2016-12-07

情報に対価を払わない時代

21歳。大学生

俺は平成生まれインターネット育ち 面白そうな情報はだいたいインターネット経由。

そんな世代だ。

人によっては違うだろうが、ニュースに興味を持つようになったのは2chまとめサイト経由だった。

今となっては黒歴史だが、ネトウヨだった時期もある。

小・中学生時代、〇いニュースをよく見ていた。恥ずかしい。


さて、ここ数日キュレーションメディア世間で騒がれている。

様々な問題が指摘されているが、なぜこのようなキュレーションメディアが生まれ流行してしまったのかという点はあまり指摘されていないように思われる。

思うに、そもそもの問題は、情報に対価を払おうとしないことではないだろうか。

キュレーションメディアを受信する側は、できるだけ情報に金を払いたくない。

知りたい情報はググって、無料で見れるところを探す。その信ぴょう性についてはあまり意識するところはない。

とにかく、タダでかつ簡易に情報を手に入れられるという点に重きを置いているような印象がある。

発信する側も、情報価値認識していない。(あるいは収益性の面から敢えて無視している)

できるだけ金をかけたくないあまりに、できるだけ情報をローコストに抑え、時にはタダで情報コピペする(意識としては借りているつもりではあるが、盗用ということになるだろう)。

ネット情報はタダだという意識があるのではないか

双方とも根っこの部分には情報に対価を払いたくないという考え方があるのではないか

無論、広告を見せられるという点で、対価を払っているという見方もできるかもしれないが受信する側としてはただのノイズしかない。

実際、金は払っていない。

(たまに気になる広告があり、クリックすることはあるかもしれないが)

以上は、少なくとも若い世代の話である

私の観測範囲では、同世代新聞テレビニュースも見ない。

必要情報ネットで拾う。そんな意識だ。


しかし、これは若い世代だけの話なのだろうか。

日本、ひいては世界全体の問題のようにも思われる。

例えば、post-truthという言葉イギリスかどっかで流行っているとか。

情報のものには価値がなく、「自分が信じたい、あるいは自分主義・考え方にとって心地よい」情報価値見出している人も少なくないのではないだろうか。

公平性真実性の欠けている情報価値は非常に危ういと私は思うのだが、どうも世間はそういった感じではなくなってきている。

キュレーションメディアのようなネットニューメディアに対するのはオールドメディアということになると思う。

テレビ新聞。どちらも元気がなく、副業で儲けようとしている印象。

NHK受信料を払えとうるさいが、払いたがらない人が多数である

新聞は、日本購読者が多い国だといわれているが、しかしそれでも部数は減り続けている。

ネットにも手をだしているようだが、有料だと誰も入りたがらない。

(ただ、無料では割と利用する人はいると思う。Twitterを見ている限りでは。しかし、気になる情報しか見ない)

私たち世代(私の属している範囲がアレだというのもあるかもしれないが)では、新聞を読んでいるというだけで、「意識が高い」とみなされる。

こういったオールドメディアを信用できないという意見理解できる。実際、偏っていたり、間違ったことを報道することもある。

しかし、私にとってはネットニューメディアよりは、まだマシかなという印象があるので新聞もとっているし、テレビ報道番組もみている。NHKにもお金を払っている。

ある種の意地とかひねくれかもしれない。あまりにもネットで叩かれているので。

ネットはこういったオールドメディアに冷たすぎるきらいがあるように思われる。


有料でも情報に金を払うという文化が残っているように見えるのは、専門性の高い分野だろうか。

スポーツ科学アニメとかアイドルなんかもそうか。

嵐がでているというだけで雑誌を買う女の子なんかよく見る。

こういった特定趣味などにかかわるものに金をだす人はいる。

しかし、人数が少ないのでメディア側としてはあまりからなさそうだ。

流行語大賞ひとつも知らないとか紅白歌手を知らないというように、みんな同じものに興味を持つという時代は終わってきて、各自が別の特定の分野にしか目を向けないようになったという点も大きな影響を与えているのかな。

それ自体は悪いとは思わないけれど。


昔を知らないので、情報への対し方というのが昔からこうだったのかは残念ながら私にはわからない。

しかし、今のこの状況は大変まずいのではないのだろうか?そんな気がしている。

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