だから相手を「自分を着飾るための道具として利用する事」に対しての引け目とかも感じない。
それ故にひたすら適当にそれっぽい言葉で褒め称えてインスタントにポルノな快感を得る道具として使える。
なんつうか、真剣だよね。
フェアであるかどうかとかを気にしてない。
スポーツ選手が生き残りをかけるためならスポーツマンシップを平気で投げ捨てられるような熱さがある。
俺は褒めているんだよ。
っていうか憧れる。
俺は半端なプライドが邪魔してそういう風には生きられないんだよ。
犬を飼って自分に快楽を供給するための奴隷として扱っておいてそこに一方的な愛を感じるようなことが出来たら、人生ってもっと楽しいんだろうなといつも思ってた。
なんかさ、オリンピックとかもイマイチ応援する気にならないんだよね。
生身の人間の中に勝手な物語を見出して、それでコバンザメみたいにして自分も感動しちゃっていいのかなってブレーキを踏んでしまうんだよ。
アイドルの追っかけだったりキャバクラに通うとかも全然やろうと思えないんだよな。
相手が自分たちに売りつけるために作り上げた虚像の影で割に合わないような苦しみ方をしてるんじゃないかって不安になるんだ。
そういうのが出来たら楽しいんだろうなって、嫉妬に近い感情が時折ブァーって湧き上がるんだ。
今回がそうだったよ。
皆すごい楽しそうなんだけどさ、俺は全然楽しくなかった。
記事を読み始めてすぐに「本の面白ささえ知らないこの可哀想な男が、今まで損してきた分の人生を取り戻すさまを、心優しい吾輩が生温かい目で見守ってやろうじゃないか」っていう姿勢を自分が取っているなと分かってしまったんだよ。
その瞬間に、自分で自分が心底気持ち悪くて、もう全部無理になった。
反射的に自分の認識能力にある種のロックをかけていたんだろうけど、記事の内容を読んでも本当に何も感じないんだよ。
文章や写真から情景を読み取ることを脳が完全に拒否していくんだ。
「こんな気持ち悪い快感に自分が浸るのなんて、絶対に許してはならないから絶対に阻止するんだ」っていう意図を感じたよ。
実に鬱陶しいプライドだよね。
でもそれを失ったら、きっと自分はあっと言う間にモラルの坂を転げ落ちて最低のクズに成り下がるんだろうなって、そんな直感を自分の中にある巨大な無意識が感じ取っているからこうなんだと思う。
結局コレは、自分の精神のバランスが歪であって、そしてその歪さを受け入れることで起こりうる精神的な変化を頑なに拒む自分がいるから起きている問題なんだ。
そうじゃない人が本当に羨ましいよ。
俺もオリンピックに出場する赤の他人の人生に感動的な物語を勝手に見出して、同じ国に生まれたというだけで我が事のように興奮したり泣き崩れたりしたいよ。
人間以外の動物をペットっていう名前で愛玩のための奴隷として扱う行為に、弱者に奉仕する聖人性を見出して自分の人格の素晴らしさを日々称えたかったよ。
でもそうじゃないんだ。
そういうふうに自分は形作られてないんだ。
これが自分なんだよ。
手放したくないんだよ。
生まれ変わってみせるためにこの自分を殺すような真似をするにはもう愛着がありすぎるんだ。
そうじゃない人が本当に羨ましい。
こんなところで長文垂れ流して鬱憤晴らしてるお前も自分の快楽に必死すぎだろ
ほんとこれ