はてなキーワード: 綺麗事とは
IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。
SESを脱退し、そこそこ大手のIT企業の正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSESで客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。
工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。
1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。
工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計、実装/単体テスト、結合テスト、総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数を登録することである。
さらにセキュリティ教育などは個々の案件と無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。
リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。
さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業したかを15分単位などで記載する。
工数管理のいいところは、作業をサボりにくくなることだ。作業効率が客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。
工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベルで工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。
しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。
その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見をバリバリ言う人から、
・工数管理は全く意味がない。適当な工数を入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。
・工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システムは不要である。工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。
などの意見が出ていた。
そりゃあ工数管理が根付いてない企業に工数管理を行えばそうなるでしょう。
工数管理は業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。
結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。
つまり、当社はよく言えば従業員の意見が通りやすい、悪く言えば従業員のわがままが通ってしまう企業なのだ。
従業員の意見を尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務は改善できない。
これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。
工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員のわがままが通ってしまうのだ。
(まあ当社の工数管理はテキトーだからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的に業務は改善していたと思うが。)
PDCAはPlan, Do, Check, Actionの頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。
実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。
当社もPDCAの概念はあるし、週報という形でそれを実現している。
しかしその概念は根付いておらず、週報以外ではPDCAは無視している。
つまり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。
振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである。
これは作業者レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしかに最後には振り返りの資料を作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないから作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである。
本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去をグダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽な対策が記載される。
当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。
私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料の作成と具体的な対応策の準備、そして責任と人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。
と書かれていた。
本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部でマニュアル化してルール化すべきではないのか?
アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?
それをなぜ、個々のチームに依頼する?
業務改善といえばマニュアルの作成や設計書フォーマットの作成だ。
それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである。
しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。
フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。
当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。
これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者に相談しやすくもなる。
こういった業務改善は本来は上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。
上層部に知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。
当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。
業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。
そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。
環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。
仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。
仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。
2024/05/15 10:48
工数管理すべきなのは、成果物ではなくサービスを提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。
当社の開発チームは、開発者やPM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。
俺はいわゆる弱者男性だけど、増田で労働に関する議論を見てるとそう思う。下手に男女平等って言い出すから、弱者男性とか名乗って女性を危険な仕事に無理やり就かせようとしたりしてリソースを簒奪しようとする集団が出てくる。
言っちゃ悪いが、俺は男より女性の方が生命としての価値はずっと高いと思うし、それを理由に男性の支援より女性の支援が優先されるのは問題ないと思っている。
男性の危険労働をやめさせたり、ホームレスを頑張って自立させて、まともな一人暮らしをさせるまで持っていくコストで、女性の貧困者を数人は救えるだろうし。
男性は下手に力があるから、逆上した際に押さえつけるのも手間がかかる。知的障害なんかを併発していたら、そもそもおとなしくさせること自体が難しい。
そもそも、男性の精子は一回で複数人の女性を妊娠させることができるんだから、男性の数なんて少なくてもいいんだよな。
生物的価値として、女性のほうが明らかに高いんだよ。男女は平等に価値がある、という綺麗事はいい加減にやめるべきじゃないかと思う。
容姿が悪い男性、稼ぐ能力が低い男性、知性に問題がある男性、これらは全部弱者男性に含まれるとは思うんだが、見捨てられても仕方ないだろう。それは社会的な問題ではなくて、生物学的にそうなのだから諦めてもらうしかない。
これはもちろん俺を含めてね。
私は20代半ばの女で文系学部卒、都内の実家住みで都内勤務である。
これだけ聞くと一般的にいるアラサーで、むしろ恵まれている方かもしれない。
新しい出会いについて考えたが、理想が高くなってしまったのかなかなか相手に1歩踏み入れられない。マッチングアプリで1人会ってみたが、プロフィール詐欺(職業や学歴、居住地など)の多さに耐えられなくなった。やはり理想が高いのか。
【理想】
年齢:同年代(ジェネギャをできるだけ減らしたい。できたら同い歳がいいけど±2歳くらいが目安)
身長:160〜180cmくらい(自分より高い方が相手も気にしないかなっていうのと、高すぎると並んで話すのがちょっと大変だった。でもこちらも目安なので低くても高くてもOK)
年収:400万〜
住み:23区か多摩地区の東側(1人暮らしだとなお良し、職場か私の家から1時間半の範囲内だと嬉しい)
顔:好きになった人がタイプっていう綺麗事しか書けないけどそれは本当、ガリガリと肥満は心配になるから好みではないかもしれないけど体質なら仕方ないよな……
タバコ:吸わないでくれ
学歴:大学卒(どの大学でもいいからしっかり勉強や研究、部活動、サークル活動、アルバイトなど何か打ち込んでいたらいいなとは思う。難関大出身でも散々サボってるのにテスト直前に周りの人に「ノート見せて」って言ってたり、遊び呆けたりしていたらおそらく価値観が合わない) 学部卒でも院卒でも
趣味:ギャンブル関係やシーシャはNG。あとサウナ行きすぎると毛根や精子が終わるので週末サウナ族はNG。昨年アプリをしていた時に「毎月給料が入ったら遊戯王のカードを買っている(手取り18万くらいなのに5万以上するカードを買っている)」と言っていた男がいたが、それだけならいいけど毎週友達と朝まで飲んで飲み代えぐくて「もしかして給料を使い果たすタイプなのか……?」となって以来、金遣いの荒い趣味の楽しみ方をしている人が苦手になってしまった。でも経済を回しているので恋人としては辛いけど、友達としては楽しいかもしれない
その他:体調が悪くなければ毎日入浴と歯磨きを頑張って欲しい、ひげはない方が好きだけど生えてきちゃうよね(伸ばしている方は好きではないが、脱毛していたら天を仰いで感謝する。お金がかかるから無理はしないで欲しい※私自身は全身脱毛済み)、店員さんに失礼な態度を取らないで欲しい、ごみはちゃんとごみ箱に入れて欲しい、ハゲはNG、鼻をほじるな、耳をほじるな、できれば清潔でいてくれ、高圧的な態度を取らないでくれ、ある程度TPOを弁えた服装を心がけてほしい
1番は、「会話ができる人」。ちゃんとやり取りができるのって大事。面白い人が好きとか、かわいらしい人が好きとか、そういうのは求めすぎな気がしてきた。それに、条件で付き合うのではなく、やっぱり好きで尊敬して付き合いたいけどそれはもう手遅れだろうか。
周りの紹介で会った人は結婚願望が0だし(なぜ紹介した)、こんなやりとりがあった↓
相手「おいしいイタリアンがあって……マンマパスタっていうところなんだけど」
私「おいしいよね!」
私「淵野辺って相模原の?(昔友人が住んでいて地名を聞いたことがあった) いや、ないけどチェーン店だから他の店舗なら行ったことあるよ」
相手「淵野辺のマンマパスタが1番おいしいから!淵野辺店じゃないと!」
私「(どこぞの婚活ネキのトリキ祖師谷ネタと同じじゃねえか)へえ!そうなんだ!今度行ってみようかな!」
ここまで来ると、私は結婚どころか、今後恋人ができるか怪しいのではないかと思えてきた。世の中には様々な人がいて、結婚や恋愛が全てではないと分かってはいるけれど、どうしてもその幸せを私も掴みたいと思ってしまうのだ。大好きな人と一緒にいられたらそれでいい。傲慢だろうか。
段々、「自分は淘汰される側かもしれない」というフレーズが脳裏にチラつくようになってきた。中学の理科の便覧で見た遺伝子の優劣の図が脳内で踊り出した。親には申し訳ないが、私は淘汰される側かもしれない。
そうなると、寿命までの何十年を楽しんで過ごしたとして、それは後世に何も残せないのかと思うと人生って何なんだろうなと思う。友人と会うのは楽しいし、スポーツするのも楽しいし、芸術鑑賞をするのも楽しいし、大学で取った資格で好きな仕事をして仲間にも恵まれているし、おいしいものを食べるのも窓辺から景色を眺めるのも散歩して道端の花を見て季節を感じるのも、全部大好きなのに。全部1人の中で消費されて、いなくなった後には何も残らない。
こんなことを考えては急に虚しくなった。生きる意味って何だろう。繰り返すが、結婚や恋愛が全てではなくて、もちろん特定の相手がいなかったり、籍は入れていなかったりしても幸せに過ごしている人がいるのは重々承知だ。
きっと、新しく恋人ができたらこの悩みも薄れるのかもしれないと思う。その時は相手を安心材料みたいに絶対に思わず、大切に、そして幸せにする。
あ〜〜〜〜元恋人に「〇〇(私)からは面白みを感じない」と交際1ヶ月あまりで振られたのが結構きている。それなら何で「好き」って言ったんだよ、「付き合って欲しい」って言ったんだよ。無理だよ、デートドタキャンされた次の日のデートでツッコミのキレが悪かったなんてそんなのドタキャンの理由にもやもやしていてツッコミができる状況じゃないんだよな!それなのにもっと上手く関われたはず、って後悔して復縁考えてたのがもっとしんどい。やはり私は弱い。
とりあえず、別れて3ヶ月以内に新しい彼女を作って「彼女が出来た」と報告してきた元彼は、今度帰省した時にでも実家のありとあらゆる場所を探って、道徳の教科書を熟読してください。
こうやって考えるのって自分で自分のことを生きづらくしているようなものだ。とっとと筋肉を鍛え、美容に気を遣い、周りの人に感謝して、好きなものを目一杯楽しんで強くなるしかないなと思った。
強くなってどうなるのかは分からないけれど、日曜の夜はこれくらいで思考をやめておこう。
こんなに反応をもらえると思っていなかった。ありがとう。
身長だけなら1つ前の相手が自称165cmで歴代で1番低いけど、むしろ身長は高くない方が並んだ時に話しやすくて助かった。体型は普通体型の範囲内だと思う。具体的な名前は伏せるが某大学の某自治寮出身者だったので付き合ったら面白いかと思った。しかし、思いのほか付き合うのが難しかったので、私のキャパの狭さが露呈した1ヶ月あまりだった。
趣味については私自身元女ドルオタだったのである程度の金遣いに理解があるつもりではあるが、グッズに月3桁使って親に泣きついたり、給料をいつも趣味や交際費だけに使い果たしたりするのは結婚を考えると難しい。仕事終わりや休みの日にライブに行ったり、自分の払える範囲内でグッズ類をコレクションしたりするのはぜひとも楽しんで欲しい。
https://twitter.com/numagasa/status/1784765677553045932
クマと出会って恐ろしい思いをした人(実際こわい映像だが)のツイートを見かけたが、また枕詞のように「"クマとの共存を"とかお花畑なこと言ってる人は〜」みたいな決まり文句がつけられてて、若干げんなり。クマの保護や共存の試みは人間の安全を確保する上でも重要なんだが、槍玉にあげられがちよな
クマの恐ろしさにかこつけて保護や共存の試みを無闇に叩く言説、「お花畑な綺麗事に"現実"を突きつけて一刀両断」というネット民の心を手軽に刺激できる条件をばっちり満たしてるので、見かけたら少し気をつけてほしい。現実のクマと人、自然の関係はもっと複雑だと思いまっせ
いじめられた経験がある。「こんな私かわいそう;;」って被害妄想に浸って気持ちよく感じていたけど、ただ単に自分がきもかっただけなんだな~と、最近実感できるようになった。
小学生の時、気の強い美女とその周囲のくそ女どもにいじめられた。おばあちゃんに買ってもらったばかりの小さい鉛筆削りを投げられて壊された。みんなで理科室へ移動していたら突然「なんでおんねん!帰れ!」と肩を小突かれた。「こんなことされた私かわいそう;;」「いじめなんてみんな経験しないよね;;」「私だけつらかった!;;」と、私かわいそうでみじめでしょ?ムーブを周囲だけではなく、自分自身にも言い聞かせていた。けど、20代後半になってわかった。これくらいのいじめなんてたくさんあります。このいじめの原因は、ただ私が猛烈にきもかっただけです。
Q.きもいとは?
昔の私は、「男の子が好きだけどそれを必死に隠すまんさん」ムーブをしていて、そのムーブメントが周囲の女子にうっすらばれていたんだろう。男の子がいるときにだけ大きな声を出したり、身振り手振りを大きくしたりする。きもすぎる。ちなみにこれは中高の話じゃなく、小学生の時の話です。早いうちにきもくなっていてよかった。早くにキモムーブをし、これを被害妄想へと変換するという二重キモムーブを行い、最終的に20代後半で気付くことができた。ここでいじめられず、自分がきもいことに気付かないまま30代に突入していたら私は終わっていただろう。早熟キモに感謝。
今の自分は「男が好きでそれを隠さないま~ん」だ。隠さないとは、「周囲の友達・男や女関係なく、みんなの前で私はありのままに生きるの・・・」という綺麗事が言いたいわけではない。大事なのは、自分自身に隠さないようにすること!私は男が好きでSEXが好きです!楽しいです!モテたいです!男の子の目を引きたいです!告白されたら、ホテルに誘われたら超喜びます!「あっ、私で興奮してくれるんだ…」って自己肯定感が爆上がりします!と叫ぶ自分自身の根っこの部分に目を向けてあげること。そうしないと、無意識に男の子好きですムーブをして同性にいじめられ、挙句の果てに被害妄想に浸るという同じループに入る。
Q.大事なことは?
自分と向き合うって難しい。私は就活の自己分析とか意味が分からねえとなめ腐っていたタイプで、向き合い方も学んでこなかった。でも、過去にだれかに嫌なことをされた理由をしっかり考えることも向き合い方のひとつだ。「自分のきもいところなんて見たくない!」という気持ちがそれを邪魔するので非常に厄介なのですが・・・。今まで被害妄想に浸って気持ちよくなっていた湯舟に蓋をし、今一度、浴室内の曇った鏡で自分を見つめなおす。そう、人生は風呂なのである。
いじめられた経験がある。「こんな私かわいそう;;」って被害妄想に浸って気持ちよく感じていたけど、ただ単に自分がきもかっただけなんだな~と、最近実感できるようになった。
小学生の時、気の強い美女とその周囲のくそ女どもにいじめられた。おばあちゃんに買ってもらったばかりの小さい鉛筆削りを投げられて壊された。みんなで理科室へ移動していたら突然「なんでおんねん!帰れ!」と肩を小突かれた。「こんなことされた私かわいそう;;」「いじめなんてみんな経験しないよね;;」「私だけつらかった!;;」と、私かわいそうでみじめでしょ?ムーブを周囲だけではなく、自分自身にも言い聞かせていた。けど、20代後半になってわかった。これくらいのいじめなんてたくさんあります。このいじめの原因は、ただ私が猛烈にきもかっただけです。
Q.きもいとは?
昔の私は、「男の子が好きだけどそれを必死に隠すまんさん」ムーブをしていて、そのムーブメントが周囲の女子にうっすらばれていたんだろう。男の子がいるときにだけ大きな声を出したり、身振り手振りを大きくしたりする。きもすぎる。ちなみにこれは中高の話じゃなく、小学生の時の話です。早いうちにきもくなっていてよかった。早くにキモムーブをし、これを被害妄想へと変換するという二重キモムーブを行い、最終的に20代後半で気付くことができた。ここでいじめられず、自分がきもいことに気付かないまま30代に突入していたら私は終わっていただろう。早熟キモに感謝。
今の自分は「男が好きでそれを隠さないま~ん」だ。隠さないとは、「周囲の友達・男や女関係なく、みんなの前で私はありのままに生きるの・・・」という綺麗事が言いたいわけではない。大事なのは、自分自身に隠さないようにすること!私は男が好きでSEXが好きです!楽しいです!モテたいです!男の子の目を引きたいです!告白されたら、ホテルに誘われたら超喜びます!「あっ、私で興奮してくれるんだ…」って自己肯定感が爆上がりします!と叫ぶ自分自身の根っこの部分に目を向けてあげること。そうしないと、無意識に男の子好きですムーブをして同性にいじめられ、挙句の果てに被害妄想に浸るという同じループに入る。
Q.大事なことは?
自分と向き合うって難しい。私は就活の自己分析とか意味が分からねえとなめ腐っていたタイプで、向き合い方も学んでこなかった。でも、過去にだれかに嫌なことをされた理由をしっかり考えることも向き合い方のひとつだ。「自分のきもいところなんて見たくない!」という気持ちがそれを邪魔するので非常に厄介なのですが・・・。今まで被害妄想に浸って気持ちよくなっていた湯舟に蓋をし、今一度、浴室内の曇った鏡で自分を見つめなおす。そう、人生は風呂なのである。
たまにそういう戦略とって社会に溶け込もうとする発達がいるが採用段階で全力で弾くべき
なぜなら尖った部分が有能でも所詮ガイジなので、他の部分で迷惑かけまくり人を不愉快にさせまくりなので存在が邪魔
なまじ尖った部分で人にマウント取れるもんだから、その手の発達は思い上がってその他の迷惑なガイジ要素を矯正する事を怠り
全方位無能型発達は特に論じるまでもないが、一部有能型発達様の才能を活かせるように周りが配慮してあげましょうという綺麗事も社会では通用しない
精神科医は発達障害者にも優れた才能があるとかいう詭弁で社会に負担を押し付けるのはやめろよ
発達には、お前はガイジだから人様の迷惑にならないように薬を飲んでリハビリをして、できるだけ迷惑かけないように生きるしかないと教えとけ!
毎日仕事のできないカスい高齢者教員、何もしない教育委員会、朝から晩まで働いても残業すらつけられず、帰ってきたら泣いてしまう家族を見て何もできない自分が歯がゆくて仕方ない。
生徒はさておき、その親も酷い。
話を聞いてるとまともな親が本当にいない。
子供が悪いんじゃない。親の質が終わってる。
福岡は東京に次ぐ都市になるとかもてはやさてるネットニュースを見ていても教育という未来につながる部分が全く
全くといっていいほど機能してない。
まともな親は福岡に来ないほうが良いです。
教員が少なすぎるから仕事が出来ないカス教員が仕事のできる教員の足を引っ張ってヘラヘラと仕事も全うしないまま帰るような現場です。
やっと土日が来ても雀の涙ほどの金しか出ない部活や、クソほどにも役に立たない講話研修に参加させられて、どんどん疲弊していっています。
こんなことをさせて何になるのか。
そのカスが教育現場に居残るってことは生徒の質もどんどん悪くなるのは当たり前。
働き方改革とか残業代出すとか綺麗事は何も機能してないし、これからも機能しません。
なぜなら上は現場を全くわかっていない、知ろうともしてないからです。
本当に改善したいのなら、無駄なことを徹底的にやめさせてほしい。
一般企業ならクビレベルの仕事もできない人材が教育を担ってることにもっと危機感を持ってほしい。
教員は増えることはありません。
水原一平が違法賭博でドエライ額を溶かしてしまった事を毎日情報ワイドショーで伝えている
あわせて、彼は重度のギャンブル依存症であることも伝えられている
出ているコメンテーターのお歴々は綺麗事で彼をずっと否定しているけど
アウトバウンドで外人相手の商売で、日本人は6000円のショバ代払ってかけないといけないから
ギャンブル依存症になる恐れは少ない
あったとしても、日本一、世界一のギャンブル依存症の対策を大阪市・大阪府【維新様】が行なうから大丈夫だと言っているけど
マスコミや情報ワイドショーは、そこも突っ込まないといけないんじゃないの
芸能人でも断ち切っているのって、高知東生や清原和博くらいでは
それくらい難易度が高い物を口先三寸でやれますやれますって言うのは無責任で
結局は、行政や首長が市民の事を一切考えて居ないことの表れではないかな
今は、大阪だけで好き放題やっているけど、他の都道府県の人達も気をつけた方が良いよ
もう、大阪は取り返しがつかない
氷河期ど真ん中世代としては、新自由主義的政策を決定したのは当時の社会権力者層(バブル世代の更に上)なので、気付いたときにはどうしようもなかった。
けど、自分自身でそういった流れに迎合していたのも事実かなと思う。選挙でも与党に投票する氷河期世代は多かったはず。
社会人なりたての頃は、政治家には企業経営者のようなセンスと実行力が必要だなんて言っちゃったりしてた。今思うと恥ずかしい。
自分が派遣で大企業の末端営業になったときも、これからは正社員というのはどんどん減って、各業務領域のプロである派遣と、少数の経営者による組織体制が増えていくのだろうと想像した。そして派遣の給与もスキルや成果によって上がっていくものだと。
今思うと企業経営の感覚で政治やられたらたまらないし(企業が「市場ではない」と切り捨てる取すてるところまでフォローするのが政治だ)、竹中平蔵の綺麗事のような未来は来るはずもなかった。新自由主義なんて結局、エリート主義の言い換えにしかならなかったんだなと思う。
誰も自分たちの境遇が悪いものだとは思いたくないから、その立場を正当化するための言説に流れてしまう。あらゆるものが貧しくなり気候変動も酷いのに「日本には四季がある」と誇っちゃうのと同じ。
「仕事ガー時短にできないしー出張もあるしー子供の面倒見られないー」って甘すぎにも程がある
時短勤務にしても半減までにはならんし1000万が半分になっても充分な収入だわ。覚悟が足りない。
元増田の妻が「専業主婦なのに何もしないで好き勝手している」のはヤバ妻だと思うが、それは夫としての立場からだけであり、子供にとってはジジババから手厚く庇護を受けていたらヤバ母ではない
これで完全放置なのならヤバ母だが
子供がいくつか知らないが妻が専業主婦なら保育園には入れない。日中子供は妻担当か義実家にいるんでしょ?
学校に行っているにしても学童は入れないから2時3時には帰ってくるし習い事は1人で行く。周りの小学生みんなそうしてる。
普段フルタイム仕事残業ありありの親でそんなことできないはず。
自分の都合のいい時間に可愛がるだけの愛玩ペットじゃないんだよ子育ては。
年齢が二桁になってくると親に悪態ついたり生意気なことをほざいてくる。親の想定通りにはならない。綺麗事ばかりではない。
共同親権ならそんな問題児の養育責任も負うことになる。親なんだから。ヤバくて2度と顔を見たくない妻や義実家との接点も子を介して生じる、それも頻繁に。
都合の良い時に面会して可愛がりたいだけ、面倒な子育てはそちらでお願い、にできないのが共同親権なんだよ。面倒ごとも引き受ける覚悟があるように見えない。
シロクマ先生のコラムを読んで共感したことと、違和感を感じたこと。結論からいうとタイトルの通りで、自分キラキラは推し活に食われた概念だと思う。今や推し活を稼働させる内蔵のひとつ。
もとのコラムはこれ。
https://blog.tinect.jp/?p=85980
◯ 承認欲求の昔話
このトピックは、さすがに"何者かになりたい"をずっと追っている先生だけあって腑に落ちる。
自分をキラキラと演出すると、それに対して大量の承認が得られて、心理的に満たされる。このキラキラを身に纏うため、2010年代では皆が色んな方法を片っ端から実行した。
この実行フェーズが"自分キラキラ"ブームのピークだったのだと思う。それは華やかなナイトプールかもしれないし、神秘的な絶景の写真かもしれない。プロも顔負けなスーパープレイもあれば、美麗なイラスト制作も人気は高い。コラム内ではインスタグラムにだけ焦点が当たっているが、実際はYouTubeやTwitterも同様で、ツルハシは飛ぶように売れていた。
◯ 推し活が台頭するまで
いろんな方向にキラキラする人が生まれて、「みんな自分の好きな事してイイね!!」みたいな理想郷(あるいはインプレッションのドル箱)をSNS各社は維持したかっただろうけど、実際はそんな貴族は一握りなので虚構と金欠に疲弊した人から脱落していき、祭りは終わった。自分キラキラに疲れた社会は自分の好きなものを輝かせる、オタク的感性を受け入れ始めている。……ここまでが先生の見解だと思っている。普通に違ってたらごめんなさい。
ここで冒頭の話に戻る。
個人的な感覚では、推し活が台頭する理由については頷けるも、「自分が好きなものを輝かせる」オタク的感性とやらはそこまで浸透していないのでは?という違和感がある。確かにコミュニティの一部としては存在するが、それよりも自分をキラキラさせるための手段として推し活は利用されているのではないか。
元祖の自分キラキラブームに無くて推し活にあるもの、それは"絶対的推し"による恩恵じゃないかと思う。それは"推しの為なら"で無限に湧くバイタリティと、推しが世界から引っ張ってくる無数のオーディエンス。そして、バイタリティのあるオーディエンスで構成されるコミュニティ。
まず、"絶対的推し"を応援する活動は、そのすべてがコミュニティから称賛される。ハッキリ言うと承認を得るまでのパフォーマンスが良い。自分が1からフォロワーをこつこつ増やす必要も無ければ、派手な生活を演出する必要もない。お役立ち情報を発信しなくてもいい。ただ推しを応援することが称賛され、自分の内心からも他者からも承認され、心が満たされる。
さらにもっと承認されたかったら、グッズを揃えて祭壇を作ってもいいし、二次創作に励んでもいい。それが推しを盛り上げることにも直結する。推しのライブ情報をまとめると沢山のファンにも感謝される。外部の人に布教して、もっと推しの存在が広まったら万々歳。世界で有名人にはなれなくても、界隈の有名人になるのは容易い。これらのどこかで、自分キラキラはいくらでも見出すことができる。推しへの貢献は自分の名上げとなり、それなりのキラキラになる。
少し話が逸れるが、宇佐見りんの推し、燃ゆで描かれている主人公の推し活はそのあたりの解像度がかなり高い。本人は「各自がそれなりの思惑で推しを推しているし、そこに優劣はない」みたいなスタンスをしているが、ときおり自分キラキラが顔を出す。推しの成りすまし投稿を見破ったファンとして界隈では一目置かれているらしい(自称)とか、解釈ブログを更新するとコメントをくれるオーディエンスが居るけど、ちょっと返信ダルいな……wみたいな顔する。端からみたら「いや、しょーもな」と言いたくなるような小ささかもしれないけど、彼女の心はそれで満たされている。(ちなみに、作中の推しは暴力沙汰や騒動で希求力を失っていく。コミュニティも萎んでいく。)
全てをまとめると、推し活とは"絶対的推し"が寡占できるオーディエンスの可処分◯◯(時間|精神|所得)をコミュニティ内で山分けし、承認を行き渡らせるエコシステムの総称である。
だから推しが絶対的である限り、衰退することはない。推しを推すという大義名分で承認欲求を綺麗に隠しつつも、ちゃっかりコミュニティ内で承認を得られる仕組み、これが推し活の発明ではないかと思う。この原理のもと、自分の承認欲は必ず満たされるはずである。そして、オタク的な利他愛の感情はそこには無い……というのが自身の感触である。
━━━
……そう考えると、「自分の好きなものを輝かせたい」というオタクらしい感性とは、一体何なのか。正直なところ、これは綺麗事に留まり、少数派の域を出ないのではないかと思う。n=1。
(先生が思ってる以上に、みんな自分のことが可愛いし、実は自分を見てほしいと腹の底では思っているはずですよ。)
あとは、推し活が広まると、推される側の席もある程度増えるというのは想像が容易い。自分キラキラ系の一部は過酷な競争を超えた後にこの席に座ったのではないかと思われる。自分キラキラブームの勝者と敗者は、推し活でタッグを組んでいるのかもしれない。この話はもっと詳しい人が居そうだから誰か書いてください。