2024-10-27

弱者男性に育てられた子供はかわいそうなのか

暇つぶしに見るXでは、よく弱者男性売春婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかたかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。以下は、平成初期に弱者男性に育てられた私の事例である

私の父親は、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる部類の人だった。特定の職に就くことはなく、収入も安定していなかったが、何かに対して強く反抗するわけでもなく、静かに自分人生を受け入れていた。しかし、その生き様は、周囲からは「頼りない」や「社会のはみ出し者」という視線で見られることも多かった。そんな彼が私をどう育て、私はどのように成長してきたのか、その実体験を通して「弱者男性に育てられた子供」の実像に迫ってみたいと思う。

弱者男性の父の教育方針

父の教育方針は、決して画一的ものではなかった。むしろ、他の家庭の親と比べてもかなり自由度が高かったと思う。学校の成績や将来の進路についても、父は何も言わなかったし、毎日生活でも無理にあれこれと教えられることはなかった。勉強をするのも、何かを身につけるのも、すべて私自身の選択に委ねられていた。

しかし、父が何もしなかったかというと、そうではなかった。彼は私と向き合い、ただ「一人の人間」として存在してくれていた。時には、悩みを聞いてくれ、愚痴を言っても無理に解決策を示すわけではなく、「そうか」と静かに頷くだけだった。それが子ども心にとってどれだけ大きな支えだったかは、年を重ねるごとに感じるようになった。

弱者男性の父と社会ギャップ

子供時代、友人の家庭を見ては、父と他の親たちの違いに複雑な感情を抱いたこともあった。多くの家庭では、親が積極的に関わり、進学や将来の方向性についても熱心に指導していたが、私にはそれがなかった。友人から「お前の父さんは何してるの?」と聞かれると、答えに困った記憶がある。特に弱者男性の特徴として「自分が何者であるか」を誇示しないため、父の職業社会的な立場についても話す機会がなかった。

しかし、今考えてみると、社会が求める「父親像」に囚われず、自由生き方を貫く父の姿は、自分にとって一つの理想像だったのかもしれない。彼の生き方からは、「社会の枠組みに縛られる必要はない」というメッセージ無意識のうちに伝わってきていたのだと思う。私自身が将来の進路を決める際、父の姿勢を思い出して自分選択尊重することができたのも、彼のおかげだろう。

かわいそうと言われるが…

弱者男性に育てられた子供は「かわいそう」と言われることがあるかもしれない。しかし、果たしてそれは本当だろうか。弱者男性の親に育てられたからといって、子どもが必ずしも苦しむわけではない。むしろ、周囲の偏見社会的なプレッシャーさらされる中で、自分価値観形成し、他者と異なる視点を持つ強さが育まれることもある。

父は私に対して「強くあれ」とは言わなかったが、弱くてもいいと教えてくれた。日々の生活の中で少しずつ身についたこ価値観は、私が社会に出てからも貴重な指針となり、自分の居場所を見つけるための礎となっている。

結論弱者男性の父がもたらしたもの

今振り返ってみると、父がくれた自由さや、独自視点は私にとってかけがえのないものだと感じる。彼の育児方針は、決して一般的ではなかったかもしれないが、その自由さの中で私は自分らしさを発見することができた。

弱者男性の親に育てられたことが、必ずしも「かわいそう」という一面的評価に収まるものではないことを伝えたいと思う。彼らの中には、表面に見えにくい形で子どもたちを支え、人生に豊かさをもたらしてくれる存在もいるのだ。社会の「普通から少し外れた彼らだからこそ、伝えられるものがあると感じる。それは他の親では決して教えられない、大切な人生の一部である

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