2019-10-22

好きとか情熱は、ダイエット中の砂糖より少なくていいと思った話

カテゴリー:チラ裏

好きであることや情熱を持つことが妙に賞賛されている時代であると思う。

一億総クリエイター時代か、絵を描く人も多い。一方で多くの人間が「好きかどうか分からなくなった」「一時の情熱が失われて辛い」という趣旨投稿質問サイトに書き込んだり、その手のツイートがよくバズったりしている。

正直言って「好きで好きで仕方ない気持ち」というようなものは、邪魔だと考えている。

なぜなら持続性がないから。

恋愛と同じだ。好きで好きで仕方ない期間なんて永遠に続くわけがない。ハマったらいつかは冷めるのは当たり前。当然のモチベーションの変化に、自分の行動自体が振り回されるのは本末転倒だ。

"好き"がもてはやされすぎて「好きな振りをする」現象が発生してるのも問題だ。これも楽しいこれも勉強になる、などそんなことあるけがない。これは好きだがこの工程は嫌い、興味ない、うざい、みたいな感情はあって当たり前だ。だけど、好きじゃなくては"いけない"と思いこんでいるから「ぜーんぶ好きです!」と言う。そして情熱がないといけないと思っているから、常にテンション高く振る舞う。そんな"フリ"が長続きするわけがない。

筋トレに例えると「今日から筋トレ始めます100キロベンチプレス上げたいです家にたくさんバーベル買い込みましたこから毎日追い込みます!」と言っている人がいたとして、この人は続けられるか?まあ1、2ヶ月がせいぜいだろう。

結局のところ、創作その他何がしか活動に、好きや情熱必要かもしれないが絶対必要ものではない。というかむしろスタートダッシュに多少あればいいくらいで、何が必要かというととにかく持続性だと思う。好きでなければ持続できないという説が世間には一般的だけど、違う。むしろ好きや情熱が持続的活動を阻害してる。なぜかというと、さっきも書いた通り好きな気持ちデカければデカいほどムラっ気があり、なおかつ最終的に絶対冷めるからだ。

じゃあどうすればいいかというと、地味〜でスロ〜なテンション毎日顔洗うくらいの感覚でやるのが一番いい。なんとなく習慣化されたことくらいのレベルにまで生活の中に落とし込む。まあそのためにも大げさな好きとか情熱邪魔なんだ。

好きと情熱がなければいけない、好きと情熱が全てを解決する、みたいな思い込みがもう少し弱まれば振り回されて精神摩耗する人ももう少し減るんじゃないかな。

(蛇足だけどクリエイターという呼び方も好きではない。なんかキラキラして憧れの職業っぽい感じがする。それより職人とか技術人と呼んだ方が地に足が付いているし勘違いする人も減ると思う。)

  • おおっとここで年齢当てクイズが勃発〜! これくらいの思想に辿り着くのは20代前半!遅くても中盤と見た〜!

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん