だが、私の感覚としては汗と同じだ。
だいたい緊張したとき、興奮したとき、1分以上自分の話をするとき、などなど恐らくは交感神経というものが高ぶった時脇汗同様に目汗がでるといった感じ。
仕事で1分以上話が長引くとじわりじわりと目から汗(もう面倒だから以下涙)がでてきて、目に涙がにじんでいるのが相手にも認識できる程度にまでうるっうるになる。盛大なあくびのあとみたいな目といったらわかるかな。
これが中途半端に優しい人に見つかるとやっかいで、「増田ちゃん大丈夫?オロオロ」と突っ込まれる。そっとしておいてくれ、これはただの汗なんだ。
上司と面談をしているときや、転職の面接をしているとき、ハローワークの人と話しているときも泣きそうになるのをこらえるのに神経が行って話したいことも堂々と話せない。次第に泣く方向に身体がシフトし始めて涙声になっていく体たらく。
情けなくて、ほんとう恥ずかしいんだ。
こんなんだから、転職に至ってはどういう仕事をすればいいのか考え始めてしまう。
プレゼンなんて(やったことないけど)もってのほかだし、対面で長時間対話しないといけないシチュエーションも恐らく難しくなってくる。
自分としては、人と話すのは嫌いではない。人嫌いとかではなく、むしろ好きなほう。
仕事上でも、会議とか打ち合わせとかの場面は好きで、無駄な会議とかでも楽しむことができるほど。
上司と面談していたとき、自分の仕事状況を話していたら目からあふれ出た涙がこぼれて、つー、と流れていった。上司はさすがに大丈夫か?と心配してくれたけど、私としては泣くほどの精神状態ではなかったので大丈夫です、心の汗ですとしか言いようがない。
話している最中は
「あ、やばいまた涙腺ゆるんできた、ああいま目に涙たまってきてるの課長気づいてるかもなあ、あ、なんかきづいてるっぽい表情してる…はずかしいーおさまれおさまれここで泣くとか意味わからんそんな状況じゃないからとにかく淡々と、淡々と語ってこの場を去ることのみイメージするのだ…。」状態。
そして最近、涙がでるパターンが以前よりなんとなく掴めてきた。
交感神経が高ぶるだけではなく「自分の話をするとき」「自分の話を親身に聞いてくれる状況のとき」そして「受け入れられている感覚を覚えるとき」に特段の感情がなくとも自然と涙が出てしまう、とわかったのだ。
昔から泣き虫だったので、親からはよく「泣いてすむと思うな」「お願いだからすぐ泣くな」といわれ続けてきた。思春期も「あんたはすぐ泣くから大変だった」といわれ続けてきた。そんなこと言わんといてお母さん。
そういったことを言われる度に、誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね、time will tellって心境だったから、泣いて迷惑かける私は悪い子、イコール大人になっても泣き虫なこの状況は自尊心に悪影響を与えているんだ、と思う。
私が子供のころに泣いていたのは、身体的な特徴としての涙腺の弱さ(そんなものがあるか知らんけど)と、精神的な弱さ(心を言語化できない、わかってもらえないもどかしさ)が原因ではないかと思っている。
つまり、人に自分の話を聞いてもらうことが、自分の中で至上の喜びに位置づけられていて、元来の感受性の強さ(人の気持ちに敏感だった。持病で人目を気にして生きてきて自尊心が低い等)から脊髄反射的に涙が出てしまうのではないか??
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私は女だが、世間にはびこる「泣けば済むと思っている女」というレッテルが大嫌いだ。だが、自分は傍からみれば「すぐ泣く女」なのだ。
だから治したい。泣かないことが、自分を強くするのではないか、そう思っているから。
涙腺を除去する手術もあるかもしれないけど、怖くて調べられない。
できればほかの方法で、と思いつつもあとは心療内科程度しか思いつかない。認知行動療法なら少しずつとか効果があるのだろうか?