いくら過去を悲観しても、目の前に残るのは現実と未来だけだし、別に悲劇の主人公を演じたい訳でもない。分かっている。でも、偶には後ろを振り返ってみたくなるのも人間。というわけで、誰にも言える話でもないので増田に投稿。
僕が小学生の時に両親は離婚した。離婚の理由は明確だった。父親が酷い人間だったのだ。ろくに働かないし、浮気、借金と絵に書いたようなクズ人間だった。
この離婚が僕の人生に大きく影を落したのは避けようのない事実だ。貧困の限りを尽くした母は、僕と姉を連れて2DKのマンションアパートを借りて生活を始めた。僕はすごく悲しかった、前の家と比べるとひと周りくらい小さい家だったからだ。おまけに前の家を売った金は父親が全額持っていくというクソぶり。勿論僕には部屋は無かった。今現在(18歳)でも部屋はなく、家族川の字で寝ている。母親は毎日朝早くから夜まで仕事をこなし、僕たちを育て、と心身ともに疲れ果てる生活を現在も送っている。非常に感謝しているけれど、それと裏腹に“自業自得”だという思考が頭によぎるのだ。
父親のことは大嫌いだ。しかし、父親への嫌悪感と相反して父親に対する憧れは強い。父親と仲の良い友達の話を聞いていると死ぬ程羨ましくなってくる。僕も尊敬できる優しい父親が欲しかった。
この離婚が僕に影響を与えたのは金銭面だけではなかった。僕は同性愛者になった。必要な時に父性が足りなかったのだろうかと思う。家には母と姉の女しかいなかったし、それも原因の一つかもしれない。離婚したのは僕が小学生3年生の頃で、初めて男の子を好きになったのは小学生6年生の頃だった。最初は憧れのような気持ちが強かったように思える。その気持ちが恋だと気付くのにそう時間はかからなかった。男の子を好きになることに対して当時僕は特に何とも思っていなかった。たまたま男の子を好きになっただけで、将来的に女の子を好きになるだろうと思っていたからだ。しかし、中学生、高校生と年をとるごとに願望と反して好きになるのは男の子ばかり。“自分は同性愛者”ということが確定的になってきたのだ。
これまでに数人の人を好きになってきたが、告白などできる筈もなく、ただただその人とできるだけ長く一緒にいれるように取り繕うだけ。相手は僕のことをただの友人と思っているわけだから、尚更辛いし、騙している気がして申し訳ない。一歩も前に進めないと言う感じだ。このまま一人で死ぬのだろうか、寄り添ってくれる人はいるのだろうか。将来に関しても不安は募っていくばかりだ。
僕には所謂、“普通”というものが欠如しているように思う。父親、家計の経済力、セクシャリティ。どう足掻いてもこれらは変えられないし、先天的なものだから覆せるものではない。とても悔しい。後天的な物ならば自分のせいだと諦めもつくものなのだけれど。学業、趣味と後天的に変えられるものは出来る限り最善を尽して頑張ってきているつもりだ。学校での成績も常に上位だ。しかし、テストで良い点をとっても、趣味が楽しくても、どうしようもなく虚しくなる時があるのだ。どれだけ糞みたいな人間でも、どれだけ僕が見下している人間でも、その人を愛してくれる父親はいるし、普通に人を愛する能力もあるし、子供を不自由なく育ててくれる家庭的余裕もあるのだ。何故僕にはそれがないのか。どうして生まれた場所や時間が違うだけでこんなにも人に差が生まれるのか。
父親は現在、祖父母に面倒を見てもらっているらしい。なんなのだろうか、この虚しさは。やりようのない怒りは。お前にはどこまで落ちぶれても助けてくれる両親がいるのにな。僕にはいないのか。
僕は無責任に子供を作って、離婚するような親は死んでしまえばいいと思う。自分の子供を“普通の幸せ”に出来る自信がない人達は子供を産む資格はないと思う。子供は親を選べないんだ。
僕は子供を作る予定はない。(異性を愛せないからそもそも不可能だけど)自分のエゴで悲しみを作るかもしれないからだ。生まれたことを後悔させてしまうかもしれないからだ。生きることは楽しいこともあるけれど、苦しいことの方が圧倒的に多いからだ。そういうことを真剣に考えて子供を生んで欲しいと思う。