2019-05-02

令和のソフトウェアエンジニア振り返り

令和の終わりのお祭り騒ぎがあったので記念カキコカキコなんていうやつもういねーか。ははは。今思えば平成の終わりに象徴的なニュースがいくつかあって、令和のソフトウェアエンジニアを予見していたと思ってさ。

平成の終わりに経団連は、新卒一括採用の終了と、終身雇用制のギブアップアナウンスした。当時からWebエンジニアにとってはどちらも馴染みが薄かった制度だけれど、それが令和のうちに一般に広まった。このアナウンスに続いたのは、新卒採用時の一律初任給廃止であり、会社側にかかっている従業員解雇についての規制緩和だった。

もはや新卒採用がなくなったのだから、一律の初任給も当然なくなった。ソフトウェアエンジニアだけ初任給が高いなんてことが普通になった。新卒なのか経験者なのか入社時期で区別できなくなったし、同期入社の横のつながりみたいなものも薄れて給与比較する相手は同期だけじゃなくなった。これは給与の上昇が止まらないソフトウェアエンジニアを、旧態依然とした大企業でもきちんと給与を出した上で雇うための方策でもあった。GAFA人材を取られ続けるようなマネ大企業はしなかったし、その程度には日本経営者バカじゃなかった。それにGAFAばかりが人材の引き受けてではなくて、国内でもベンチャー企業ソフトウェアエンジニア給与はかなり良いペースで上がっていて、それらに負けないためにも大企業給与を上げていく必要があったんだ。

誰も彼も給料が上がったというわけじゃなかった。きちんと教育をうけるなり、実績を持っているなりする若いソフトウェアエンジニア年収700-800万くらいのそこそこ良い給与キャリアが始められるようになった。令和五年くらいの話。

一方でうまく行かなかったソフトウェア開発プロジェクト簡単パージする必要も出てきて、USのレイオフのような仕組みをどうにか導入しようと目論むやつが出てきた。ソフトウェアエンジニアの方も、それを承知キャリアを組み立てている。平成の終わり頃はある種のフリーランスエンジニアがそのような立場を担っているように見えたけれど、もう少し安定と高収入が得られるようになった。

こうしてソフトウェアエンジニアの高給が知られるようになると、コンピュータサイエンスを学ぶ学部学科は人気になった。小学校から授業でもやっていて親しみをもっている高校生も増えていた。業界に優秀な人が来たのはいい話だけれど、情報系に人気がなくてラクラク希望学部に入った自分としてはなんだか申し訳ないようなつまらないような気持ちもする。ライバルは弱いほうが良いし。

AIが職を奪うなどという戯言もあったけれど、少なくともまともなソフトウェアエンジニアとは縁がない話で、令和の間にはアルゴリズム自分設計したり、適切な手法選択できるAIは現れなかった。

平成の終わりに30代でバリバリ働いていたソフトウェアエンジニアは令和の間も仕事には困らなかった。優秀な若手が増えたとはいえ人手不足には変わりがなく現場エンジニアでもマネージャーになっても仕事はある状況が続いている。平成の終わりには35歳エンジニア定年説なんて全く聞かなくなっていたし、今も5年程度で転職を繰り返すキャリアプランが50代後半まで通用している。そして75歳まで年金をもらえない僕らは60からの定年までの15年が問題になっている。

歳はとったけど、つぎの御代も楽しくソフトウェア開発したいなー。

  • ソフトウェアエンジニアだけ初任給が高いなんてことが普通になった 同業ながらこの辺りの選民意識が鼻につくなあ。そういう状況が続くということは、需給のバランスが乱れている...

  • 賭けても良い 絶対にそうならない

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