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2012-04-22

3つの選択肢…年老いた母親と、病気の妻、じぶんのプライド

世の中にどうしても解決できないことというのがあるのかもしれないってことを整理したいがために、これから書くことを試みる。

年老いた母親と、病気の妻、じぶんのプライド、どれを取るべきなんだろうか。考えれば考えるほど、出口が遠く見えなくなり、発狂しそうな自分をどうにか日常に引き止めておくことしかできない。

自分には年老いた母がいる。決してマザコンではないが、幼くして父が亡くなったために母親には兄弟共々途轍もなく世話になり、恩義を感じている。そして、いつか母にラクをさせ幸せに暮していけるようにすることが長男である自分の責務だと思っていた。

ところが、30歳の頃関連会社を通じて出会った素晴らしい女性と意気投合し、生き生きと仕事をこなす彼女と一緒に会社を起こすがために、関西を後にして東京に出てきた。そこでの約10年間は自分にとっても充実していたし、母にも自慢の息子を演じることでささやか親孝行ができたように思う。

彼女仕事をするのも、どこかに行くのも、時を忘れ議論を交わすのも、何もかもが楽しかった。その時間を、ある日あることが一変させた。

順調に仕事をしていたある日、彼女の指先が真っ白になっていた。それからあっという間に手が不自由になっていった。半年ほどあちこちの病院検査をし、やっと「全身性強皮症」という診断をくだされたときには、彼女は一人で服を脱ぎ着するのもシャワーを浴びたり顔を洗うのすら、いつもの数倍の時間をかけるほど、症状が進行していた。たった半年で、だ。この病気膠原病の一つで、皮膚が硬くなってしまう。血管に物理的変化が起きて血流が悪くなるため、一度傷ができると治りにくくすぐに化膿してしまう。発見が遅れると内臓病変も起こし、それで亡くなる方がいまだにいるとのこと。

確定診断をくだしてくれた先生のお陰で進行はそこで止めることができ、大量のステロイドや血流改善剤で身体の不自由さも徐々に引いていった。彼女は、一ヶ月の入院治療後、通常の生活に戻ることができた。料理が大好きな彼女は、仕事を休んでいる間、楽しそうに料理を楽しんでいた。見かけの握力がないため今までのように瓶のふたが開けられなかったり、血行不良でレイノーが出るため冷たい水でお米を研いだり野菜を洗うことはできなかったけど、なんだか今までの生活が戻ったように錯覚した。

しかし、油断できない。症状の落ち着いた今でも3ヶ月に1度は数百キロも離れた主治医病院に通院し、毎度の検査で1年をかけて内臓の検査を一巡する。いまのところ、逆流性食堂炎と間質性肺炎というのが軽く見られる程度とのことで経過観察中だ。

そして…自分には時間がなかった。

彼女病気きっかけに会社をたたまざるをえなかった。何故って彼女会社の営業みたいなものだったし、人間嫌いな自分彼女の作った人間関係を次々壊してしまった。たぶん、ある種の病気…考えれば考えるほど、追い詰められれば追い詰められるほど強迫的に関係を壊してしまう。自分が情けなかった。

彼女自分を立ててくれていたんだと思う。壊した関係をあえてフォローしなかった。彼女にはフォローできたはずだけれど、自分に恥をかかせるよりは仕事人間関係を失うことを選んだようだ。友人や先輩との縁もそうやって彼女は失っていった。悔しくて辛い選択だったと思う。なぜなら彼女健康だった頃、20年近くかけて築き上げてきた関係だったのだから

自分には時間がなかった。母親は容赦なく年老いていく。しかし、一度つまづいた自分は親の面倒をみることすらできないほど落ちぶれてしまった。もちろん、彼女にラクをさせてあげることも問題外だった。今の自分たちに未来は見えない。貯金を食い潰す毎日だ。それでも、まだあなたは以前の仕事に戻れる、まだあきらめちゃダメだと彼女は言う。うれしい反面、途轍もないプレッシャーだ。

彼女自分と対象的に母親に苦労して育ち、貧困の中で努力して高学歴を得た。確実にキャリアを積み上げて病弱な母親の面倒を看ながら、イキイキと仕事していた。「いつか何の不安もなく安心して暮らせるようになりたい」というのが彼女の唯一の夢だった。彼女母親は若くして亡くなり、自分出会ったときには彼女は独りだった。母親DVのせいで未だに悪夢を見ていた彼女は、自分となら幸せになれると思って公私ともにパートナーになってくれたんだと思う。

でも、自分では分かっている。もう、自分キャリアが世に中に通用しないことを。彼女もやっぱり半分分かっている。世の中そんな甘いもんじゃないってこと。でも、ブルーカラーになる勇気がないのは、彼女をガッカリさせたくないこと、親に恥をかかせたくないこと、そして何よりも自分の情けないプライドのせいだった。

一度は成功した自分が、ブルーカラーUターンをする? 街の同級生や親戚たちの好奇の目に晒される? 母親の自慢の息子から、親のハジとなるために戻る? そんな状況であっても、年老いた母を看取るまでそばに居てやることは、果たして親孝行なのか? 否、たとえそうでもそうしなければ「人でなし」とそしられる。そんな恐怖に自分は耐えられるのだろうか? 妻も同じ目でみられ、血がつながっていない分、親戚からの風当たりは自分より強いだろう。治療中の彼女にはそんな思いをさせたくない。否、そんな思いをさせるしかないことへの抵抗が自分へのプレッシャーなのだ

母親はまだ元気ではあるが独り暮らし不安さりげなく訴えてくる。何度か、病気の妻を捨てて戻って来いと言われたこともある。まだ生きている彼女の父親(彼は彼女中学生とき家族を捨てた)が面倒をみるべきで、お前が犠牲になることはない、ととんでもないことも言った。

そして、選んだ。彼女と別れることを。

幸い子供もいないし、籍も入っていない。彼女自分の親戚のしがらみに放り込む必要はない。

母親を看取ったら、また彼女の元へ戻ればいい、それしか今の自分には考えが浮かばない。彼女の症状は一進一退ではあるけれど、介助が必要なほどではないし、そうならないように主治医の近くに住んでもらおうと思っている。生活が落ち着くまでは面倒を見るつもりだ。

それのどこが間違っているのだろうか? 人としておかしいのか、真っ当なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。

彼女は、受け入れてくれている。なんとか一人で生計をたてる計画を練っている。彼女相談した親友たちはことごとく反対したり怒ったりして心配してくれたが、やっぱり最適解がないのは同じだった。

地元ではなんて言うの?と気にしている。別れたと言えば簡単だし、彼女の病状も母親はあまり知らない。治ったといえば信じるだろう。性格の不一致というやつで片付ければ、自分けが人でなしになるだけで済む。

あとは、彼女が持ち前のネットワークの開拓能力を発揮して、新天地でうまくやってくれるのを祈るだけだ。

…こんな選択しかできない自分。こんな馬鹿なやつは、いつまでも色んなことがうまくいくと信じていた馬鹿なやつは、自分ぐらいなんだろうな。

どんな罰でも受ける、そう思いながらも、プライドプレッシャーに押しつぶされそうな毎日事故で何もかも一瞬で終わってくれたらどんなにラクか…と何度思ったことか。

彼女が作った食事を2人で食べる。何気ないひと時が辛くなるぐらい幸せ過ぎて、このひと時があと数ヶ月でなくなるなんて、信じたくない。やっぱり人でなしだろうと、彼女と別れて暮らすなんて信じられない。その一方で、母親は独りで食事を作り、独りで食べている。一緒にいてくれる猫には頭が上がらない。

実際、全員が幸せになるシナリオなんて、この世にあるんだろうか…

 
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