2010-02-16

スノボ・代表・世界銀メダルフィギュア

中三の海外研修が、9・11テロからの流れでご破算になって、

積立金で長野スキー旅行となったおかげでスキーは滑れる。

 

でも、スノボはできない。

 

そういうとき、スノボ選手って僕を代表してはいないよなあとさっき思った。

陸上競技とはちょっと違う。

国民の代表ってよりは、スノボやってる人の代表なんじゃなかろうか。

だったら、スノボやってる人がいいっていえばそれでいいような気がする。

それとも、スノボをやってトップ選手になっていたかもしれない僕の「可能性」の「代理」なんだろうか。

そう考えた方が少し面白い

でも、なんで僕の可能性は自国の人にしか託せないんことになってるんだろう。

「祭典」としてのオリンピック選手たちに、国は関係なしにありえた「可能性」を見るのも、多くのスポーツ好きが自然と取っている態度だと思う。

国のくくりに関係なく。

そういう、日本の世間の目じゃない世界の目を彼は裏切ったのかしら?

 

そういうことを考えるとき、同じ競技の他の選手国母選手とどんな会話をするのか気になる。

雑音の消える雪上でどんな会話があるのかしら。

会話はそもそもないかもしれないし、

災難だったな、ドンマイ、と言われてるかもしんないし、

あれはちょっとひどかったね、とアドバイスされてるかもしれない。

雪上で、日本、なんてことを考えるのかしら。

 

夏季オリンピックの「国威をかけた闘い」って以上に、

なんか冬季オリンピックは、その国の「余裕」を見せる場な気がする。

日本がそこで正しく、自分の余裕のなさを見せたのだな。

たぶん。

 

 

もちろん、

近くに彼がいたら、

謝るときはもっとうまいやり方があるだろ、

とかそういう適応を促す「助言」を僕もするだろうけど。

 

 

ついでに、真央ちゃんというヒーローヒロインは、

金メダル級だけど、参加者が全員実力を出しきれば銀メダルに終わることを国民が納得しているヒロインで、

それだけシビアな実力認識が共有されなおかつヒロインであることは、

やる前に期待を煽りすぎる国で稀有なことだと思う。

これまた、フィギュアという種目の特性が関わるだろうけど。

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