2021-11-01

現代政治運動における嘲笑効果戦略

政治運動において敵対者への嘲笑時代地域を超えて普遍的である

SNSにおいても、特定政治家のみならず支持者や大衆への嘲りは、もはや見飽きた光景だ。

だがその効用は明らかとは言い難い。

嘲笑することは一見敵対者への攻撃にはなるが、第三者の反応はまちまちだ。

一緒になって攻撃するか、逆に攻撃者への批判を呼び起こすか、そういった争い自体忌避して場を立ち去るか。

とくに、最後効果、つまり政治自体忌避させる原因を、政治運動における嘲笑帰結する分析もある。

支持を拡大するという目的マイナスにもなりうるのにも関わらず、なぜここまで嘲笑が溢れているのだろうか。



社会学において支配関係類型化した初期の学者であるマックス・ヴェーバーは、政治運動上層部運動員に与える精神報酬ひとつだとしていた。

選挙活動などの強力な支配行動に人々を動員するには当然、従わない人間よりも多くの報酬必要である

しかし、(とくに猟官制の廃止された後の)民主主義では、大衆を動員するときに直接的な経済的見返りを与えられない。

それ故に様々な精神的見返りを与えることが必要であり、「嘲笑のための大義名分」がそれにあたるのだと。

この描像だと、嘲笑あくま精神的な見返りのひとつであり、怒りや復讐心の発散なとど同列とされ、そこまで重視はされていない。

政治家トップダウンで操る戦術オプションとして扱われている。



現代的な心理学の描像だと、嘲笑もっと政治に直結したものだとみなされる。

そもそも、「笑い」という行為や付随する情動は、自他の思考や行動の間違いを指摘するために獲得されたと考えられている。

人は、社会的に正常な状態だと思いこんでいた状態が間違っていると発見したとき、その気付きに対して笑う。

自分が間違っていたと自分で気づいた場合には行動を改めるだけだが、重要なのはこれが仲間に、かつ攻撃的に向けられたとき(すなわち嘲笑)だ。

期待されている効果は、間違っていた人間が態度を改め、仲間に従うことだ。

だが、仲間の「間違い」に気づいたとしても、実際に正しいのは自分なのか、相手なのか。それはどうやって決まる?

社会的な正常さを決めるのは、群れの政治力学だ。人間原始的社会は単純な多数決でもないし、かといってリーダー強者による完全な序列制でもない。

たとえば、強く序列が高い人間の笑いには追従の笑いをもたらす効果がある。これによって周囲から笑われた人間は態度を改める。

しかし、リーダーが明らかに間違っている場合には、群れの全員から嘲笑され、リーダー側が反省を強いられる場合もある。

場違いな場面で他人を笑った人間が、逆に間違いを笑われることもあるだろう。

このように、嘲笑とは複雑な政治行為の最も原始的な発露であり、人間特有の行動である



無論、現実、とくにSNS上の政治言論における嘲笑はこの2つの描像の中間にあるというのが実際のところだろう。

特定政党政治家言論人が嘲笑行動を種々の政治目的扇動する場合もありうる。

そういった目的を持たない、無意識の笑いが政治シーンに影響を与えることもある。

もちろん、この無意識なかに個人政治信条も含まれている。

ただ、そういった背景を無視して効果だけを見れば、ひとつほぼ明らかな事実がある。



嘲笑多数派を固めるためだけに有効であり、それ以外の場合には逆効果になる、ということだ。

集団的に行われる嘲笑は、味方には精神報酬をあたえ、仲間関係確認し、支持を固めて動員する効果がある。

また、怒って反応する敵対者あぶり出し、敵として認定することもできる。

日和見派のうち気の弱い人間には追従笑いを引き起こす。彼らはすくなくとも言論の場では逆らわないことが期待できる。

そして、何よりも重要なことに、それ以外の無関心層を遠ざける効果がある。

これによって、多数派勝利を確定させる一方、少数派にとっては確定するのは敗北となる。


さて、ここから考えると、もしあなたがすでに多数派だとわかっている場合だけ、集団嘲笑戦略をとるのが合理的である

という非常に単純な戦略しか導かれないように思われる。

だが現実には、少数派が集団的他人嘲笑し、かえって袋叩きに合い、劣勢を固めてしまうという現象はありふれている。これは何を意味するか?

まず、自分多数派か少数派かを判断するのは、大半の人間には難しい。

社会調査などの客観的指標でなく、周囲の人間意見を重視してしまバイアスは容易には逃れがたい。

次に、感情を抑えてまでマクロ合理的政治行動を行うほどのインセンティブ個人にはない。

感情進化的な意味では合理的であったとしても、それは過去環境適応したものであり、現代政治における合理性とは相容れない。

これらはそもそも戦略的に振る舞えない個人がいるという問題だ。



が、真に重大なのは、この理由により「少数派に属している時、味方が嘲笑という不合理な選択をとりうる。そしてそれに対する良い戦略がない」ということだろう。

その味方は自身多数派だと意識的あるいは無意識に考えている。

嘲笑追従しないことは、対象孤立させるシグナルとなるし、たしなめたり批判したりすれば敵対行為だとみなされるだろう。

よって追従することが局所的には合理的だが、それにより嘲笑は拡大し、多数派敵対者日和見派の目にとまり、敗北を拡大することに貢献してしまうのだ。



この問題にたいする回答は筆者の力量では思いつかない。

SNS上において政治言説をひろめたい、政治的に少数派であると考えている人々は、この現象対応する戦略を考案する必要があるだろう。

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