中学1年の時に、風邪ひいて1日学校休んで不在だったせいで、運動会の応援団員押しつけられたことがあるんだよね(5教科の成績と真面目な性格しか取り柄のないコミュ障陰キャだから狙い撃ちにされたんだと思う。先公も止めろよ)。
大声なんて出すの恥ずかしいし無理やり決められた絶望感もあり「やりたくないもう帰りてえ」と思いながら応援団の最初の集まりに出て行ったら、そこにめちゃくちゃ陽気で面倒見が良い女の先輩がいて、その3年生がその年の応援団長だった。ゲラゲラ笑いながら男子に向かって連続で中指を立てたりしていて、コミュ障の自分は「こんな女子がいるのか」と衝撃を受けた。
その先輩は見るからに場違いな陰キャの1年坊をことのほか可愛がってくれて、おかげで嫌だった応援団の仕事もとても楽しくできた。
先輩が卒業してほどない頃、中学の職員室に遊びに来ていたところをたまたま出会った。「〇〇高校通ってるよ、いいよ、おいでよ」と誘われた。
先輩から名前を聞いたその高校は専門学校に近いちょっと特殊な学校で、5教科の成績がよかった自分は親や教師から散々「お前それでいいのか?」と念を押され続けたが、迷わずその高校へ進学した。理由を聞かれたが誰にも本当のことは答えなかった。「〇〇は好きだしやってみたいと思った」で通した。
ところが行ってみたらその先輩はおらず、なまじ専門性の高い学校へ入ってしまったために5教科しか取り柄のなかった自分は散々己の無能に打ちのめされる羽目となった。高校在学中の3年のうち2年は「高校やめたい、それか死にたい」と思いながら通い続けた。高校の同級生は皆気のいい奴らで、ぶっ飛んだ服装や言動の連中もいたが、自分のようなコミュ障陰キャにも腫れ物に触るように当たらず障らず接してくれた。
結局どうして先輩がいなかったのかはわからない。先輩が卒業するまでの1年間ずっと探し続けたが見つからなかった。入学してすぐやめてしまったのかもしれないし、単に自分が高校名をちゃんと確認せず、全然別の学校と勘違いしただけかもしれない。
ただ、今の今まで己の浅慮と無能を恨んだことこそさんざあれ、一度だってその先輩のことを恨みに思ったことはない。書いていて思ったが恨みに思う発想がそもそもなかった。
最後の1年でものすごくハマれる専門技術に触らせてもらえるようになって、そこからは高校生活が好転した。あれほど行きたくなかった学校へ通うのが逆に楽しみになり、やるのが苦痛で常に先延ばしにしていた実習課題も、逆にいつまでも作っていたくて毎日放課後まで残るようになった。
その技術と一向に進学も就活もする気のないクソ生徒を見かねた担任のコネが縁で就かせてもらった仕事を20年以上細々と続けている。
その仕事がきっかけで出会った人と縁があり、今は結婚して子供も産まれている。
あの中学1年の1日を欠席しなかったら、普通の高校に就職し、奨学金で大学へ通い、全然関係のない別の会社で働いていただろうことを思うと運命の不思議を思わざるを得ない。
もしかしたらあの先輩もどこかで「後輩に学校を勧めたのに自分は先に退学してしまった」と申し訳なく思ったことがあるのかもしれない。「〇〇の奴、勧めたけどやっぱ来なかったな。まいっか」と、自分が行ったのと全然違う高校を卒業して思ったきりかもしれない。
重ねて言うがいずれにせよあの先輩には感謝しかないんだ。自分の人生を狂わせやがってなんて少しも思ったことはない。
確証はないが増田のひとことで浪人を選んだ人もきっとそうだったと思う。
同級生に陥れられて嫌々入る羽目になった応援団を楽しく過ごせた思い出をもらえたし、自分なんかに同じ高校を勧めてくれた先輩が待っていると思いながら高校を目指すのは楽しかった。
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