元増田は形式さえ整えれば大きな問題がないんじゃないって思っているよ。じゃね。

2008-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20081111003945

イナカってさ


乗るときは男女ともジャージが標準仕様、ほぼ何処でも。

な感じするよな。

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081029222553

あー大変だなぁ。

うちのマンションにもそういう人たちが結構住んでいて

必要ないのに、高級ワンボックスエアロ付とかマーチエアロ付とか軽ワンボックス限定仕様(紫)にゴテゴテした内装とか

すごいよねーなんで必要も無いものにお金をかけられるんだろう。不思議です。

うちは日産ノートだけど買った当初からぜんぜん変わらないけど、何の不自由も無い。

10年乗りつぶして、次はイタフラでも買おうかと思っているけどね。

まあ、うちのマンション地域にしたら高めなので、そういう人もどちらかと言えばおとなしいので助かってるけど。

毎日騒がれたら一瞬で出て行くなあ、マジで

何にせよご愁傷様です。

2008-08-27

台湾メイドカフェ Fatimaid

http://akibanana.com/?q=node/1132

英文。

台湾メイドカフェ、「Fatimaid」の紹介をめちゃめちゃ要約。

2000年Piaキャロカフェにも行った事のある、日本語ぺらぺらのオーナーが開いているお店。

Animaidっていう台湾初のメイドカフェ日本流のゲームとかメイドイベント盛りだくさんのとこだったらしいんだけど、色々あってつぶれたらしく、現在台湾ではより「保守的な」メイドカフェが主流だとか。そしてFatimaidも例に漏れず、落ち着いた雰囲気。

客の三割が日本人のため、メイドたちも日本語を話せる。珍しいことに、完全予約制。

オーナーの哲学なのかなんなのか、内装や衣装(オーナーデザイン)やサービスにこだわりを持っており、メイドたちも仕事に誇りを持って働いている事が伝わってくるそうな。オーナーは「ご主人様」、男性マネージャーは「執事」、そして女性従業員は「メイド」という関係で、仕事中はもちろん、仕事外でも同じ関係でいるとか。

ケチャップデコレーションされたオムレツは無いけど、かわりにチョコレートシロップお菓子のお皿に絵を描いたりする。紅茶はかなり高級な茶葉を使用しているようで、相当美味しいらしい。

食事の料金の他に、2時間150円のタイム・チャージが必要という方式。季節ごとのイベントや季節限定メニューもあって、この夏には特別衣装として浴衣を着ていたみたい。

メイドが積極的に沢山のサービスをするっていうよりも、居心地のいい空間を作る事で、お客さん同士のコミュニケーションを取りやすくするような、「癒し系メイドカフェ中国ではコスプレが盛んな関係で、オタクイベント参加者とかも女性が圧倒的に多いらしいんだけど、Fatimaidの客層も初期は男性女性=9:1だったのが最近は7:3くらいになってるとか。隣が男装執事カフェで、そっちは女性で一杯。

なんかおもしろそうだったので紹介した。チョコシロップの絵とか、結構上手くてかわいいので、リンク先の写真見てみて。

ちなみに名前の"Fati"の由来は、ファイブスター物語の「ファティマ(Fatima)」らしい。オーナーの趣味?w

2008-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20080617032448

元増田です。

 

正直言ってあの駄文が何処の誰のどんな心の琴線に触れたかわからないので、

各々の求めている内容を追記することが出来ないとだけ断っておきたい。

で。

ブコメやら周囲の反応やらを見ているとどうやら俺のクズ発言に怒りを覚えている人が居るようだ。

あえて乱暴な言い方を使ったがそこをまず最初にフォローしておこうと思う。

俺は決して肉体労働者がクズだ底辺だとは一言も言っていない。

体が健康で運動が性に合っている人間が、体を動かすことで報酬を得るのに問題があるとは思っていない。

だから大工などの例を出した。アレ正社員かどうかの個々のケースは知らないが。

俺は日雇い派遣会社に毎日入り浸り、環境のせいにして向上心を持たず、事務所の床で寝るような輩をクズだと称したのだ。

 

 

正直誰に向けて書いたわけでもないし、まともな内容の文章だと自分でもあまり思わなかったので、

そういう所まで気にかけないと増田に文章も書けないのかと若干引いた。これは別の話か。

この際なるべく詳細に思い出して書いてみる。

 

 

俺が勤めていた派遣事務所は、池袋のK社、新宿のS社。

まだあるかどうかは知らない。興味もない。どちらも大手ではない。

色々覚えているのは片方だけなので、その片方の会社でのことを書く。

これは主にそこで親しくなった社員から聞いた話だ。

 

その会社は、オーナー社長が居るとだけ聞いていた。見たことはない。

ただ、「今日来るらしい」の一言が社員間で流れただけで全員が部屋の掃除を始めるほど恐れられていた。

思えば土地柄ヤクザがらみだったのかもしれない。

そして正社員は5人程度と聞いた。三ヶ月間フルでいた頃はローテーションは四人だった気がするが。

その正社員は、正社員と良いながら実質半分社員、半分派遣のようなものらしく、

たまに現場に出ないと収入が低いとぼやいていた。

つまり日勤(事務所電話受け、新規面接など)より現場の方が給与が高かったのだろう。

女性は一人いた。高校を退学したとか言う話だったが詳しくは知らない。

実質、事務所に寝泊まりする輩の母親みたいなものだった。奇妙共同体だと最初は思ったものだ。

 

その事務所には月当たりで50人から200人が登録(面接)に来ると言っていた。

大半は学生のため、月や季節でばらつきがあったようだ。

だが暇な主婦や、失業したサラリーマンなどもそれなりにいた気がする。

それらの内、最初の一週間で二度と来ないのが半分程度

半年までで辞めるのが3割程度、

半年以上続けるのが1割、

そして何があろうと居座るのが1割だと聞いた。

ちなみに会社に泊まるような奴は数ヶ月に一人くらい増える、とその社員は笑っていた。

俺が三ヶ月フルに居座っていた間、常に寝泊まりしていたのは数人だった。

週の半分くらい事務所の床で寝るのが10人はいた気がする。

その頃はネカフェ難民などという言葉はまだ発明されていなかったから

ネットカフェに常に泊まっている奴らがいたかどうかはわからない。

ただ、シャワー浴びに行くとか、今日ゲームがやりたいとか、

そういう理由でネットカフェに行く人間もいた気がする。

フラフラしているが故に

今日はあいつはどこ泊まってるのか分からない、明日の現場に必要なのに捕まらない」

なんて事もよく聞いた。

 

仕事内容は前回書いたものが主だった。

他にも、借金の催促電話掛けや、

真夏の道路の通行量計測、

イベント会場でのプラカード持ちなどもあった。

だが比較的そういったダルくない仕事は大手(グッドウィルなど)が取っていき、

俺の属していた事務所は汚れ仕事などが多く来ているような気がした。

また、現場では「今日は○○から来たと言うことにしてくれ」という通達が出ることがあった。

足りなかった数合わせで緊急の仕事だと、そんなことも多かった。いわゆる数あわせだ。

アレ二重派遣になるのか、と今なら思うが、

当時そこに疑問を持つ人間は誰もいなかった。恐ろしい話だ。

そういえば、その事務所には二勤・三勤という言葉があった。

勤務が終了して根城たる事務所に帰ってきた人間が、すぐに次の空いている仕事に入る言葉だ。

連続勤務、三連続勤務の略というわけだ。

もちろん、普通学生アルバイト主婦サラリーマンの小遣い稼ぎ目的などの人間は絶対にやらないキツい勤務だ。

彼らは金のためなら己を酷使することを厭わなかった。

彼らは金のためにキツい仕事をこなしていた。

彼らは金のために生きていた。そしてその金は浪費するためだけにあった。

 

 

 

色々書いてみたが、俺がクズだと言ったのは本当にごく限られた輩のことだ。

また、上の何割という数字が事実かどうかは知らないが体感では確かにそんな所だった。

そしてクズとまでは行かなくとも派遣から抜けられないで苦しんでいる輩も多かった。

 

目的があって短期派遣仕事をする奴は別にクズでも何でもない。

ほとんどが学生の安易なアルバイトだからだが。

ついでに言うと俺のことを気にする人が多少居たようだが、

俺は社会経験のためにやっていたのでたいした後日談はない。

貯めた金と若干の借金学校に入り、そのまま就職した。

 

 

彼らが俺の言うクズかどうか気になるのであれば、ともに一ヶ月でも働いてみればいい。

クズかクズでないかは結局主観の問題な気がするので、自分の目で確かめてくれ。

俺はこの目で見てクズだと思ったのだ。

 

環境が彼らを悪にしたのだ、と俺以上の上から目線で彼らを擁護するのもいいだろう。

彼らが無計画な理由を置かれた境遇とともに妄想してやるのも良いだろう。

確かに環境は悪かった。決して良いとは言えなかった。

仕事内容はキツいものが多かったし、給与も決して高くはなかった。

だが断わることも出来るし、都の最低賃金を割っているわけでもなかった。

そして日雇い派遣を経験した人間が皆クズで無計画かどうか想像してみればいい。

そうでない人間と、そういう人間と、それらの差はどこにあるのか。

 

そもそも仕事内容それ自体は日雇い派遣でなくとも見つかるものばかりだ。

土建屋内装屋、引っ越し屋、倉庫作業、イベント設営、etc.

現場で、その会社人間たちによく聞かれたものだった。

「君たちは何で派遣なの?ウチの会社に来れば、バイトでも給料倍なのに」と。

 

 

問題がどこにあるかなんて安易なことは言えないのは分かっているが、

だからといってクズを野放しにして良いとは思えない。

彼らに必要なのはステータスともう少しの収入だ。

仕事内容に文句を言う奴らはそもそも日雇い派遣など選択肢に入れない。

 

彼らは愚かだったし、悪しき環境にいるおかげで普通人間も次第に汚染されていくのは

変えようもない事実だった。

今でさえ、あの頃自分がどれだけDQN環境にいたのかと恐ろしくなる。

俺は幸い犯罪には手を染めなかったが、彼らが行う犯罪や非社会的行為を止めることをしなかった。

そこは等しく俺も悪い。

だからこそ、彼らがこれ以上クズにならないような社会を望んでいる。

自分がそこを経験したが故に。

誰かがやらなければならない仕事をやっているクズ人間にも

俺みたいな人間からクズ呼ばわりされないだけの社会が必要なんじゃないのか。

 

前回最後にかすかに書いた、

雇用の枠の流動化

日雇い派遣の公営化

現実的な手段として作用しないだろうか。

 

解雇しやすくなると言うことは、それだけ雇用されやすくなるし、

日雇い派遣の公営化がなされれば、労働者もそれだけ安心できる。

もちろん雇用側から斡旋する公営側に金が流れる事も考えられる。

俺は別に経済雇用専門家でも何でもないが、こんな案はどうだろうか。

 

正直言って前回のエントリの何がそれぞれの心に引っかかったのかは分からない。

日雇い派遣は身近な罠で、そしてその底辺には澱んだ泥沼に足を取られて死んだような輩がうようよいる。

彼らはどうしようもなくクズだし、そうさせてしまう泥沼も悪い。

だから、その沼を幸いスルーできた人間上から目線で救ってやる案を考えるのも悪くないんじゃないか。

俺は沼から出てきた側として、問題提議できればそれで良いかと思っている。

 

 

ちなみにクズクズって単語にここまで過敏に反応されるとは思っていなかった。

だが俺に対する個人攻撃はもっと多いと思っていた。意外とはてな民は民度高くて繊細だな。

2008-06-17

数ヶ月間日雇いだけで生活していたことがある。あの空間は異常だった。

時間勤務で八千円程度の仕事を二連続、下手したら三連続とか入れる癖に、

パチンコ千円札突っ込み続けることを全く疑問と思っていない人たちが居た。

そしてタバコを日に一箱吸い、酒を飲み、一食(コンビニ)で千円使うことを何とも思わない。

そして宿がないため派遣事務所の床で寝る。

将来に対してまともな計画を持っている人間は一人もいなかった。

 

 

肉体労働者が必要なのはわかる。

ビル解体したときの瓦礫を運ぶ人間が、必要なのはわかる。

高層マンション内装を、一階から階段で上げる仕事など普通内装屋がやるわけがない。

日に三件も回らなければいけない引っ越し屋が、社員だけですべてを回していくのは不可能だろう。

広大な倉庫で、無数の商品を、一つ一つ宛先に合わせて詰める作業は、未だ機械が代わってくれるものではない。

一晩で設営しなければならないイベント会場で、深夜働きづめでスケジュールを合わせるには人手が必要だ。

 

それら全ては、現実的にも誰かがやらねばいけない仕事だ。

そしてそれらは、今現在日雇い派遣労働者によって支えられている。

 

だがそんな劣悪な環境に慣れてしまった底辺労働者たちは、境遇の改善などを求めていない。

意外に思われるかもしれない。

他人から見たら底辺の彼らが望むもの、それは目先の一万円だ。

その金で安い風俗に行くのだ。それしか望んでいない。

本気で境遇を脱したかったら、半年で離脱できる道はある。

 

今、日雇い派遣規制するなんて案が出ている。

下らない。

だいたい二重派遣なんてどこでもやっている。

それに何か規制したところで誰かがやらなければいけない仕事だ。

まだ現実的に移民には任せられ無いだろう。いろんな意味で。

 

そして、ネットカフェ難民などという単語も発明された。

確かにそういった人間は居る。

だが俺の居た事務所ではネットカフェではなく派遣事務所に泊まっている輩の方が多かった。

ネットカフェには、シャワーだけ浴びに行くのだと言っていた。

 

そして俺は数ヶ月間一緒に働いて、こいつらを救う金など必要ないと思った。

教育に回すべきだと、思った。

こういう、大人なのに馬鹿人間たちが生まれないために、教育に金を回すべきだと、強く思った。

 

本来、肉体労働派遣がやらなければならない仕事ではないはずだ。

正社員の作業内容が肉体労働で何の問題があるのか。

大工棟梁、鳶といった人間肉体労働をしているという点で派遣たちと同じだが、

彼らは正社員というステータスを持っている。

 

今、派遣肉体労働を続けているような人間社会の底辺だ。

コレは断言しても良い。彼らはモラルも低く、犯罪者すれすれの存在だ。

事実軽犯罪ならほとんど毎日、日常茶飯事だ。

だが、そんな彼らも、「正社員」という肩書きと、ピンハネされないだけの給与を得られればきっと何の不満もない。

そして緩く雇用され、一定の自由な時間があれば、彼ら屑は屑なりに自分のために時間を使うのだ。

もとより週五日八時間勤務に耐えられないような人間たちだから、そこは仕方がない。

彼らが屑たる所以だ。「ダルい」だけで翌日の仕事キャンセルするような人間だ。

 

思うに、正社員をもっと緩く雇用できる制度があればよいのかもしれない。

正社員、というカテゴリに当たらない枠が必要なのかもしれない。そこはわからない。

だが、日雇い派遣労働者は必要だし、そこに企業は決して安くないコストを支払っている。

ならば、いっそもっと公的な機関が今の派遣会社の役割を担ってしまうのでも良いのではないか。

ハローワーク日雇い派遣の斡旋も扱えば、ある意味健全だと思うのだが。

 

 

俺が日雇い派遣で働いた理由は、ガチで「社会経験の一環」だった事を、何故か思い出した。

2008-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20080504103757

かまって欲しいみたいだけど。

まず、誰も助けてくれない/たすけられないことを自覚した方がいいよ。


荷物もってたって誰も注目しないよ。

平日でも一緒。見てもそういう人もいるかもね程度。


ホームレス見たってそうだろ?

みんな素通り。

普通の格好してただ荷物持ってるだけだぜ?

自分の行動思い出してみなよ。

そんな人平日にだっていっぱいいたろ。


ついでだから元家なしが住むところが以下に大事かその他もろもろ語っとこう。

同居に戻ることになろうが同居解消になろうがまず住むところがあるってのは大事だ。


郊外で安いアパート探せ。


マンスリーやらウィークリーやらは高いうえにサービスが悪い。

しまいにゃ金がなくなって「本当に」動けなくなる。


計算は簡単だ。別居が長引いたら毎月20万とかかかる。

1kのアパート普通に借りれば初期費用20万だして翌月から家賃5万+光熱費

住むだけでこれだけの差になる。


職さえあれば家賃5万以下入居費用20万以下(初月家賃含む)かつ保証人なしで入れるところもある。

保障会社を進めてくれる不動産屋もある。

突然のことでお金がないなら敷金礼金なしを探せ。家賃多少高くなるけど差額数千円/月だね。


数年契約で満了前の退去費用は大抵家賃1か月分と清掃費用とか。

入居退去条件について疑問があれば全部不動産屋に説明を求めろ。

質問に答えられない不動産屋はアウトだ。

条件については資料調べてでも大家に連絡してでも後日になっても答えてくれる。


急いでいる旨を伝えれば契約後1週間以内には内装やってくれる。

入居時は接着剤やらワックスやらのにおいとか残ってるが慣れるし、そのうち薄れていく。


通勤時間1、2時間以上でかかりすぎるとか隣室がうるさいとか細かな問題は出てくるが「同居の方との問題」を片付けてから考えればいい。

ただでさえ仕事があって忙しいのに何もかも抱え込むと全部うまくいかなくなる。


多少の金は無駄になるが最悪数ヵ月後にもう一回引っ越せばそれで十分間に合う。

吟味して選べるわけじゃないからそう思って心構えしておけばいい。


金はある程度捨てる覚悟が必要。ここは割り切れ。

家なしの状態は緊急事態なんだ。

元増田が思ってるほど悠長にやってられる状態じゃない。

定住できる家がなければあっという間に金はなくなる。


ネットカフェ難民テレビで騒いでたけど実際に家なしの難民になってるやつを見たことがない。

散々底辺生活してるのにもかかわらず・・・だ。


大体は家が遠いから週に何回かネットカフェで泊まってるだけ。

平日ほとんどネットカフェで家にネット引かない分貯金に回しているやつもいる。

都市部アパート借りるよりトータルで安くなるからな。

2008-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20080329072041

Acuraはどうだい?CIVICもいいぜ?

http://www.acura.com/tlp/tlp_rsx.html

http://automobiles.honda.com/civic-coupe/environment.aspx

ホンダはパワーと燃費を両立させてて好き。最近ティーダに乗り換えたけども。

最近ミニバン流行りとかどうよ。そんなに背が高いのが好きかい。

そんな事よりもっと内装に金掛けてくれ。後部座席なんかおまけでいいから、もっとゆったりとした運転席を。

2008-03-26

孤独だが引きこもりではない人間休日の過ごし方

社会人1年目(23歳)。地方県庁所在地一人暮らし恋人・友人はいない。

何の予定もないので家でごろごろすることも可能だが

そうはさせない。

「予定がない」

おれはこれを「完全なる自由」と肯定的に捉えている。

何も考えずに出かけることが多い。

大体休日は朝8時から9時に家を出る。

自転車

適当に街を行くと喫茶店があるのでそこでコーヒーたばこ漫画/小説

喫茶店は行き着けの所に行くこともあれば新規開拓もする。

内装音楽の雰囲気がよくて一人で来てる奴(服装に気を遣う人間スポーツ紙を読んだりしない人間限定)が多ければあたり。

ジジババの溜まり場だったり内装にこだわってなかったりテレビあったりしたら全てハズレ。

味は二の次。雰囲気さえよければいい。

新規開拓はリスクが高いのです。

(余談だが喫茶店に関して、今まで行った店は開店時間内装音楽など分かる(調べられる・聞ける)範囲は

全て記録している)

閑話休題

持ってきた本やたばこやむかつく客の来店等で滞在時間は変わる。

早ければ30分、遅ければ2時間ほど。

その後どうするか?

さすがに飲食店はないからここで本屋コンビニですよ。

本の種類ってはんぱじゃないよ?

いくらでも時間つぶせる。

まあ1時間としようか。

まあ大体11時から12時くらいになってるわな。

腹は減ってないよ。朝飯食べて家出るからね。

ここで運動です。

ここは地方都市

そして俺の乗っているのは自転車

どんな路地にも入っていける訳です。

景色芸術品と同等に捉えている自分としては「道」そのものが美術館のようなもの。

通ってない道や雰囲気のいい通りをキョロキョロしない程度に味わうわけです。

ひからびた民家や小汚い子猫貧乏くさい料理のにおい、寺の地面に舞い散る落ち葉

その全てが鑑賞に堪えうるのです自分にとっては。

国道沿いはサイアクだね。国道でも県道でもない、

いわゆる「車で走りにくいクソ道」が一番いい)

道も喫茶店と同様いきつけと新規開拓があるため、

「一応」地図携帯。これは迷ったとき用。

「おやこんなところに道があるぞどれどれ?ふむ、これはいい道だ」

というシチュエーションが好きなのです。

まあ、どっちにしても30から40分くらいか。

そんなこんなで小腹も空きました、と。

次に行くのは洋食店もしくは古汚い食堂またはラーメン屋な訳です。

洋食店はカップル・小汚いジジババがいないことをせつに願いつつ来店。

煙草は吸わず、置いてる雑誌新聞週刊誌を読む。

適度な満腹感が非常に心地よい。晴れの日ならさらに。

まだ昼。

ここからが孤独にとっては難易度が高くなる。

カップル・友達・家族連れの出現。

何かに時間を挟み3時から4時に喫茶店に行くわけだが、ここの時間の使い方。

図書館本屋レコード屋(文字通りLPとかの普通レコード屋)・たばこ屋は一人で問題ないが服屋(路面店)。

こいつが厄介。

「一人で来ている客がすでにいる」

ことが条件だからだ。

いればあたりでいなけりゃはずれで。

こいつばかりは運試しだ。

その後、またも風景を味わうために自転車でとばす。

途中新規開拓できそうな店を見つければ寄る(書き忘れたが1回目の風景探索でも寄る)。

そうしていると3時から5時になっている。

喫茶店だ。

あたりをひくことを切に願う。

できるだけ長くいたいからな。

出ると日も暮れている。

スーパー野菜や肉を買い、その時点で空腹感がかなりあれば外食(行く店は前述)。

あまり減ってなければ喫茶店もしくは家で適当料理

家では読みかけの本やRSS・行きつけサイトニコニコ増田ホッテントリの巡回。

こうして休みの一日は終わる。

寝っ転がって昼寝してテレビ見るだけの人間にだけはなりたくない。

2008-02-26

Aさんの実家で見た遺影と骨壺と父親

http://anond.hatelabo.jp/20080226015115

Aさんの命日から2ヶ月ほど経ったある日。

出張のついでに彼女実家を訪ねてみた。

今の家から電車で2時間。昔住んでいた家からは5km程の距離だ。

バブル期に分譲されたマンションだった。彼女の父親が羽振り良かった頃のものだろう。

ただ、彼女母親に部屋へ招かれると、非常に殺風景だった。

家具は古いし内装を変えた気配もない。2人の娘がいた家だとは思えない。

父親の本棚には大月マルクスエンゲルス全集やその手の本がホコリを被って並んでいた。

彼女の遺影の前で手を合わせた。

49日を過ぎたが、まだ骨壺はそこにあった。

お墓をどうするのかまだ決まっていないという。

夫の墓に娘の骨を入れたくなさそう。複雑な家族環境がなんとなくうかがえる。

たぶん、もう一人の娘が片付いたら、夫と別れる気なんだろう

最初、母親は「娘のことは忘れてください」と何度も繰り返していた。

「ご迷惑おかけして申し訳ございません」と言うのだ。

気まずい雰囲気が流れる。

ただ、僕が学校での彼女の想い出を喋り始めると、やや空気は変わった。

やっぱり遺書めいた物は残していないらしい。

その理由を追い求めたくなるのは共通する。

知っている彼女と側面と別な姿を知りたいというのも同じだ。

彼女病院に行くのを嫌がっていたが、

最期の数ヶ月、「僕のために」通うことを承諾したのだという。

僕も、Aさんから結婚してくれと頼まれたことを伝えた。

お役に立てず申し訳ないというと、

母親は「あの子も、ラクになりたかったのでしょう」と答えた。

彼女の小さいときの写真を見せてもらった。高校卒業アルバムも見た。

やはりいつも笑顔がない。なにか硬直した感じになっている。

笑うときもいつも引きつったような顔しかできなかったのを思い出す。

小学校高学年から大学生まで顔も髪型も何も変わらないというのも分かった。

プロポーズ言葉は「私の胸囲は小学六年生の平均だから」だったが、それは本当だった。

時間ほどしたのでお暇しようとすると、玄関の音が鳴った。

父親が帰ってきたらしい。でも、まだ平日の3時前なのに早めの帰宅だ。

リストラされた団塊世代。きちんとした職に就いていないのだろうか

来客である僕に軽く会釈をした後、自分の部屋へ向かった。

パソコンの立ち上げ音が聞こえる。かなり古めのタイプだ。

来客が来ているのに何しているの、と口論をしているのが聞こえる。

どうもネットで株取引をしているらしい。

それから20分ほどして、羊羹とお茶が運ばれ、父親がやってきた。

「このたびは……」と切り出すが、会話は全く続かない。

命を絶った娘の遺影を前にして座る、男と父親。

話すべき言葉は何もない。

仕方がない。カバンの中から一つの封筒をとりだして見せた。

あるネット彼女が自分の心境を書き殴った文章を印字してきたのだ。

それを伝えると、父親は封筒から紙を取り出し、食い入るように見つめ始めた。

それを見ながら、この人、顔も性格も娘とそっくりだなと実感した。

この父親も、子ども社会とどう接すればいいのか分からなかったのだろう。

彼女が小さいときも、思春期になってもお互いの距離感を確認できなかった。

でも、なんとなくこのダメおやじの哀しみとジレンマも分かってしまった。

実は、もう一つ封筒を用意していた。

そっちにはAさんの両親に対する罵詈雑言も書かれていた。

でも、お互い、知らないこともあった方がいい。

帰り間際、土砂降りの中、母親バス停まで見送ってくれた。

来てくれてありがとうと繰り返した。

僕と同様、彼女の死をどう受け止めればいいのか分からなかった。

その気持ちを共有する人間を求めていたのだろう。

で、両親の気持ちも分かってしまった僕は行き詰まった。

Aさんの気持ちで考えれば考えるほど、絶望しか目の前にはない。

あの子に、もう他に生き残るための選択肢はなかったんだと痛感した。

崖っぷちに立った僕に見えるのは、ただ真っ白な霧だけだった。

その2週間後、僕はついに潰れてしまった

2008-02-18

インテリア関連クリエイティブ系の人!ここだけの話【モダニズム建築

インテリア関連クリエイティブ系のみなさーん。

お疲れさまです。

お客様建築家さんだったりする、建材や住宅設備・内装などの

インテリア関連に従事しているけど、実は建築勉強とかしてなかったヨ

という人は結構多いですよね?

私も実は、建築科ではなくて芸術学科出身ですから厳密にいうと

違うんですけど、なんとなく知っているっていうくらいですが

これはちょっと知ってる方がいいかもしれないことを

こっそり教えておきますヨ。

「モダニズム建築」といわれる建築物ってたくさんあるのですが

じゃあ、どれが「モダニズム建築」なのさ?と

口をとがらせて聞かれます。うんうん。

そうだな??、丹下センセ知ってます?丹下先生が亡くなったのが

2005年。丹下先生設計した有名な建築物は?というと、

たくさんあるのですが、とりあえず絶対知ってるのが新宿にある都庁。

その近くにある新宿パークタワーもそうです。

都庁がいいかどうなのかは、個人の美的感覚にまかせるとして、

あれはモダニズム建築じゃあないんですよ。ちょっとポスモ寄り。

(「ポストダニズム」をポスモというんですよ。)

丹下先生は、若かりし頃はル・コルビジェに傾倒していた(あの頃は

みんなそうだったようです。)ので、当然のことながらモダニズム建築

を実践していた。その代表的なものとしては、東京カテドラル代々木競技場

などがあります。

★「モダニズム建築」というのは、鉄やコンクリートガラスなど建材の

技術革新によって、それまではムリだった高層建築とかできるように

なったんですよ。いま、すごく単純にざっくり説明しちゃいますよ!

で、デザインとしてはシンプルだったり構造がそのままデザインだったり

するのが特徴です。今みると、なんかシンプルで静謐な感じと思ってしまいます。

(多少内部が古かったりするところも味と思えるからなのかしら?)

★で、「ポストダニズム」っていう言葉を聞いたことがない人も、聞いたことはある

けど今までスルーしてた人っていうのも結構いるはず。

じゃあ、何故「ポストダニズム」ってそんなに影が薄いのか?という

ことですよ。

その理由は、「ポストダニズム」は建築史ではなかったことになってるんです!

では何故なかったことになっているかというと、

ざっくり言うと、「痛い建築かも?」ってことなんです。

全部が全部そうだとは言いません。何が痛いかも言いません。

でも、でも、そうとしか言えないのです。

「もう少し、時間が経てばきっと解ってくれるよ、みんなも。」

といったところでしょうか?

ダニズム建築も、できた頃はみんな「なんじゃこりゃ!」って

言ってましたもん。

だから、ポスモについてはもう少し寝かしときましょう。

でも、再評価される前に解体なんてことにならなければいいのですが…。

ちなみに、ポスモ建築の例としまして、

1. 水戸芸術館(設計:磯崎新/1990年

2. M2(設計:隈研吾/1991年)

3. ソフィテル東京ホテル(設計:菊竹清訓)などなど。

ね?なんとなくポスモってそんな立ち居地なんです。

でも、私は嫌いじゃないです。

2007-12-08

ケンタッキー

あのさ、昔飲食店バイトしてたときには、

ゴキブリが出たら熱いお湯をぶちまけてやっつけてたのよ。

蛇口から出るお湯でさ。75度位のお湯だったかな。

で、やっぱりゴキって熱に弱いらしいから、

そんな熱いお湯じゃなくてもあっさり死ぬのね。

ほら、ソース

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%AD%E3%83%96%E3%83%AA

※グロ画像あり。注意!!

以下引用

---------------------------------------------------------------

熱水

摂氏50度以上の温度の中でゴキブリは生存することができない。したがって、電気ポットを常備しておき、熱湯を浴びせることによりゴキブリ即死させることができる。ただし熱水を扱う関係上、人間ペットにかからない様十分に注意を行う必要がある。また、畳などの水分を吸収しやすい内装材を用いた場所や、天井などでは使用が難しい

---------------------------------------------------------------

あとさ、ゴキって油に弱いじゃん。

ゴキに近付かれたくない場所にはサラダ油引いとくって、知ってる人は知ってんじゃない?

ツルツル滑って歩けないらしいし。

まあ、というわけで、フライヤーの高熱なんかに通したら一撃で死んじゃうだろうし、

ましてや油だから、「なかなか死なない」なんて絶対嘘だろw

子どもだし、フカしたい部分があったんじゃないの?

生きたゴキを箸で掴むなんておぞましくて出来ないし、

なにより技術的に相当難しいだろ。1回捕獲すんのか?

でもやっぱ、殺したゴキかなんかをイタズラしたっぽい、てのは分かるけど、

ちょっと冷静に考えてみようぜ、っていうか、

個人的にちょっと違和感があったから書いてみただけだ。

他意はない。

2007-11-19

俺と日本橋

今日さ、難波行ってきたんだ。Gパンの股が裂けて下が残り2着になってさ、よしどうせだったらオサレタウンに行くか、と。

でもまあ、買えないんだわ。いつも通り。オサレ空間にいるだけで変な汗ダラダラ出てくるし、やたら早足になる。服見なきゃいけないのにな。

大体お前、8900円って言うけどそれ税込めたら万札渡して紙幣が返ってこないじゃないか。ふざけんな、と。汗ダラダラでね。

オサレタウンに居るだけで言うほど汗ダラダラなのかよって思うかもしれないけど、まあ実際そうだったから、ビルの外に出て、故郷に向かうことにした。

我が心の故郷日本橋にね。涼みがてらにね。正直その時点で相当体力も消耗してたし、欲しいもんも無かったから、ふらついてただけだけど。

でも、やっぱいいわ。日本橋。歩くだけで落ち着く。汗もひく。ゆっくり自然な歩調になる。アウェイからホームへ。

メロンとか虎とか大分増えてたな。多分メイド喫茶だろうって感じの内装工事をしてる店舗もあった。変わりつつあるけど、まあホーム。

そんなとき、オサレタウンの気の早すぎるクリスマスネオンに心痛めてた俺が、電気街のうるさすぎるネオンに心癒されてたときに、弾き語りを見かけた。

何か、イラっとしたのね。そんとき。何であなたオタロードでそんなことやってんのって。完全にいちゃもんだけど。んでさらにそんとき、気づいた。

ていうか何となくわかった気がした。アメ村とか梅田とかの、ふっつーの道ばたで座ってるギャルやら何やらの気持ちが。

奴らにとっちゃあそこがホームなんだな。いやまあ、知ってたけど、頭ではなく心で理解できたっつうか。あそこは奴らのナワバリだからしんどいんだな、と。

街にナワバリみたいなものを過剰に見てしまう俺みたいなタイプは、同じように自分のホームに対してもナワバリ意識が強い。それが弾き語りに向かったわけだ。

ひととおり巡って、満足したので帰ることにした。結局服は買えてない。しばらく下2着で凌ぐことにした。ボトムスとか死んでも言うかハゲ。

2007-10-29

モニター見ながらラーメンが食えるか!!

昨日、数年ぶりに光麺に行った。

結構人が並んでいたので、味は落ちてないかなと思って入ったんだけど、

実際に入ってみて愕然としました。

味がどうこう以前に、内装のあり得なさに。

あのですね、カウンターの前に10インチぐらいのモニターが付いてるんです。

カウンターの前ですよ?

よくある「中華料理屋の店の隅にテレビ」みたいなのじゃなくて目の前。まん前。

どんぶり置いたら、その10センチの先に10インチテレビモニター

ラーメン食ってたら視界の中心はテレビモニター

いやいや、ちょっと待ってほしい。

こんなの置かれたら、見ないという選択肢を取るのが難しい。

しかも垂れ流されているのはカウントダウンTVみたいな、

どうでもいいミュージッククリップ光麺店舗紹介。音もうるさい。

いやいや、俺にはそんな情報全く必要ないから。

なんで流行ってるものは誰にでも受け入れられるものだと思ってるんだ。

全体の数%しか興味が無くて購買に結びついてなくても

ランキング1位というのは普通にあり得る。ランキングとはそういうもの。

つまり、ウケているけど、9割以上の人間にはどうでもいい情報というのは

普通にあり得る。どうでもいいものを押し付ける、そういうアホみたいな

マーケティングしかしないからマスメディア広告ダメになったんじゃないのか。

それに、他の店舗の紹介がしたいんなら、ナプキンのところにでも

店舗紹介の名刺みたいなの置いておいてくれ。

俺、そういうのよく手に取る人だから。

このテレビモニター設置でアホな営業をかけてきた代理店から

いくら入るのかしらんが、固定客がもう一杯食べにきてくれたほうが

利益率高いでしょ? 帳簿しかみてないから失うものの大きさが分からないんだよ。

…いやいや、そういうツッコミをしたいわけじゃない。

そもそも、俺はラーメン食いに来てるんだし、連れもいる。

純粋に嫁さんとラーメンについてああだこうだ言いながら楽しみたいだけなんだ。

久しぶりにあんたのところのラーメンを味わいに来たんだよ。

よくあんたのところで食ってた学生時代でも思い出しながら。

あんたら、ラーメン屋だろ?なんでそれを邪魔するんだ。

だいたい、モニターみてたらそっちに神経が行って、味に注意が行かないじゃないか。

あんたは親に食事中にテレビばっか見んな、って怒られたことがないのか?

…そう憤慨してたら、嫁さんは流行りものが好きなタイプ

マスコミ広告代理店とかにはそんなに不信感を抱いてないので、

「なんでそんなに怒るのかわかんない」みたいな反応されて、

俺がなんか神経質野郎な感じになってしまった。

俺はもうあまりの不愉快さに、席についてすぐメニューでモニター

塞いでバカヤロー、みたいなノリになったのだけど、周りをみると

割と普通ラーメン食ってたりしてたので、受け入れられてるのかもしれない。

ただ、みんな連れで来てるのに会話は少なかったけどね。

まあ10センチ前でモニターがアホみたいな音楽鳴らしてたら会話もできないわ。

つうか、日本はいつからこんなに無粋な社会になったんだろう。

人のアテンションに入るときには「失礼します」と言って入る、

あの思い遣りはどこに行ってしまったんだろう。

私が関心あることはあなたには関心がないかもしれない、

私が必要だと思うことはあなたには必要ないかもしれない、と思える

人間としての配慮はどこに行ってしまったんだろう。

そういって考えてみると、90年代のコムロファミリー

全盛の頃はどこもかしこもあの下品な音が鳴り響いていて、

街を歩くのも本当に苦痛だった時代があったのを思い出した。

実は日本は昔から他人のアテンションレイプすることに

無神経な社会だったのかもしれないな。

最近そういう流行押し付けがましい状況は改善されたと感じていたので、

あれはバブル崩壊後の失われた時代の空虚さがそうさせていたんだと思ったけど、

そうじゃなかったんだな。

ヨーロッパなんかではヒトラーの教訓があるし、小説『1984』なんかにも

表れているように、他人のアテンションコントロールすることによる

「支配」について結構敏感に反応するから、こういう「自由な」食事の場面に

コマーシャリズムの権化が押し付けられる状況が生まれること自体

考えにくいと思うんだけど、歴史的に見ても「支配者」に従順日本人

あんまり疑問を感じないのかと思った。

日本テレビではごく当たり前の「ヤマ場CM」、

つまり「なんとここでこんなことが!!」とか「正解はなんと!!」の

次の瞬間に「はい、CMー」とか、そういうの日本だけらしいっすよ。

海外だとそういうコマーシャルやると、不買運動食らうからやらないんだって。

要は日本消費者テレビ屋や広告屋にナメられとるんですよ。

でね、あと心理学的に言って、

テンションの量に人間は行動が左右されるんですよ。これはもう無意識に。

人はよく目にするものに好意を持つようにできてるんです。

電通タレント認知度を好感度とか言い替えて金作ってる裏には、

一応それなりのカラクリがあるわけで。

それに、アテンションが支配されるって事は時間も取られるってことで、

コミュニケーション全般にも影響する。

ベッドルームにテレビがあると、セックスレスになる率が2倍以上って

調査もあるし、少子化国家基盤がやばい日本人はもうちょっと

テンションコントロールについて真剣に考えたほうがいいんじゃないかと思った。

まぁとりあえず、俺は二度と光麺には行かないけどね。

味も落ちてたよ、やっぱり。

嫁さんはモニターについてはマイナスの印象を抱かなかったみたいだけど、

味のことは分かったようで、やっぱり残してたよ。魂を売り渡したらそうなるって。

昔は単価が高くていつもは食べられなかったけど、味は結構好きでした。

トンコツ全盛の時代に、あえてあっさり醤油で勝負していたスタンスも好きでした。

さようなら、光麺さん。

2007-10-02

メイドを雇うと骨折する

小学生のころ、父親の仕事の都合で東南アジアに住んでいた。その国では、日本人が住むようなマンションには全室に「メイド部屋」があった。もちろん、家賃で言うと日本では普通ランクマンションだ。部屋の広さ、内装も、日本のそれとさほど変わらなかったように思う。ただキッチンの奥に、学校トイレのようなタイルの床の、薄暗い、日の当たらない部屋があった。部屋の中には洗濯機、古びたパイプベッドが置いてある。さらにその奥に、表の住居部分とは比べ物にならない程、侘しく清潔とは言いがたいシャワー付きトイレが配置されていた。

そこは、住み込みのメイドさんが住む部屋だった。掃除洗濯・食事の用意をする使用人を、駐在員が各家庭に持つような国だったのだ。その座敷牢のような様相は子供心に薄気味が悪く、両親も嫌悪感を持ったようで、「メイド部屋」は物置として使われるようになった。なにしろ家族が住まう部分との格差があまりに露骨で、とてもじゃないけれど人を住まわせるような気になれなかったのだ。

断っておくと、父は格別高給取りだったわけではない。単なる地方公務員で、平均的な月給の他に海外勤務手当てで色がつく程度。少なくとも日本で使用人を雇うような収入ではなかった。

けれど、この国では物価が違う。日本人はあまり無理を言わず気前がいいので、メイドの勤務先としてはとにかく人気が高かった。フィリピン中国からの出稼ぎのメイドさんから猛烈な営業、アピールを頂くのだ。かくしてついに母が根負けしてしまい、日本ではごく普通の一般家庭の子供であった私が、いきなり「お嬢様」になってしまったのである。

我が家にやってきたのは、フィリピンからの出稼ぎの30代の女性で、アフォンさんと言った。今になって思えば何故名前につっこまなかったのか不思議でならないが、カタコトの日本語を話していたし、仕事も丁寧だったので、本当にアフォではなかったはずだ。彼女にとっては「メイド部屋」が夢のような住空間であったらしく、当然のように住み込みを希望したが、母は上記の理由から頑として断り、通いで来てもらうことになった。

生まれもっての「お嬢様」でない限り、大の大人が自分の言うことをハイハイと聞いてくれるシチュエーション人格形成の妨げにしかならない。朝、散らかしたままで学校に行き、帰宅すると自室が美しく整頓されているのだ。洗濯物はきれいに揃えられ、窓はピカピカ、ちょっとした買い物も行ってくれる。調子にのった私は、すぐに自分で片付けるということをしなくなった。

母はそれに危機感を覚えたらしい。しばらくして、自分のことは自分でするよう私と兄にきつく言い含めた。けれど、さして広くもないマンションの中で、私と兄の部屋掃除をしないとなると、アフォンさんのやることがなくなるのである。食事は母が作っていたし、リビング掃除をするにも限界がある。そこで、勤勉なアフォンさんは、家中のありとあらゆる布製品に、ノリをかけてアイロンを当て始めた。私の制服のプリーツはもちろん、カーテン、ティッシュカバーにいたるまでパリパリにしたのである。そのノリのスプレーをかける作業場にしていたのが、くだんの「メイド部屋」。繰り返して言うと、そこはトイレのようなタイルの床だった。

最初の被害者は父だった。洗濯機が置いてあるその部屋に足を踏み入れたとたん、ノリがかかってツヤツヤになったタイルに滑って転び、足の指を骨折したのだ。次いで兄が足首を骨折。私も同じように足首を捻挫した。アフォンさんが来て数ヶ月で「メイド部屋」は、恐怖の「骨折部屋」になってしまったのである。

決してアフォンさんに悪気があったわけではない。仕事熱心だっただけなのだ。そんなアフォンさんに私たち家族が何を言えるというのか。もともと私たちはご主人様たるメンタリティなど持ち合わせていない。あくまで「お願いして手伝ってもらっている」のであり、やはりどこか対等で遠慮しているふうでもあった。人に対して、あれこれ上からものを言えるぐらいなら、最初から「メイド部屋」に住み込んでもらっている。

結局、人のいいアフォンさんは、私たちが帰国するまでの間、その部屋でアイロンをかけ続けた。私たちは、その3年間で幾度となく転び、怪我をし、「メイドを雇うと骨折する」という教訓を得た。日本で、一般的な家庭に戻った今となってはメイドを雇う余裕など微塵もないのだけれど、とりあえずそれだけは魂に刻まれている。

2007-09-12

[]また、増田さんに会った。anond:20070905005245

京都駅彷徨編

当日は午前中からの野暮用で集合時間には間に合いそうもなく、参加表明をしておいた方が良いような気もしたが、どうなるか分からなかったのでそのままにしていた。前回だって全くその場の思いつきだったんだ、今回も行き当たりばったりで行こう。二度目の増田オフ、ということは俺史上二度目のオフ会参加。

結局現地に着いたのは集合時間より1時間も後。一応該当の場所を見に行ったが、休日の人混みの中にそれらしき一団を見つけることはできず、まあ当たり前か、このクソ暑いのにじっと立って待ってるなんて有り得ないよな、と納得して地下鉄で一旦帰宅した。

着替えて、洗濯物干して、ひとっ風呂浴びて、はてな匿名ダイアリーの画面を開く。この前みたいに夕方合流すればいいか、と思いながら幹事メールしたり匿名ダイアリーにどこにいるのか尋ねる投稿をしてみたりしていると、どうやら比叡山に向かっているらしい。

比叡山か。夕暮れの比叡山は何かと思い入れのある情景なので久々に行ってみたいし、夕方までにやっつけるつもりだった作業をするにはもう中途半端な時間になっていたので「今から向かいます」と返信して出発。日没までには何とか山頂に着けるだろう。今回も後先全く考えずに動いているが、細かいことは後から考えればいい。

比叡山独行編

地下鉄叡山電車と乗り継いで、ケーブルカー。ここまでの間に今にも泣き出しそうな空模様になっていたが、通り雨はすぐに上がった。日曜の夕方、人影も疎らな八瀬駅で、勾配に合わせてあらかじめ傾いだ形の車両の一番前に乗り込む。おっさんになっても、こういう乗り物には何となくわくわくしてしまうのが自分で可笑しい。大正時代に造られたという軌道と回る滑車に導かれるケーブルを眺めながら、もう一度連絡しておこうとして気付く。俺の携帯、ここだと圏外だ。

まあいいや、仕方がない。ケーブルカーからロープウェーに乗り換え、山頂へ。もうじき日も暮れようとしている時間、売店もシャッターを下ろし、閑散とした展望台から京都市街を見下ろす。谷間に溜まった霧のような雲が風に乗って吹き過ぎていく。まだジメジメと蒸し暑い市街地からすればかなり涼しくて快適だ。しばらく風と霧に吹かれながらポツポツと灯りの点り始めた街をぼーっと眺める。あー、なんかいいなー。

気が付いたらもう五時半を回っていた。そうだオフ会だよオフ会。でもケータイ通じないから連絡取りようもないし、さっきの雨でみんなもう下に降りてるかも知れない。確か19時くらいに四条で云々って書いてあったから、とりあえず降りてみるか。再びロープウェーとケーブルカーを乗り継いで下界へ。合流できるかなあ。できればいいなあ。

出町柳邂逅編

じっとりと暑い夏の名残に少々うんざりしながら、出町柳の駅で通じるようになった携帯で連絡を取ってみると、みんなまだ山頂にいるらしい。構内のロッテリア――ロッテリアに入るのって、何年ぶりだろう――でコーヒー飲みながら少し待つと「出町柳に着きました」と連絡が。

同じように人捜し顔でキョロキョロしている人を探せば良いんだな、でも駅の出口ってそういう人多いよな、と思いつつ改札を出た所でウロウロ。程なくそれらしい人を発見したので、

「あー、あのー」

「あー、ああ、どうもどうも」

増田さん、と呼びかければもっと分かりやすいのだろうが、一度は同席して数時間話をしたこともある人に、殊更に匿名であることを強調するような呼びかけをするのも違和感がある。でも名前を知らないので、久々の同窓会でお互いの認識はしたけど名前が思い出せない人同士のような、曖昧挨拶で合流。

前回に引き続いて今回も幹事のKさんと、こちらも前回から参加していたSさん。そして、あれ、二人だけ? 聞けば京都駅の集合場所には他に誰も現れず、二人でお茶してから比叡山に登っていたらしい。それって、まあいいや。

取り敢えず京阪電車に乗って河原町四条に移動。構内の駅周辺地図の前で、多少場所が分かりにくくても良さ気な処にするか、これ以降合流するする人のために分かりやすい場所にするかでしばらく逡巡。分かりやすさを優先して木屋町通四条上ルのイマージアムビルの中の店に決定。

木屋町集結編

あー、この店か。確か大学の後輩の結婚式披露宴三次会で来たなあ。それ以外にも2回くらい来たことがあるような気がする。落とし気味の照明とテーブルのキャンドル、青を基調にした内装。大声で騒ぐような雰囲気ではないが、客は同じようにグループ客が多い。日曜の夜なのでそんなに混んでもいない。

席に着くと、他の二人は携帯を取り出して何やら作業を始める。幹事は店の場所の告知を匿名ダイアリーに、もう一人は後から合流する人にメールで連絡を。そうか、前回はこんな風に書き込まれた記事を見て、俺が飛び入りで参加したんだ。今回も誰かがふと記事を見つけて、ふらっと現れたりすると楽しいんだが。

ガッツリ食うのはもう少し人数揃ってからということにして、幹事のKさんの提案でワインボトルを頼む。俺がワインを飲み慣れてないので、飲みやすそうな白のフルーティーだと書いてある奴を勝手に選んで注文。それにチーズの盛り合わせとかサラダとか。何に乾杯なのかよく分からないまま、何となくグラスを合わせて乾杯

前回のオフ会で交わされた話から予想した通り、Sさんの携帯端末は最新機種に変わっていて、機種変するかどうかをぬるく悩み続けている俺は手馴染みの具合や画面表示の精細さを試させてもらったり。Kさんが「Sさんの頭の中はゲーム携帯と女子のことでできてるんですよ!、しかも1年に1回は端末乗り換えるって聞いて、それは凄いって言うと『いや、1キャリアあたりにすれば2年に1回くらいだから』って、やっぱり変でしょ!」と笑う。この二人、比叡山ガーデンミュージアムのお花畑の中でどんな話してたんだ。

やがて、前回も参加していて合流するはずのDさんから、地下鉄烏丸四条に降り立ったところという連絡がSさんの携帯に入った。土地勘が無いだろうから、とにかく東に向かって歩いて四条大橋を渡る手前でそこら辺の人に聞くように、と指示しようとするがすぐに「電車に乗りました」という返事が。前回の帰り際に、電車賃が無いと言ってその場でカンパを募るという大技を披露した奴としては、むしろその電車賃を惜しむ必要があるのではないか、地下鉄一駅分なのに何というヘタレ、などと話をしたことはあるが未だ名も知らぬ若者を悪し様に言いつつ、カマンベールをつつく。

そうしているとDさんではない初めて見る顔が登場。「増田さんですよね」「はいはい、私たち増田です」幹事に連絡が入っていた新しい人だ。以後Nさんとする。若い。学生さんらしい。えーまた理系。いや、俺理系な人も話も意味分かんなくて好きだからいいんだけど、関西はてな界隈、というか増田界隈は理系率が高いのだろうか。俺も宇宙物理学専攻だし。嘘です。

程なく店員に導かれてDさん登場、と思ったら何だか妙な感じで店員と話している。もしかして我々を認識してない? と思っておーいと手を振るとようやく分かった様子。後から聞くと「すっかり顔を忘れてたのと、増田って言って案内されたテーブルがあまりにもコミュな雰囲気で、こんな人たちが増田な訳がないと思って店員に『この人たちは違います』って言ってました」とか。そんな全力で否定されても。

増田雑談

計5名。幹事が把握している合流予定は以上。匿名ダイアリーにこの店の案内を書き込んでもらって、後2つ空いている席が埋まるのを期待しつつ、パスタなど食事っぽい献立を注文。適当に取り分けながら、前回と同じく自己紹介もお互い名前を呼び合うこともなく、取り留めのない話を続ける。

でもやっぱり前回とは随分違うのだ。Kさんの知り合いのやたらと男にモテて困っている男の人の話とか、Kさんも昔からモテバレンタインデーとか大変だったとか、いやSさんはもっとモテだ、だいたいSさんの「パンツ見えてるぞ、と注意してやった女子からクリスマスは暇ですと言われてそのままゲットしたという話は何度聞いても意味が分からない」という前回からの引き続きネタとか、そして太一郎ラヴ事件とか。

どれも、もう名前も得体も知れない人の話ではない。いや、名前も得体も知れない人なんだけど、顔も声も笑い声もツッコミどころも、ほんの少しだけど知ってる人にまつわる話なのだ。利害関係はない、持ちようがない。だけどもう人間関係はある。共通の話題が成立する程度には。個体認識をしてしまっている以上、匿名ではあっても、所謂増田さんではないよなあ。この中の誰かがほんとに増田さんって名前だったら面白いなあ。俺、酔っぱらってきたなあ。

太一郎に起きたラヴアフェアの黒幕はやはりあなたではないのか、という追求を「ほんとに違うから!」とあくまで否定する幹事のKさん。何という内輪話。太一郎とは誰か、ラヴ事件とは何か、分かっていないとさっぱりついて行けない話だ。俺もラヴ事件についてはその場でSさんの端末から該当するはてな匿名ダイアリーの投稿を見せてもらって、初めて知ったことだ。

そして俺は太一郎とは会ったこともない。なのに「太一郎」と呼び捨てなくらい抽象的な存在匿名の投稿の集積でできた場をネタに語る匿名存在の中の一人が気に入っている匿名存在に付与された、いやどうやら自ら名付けたらしいいじられ用の記号?。なんだそりゃ。酔いがまわって考えはまとまらず、テンションだけは上がってる。俺酒激弱なんすけど。

誰かが唯一の新参であるNさんに「30代が不毛な話ばっかりしててゴメンね」と謝っている。でも、5人中2名は20代前半なんだから、いいんじゃないか。何がいいんだ? 俺が「いいじゃん、楽しいよ不毛な30代は。早くこっちにおいでよ」みたいなことを言って混ぜっ返してたような記憶があるが定かじゃない。へえ、グラスさんて対面で会うと無口なんだ。いおりん言語センスはマジで神懸かってるなあ。今頃ブラック太一郎があの人とあの人の名前を消しながら嗤ってるよ。プリンスCは俺とのケビン・ベーコン数が2か3くらいなんだよ、多分。世界は広くて狭いよね……。

終電車解散編

突然Sさんが「もう帰らないと電車が……」と言い出した。NさんとDさんも時間らしい。え、さっき来たとこじゃないか。そんな時間なのか。はぁ? もう23時!? 早っ!

勘定してもらって、精算して、電車で帰る組の3人とはここでお別れ。その後今日ネタの反芻などをしてから、しばらくして幹事のKさんと俺が店を出ると強烈な雨。タクシーで帰宅。みんなどこへ帰るんだろう。だいたいどの方向、というのは話の中で何となく分かっていても、どこに住んでいるのかは知らない。ゲラゲラ笑って話してた人たちが、良く知らない人たちに戻っていく。チャットで話したりもしてるけど、それとはやっぱり違うよなあ。

さよなら増田さんたち。酔っぱらってたせいもあるかも知れないけど、あんなに時間が早かったのは楽しかったせいだと思うよ。少なくとも、俺はね。また、いつか。

2007-06-06

[]

(覚えてるところだけ。)

場面一

兄にメールやら自分のサイトやら見られる。その後きれて部屋の掃除、物が散乱されているベッドの上の掃除だけやらせる。自分は泣いてる。その後メールやらなにやら消去。

場面二

よくわからない暗がりの道、土の道で道の側面には30センチ??60ほどの草が生えた道だったか。ほぼ長い一本道。自分は同じような位置でなにをするともなくほぼ立ち止まっていたのだが、ホモっぽい人に行きと帰りの二回ほど会う、帰りはこっちをかなり意識してた。

場面三

なんかよくわからない男の子が白いスポーティーな高級車に乗ってて、それに乗せてもらい、その男の子が金持ちだということを知った結構いけいけな女の子が待ってよと静止するにも関わらずとりあえず流した、女の子白馬に乗って少しは追いかけていたような気がする。うどん屋にすべりこむ。うどん屋にはよく来るのか?とシャイそうだがまぁ多少は芯がありそうな男の子に聞くと、たまにねというようなことを言った。何が夢の中のその少年の背景にあったのかわからないが、(多分、金持ちだからと、上流階級だからだと思うが。)うどん屋にその少年が来ることは意外な出来事なのだという夢だった。うどん屋は柄の悪い白い柔道着のようなものを主に来た常連客で基本的には占められていて、偉い人(とは言っても、高校野球のようなそれを少しヤンキーチックにしたある意味さわやかな人選)から順に奥に座っていて、男の子は汚い粗野な自動扉入ってすぐの手前の席に私の手前恥ずかしそうに座った。そこで私が野球青年っぽい一番か二番目に下の奴と言葉でやりあい勝った。

場面四

Adelideというショップに行く、外装内装ともに何年か先のような高級なクラブ&バーの雰囲気。ネオンのような光を使いながらも非常に洗練されていた。客層は外人が主体らしく。カフェ仕様ガラス一角に入ってしまい(そのカフェ内部は木のカフェテーブルと曲げ背の椅子というある意味安っぽいチープなテラスタイプだった。(カフェはいくつもあった))、奥まで行ってしまうと、そこは行き止まりで、H君らしき人(H君は私の小学校時代の離れたクラスメートであり、なかなかいい家庭の上に育ち、本人も性行が素直で良いと評判のような真面目な人物)がまぁ普通女の子を連れてカフェしてた。H君が短髪を綺麗に毛束を立てている髪型にして変わった印象を受け、衝撃を覚えたのは覚えているが。H君と目が合うことはせず。隣の人(女)に誰あの人、知ってる?と問いかけられる。私は外に出ようとして、椅子につまずき小さくすみません、その後外に出る途中で何人かの顔が印象に残った。外人風の17・8才程度の女性の顔だけ覚えている。外に出ると、そこはホームセンター駐車場っぽい場所になっていて、ほとんどそのカフェ中の人全員出てきたような感じで皆が出てきた、その中の大学ありがちな男3人ほどのグループのうちの一人(私は知らない人だ)が親しげに私に話しかけると、その人は親しげにありがちな大学のいい加減な雰囲気で私の顎辺りにキスして行った。

抜けきらない深層心理が出ているなという印象。

2007-04-26

突発カラオケOFF 嘘レポ(3)

http://anond.hatelabo.jp/20070419001713

http://anond.hatelabo.jp/20070422000431

「なんだか物によっては周辺の2次創作だけ抑えて判った気になってしまうんです」

「そ、そりゃいかんですよ。僕は原作を極力おさえるようにして…」

女性なのに男性向けエロパロから作品に入るのはどうか、と太一郎は思う。

パセラから駅へ、駅から早稲田へ。電車に乗りながら、ぽてぽてと歩きながら、そんなオタクトークをする。

「あっちょっと待ってくださいソフトクリームが」

ソフトクリーム?」

どうみても雑貨屋の前だ。彼女雑貨屋に踏み込んでいく。後について入るが、やはりかわいらしい小物が陳列してある。奥を見ると、小さな喫茶スペースがありソフトクリームを販売していた。

「凄いところで売ってるなあ。東京には無駄にする土地は少しもないということか」

「ほらここに看板があったのを見つけたんですよ」

「よく気づいたなあ」

やはりこの人はどこか聡い。なのに何故文章はあんなに燃料満載なのだろうか。

コミケでの過ごし方などについて話しつつ歩いていたが、かなり歩いたのに着かない。彼女は早速そのへんの人を捕まえて道を聞いている。

「この先の大きな交差点で右に曲がるんですって」

非コミュを自称したり、職場非コミュを実践していたエピソードを語る割に、こういう行動には問題ないらしい。太一郎なら適当に当たりをつけて誰にも聞かずに進み、後悔するだろう。

非コミュというのはいったいどういう物事なのだろう。話をしながらそんなことを考えていた。

「ここです」

みるからに怪しい小さな店の前で彼女は立ち止まった。

中に入るとそこには、あるはてなダイアラーがマスターとして準備をしていたが、彼女を見るなり(某はてなダイアラーの名誉のために略)叩きつけられる机(略)空き瓶を額で(略)「あなたこの間私のこと嫌(略)「こんなに俺が(略)太一郎ネタなのかマジなのか決めかねていた。マジだったら介入すべきなんだろうが微妙な線であり介入したとすると(略)

事態が収集され、落ち着いて座る。中には今日のマスターと、太一郎と、彼女だけ。

改めて回りを見回すと、少し居心地が悪い。内装の雰囲気は、大学サークル部室に似ていた。しかし、その雰囲気は太一郎のような電算機サークルのそれではなく、ベタ文化系サークルのものだ。共産主義運動の香りのする張り紙。傷だらけで無秩序なインテリア

ここはアウエイだ。強くそれを自覚する。

カウンターの隅にあるPC太一郎は自分のダイアリーを表示して教えた。電車の中で小説お勧めを聞かれて即答できずダイアリーに書いていると言っていた為だ。

「私ストーカーだから過去日記とか全部見ますよ!さかのぼって!」

「うわあ。まあいいけど」

目の前で日記を読まれているというのはなかなか恥ずかしい体験だ。

4人ほど学生が入ってきて、80年代文化について輪講をするという。レジュメを配っていたので太一郎もついでにもらう。レジュメは3題話の様相を呈していた。80年代クラブシーンの音楽ハッカー文化、エコロジーレジュメからヤバイ感じがする。ポイントを外した、ハッカー文化に対する理解。

輪講が始まって、予感は的中した。薄い、薄い、ポイントを外した理解に基づいて延々と語られるコンピュータ進化歴史ハッカー文化。

「くわっ!これはイラっとくる!」

「まあまあ」

気を利かせて本の話題を振ってくれたりしたので、太一郎はそれにのってしばらく話した。最初に大きい嘘を一つだけついて後は誠実に論理的に話を転がしていく本が好きだ、だからロボット3原則ものは面白いとアシモフの話をしたり。

しかし、最終的には学生たちに対して延々とハッカー文化について語ってしまう。自分は当時ハッカーを憧れの目で見ていた少年に過ぎなかったにも関わらず自分のことのように語り、文化に対する解説という名の説教をしてしまった。

学生たちが帰ると、夜にあるというライブに向けて徐々に人が集まってきた。狭い店内は熱気で暑くなり、身動きがとりづらい状態になる。

叫ぶ詩人。エレキ尺八。双合唱。何度かの休憩を挟み、ライブが続いていく。

「ああ、凄いですね、なんだかエネルギーがあるというか」

心にも無いことを適当に言ってあわせながら、あまりの暗黒ぶりに太一郎はおののいていた。あまりにも波長が合わない。心が闇のように黒くなるような、そんな音楽

へとへとになって店外に出ると、「革萌」と書いたヘルメットをかぶった人たちが来ていて入れずにブルーシートを引きだしていた。

「なんだよ呼ばれてきたのに中に入れないのかよ!ひどいよ!」

外に出る太一郎。入れ替わりに2名ほど中へ入る。

屋外で楽しそうに立ち話する革萌の人たち。奥へ奥へと動いてついにカウンターの中に入ってしまった彼女

「象徴的だな…」

店内で最後の最も盛り上がる演奏が行われる中、太一郎は暗い暗い空を見上げて微笑み、自販機缶コーヒーをちびちびと飲み続けるのだった。

(おわり)

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