今メディアで賑わっている森友問題の本質は「官邸主導」の行き過ぎだと個人的に考えていて、この官邸主導の仕組みが誕生した経緯をまとめてみた。今から30年ほど前の日本の政治は、霞が関の官僚と、官僚の利害を代弁する族議員たちの影響力が非常に強く、官邸や首相の力はそれほど大きくはなかったのだ。
1.1980年代後半のリクルート事件において、官僚と族議員、産業界の3者の癒着構造が批判された。
この事件の発覚によって、政官財の三者の癒着構造がメディアによって徹底的に批判された。このリクルート事件以前にも贈収賄事件は色々あったが、自民党の55年体制を批判するという意味において、国民的な議論が沸き起こった。この頃までの日本の政治は、官邸の影響力はそれほど強くは無く、中央省庁や族議員達の利害を調整する役割の方が重要であった。
2.1990年代前半に自民党が下野し、非自民の細川連立政権において政治改革が行われた
1993年、自民党の宮沢内閣は総選挙で大敗し、細川氏を中心とする連立政権が誕生し、自民党は野党に転落する。与党となった細川政権は、国民の期待の高かった政治改革を積極的に進める。具体的には、小選挙区比例代表並立制の制定、改正公職選挙法や改正政治資金規正法、政党助成法などの政治改革四法の制定など。これらの改革によって、党の幹事長職の影響力が強くなっていく。
3.1990年代後半、大蔵官僚による接待汚職事件問題などの官僚不信が頂点に達する。
1998年に明るみになった、大蔵官僚によるノーパンしゃぶしゃぶ事件を機に、世間による官僚不信が頂点に達した。1990年代後半から2000年代前半に掛けて、国民の官僚・公務員不信は続くことになる。これによって、官僚の影響力や権勢は著しく削ぎ落されることになった。
4.2000年代前半、小泉構造改革始まる。自民党内の派閥に一切属していない小泉総理の改革によって、自民党内の派閥の影響力が低下する。
2001年3月に小泉純一郎氏が総理大臣に就任し、小泉構造改革が始まる。国民の高い支持率を背景に、小泉総理は派閥の影響力を無視した改革を推し進め、国民から喝さいされる。
5.2005年の郵政解散において、派閥の影響力が選挙結果に左右されないことが明確になる。
2005年9月の郵政解散に伴う総選挙。当初は小泉総理は選挙に負けると、自民党内もメディアも野党も予想していたが、結果的には無党派層の国民を味方につけた小泉氏の圧勝に終わり、小泉劇場と称された。これによって、自民党内の派閥の影響力が更に低下する。
6.2009年、民主党政権が誕生。当時の小沢幹事長が、幹事長職に権限を集中させる手法を取ったことによって、党の影響力が低下する。
2009年9月、自民党に代わって民主党政権が誕生する。総理大臣となった鳩山由紀夫氏は「政策決定の内閣への一元化」を理念として、あらゆる権限を官邸・内閣に集中させる政策を取り始める。幹事長に就任した小沢一郎氏も、幹事長への権限集中を進める。最終的には、民主党政権の運営の失敗や、官僚の抵抗によって、民主党政権は3年半で崩壊する。
7.2012年には第2次安倍政権が誕生。民主党政権の残した官邸集中の仕組みを引き継ぎ、官邸によるトップダウンの政治が始まる。
2012年12月には、再び自民党が政権与党に復帰する。安倍総理は、民主党政権が作った官邸主導の仕組みを引き継いだ上で、約20年かけて完成した官邸主導の政治を始める。
これまでは、官僚主導で行われてきた幹部の人事権を内閣人事局に一元化し、官邸主導で審議官級以上、約600名の人事を決定することになった。これによって、霞が関の官僚たちは、官邸の意向を気にせざるをえなくなる仕組みが完成した。
総理は酷いが、改ざんしたのは確かに霞ヶ関だわね。
酷いか? 正直森友に関しては全く関係ないと思うぞあの人