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2013-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20130912103820

正確には冬季オリンピックオリンピックではなくあくまで「冬季オリンピック」という認識かなあ。

夏季オリンピックという言葉がそれほど使われないことからもわかる。

本当は、広義のオリンピックの中に夏季と冬季があるわけなんだが

高校部活全国大会を「○○の甲子園」って呼んだりするイメージで(例:全国高校囲碁選手権囲碁甲子園

「冬季のオリンピック」って感じ。


オリンピックは大体どこの国でもできるけど、冬季はまず「雪降ってる前提」だし。

総競技人口も少ないだろうし、そもそも世界的な熱狂度が足りないと思う。

地方に住む1人からみた東京オリンピック

7年後に心変わりもあるだろうからこのタイミングで思っていることを書いておこうかと思う。

オリンピック自体はスポーツ振興や若い競技者への目標、開催に伴う国際的な約束事を果たす責任を明確にするという点でメリットはあるとは思うのだけど

20代後半の地方住みの1人としては首都圏・もしくは東京国オリンピックだなって感触が強い。

東京オリピックフレーズがそもそもノスタルジックというか過去の栄光彷彿させる。

60代以上の年齢の人なら前回開催時のことがあるからあの感動をもう一度というのも分からなくもないけど

懐古的なところが見え、年寄りの好きなように進んでるなってところでまた憂鬱な気持ちになる。

都市単位で注目の集まる国際的な大イベント開催地はまたしても東京でした。

東京国とその属国地方って構図をより意識してしまう。

単なる恨み節にすぎないのだけどこれで20~30年以内に日本夏季オリンピックが行われることはほとんどないだろうからね。

最初にあげたメリットの部分って日本国で開催さえされれば恩恵あるんじゃないのかと思うと猶更。

2013-09-09

2020年夏季オリンピック東京開催が決まった

開催に向けてがんばった友人の数年間の仕事が報われた。

それがとても嬉しい。

問題なく盛況のうちに終わってくれることを願う。


ただ、、、開催期間中のことを考えるととても憂鬱になる。


オリンピックに限らず、ワールドカップでもなんでも、

国際的なスポーツ大会が開催されると、

出場した日本人(チーム)を応援することが前提に社会が回る。


挨拶のように

「勝ちましたね!」「やりましたね!」

と喜びを分かち合ってから会話が始まる。



それが辛い。



別の国を応援しているから、ではない。


私自身は日本国籍で、

外国への定住経験もないし、

先祖帰化したなんて話も聞いたことはない。


しろ日本を応援している。

できるだけ国産食べ物を摂り、

日本メーカーが作ったガラスマを使い、

日本に法人税も消費税も払おうとしない通販サイトで買い物をしない程度には日本を応援している。



ただ、私はスポーツ観戦に興味がない。


国際スポーツ大会日本人(チーム)が勝とうが負けようがどうでもいい。

日本活躍に興味がない。

スポーツ観戦自体どうでもいい。

当然スポーツ大会実施される競技内容だってどうでもいい。


甲子園国立花園箱根有馬記念日本シリーズ天皇杯もどうでもいい。

そんなことより小林尊佐藤雅信やウメハラの方が気になるし憧れる。


マラソンでサブ4なんか夢のまた夢だから

2時間台で走れる人はすごいと思うけれど、

それ以上でもそれ以下でもない。



それでも私は、国際スポーツ大会日本チームが勝利したら喜んだふりをする。

世間が喜ばないことを許してくれないから。


海外で開催されていてもそうだった。

日本で開催されたらどうなるのか。

想像するだけで憂鬱になる。



別に「そんなことで喜ぶな」なんて言うつもりは毛頭ない。

ただ、「興味ない人もいる」ことを知ってくれると嬉しい。


言葉少なに話を合わせているときに、

そこそこで話題を切り上げてくれるだけでいい。

それだけでとても救われるから


喜んでいる人たちに水を差すつもりだってない。

から、喜ぶことを強要しないでほしい。



ここ数日そんなことを考えている私は、非国民なんでしょうか。


もう非国民扱いされることにも慣れ・・・ないな。やっぱり。

2010-08-06

リョナリンピック

・100メートル

ところどころにまきびしなどをばら撒く。血がいっぱいでる。

100メートルという短い距離の中で繰り広げられる汗と涙と血の物語が観衆の胸を打つ。

リョナリンピック花形競技。

・走り幅跳び

踏み台に針。砂の中にも針が。血がいっぱいでる。

あまりにも足を酷使するため選手人生で一回しか出れないといわれているが、

それでも虚空に血の軌跡を描きながら飛ぶ美しい姿は観衆の涙を誘う。

やり投げ。

槍にトゲがびっしり。たまに自分に刺さったりする。血がいっぱいでる。

どういう投げ方をすれば自分に刺さるのか。だがそれも芸術点として重要視されるので、

今ではいかに美しく自分に槍を刺せるかを競う競技といっても過言ではないかもしれない。

ハンマー投げ。

ほぼ同上。

・7種競技。

フルコース。血がいっぱいでる。

それまでの人生とその後の人生を全て賭けなくては成績をまともに残す事すら難しいといわれる

リョナリンピック最難度級の競技。それだけに世界中から熱い視線が向けられる。

・1500メートル

ところどころに罠がある。血がいっぱいでる。

「これ障害物競争じゃね?」という疑いから始まる論争は夏季オリンピック風物詩

論争が行き過ぎてたまに観客が血を流す事もある。

競歩

特になし。

小細工などをしなくても競歩自体がとてつもないリョナだから。

ぶっ倒れる選手は数知れず。ある意味もっとも血が流れる競技である。

水泳

プールに鮫がいる。血がいっぱいでる。

「もうやめようぜ・・・これはリョナじゃねぇよ、ただのグロだよ」の声が昔から多数あがってるが、

根強い支持がたくさんあるのでかなりの歴史がある。鮫から逃れるべく必死に泳ぐ姿がたまらないらしい。

しかし最近では選手不足が叫ばれており、来季は外されるのではないか?と噂されている。

飛び込み。

水が入ってない空っぽプールに飛び込む。血がいっぱいでる。

「これは水泳競技じゃねぇよ!」という突っ込みをしながら観るのが作法。

そして観客は気づく。「選手は血の海というプールを泳いでいるのかもしれない」と。

シンクロ

鮫がひしめくプールの中でどれだけの演技ができるのか。

ハラハラドキドキの水泳競技の花形である。

鉄棒

棒の表面にトゲがいっぱい。血がいっぱいである。

血を撒き散らしながら次々と技を決めていく姿はあまりにも圧倒的である。

たまに血で滑って頭から叩きつけられてしまうことも。

吊り輪

もちろんトゲがついてるし、輪がちょうど人の首が入るぐらいの大きさだったりする。血がいっぱいである。

夏季リョナリンピックで窒息の苦しみを拝める数少ない競技ということもあり、注目度はそれなりに高い。

運動

床の下から槍が突き出たりする。血がいっぱいでる。

運動クライマックス時に槍に刺さりにいくのがポイント高し。

平均台。

とうぜんトゲがびっしりなので、両手両脚が真っ赤に染まる鮮血の体操である。血がいっぱいでる。

余談だがトゲの大きさや太さもきっちり平均である。

フープ。

フープが金属製で、刃が内側についている。血がいっぱいである。

説明はそれだけで十分だろう。真っ二つである。

トランポリン

かなりの確立トランポリンが破けるようにできている。血がいっぱいでる。

「いつ? いつ破けるの? この高さでとんでるときに破けたら・・・!」

の表情がマニアックなファンの垂涎を誘う隠れ家的な競技である。

ウェイトリフティング

ウェイトリフティングという競技とリョナをくっつけたら、どうなるか? 想像してみよう。

だいたいその想像通りのことが起きる。血がいっぱいでる。

射撃

ウィリアム・テル。血がいっぱいでる。

フェンシング

あの細い剣で突っついてみたいよね! 血がいっぱいでる。

カヤック

ワニが! ワニがいっぱいだよ! 血がいっぱいでる。

トライアスロン

七種競技以上の地獄めぐり。血がいっぱいでる。

リョナリンピック歴史上、いまだマラソンまで到達したものはいない。

というか自転車ですらまともに走ったことはない。漕ぐための足がサメに食われてるからである。

・なおこのリョナリンピック

主催者がリョナをわかってないんじゃないか? これじゃただのグロリピックだよ!

リョナっていうのはなぁ、可愛い女の子が血を流したり苦しんだり触手でアレしたり食われて消化されそうになったり(以下自粛)」

という意見が近年になって目立ち始め、根っこの部分から揺さぶられつつある。

リョナリンピック開催委員会内でもリョナ派やグロ派といった派閥に分かれて、今後の運営を巡ってはかなり際どい政争まで起こっている様子。

四年に一度の世界規模のお祭り―――長い伝統は、今、変化の時を迎えおり、その変化には多量の流血が伴いそうだ。

2010-02-16

スノボ・代表・世界銀メダルフィギュア

中三の海外研修が、9・11テロからの流れでご破算になって、

積立金で長野スキー旅行となったおかげでスキーは滑れる。

 

でも、スノボはできない。

 

そういうとき、スノボ選手って僕を代表してはいないよなあとさっき思った。

陸上競技とはちょっと違う。

国民の代表ってよりは、スノボやってる人の代表なんじゃなかろうか。

だったら、スノボやってる人がいいっていえばそれでいいような気がする。

それとも、スノボをやってトップ選手になっていたかもしれない僕の「可能性」の「代理」なんだろうか。

そう考えた方が少し面白い

でも、なんで僕の可能性は自国の人にしか託せないんことになってるんだろう。

「祭典」としてのオリンピック選手たちに、国は関係なしにありえた「可能性」を見るのも、多くのスポーツ好きが自然と取っている態度だと思う。

国のくくりに関係なく。

そういう、日本の世間の目じゃない世界の目を彼は裏切ったのかしら?

 

そういうことを考えるとき、同じ競技の他の選手国母選手とどんな会話をするのか気になる。

雑音の消える雪上でどんな会話があるのかしら。

会話はそもそもないかもしれないし、

災難だったな、ドンマイ、と言われてるかもしんないし、

あれはちょっとひどかったね、とアドバイスされてるかもしれない。

雪上で、日本、なんてことを考えるのかしら。

 

夏季オリンピックの「国威をかけた闘い」って以上に、

なんか冬季オリンピックは、その国の「余裕」を見せる場な気がする。

日本がそこで正しく、自分の余裕のなさを見せたのだな。

たぶん。

 

 

もちろん、

近くに彼がいたら、

謝るときはもっとうまいやり方があるだろ、

とかそういう適応を促す「助言」を僕もするだろうけど。

 

 

ついでに、真央ちゃんというヒーローヒロインは、

金メダル級だけど、参加者が全員実力を出しきれば銀メダルに終わることを国民が納得しているヒロインで、

それだけシビアな実力認識が共有されなおかつヒロインであることは、

やる前に期待を煽りすぎる国で稀有なことだと思う。

これまた、フィギュアという種目の特性が関わるだろうけど。

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