2016-07-10

容姿至上主義

人間順位をつけ、一番でなければ認めない傾向にある。

富士山を登頂した者がいても、エベレストを登頂した者がいれば、前者が登山を語ることに疑問を抱く者が出てくる。

もちろん、相対的に素晴らしいものを認めることができる人間もいるがそれは少数派だ。

 

インターネットの普及で上位数パーセントの整った容姿を持つ人間を多く見ることができるようになった。

実際の割合というのは昔と大差ないはずだが、美形な人間が増えているかのように錯覚させる。

かくして、男女ともに容姿に対する要求は高くなる。

昔だったら美形だったはずの人間ブサイクのように扱われ、昔ながらのブサイク嘲笑対象になっている。

だってお前ブサイクじゃん」、「ブスのくせに」

そんなセリフで笑いをとることに疑問を感じなくなっている。文化とうオールマイティー免罪符を使えば誰も咎められない。

人種病気障害者などへの差別撤廃を叫ぶ一方で、変えることのできない、できても整形手術と相性のよい一握り人間のみしか変えることのできない新たな階級形成しつつある。

 

求める要求が高くなり、その種類が多くなるほど人の心に余裕がなくなる。

期末試験で科目数と難易度が去年の2倍になりました。それは進学に影響を与えます。」

そう言われれば誰だってゆとりがなくなるだろう。

それが現在の息苦しい世の中を形成している大きな要因の1つにもなっている。

美人でも整形手術を繰り返したり、その日の顔のむくみ一喜一憂している世の中はいい世の中だろうか。

ただし、これは達成可能だと自覚している者側の視線だ。

自分能力要求が大きく乖離している場合はどうなるだろうか。

中学生の段階で、高校3年生の学力要求されたら逆にやる気をなくす人間も出てくるだろう。

どうでもよくなるのだ。

何をしてもブサイクという階級から這い上がることができない。

たとえ何かを達成しても、容姿というパラメータ一つで尊厳は奪われてしまう。

社会からドロップアウトしてしまう人や無気力人間生産しているのはこの雰囲気によるところも大きいと推測する。

時にそんな社会を恨み、それがいきすぎて犯罪に至る者が出てくることも想像できる。

 

こういう雰囲気を解消するにはどうするべきだろうか。

私はメディア責任が大きいと考えている。

テレビバラエティなどでブサイクを貶めて笑いにすることは許容されている。

製作からすればただのショーであり、仕事をこなしているだけだろうが、

文化形成するのに多大な影響を与えていることは紛れもない事実だ。

また、美に関して順位をつけ、不安を煽る方が刺激的で、注目を集めやすい。

視聴率企業利益を考えると、それを自主的に止めることは難しいだろう。

彼らを動かすには多数の声が必要なのだ

みんながこの閉塞感の蔓延した社会を解消するように訴えるしかないのだ。

 

容姿至上主義を和らげるには、多数の声が必要だ。

これを見て共感してくれた人は、その主張を広めていってほしい。

はじめは負け犬の遠吠えダサいやつらのやっかみだ、と思われるだろうが、

それは歳をとった自分や、運悪く美形でない容姿を持った子孫の生活に大きく影響するのだ。

稚拙文章申し訳ないが、どうか協力をお願いいたい。

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