2013-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20130203094827

歴史を批判・考察するのは結構なのだが、「反省」に意味があるとは思わない。なぜなら、「反省」を常に主張する左翼勢力が、それを現在においても当てはめるから

反省」にしか目が行っておらず、現在日本が「侵略されてる側」という現実に目を向けようとしてない。現実的に尖閣に対して、何らかの対処をしなければならないのに、左翼は「反省しか頭にないから、「日本歴史認識を改めろ」なんてあまり関係のない話をする。軍事強化を唱えれば、それだけで歴史修正主義者と批判する。「今」の問題を対処するのに、常に「歴史」を持ち出してくる。話が噛み合わない。歴史認識を改めれば、中国尖閣から手を引くという保証もないというのに。もちろん、軍事強化がさらなる軍拡を招き、日本不利益が生じる可能性はある。しかし、軍拡反対の理由の中心に、そういった日本不利益ではなく、まず「歴史」を持ち出すのが「反省」至上主義者だ。これでまともな議論になるわけがない。

このような左翼の態度が、逆に「反省」に意味が無いという認識を多くの日本人に抱かせている。「反省」をしたところで、それは「友好」に結びつかず、むしろ中国韓国日本を侵略する「免罪符」としてしか機能してないからだ。少なくとも、日本の「反省」は、日本の首を締めているだけという実感しか湧いてないのが、今の多くの日本人である。だから河野談話の修正を内閣が主張しても、全く内閣支持率に影響がない。

反省」をしたところで、誰も評価してくれないんだから当たり前。むしろ金を吸い取られ、罵声を浴びせられる理由付けにしか使われない。しかも、金が行く先は、真に謝罪を必要としている当時の被害者ではなく、中国韓国の全く無関係世代であり、さらには彼らの軍事費にすら使われる可能性すらあるのだから、誰が意味を見いだせるというのか。

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