一番の原因は自分の未熟さにある。
何かと仕事で失敗ばかりしていた。不眠を訴えてみたが「でも2時間眠れているなら眠れているんやな」で終わった。
徹夜する日も多いことを言いだす勇気もなかった。職場の周囲の声が気になって会社のトイレに不自然に行くことも頻繁だった。
首を吊るとか飛び降りるとか自殺のことばかり考えだしていたが、自分の性格を改造したらいいのかもと自己改造の本なども買ってみたりした。
ある日、女性社員から呼び出しを受けた。会議室に行くとプロジェクトのメンバーが二十人以上並んでいる。
欠席したということらしい。そんな会議しらない。
上司から資料はどうしたと責められる。知らないというと「メールで知らせただろ。10分で作ってこい」と皆の前で怒鳴られる。
デスクに戻りあわてて10分で不完全な資料を作り会議室で配る。
でもその時メールをチェックすると会議も資料のメールもなかった。
どうやら連絡用のメーリングリストが作られていて自分が登録されていなかったということだ。
会議には参加してなかったが自分の机の隣にいる指導役の先輩に聞くと「ああ、そんなメールあったなあ」と答えが返ってきた。
そんなメーリングリストが作られていたことに気づかないほど自分のうつ病の症状が重かったのか元々まぬけなのかわからない。
ただ管理職なのに連絡網が機能してるか把握してないのもどうなのか?という反論する勇気もなかった。
そんな出来事が繰り返されたあげく上司に呼び出され「異動願いを書くように」と言われた。
異動願いの理由は上司の言う通りに文章を書いた。何を書いたのか自分でも記憶にない。
自分は技術職に向いてないと言われた。自分もそうだと思う。でも異動先も同じ職種だった。
上司は「〇〇の技術から逃れたと思ったらまた〇〇の仕事か、そんな殺生なあといった感じやな」と笑った。その時はさすがに殺意を覚えた。
最後の復職可の診断書を持って人事へ行ったが人事部長からは「君は適応障害だと思う」で復職を受け付けてもらえなかった。
うつ病と医者に診断されていたのだが、当時雅子様の「適応障害」という目新しい言葉が流行っていたから「人事部長の診断」だったのだろう。
再就職してもすぐ休んでしまい布団から出られなくなり退職を繰り返す。
精神障害者手帳を取りひきこもり無職の生活を続けるようになってしまった。
ドアノブで首を吊って生き残ってしまったこともある。自殺って自分の意志関係なく自動的に体が動くこともあるんだと初めて知った。
死ねるのならともかく後遺症が残らず良かった。自殺をほのめかす身内がいたらLANケーブルやひも類は隠しておくことをおすすめする。
同じ業種の大企業はつぶれたり粉飾決算したり台湾の会社の傘下になったり色々だが、自分がいた会社はその社長の元それなりに順調のようだ。
創業者のつけた漢字の会社名をカタカナというかアルファベットにしたのもあの人らしい。
大規模なリストラや工場をつぶすとか当然やってるがそれは他の会社も同じだ。
元上司は才能もあったしコミュニケーション能力も優れていたし親分肌だったしそれなりに出世するとは思っていたがあそこまでになるとはなあ。
すごい人だなあ。
うつ病がひどい時は殺してやりたいと思っていたがそんな勇気なんかあるはずがない。
ただ今でも悪夢には出てくるようで真夜中にうなされるたびに嫁に起こされている。
うつ病だろうとなんだろうと自分なりに地道に生きていくしかない。
未熟なら少しでも成長するように一歩一歩なんとかするしかない。
あの会社であの上司の下で働いていた経験に意味は何かあるのだろうが、今の自分にはまだわからない。
どんなことにも意味はあると思いたいがそれでも辛い経験だった。
長くなってすみません。