はてなキーワード: リットルとは
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
独り暮らしの為の家電について、2024年5月現在の決定版をだらっと書く。
一人暮らし向けの冷蔵庫は、インバーターが搭載されていないものが多い中、こいつはインバーターが搭載されたことにより、以前のモデルに比べて飛躍的に静かになった。
インバーター非搭載の冷蔵庫は、コンプレッサーの運転時に「全力かオフか」みたいな昭和かよ。みたいな挙動しかしてくれないので、「バゥーーーーンンンン」っていうアホみたいな音が断続的にする。ワンルームで朝昼夜この音とずっと一緒なのはきついよね。私はきつかった。
インバーターのおかげでコンプレッサーを良い感じに動かすという、ようやく平成かよ。という挙動(褒めてる)を行ってくれるのがこのNR-B18C1なのだ。
メーカーさん、「ワンルームって部屋が狭くて冷蔵庫が近いのに、ワンルーム向けの冷蔵庫、うるさくね?」って気が付くのに何年かかってんだよとしか言いようがないが、みんなが買わないと多分そのうちなくなっちゃう。困る。この灯を絶やしてはいけない
これより一回り小さいモデルとして、同じくインバーター搭載で容量156リットルのNR-B16C1もあるが、横幅は同じなので、より大きいNR-B18C1をお勧めしておきたい。
掃除機はこれ。
PV-BS1Lの良いところはあれだ。まず圧倒的に軽い。1キロ切ってる。軽さは正義だ。
充電台が無い。充電台が無いのはメリット。はっきり言って充電台は邪魔だ。コードを本体にぶっ指せば充電開始だ。あ、良い感じの部分にゴムのすべり止めが付いてるから、本体を壁に立てかけても倒れないよ。えらい
ワンルームなんてクイックルワイパーで十分って?わかる。ぶっちゃけクイックルワイパーの標準+ウェットのコンボで床面はほぼ攻略できる。だけど、ちょっと違うんだ。
こいつは延長パイプを外してハンディタイプとして使う時に、吸い口に可愛いブラシがちょろっとついている。これが便利なんだ…。キーボードも、窓枠も、気になるあの部分この部分をこの小さいブラシで掻き出しつつ吸いまくれ。
さらに別売りファブリックヘッドPV-BL30J-005 を使えばベッドの掃除も完璧だ。ぜひベッドや布団を掃除機で吸ってみて、ダストカップに溜まる謎の細かいチリに戦慄してほしい。
というかメーカーさん、掃除機は布団用の掃除口は標準でセットで売ってくれても良いと思うぞ。
後こいつはダストカップも水洗いできる。精神的にかなりすっきり。
掃除機にうるさいそこのあなた、言いたいことはわかるよ。私だって、紙パック式の捕集率99.999%(大きさが0.3~10マイクロメートル)の掃除機(キャニスター)や、ダイソン(これまたキャニスター)も継続的に使ったことがある。
でもね、一人暮らしの紙パック式は、その掃除面積の狭さとのせいで紙パック交換の頻度が低下しちゃって、結果毎回捨てるサイクロンの方が衛生面で有利になっちゃってね。。。
ダイソン?あれは水洗いできねぇ。ダイソンが誇るルート サイクロンテクノロジーに基づいて製造されたサイクロン内部にこびり付くかの如く永遠に溜まり続けるゴミ、チリが気にならないのなら良いかもしれないがな…
洗濯機について書こうとしたところで力尽きた。
もうすぐ発売から1年経つ。ブレワイは発売日でこそなかったがSwitchと同時購入して、それはもうとんでもなく面白くて3歳からずっとゲームをし続けてきた俺の、人生で面白かったゲームランキングをぶっちぎりで更新した。
当然ティアキンはめちゃくちゃ期待してて、PVが出るたびにコマ送りで確認するくらいだった。発売日は仕事も休みにしてもらって0時からやった。今確認したら発売日は16時間ティアキンしてたらしい。我ながら頭おかしい。
基本的に攻略サイトは見ずに手探りでプレイしていた。ティアキンを遊び尽くしてやるぞ!という気持ちだったので常にコログのお面を被り、センサーを宝箱にセットしてマップを隅々まで探索していた。
逆に祠や洞窟、ミニチャレンジなどはノーヒントだったので普通より時間がかかっていたと思う。祠コンプしたのはコログ900超えたあとだったし。
Twitterでエアロバイクが流れてきたところからウルトラハンドの工作にハマり、5chのウルハンスレに入り浸ったりHyperWikiのフィールドオブジェクトを眺めたりして色々研究したりもしてた。ちなみにゾナウギア重ねバグと"柵"を発見したのと、Quantum Linkを日本に広めたのは俺。
完璧に真っ直ぐ進める3輪エアロバイクとQuantum Linkを使って高速移動と登坂性能を両立した車を作ってウルハン工作欲は一旦満足した(これだけでも1ヶ月くらいは遊べた)ので、その後はストーリーを進めつつコログ集めつつ防具強化素材を集めつつみたいな感じだった。
で、発売から2ヶ月くらいでコログ900個(完全自力)、防具強化だいたい9割くらい、マヨイや井戸など残りの要素は完全コンプリートという状態までいって熱が冷めた。その後ちょくちょくコログを集めて今950個くらい。
まずストーリーに関しては正直どうでもいい。そもそも俺はゲームにおいてストーリーを重視するタイプではないからだ。ティアキンのストーリーの評価は賛否両論で、感動したって人もいればタイムトラベル関連で矛盾があるとか、ゼルダゴリ推しが目に余るとかいう意見もある。まあ確かに言われてみれば確かに設定が甘いとかはあるが、やってる最中はそこまで気にならなかった。
あとブレワイとの繋がりがことごとく消されてるというのは残念だった。ユン坊がダルケルの護りを一切使わないの意味不明だし、ウルボザなんか影も形もない。
UIはブレワイよりはマシになったとはいえまだ全然ダメ。特にスクラビルド関連はゴミすぎるし、ホイールメニューも微妙。俺は賢者を常にOFFにしてたから体感してなかったけど、賢者関連のUIもゴミらしいね。
次は能力に関して。
まずウルトラハンドはめちゃくちゃ面白い。「物を動かしてくっつける」これだけで1本のゲームとして成り立つくらい最強の能力。オープンワールドでこれやったのはヤバイよ。実際俺はこれだけで1ヶ月くらい溶かしたし。
スクラビルドは、うーんって感じ。まずそもそもやってることはウルトラハンドと同じく「物と物をくっつける」なんだから、能力として分ける必要はないのではと思った。ウルトラハンドを武器に適用したらこうなりますよ、的な。あとスクラビルドを作ったせいで武器を朽ちさせる必要がある→見た目が悪くなるというのは結構残念だった。
トーレルーフはこれのおかげで洞窟や井戸を作れたと考えるとまあアリ。モドレコはあんまり使わなかったからぶっちゃけ要らなくね?とにかく4つの能力の中でウルトラハンドだけが突出していてバランスが悪いなと思った。
また賢者の能力がブレワイの英傑の加護に比べて弱くて、むしろ使わないほうが邪魔にならなくていいとさえ思った。
ゾナウギアに関して。
まずエアロバイク(とロケット盾)が強すぎるせいで、移動関連は全てこれでよくなってしまうのがこれまたバランスが悪い。戦闘用ギアに関してもまともにダメージを出すには相当ゾナニウムが必要で、普段使いできないので結局自分で武器振るったほうが速いとなりがち。
これもよく言われていることだが、ブループリントのお気に入り欄が8枠しかないのは少なすぎるのと、オンラインで設計図を交換できたら良かったのにと思う。
俺が一ヶ月かけて作った車も実際スピードが出て楽しいは楽しいが、楽しいだけで便利ではない。だってエアロバイクでいいもん。
あとアップデートで面白いバグが根こそぎ修正されていったのも残念。これとDLCないです発言で今以上に面白くなることはない、と思ってしまったので熱が冷めたと言っても過言ではない。
ボリュームに関して。
多すぎる。ブレワイでも牛丼特盛+デザートでパフェって感じだったのに、ティアキンではキング牛丼2個にパフェ+パンケーキ+お茶2リットルって感じ。盛ればいいってもんじゃない。
それでいてブレワイからやることが大きく変わったわけじゃないので飽きる。ウルハン工作や洞窟探索はブレワイにはなかったので結構楽しめたけど、チャレンジ系やコログ、祠は正直惰性でやってた。
あとやっぱりマップ使いまわしはダメ。地上はマジで既視感凄かった。空島も6割は同じ構造の島だし、地下は景色が全く代わり映えしない。空島と地下はクリアしたら行く意味がないので、結局最後は地上にばかりいて、でも地上は遺跡片が突き刺さってたり深穴があって汚いので、純粋に景色を楽しむことができない。
ブレワイは何度も最初からやってその都度色々な冒険を楽しめたけど、ティアキンは1週目コンプすらできずにお腹いっぱいです。
最初にブレワイはめちゃくちゃ面白かったと書いたが、その理由は今までのゲームになかった圧倒的な自由度にある。
まずゲームを始めてすぐ、何のムービーも誘導もなく、手探りでOPまで進むことになる。そして塔を起動するまでも一度姫さまの声が聞こえるだけ。極めつけに1つ目の祠をクリアしたあとは「残りは全部自力でやってね。じゃ!」と言われる。最高だろ?始まりの台地のマップは全て繋がっていて、エリア間移動もすぐできるので、どこから探索しても構わない。
対してティアキンの始まりの空島ではまずマップの構造とラウルの誘導からして反時計回りに進むことが前提となっている。ウコウホ〜インイサまでは多少広いけど、それ以降はほぼ一本道。実際初見プレイのときもゲームの方から「次はこっちに行ってね」と言われているように感じた。ワープも使えないから後戻りもしづらい。
また「これをしないとストーリーを先に進められない」という、謎解きの形をしたおつかいが多々見られる。
例えばブレワイのゾーラのストーリーは
・ゾーラの街にたどり着く
・ゾーラの街で会話を進める
・ルッタに乗り込む
・ルッタで謎解きをする
こんな感じである。
・ゾーラの街にたどり着く
・像のヘドロを取り除く
・ゾーラの鎧を貰っておく
・シドに会いにいく
・学者に会いにいく
・街の子供の話を聞く
・ドレファン王に会いにいく
・特定の空島に行く
・貯水湖の渦に入り、謎解きをする(長い)
・神殿で謎解きをする
やることが多いよ!ロックマンエグゼ2のフリーズマンシナリオかよ!
とにかくブレワイに比べて自分の好きなように進めるというのがやりづらくなったと感じた。
総評として「ウルトラハンドが500点。それ以外40点で平均して約120点」みたいなゲームだと思った。正直言ってウルトラハンドとほんの少しだけ改善されたUI(と多すぎるボリューム)以外ブレワイに勝ってるところないです。
実際ウルハンで謎解きや工作してるときは本当に面白かったんだけどね…。それ以外の要素もコンプしようとしてしまったのが悪かったと思う。
自分のやり方を書き出してみる
・米を買うタイミング
今だと5キロ1800円くらいで買う
買ったらすぐ米袋ごとポリ袋に入れて結んで密封する
帰宅したらすぐ保存場所に放り込む(うちはプラスチックケースに入れてる)
前回分を使いきったら開封する
キッチン用の厚手のポリ袋Mサイズを4枚と薄手のSサイズを13枚、クリップを3つ、マスキングテープを一切れとペンを用意する
S袋に2.5合秤入れて空気を抜き固結びする
4袋できたらM袋に入れて空気を抜きクリップ留めする(クリップに巻き付けて2重になるように留めると持ちやすい)
最後の1S袋分だけ残量を全て計量して入れてマスキングテープに書いて貼ってM袋に入れてほどけるように結ぶ
M袋4つ分を保存場所に放り込む(うちはプラスチックケースに入れてる)
・米を炊く時は
炊飯釜を出す
1S袋の結び目のそばにハサミの先端で突いて小さい穴を空けて空気を入れて、結び目と逆の一方の角から米をどかしてハサミで切る(結び目のそばを直接切っても良いけど袋の口が大きくなって扱いづらい)
米だけ釜に入れる
浄水を1リットル釜に入れてシャモジでかき混ぜる
水を捨てる時は米が落ちない程度までで良い(手もザルも使わない、面倒でしょ)
浄水を数回取り替えて、水面に濁りがなくなったら釜の目盛り通り(うちの場合は2.5合)に水を残して早炊きする
炊けてすぐ食べない場合はダイソーで買ったご飯タッパー4つに均等に全部入れる(400mlで2重底のやつ)
すぐ冷凍する
・冷凍を食べる時は
重湯研究に勤しんで幾日。
お粥より軽い重湯感じで描くと重みが増すはずなのに食べ応えは軽いのよね。
つーかこれ、
そんでお鍋に入れて沸かして煮たって沸騰してきたらそこから約10から15分弱火でことことやんのよ。
まあそこまでは一緒ねお粥も重湯も。
重湯はそこからお米とゆで汁とを分離してそのお米のゆで汁がいわゆる重湯なの。
これだけでも
結構お腹が空いたときに空腹を癒やしてくれる工夫にはなると思って研究を始めたんだけど、
残りのお米も普通に炊飯したときとは違って柔らかいけど一応はお米の粒を保っている感じ。
歯応えの食べ応えという意味ではまったくないわね。
でも来れよく考えたら、
重湯とお米で分離した糖質が重湯に溶け出している分、
残ったお米の方が糖質カットご飯炊飯になってなくね?って思った副産物。
本当は重湯が作れればいいと思っていたけど、
こっちの茹で上がったお米の方もなかなかサラッと食べれて朝起きたときの優しい感じが優しく食べられる正に優しいスペシャル!
お米の量は半合だけど
夜は重荷にならない重湯に使用と重湯のよいや思うのよ。
飲んだあと何か罪悪感の塊のようなものを食べたくなるときもあるけれど、
これで緩和できるからいいのでは?ってまだまだ研究の途中だけどそう思うの。
それに1回の調理で重湯とご飯が茹で炊けるのは一石二鳥というか一鍋二飯って感じじゃない!
時短にもなるし、
お粥は都度都度全部を食べ切らないといけないお米と一緒に煮炊き込むから、
お米の量半合とはいえ、
かなりのボリュームになるのよね。
重湯メリットしかない今のところ私の研究結果ではそういったことが報告されたわ。
逆にデメリットとしては
重湯を飲んだカップはお米成分の粘り気が結構強くて食洗機に放り込んでもピカピカにならない案件が発生して
実験器具がそのまま使って食洗機使って食洗機の流れでは上手く行かなくなっちゃったのよね。
手洗い!
なんか本末転倒だけど、
そのしつこいお米の粘り気成分を綺麗にしてから食洗機かけるとか!
手間掛かるわって思うけど、
ひょっとして食洗機時短モードでどーもつーう感じでやってたから
ちゃんとレギュラーコースで洗浄したらピッカピッカのグラスに元通りに洗えるかな?って
案外グラスが結構しぶとく粘り気の多少ある糖質の主な主成分である重湯はそういうことあるのね!って
そのあとの使った食器洗いがネックになってきたわ。
そこでまた手洗いしていたらなんか滑稽だし、
念入りに予洗いしてからってのもなんか滑稽じゃない?
今度はちゃんと標準レギュラーコースで洗浄したらちゃんとピカピカになるか研究をしなくてはって思ってわ。
本来ならピッカピッカになるはずよね?
今までそんなところにシャープな目の付け所が無かったけれど、
重要な気付きよね!
でも理屈は一緒のはずなのに、
もしかしてお茶碗はガラスじゃなくて透けて見えないから汚れがいままで完全に落ち切れてなくても見えてなかったってだけ?
えー?まさか!
ガラスの透明なところにしてみてやっとそれ今頃気付いた?ってこともあるし、
でもちゃんと陶器のお茶碗は綺麗に洗えてるように見えるのよね。
まあそこ神経質になっていたら
でも
可及的速やかに重湯ガラスは食洗機標準コースのレギュラーコースで時間をかけて洗ってみることにするわ。
食洗機だと60分!手洗いだと5分!
田村でも金!谷でも金!でお馴染みの柔道選手もそんなこと言っちゃいそうな勢いだし、
60分じゃダメなんですか?って国会議員蓮舫議員さんみたいなこと言っちゃいがちだけど、
5分で終わらせたいその5分の手間も惜しみたいぐらい60分で洗い上げるのよ。
私はそのガラスが綺麗に洗えていないという横道にそれそうな横槍に刺されながらも
メインテーマの重湯の完成形を日々鍛錬していくことに重湯を置き励んでいくことを忘れないようにするわ。
しばらくはそういういや!
夏までにはペキカンなボディーを手に入れるためには!ってのもあるし
うふふ。
重湯のあとの茹で上げたお米ね。
味はまあ真っ当なお米味なので、
朝食にももってこいなのよね。
焼き魚が恋しいわー!
そろそろ電気ポットの役割の活躍も少なくなる暖かさの春?って思っていたけれど、
お湯が朝起きたら沸いているという幸せ!
実感できるわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
厚生労働省の出した「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」に対して飲酒の自由の妨害だと切れてる人がいる。
でもどんな害があるのか知らないままでいる方がむしろ自由意志を奪われてるんだよ。
「世界で最もコカコーラ中毒で人が亡くなる街の闇の実態が恐ろしすぎた」ってYoutube動画を見てほしい。
住人が毎日2リットルくらいコカ・コーラを飲んでいて、住人の35%以上が糖尿病にかかっているのに、住人たちは「糖尿病にコカ・コーラは関係ないよ」と語ってる。
コカ・コーラ社のマーケティングに住民が完全に洗脳されていてる街だった。
そういう状況に市民が対抗するためには正しい科学的知識を広めるしかない。
厚生労働省は20年以上前から「日本人の食事摂取基準」や「健康づくりのための身体活動・運動ガイド」など科学的根拠のある健康情報を発表し続けている。
モスクワ在住日本人YouTuberの動画をよく観てるんだけど、「牛乳1リットル ○○ルーブル=○○円」って書いてくれるから分かりやすくてありがたいよ。
ロシアもインフレが進んでいて、戦争前は大抵のものが日本より安かったのに、いまやほとんど日本と物価が変わらない。
ただ、ロシアだと日本と物価がそんなに変わらないから分かりやすいけど、スイス在住日本人YouTuberの「○○スイス・フラン=○○円」はめちゃくちゃ分かりにくい。
というのも物価が日本の2〜2.5倍くらいと、あまりに高すぎるからだ。
そこらへんのイタリアン(スイスの飲食店のなかでは安価なジャンルらしい)で家族で軽くランチしたら3万円オーバーしました、とかそんな感じ。
でも日用品や食品の価格をよーく見てると、先に書いたように「おおよそ日本の○倍の物価なんだな」ということは分かってくるので、やはり書いてくれていたほうがわかりやすい。
川口春奈です!
嘘です。
コーンポタージュスープの美味しさに不思議発見のフォーカスを与えつつ、
私は日々ミステリーをハンティングするそれなんて世界ふしぎ発見?って思うほど
日々のこの例えばコーンポタージュスープの美味しさにHITACHしたいほど再発見したのよ。
よく溶けないし甘ったるいし、
でも香りだけは充分に違いの分かる私の演出にふさわしいマグカップに入れて飲めば
そう!丁寧な暮らしを実践できる唯一無二のコーンポタージュスープなのよね。
パンに浸して食べたら美味しいことを
ミステリーハントした私は、
それ以降、
食パンとコーンポタージュスープは欠かせない組合せになったの。
ここでミステリー!
一体コーンスープとかこういう粉末スープのベストな濃さ!ってどのぐらいなのかしら?
正解の標準のコーンポタージュ原器の適切な湯量で量って入れればいいんだけれど、
その原器は日本原器保安協会に置いてあるから一般の人では到底知り得ることの出来ないバックヤードに突入しないといけないみたいなのよね。
でね、
どのぐらいの量がお湯でたのかな?って分からないじゃない。
いちいち計量カップを出動させる?
なわけないわよね。
私もある程度のこのぐらいの量がコーンポタージュスープに必要な例えば180ミリリットルです!って目視で分かる様になればベテランよね。
しゃもじでピッタリ150グラムご飯をよそうことができます!ってとかのチャレンジで名人登場するときがあるじゃない。
あのぐらいまで毎日毎日ご飯をよそい続けたらそりゃーぴったりのグラム数でご飯をよそうことができるかも知れないけれど、
日々適当に生きている中で気まぐれで飲むコーンポタージュスープへの湯量をピッタリにする神経質なまでの精度っている?
いや必要ないわよね。
でもベストな濃さの湯量で作るコーンポタージュスープ飲みたいわよね!
要は量るのが面倒なのよね。
人は予想よりはるかに薄いコーンポタージュスープを作りがちなのよ。
パッケージで発表されて掲載されてある湯量って思いのほか私たちが思っているほどに少ないのよね。
いつもオーバーしちゃいがち。
適当な電気ポットから出るお湯ルーレットで適当に給湯ボタンを押して適当なカップの嵩に湯が入ったところでストップ!
もちろん先にコーンポタージュスープの粉末は投入しているわよ。
いつも適当に作るお湯の量のコーンポタージュスープは薄味なのよね。
じゃー粉倍入れればいいじゃん!って思うけれど
倍って言っても2倍とは言ってません!って言う政治家みたいにそこまで2倍までは必要な2倍!2倍!ってそれじゃー高宮間親方じゃん!ってなるの。
このカップのこの湯量はこのぐらいのところまで達する!って1回ちゃんと見て覚えておいて
キャンプファイヤーでお湯を沸かしたお湯で飲むカップコーンポタージュスープはさぞ美味しいことでしょうね。
でもそんなときいちいちキャンプファイヤーの前で計量カップを出して湯量を量っていたら興醒めじゃない?
ムードぶち壊しというか、
いまそっちより正確なコーンポタージュスープの粉末に対しての湯量より
キャンプファイヤーの火をどちらかというと楽しみたいので、
たぶんそうなった場合はコーンポタージュスープの湯量が多少少なかったり多かったりしても美味しいと思うの。
でもそんなキャンプファイヤーの前でコーンポタージュスープを飲むってケースは稀だと思うので、
たぶんまだ鮎の串刺しを焼いて食べる囲炉裏感の方が圧倒的に勝っているので、
そうなると鮎への塩うちが和食の基本になるのよ!
そう言った場合もう一瞬で見ていなくなったトルコの高いところから振る塩かけシェフは適当な塩分の塩味を付けてくれたかも知れないわ。
それよりもあの切れ味抜群のナイフの方がトルコオスマン帝国のなんか戦いであんな刀を振るっていたのかしら?って歴史を感じてしまう。
本当に世界ふしぎ発見よね!
ミステリーだわ。
うふふ。
さんざん言っておいてそれじゃなかったら怖いんだけど的な的な、
そういうワケなのよ。
どういうワケかは分からないけど
とにかく凄い自信なの!
家でちゃんと朝ご飯早起きして食べる用に三文得する勢いでやってくわ。
意外とちゃんとしたコーンポタージュスープが食べられるお店って茶碗蒸しに次いでないわよね。
あったら嬉しいけどね!
と思ったら冷蔵庫の奥から5年前の干からびた梅干しが発掘されたので、
たぶんナミブ砂漠よりかはまだしっとりと潤いがある梅干しかも。
ぜんぜん行けるわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!