https://anond.hatelabo.jp/20201210074954
一体みんな何と戦っているんだ。見えない敵と戦うのはやめるんだ。
まず順序立てて一つ一つ紐解いていこうか。
naga_yamas まぁこんなウダウダ書かなくても公立中出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。
2020/12/08
いやそんなものは存在しないのだが、あえてリベラル的な傾向の持ち主かどうかで考えてもそれには当てはまらない。
別に俺がむりやり強弁しているわけじゃない。本人が自分で言っている。
と書いた元増田が想定しているような、差別を過剰にバッシングするような発言は見当たらない。差別を批判するようなコメントも見た範囲ではない。
というわけなので、事実として元元増田のトップブコメはリベラル的な傾向のある人の発言ではない。
元増田はこのブコメが「はてなリベラル」によるものだと決めつけているが、7文字中三文字、つまり42%しかあっていない。
あっているのは「はてな」ユーザによる発言だということだけである。
元増田によると例のブコメにスターをつけた人たちは「はてなリベラル」で「普段は差別主義者を罵倒している」ということのようだ。
これは本当だろうか。流石に全員確かめるのは難しいが5人ほどランダムにサンプリングして見てみよう。あ、ブコメに星を付けるのは思想信条の自由の範囲内だと思うので特に思うところはないです。
恣意性を排除するため下から順番に10人づつ5人選んだ。全ては無理なので上から100件ほど最新のコメントを読んでいる。
(一応言っておくと公開情報ではあるが、晒す意図はないのでコメントくれたら削除します)
https://b.hatena.ne.jp/leexiang/
初めのスターの人。ほとんどのブクマにコメントなし。ブックマークの傾向を見てもどういう人なのかよくわからない。趣味人かな。
特に差別主義者を罵倒するコメントはなかった。ハンチョウは罵倒されてた。趣味が合いそう。
https://b.hatena.ne.jp/chi-Haya/
雰囲気リベラルよりっぽいコメントもあるけど、特に差別にたいするバッシングコメとかはなかった。
https://b.hatena.ne.jp/ledlizerd/
エンジニアの人っぽい。今回の件について「殆どが当事者が言ってるパターンじゃないのか、それはだめなのか?」 というのは自分も無い視点だった。バッシングコメはない。
https://b.hatena.ne.jp/sm3823/
アツギの例の件に対して批判的なコメントがあったけどバッシングってほどではない。当事者の穏当な意見という感じ。バッシングコメはない。
https://b.hatena.ne.jp/septoot/
二階には突っ込んでほしいがホリエモンが好きそうでナイキのCMには批判的な感じ。まあリベラルとは言えないかな。当然バッシングコメはない。
5人見たがリベラル系の人で差別主義者(?)を罵倒していた人は見当たらなかった。5人だとサンプリング数は少ないが、無作為に5人取って全く存在しないのに、残り全員リベラル寄りで差別主義者を罵倒しているなんてことはありえないだろう。
元増田が前提としていた事実は存在しないということがわかった。
5人で力尽きた。暇だったら他の人も見てみてくれ。結構漫画好きの人多いなあと思った(小並感)
元増田によるとはてなブックマークははてなリベラルの牙城なので差別的なコメントがトップに来たら「はてなリベラル」がインチキであるということになるらしい。
前々からはてなリベラルが軽々しく口にする「差別反対」には違和感があったんだけど
この連中が「差別反対」って書いたり口にしたりする時、負荷を全く感じてないでしょう。楽しげですらある。
それはインチキなんですよ。
元増田がそういう課題を感じているというのはいいことだと思う。
想像力なく安易に差別反対といっている人がいるんじゃないかという懸念というのは理解できる。実は自分も自覚なく差別をしてしまう(またはしてしまっている)側にまわる可能性があるという想像力がなく、苛烈なバッシングを「差別をした人」に対してしている人は存在する。そういう人は相手が「差別をした人」であることを免罪符にして過剰なバッシングをしているが、それではただの憂さ晴らしの私刑である。
相手が「悪くて」自分が「正しい」と信じているときほど人は残酷なことをやってのけるものだ。そして実際に自分が差別なんかしないと考えている人が実際には差別をしていたりする。
でもね、この話そもそも前提がおかしいのではないかと感じている。
元増田は多分普段から、特定の誰かのブコメ、もしくは複数の差別反対を旗印に誰かをバッシングするブコメに対して、「こいつらは単に誰かを叩いて憂さ晴らししたいだけなんじゃないか」というような違和感を感じていたのではないか。想像するそいつらの顔は笑っていただろう。実際文章から喜々として叩くようすが伝わってきただろう。だがしかしである、そいつらは「はてなリベラル」でも「はてなサヨク」でもない。単に「特定の誰か」なんだ。
そいつらがたとえ何らかのグループを名乗っていたとしても、だ。(多分名乗ってないだろうが)
「彼らはあちらがわ」「我々はこちら側」と考えるのは簡単で、楽だ。
なぜなら、自分の意見とちがうやつら、なんとなく嫌いなやつら、偉そうな奴ら、そんな奴らと話したりなんとかうまく折り合いをつけたりするのはとっても面倒くさい。実際ストレスだ、そんなことはなるべくやりたくない。
でも心の中で線を引いてしまえば、「アイツらはあちら側だからだめなんだ」と考えればそれで済む。うまくやることなんか考えなくていい、ただ敵対すればいい。あれこれ考える必要もなくなるし、不快な思いをする必要もなくなる。
でもそれはあんまりよくない。なんで良くないのか、俺の考えでは主に2つ理由がある。
なので人間が人間に線を引こうとすると、やろうと思えばどこにでも線を引けるということになってしまう。
人間は弱いので、そのときの自分の都合のいいところに線をひく。
そうすると、どういう人間が出来上がるかというと、外野から見ると昨日と今日で言っていることが違うダブスタ野郎になることになる。
まさに元増田のきらいな、「自分の暴言は差別ではないけど、政治家の差別発言はぶっ叩く」というような人たちもこれと同じである。
この場合、自分のことを「差別をしない人たち」とラベリングして政治家とか叩く相手を「差別主義者」とラベリングしているのである。端的に言ってクソである。
ふたつめは、単にそれが「事実ではない」ということだ。
あちら側とかそちら側とかそれを分ける線というのは存在しない。フィクションだ。
あるとすれば、自分と「その他」を分ける線があるだけだ。
「ネットウヨク」も「パヨク」も「トランプ支持者」も存在しない。
はてなをやっているリベラル系の思想を持ったひとなら存在する。
はてなをやってる差別主義者をボロクソに叩くくせに自分の子供は私立中学に通わせて公立の学校を「動物園」呼ばわりするする人なら存在するかもしれない。