2022-10-01

anond:20221001163139

湾岸戦争日本人人質解放

1990年平成2年8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。イラク日本を含む国際連合から非難制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上人質としてイラク連行国外移動禁止処分にする。

政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木12月1日イラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木個人費用負担してトルコ航空機をチャーター関係者人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質解放された。

これを追い風に、その後1992年平成4年7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。

この一件だけでも、アントニオ猪木議員になって活躍したと言えると思う。

記事への反応 -
  • 亡くなったばかりの人に関してこんなこというのアレだけど。 一部のマスゴミが“政界でも活躍”なんて見出しで訃報を伝えているが、活躍なんてしてない。 税金未納騒動で告発本がで...

    • 湾岸戦争で日本人人質解放 1990年(平成2年)8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措...

    • ミサイル飛んできた時、北朝鮮まで行って抗議したの猪木だけやったやん

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