はてなキーワード: トルコ航空とは
1990年(平成2年)8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。
政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。
これを追い風に、その後1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。
せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人ももっと知ろうぜ
俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。
http://shuchi.php.co.jp/article/1325
そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年 (1985)に起きています。イラン・イラク戦争下のテヘランからの日本人救出です。 イラン・イラク戦争は昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる イランの都市空爆を契機に両国の都市攻撃が激化。イランの首都テヘランにもイラク空軍機が 襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらにイラクのフセイン大統領は、3月17日に 「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送ります。しかし日本の救援機は来ません。 自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空は労組の反対も あって「航行安全の保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地 の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ とんどありません。 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、 当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて くれました。 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、 本国に救援機派遣を要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブールに駐在していた伊 藤忠商事の森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・ パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。 彼らは、明治20年(1886)に日本の小松宮彰仁親王がトルコのイスタンブールを訪問した ことへの答礼使節でした。東京で明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路 に悲劇に見舞われたのです。 これに対し、事故現場の串本・紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒 しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、 しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月にしか食べ ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い 看護を受けた後、日本海軍の軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現 在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコで親日感情が大きく高まりました。こ れが後の、イラン・イラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので す。
一級海外旅行士の俺が淡々とハック術を書いていく。旅行行く前に読んでおけ
http://b.hatena.ne.jp/entry/sonicch.com/archives/21861552.html
これね。ま、よくこれで語れたなぁと思うほどひどい(と俺は思う)んですが
旅なんて人それぞれなんで、楽しく過ごせたらそれでいいんですよね。
と、いうわけでとりあえず持ち物から語ってみる。
そもそも俺はバックパック専門なんで機内預けは基本的にしない前提。
お土産を大量に買った場合のみ、適当なバッグを現地調達して預けてかえってきたりする。
邪魔なだけ。荷物はできる限り減らしたい。一度首用枕使ってみたが俺には必要性が感じられなかった。
ま、好きならどうぞ。でも他に持っていきたいものないですか?
耳栓はアメニティとしてくれる航空会社もあるよね。トルコ航空だったかな、確か。
現地調達もできるだろうけど、それほどかさばるものでもないし、日本の持っていくのが安心かも。
最近はipadでも持ってりゃネットできるし電子書籍もあるし、いらない気もする。
バックパッカー宿で昔の人が置いてった本を読むのは好き。
だいたい旅に出る前に100均で買っていく。普段使ってる財布失くしたくないし、カード抜くのめんどくさいし。
地図があるとなにかと便利だし、一冊持っておくと安心感が違う。ここに行こうという目的もたてやすい。
現地調達でもいいんだけど、飛行機の中ではくことも考えて、100均で買って行って現地で捨ててくるのがいいかも。
シャワー浴びるときに必要だったり、ホテルの部屋内ではいたり、町歩きもサンダルでよくね?ってなったりする。
もっとけ、悪いことは言わないから。何度これに救われたことか。
芯を抜くことを教えてもらってからそうやって持って行ってる。
選択物干しに使ったり、先っぽに何かを結んで猫じゃらしにしたり。
どこに行くか決めてるなら形を調べて買ってもいいけど、一国一形状とも決まってないみたいだし、
どれにでも合うやつを一個持っておくのがいいと思う。高いものじゃないし。
空港で適当にさして使ってたら火を噴きました。電圧は確認しましょう。
現地調達でいい。めちゃめちゃ安い。露天とか半分物乞いみたいな人たちが売ってることが多い気がする。
現地調達。においの強いやつを買うのが好き。
2、3日履いた靴下をバックパックの中で一緒にしまっておくと石けんのにおいがついてまだ履ける気がしてくる。
もう最近は持って行かなくなった。インドとかでは必要って言うね。
ローカルフード風機内食なんかは、現地の食事を想像させてくれて楽しい。
食いたくなきゃ食わないでいいけど、食わないのが通みたいなのは気に食わない。
ぐだぐだ言わずに空港でコートを預けるのが便利。1週間2千円くらいだよ。知れてる。使えるものは使おう。
ホテルのお湯の確認
部屋に入って最初にというよりも、チェックインの前に部屋見せろって言って確認しとくのが正解かと思う。
手荷物の飲み物検査は空港による気がする。イミグレ入ったから水買って大丈夫って思ってると、
もう一回セキュリティチェックがあったりするので、油断できない。
素直に機内でCAさんに水くれって言うのが正解。LCCならお金を払いましょう。
こんなもんかな。今日帰国したところなので書きたくなった。