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はてなキーワード: 再生とは

2024-05-19

apple music権限設定ってどうなってんの

TM NETWORKデビュー40周年トリビュートアルバム聞こうと思ったらいくつか聞けない曲あったり、

かと思いきや参加アーティストから辿って単体の曲として探すと聞ける。

印税用の再生計算の仕組み上なのかね。

TM NETWORKアルバムとしてで視聴できる参加アーティストも入れば、参加アーティスト側の1楽曲としてしか聞けないアーティストもいると。

レーベル事務所の都合なんだとしたら、ユーザにその都合を押し付けるような仕組み変えたくれないかなー非常に使いづらい

anond:20240519015807

先進国の中で人口再生の出生を維持してるのはイスラエルしかないわけだよね。

2024-05-18

さっき部屋でラーメン食ってたら

さっき部屋でラーメン食ってたら

隣に住んでいるインターホン壊れている部屋のおっさんが「ズチャズチャ↑ウオウオッ↓」みたいなゲームSE?をループ再生しだして

あーあ、めんどくせえよ!と思いつつ袋ラーメンを一息で食ったら

「ズチャ↑」とちょうどいいところで音楽が止まって「うるせえよ!はてな匿名ダイアリー晒すからな!」と叫んだら

「ズンチャッ↓」と返事が返ってきたので向かいに住んでいる郵便受けがぶっ壊れて廊下トイレ郵便受け部品のネジ?が転がっているおばさんが袋がシワシワになっているラーメンくれたんだよね

anond:20240518144916

女の入浴系ユーチューバーが、それなりに普通に可愛いのに再生数が伸びてないというので話題になってたのがあったけど、人気になるポイントってやんやろね

銀杏BOYZミッシェルなどの曲をアコギ弾き語りしていた女性YouTuberがいた。

お世辞にも演奏は上手じゃなかったが、選曲が渋くてよく聞いていた。

普段動画は1万再生もいってなかったが、少し胸が強調された服で弾き語りした動画再生数が伸びた。

そこから段々露出が増え始め、今ではほぼ半裸で流行りの歌を弾き語りするYouTuberになってしまい、おじさんは少し寂しい。

ポリコレオタクがそろそろウザキモくなってきた

アサシンクリードの新作に黒人が出たかガイジ共がポリコレガーって騒いでるが

ヤスケっていう黒人が当時の日本に居た事は事実だしポリコレでもなんでも無く寧ろ原作リスペクトだろ

ポリコレオタクってまともにゲームもやってない癖に無駄に声だけはデカエロ好き低学歴童貞馬鹿が大多数だから

主張もそのスペックを反映した馬鹿丸出しでウザイキモいんだよな

エロい要素ある作品が世に出た時に「嫌なら見るな!嫌なら買うな!」って言ってたのお前ら自身だろ

だったらお前らが嫌なポリコレも黙ってそっとじして買わなきゃそれで済む話だろ

そもそも今までポリコレ云々で叩かれてきた作品だってポリコレ自体がどうこうってより単純に作品としてつまらなかったりエロキャラが出ないのが気に入らないってだけだろ

それをポリコレ叩き棒に使って騒いでYoutubeとかで対立煽って再生数稼いでるガイジとか見てると虫唾が走る

大体そういうガイジはしばらくしたら凍結されてるし

いい加減に自分たちが異常者側の自覚持てよ

ポリコレ以外の作品普通に売ってんだからポリコレ叩く暇あるならその時間自分が好きなもん買って遊んでろや

anond:20240517232037

俺も増田みたいな傾向あるから自覚できてよかった

楽器やって作曲して適当YouTubeに上げて、再生数に期待せず、コメントくれる数少ない人に感謝してればそれでいいか

それだけやってれば十分って思っといた方がいい

平均再生50万以上のYouTuberが1000万以上かけてV化したのにV化後は数万に再生数落ちで病みすぎて陰謀論者にまで堕ちて笑えないけど笑った

2024-05-16

狸山まみりん(まみやままみりん)のチャンネルが消えた

みりんは時事系Vtuber

以前は再生数2~3千くらいだったが、暇空茜による堀口英利叩きに乗っかり、いわゆる「堀口系Youtuber」になり「堀口経済圏」に入り込めて再生数が10倍以上に膨らんだ

堀口経済圏に入り込めた者は月に数百万儲けている者も多く、堀口は「叩けば金が出る玩具」と称されている

みりんは「堀口は身長詐称学歴詐称風俗店に入り浸り女性乱暴して出禁にされた」という暇空の主張を再放送しており、堀口に情報開示請求され請求は通ってしまった

その矢先、まみりん急逝したと発表された

みりんはガワは女アバターだが実は男性だったらしく、まみりんを兄のように慕っている親戚女性を名乗る人物が現れ、まみりんの死を知らせた

その女性捨て垢ではなく時事系とは関係のない日常つぶやきを何年も前からしている人物のため信憑性があった

一方で、開示された直後に訃報というのはうさんくさい

堀口経済圏では開示された途端に死んだ者は二人目で、訴訟逃れの稚拙言い訳にも思える

真相不明だが、まみりん更新は止まった

遺跡となっていたまみりんチャンネル今日、突然消えた

https://www.youtube.com/@mamiyamamamirin

「このページは利用できません。申し訳ありません。他の内容を検索してください。」

自主削除か運営削除かはよくわからない

実は生存している中の人or遺族が開示絡みでヤバイと思って消したのか?

謎の死によって堀口経済圏の外側にも存在を知られたことで、誹謗中傷動画の内容がひどいと通報殺到して運営削除されたのか?

あるいは、ネットから姿を消して隠密に敵を仕留めてまわるようになった堀口本人がなにかしたのか?

運営削除の場合は「このチャンネルは◯◯なため削除しました」という表記が出るので、自主削除かなと思うが

今日みりんは完全に死んだ

anond:20240516150257

ローランド系列の店はいち早くホストの生配信を取り入れてて去年は年間一人で投げ銭5億とか集めててマジで時代変わったなって感じしたわ

ローランドYoutubeチャンネルでもドラマ仕立てのホスクラ物語やってるし

最近大手中堅で本気のところはどこも元テレマン入れてドラマ仕立てのホスクラ物語

人気ホストの生配信の二本立てで集客と集金を加速させてる

普通に人気チャンネルだと動画10再生くらいコンスタントに回ってるからすごいよ

anond:20240516103943

それ指摘する人よく見かけるけど、リアル対面で会話するのと、画面越しに雑談垂れ流してたまにコメント拾ったりするのってコミュニケーションとしては完全に別物じゃね?

最近話題になった例の「頂き女子」のノウハウ記事を読んでみたけど、カネを引っ張れない奴は速攻切れとか書いてあって、チャンネル登録者数や再生数で評価されるVTuberとは方向性正反対だよな

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

2024-05-15

憎悪

よく見ているユーチューバー喧嘩していた友人と仲直りをして、動画を撮ったとの事で思わず書きたくなった。

おれはあんまり人に依存しないし、来るもの拒まず去るものわず精神で日々を過ごしている。

故に職場でも嫌いな人はいないし、割と誰にでもコミュニケーションを取れている自負がある。

何でも話せる友人が1人いるし、それで基本的に何とでもなっている。

そんなおれにも唯一、憎悪を抱いている人間がいる。

彼とは中学生の時に知り合い、ずっと何でも深い話を話せる友人だった。

今好きな子の話から、死後の話までいろいろと語った。

彼とは何度も喧嘩をしたが、その度に深く話し合い解決をしてきた。

お互いの思いの丈を語ることが大切なことだと思わせてくれた人物でもある。

ただ、おれは心のどこかで彼をずっと見下していた。

おれより運動もできなければ、頭も悪く、努力もできない、おまけに性格も悪く、口だけ達者な薄っぺら人間だと思っていた。

今では、その評価プラスしておれが人生で唯一憎悪を抱いて良いと思い込める人間となった。

この思い込みがあることで身の回りでどんなに嫌な人がいても「あいつよりはマシだな」と思えることができる。

彼はYouTubeをやっているのでたまにチャンネルを覗くが全く再生されていない。

ゲームの実況をしているアーカイブを見た時には誰も視聴者がいない中、独り言を言いながら一生懸命プレイしている姿を見てとても哀れに思えた。

それと同じぐらい心が踊った。

おれは性格が良いと思っていたがまだまだ人間らしさがあるなと一安心した。

彼が2ヶ月に1度ほど夢に出てくる。

おれの邪魔をすることもあれば、おれに泣きながら許しを乞う無様なシーンの時もある。

どちらも、おれは顔を踏んだり無視をしてその場を去るような行動をとっている。

時には腕を切断したり、攻撃的なことをしていることもある。

彼は仕事を辞めているようなので、世間一般で言う彼とおれとの評価は天と地ほどの差がある。

世間評価など真に受けたりはしないが、この関係性のために彼の心が少しでも痛むのであれば、おれにとっては喜ばしいことになり得るだろう。

なぜ、ここまでおれが彼に敵意を向けるようになったか

社会人になってからから遊びの誘いをよく受けていたが、仕事や当時恋人だった妻との関係からなかなか遊ぶことは叶わなかった。

今思えばそれで良かったと思っている。

最後の遊びの誘いを妻の妊娠理由に断った時、彼から祝福の言葉がなく「やることやってるねえ」という人の神経を逆撫でするような発言が出てきた。

この時のお腹の子供は上手く形が作れず結局流産となった。

上述しているようなシビアな状況下であったため、精神的にも彼の言葉はかなり刺さった。

それから、全く彼とは連絡をとっておらずおれ自身もどんどん世間とは孤立してSNS一年ほど辞めていた。

そんなある日、久々に某SNSログインタイムラインを見返していた際に彼のアカウントを見つけ投稿を遡って見ていた。

その際に明らかにおれと妻を指して投稿しているもの発見した。

「これが最後の誘いだ、断ったらもうこちからは誘わない。」と何故か上から目線投稿がされていた。

時期も遊びを断ったタイミングと同じだったので自分に向けられたメッセージ確信したおれは「脇が甘いよ」と返信したら、全てのSNSブロックされた。

大変情けないと思った。

こんなゴミクズを友としてカウントしていた自分を恥じた。

そこから、彼が定期的に夢に出てくるようになった。

最近YouTube更新も止まっており、大変に気分がいい。

逃げに逃げ続け、空っぽになった彼が無様に世を去るかことを心待ちにしている。

墓に入った彼の墓跡を破壊して、犬や猫の糞尿を浴びせるのも悪くないかもしれない。

人の憎悪は果てしないなとつくづく自分を通して感じるものだった。

anond:20240515185544

風呂すらハードルに感じる連中が家庭を築ける訳ないだろ

貧困再生産だ

無責任な事はやめろ

ケツ毛を滅殺することのメリット

ハゲていない限り、人間は頭頂部から足の指先まで全身に毛が生えているわけだが、その中でも個人的特に不快な毛は何か?と問われたら俺は即答でケツ毛と答える。

やたら太くてゴワゴワしてるくせに見えない場所に生えてて引っ掛かると痛いし、何より排便の時に極めて不快な思いをする。この不快気持ちを感じる人が1人でも減るように、ホモサピエンスはケツ毛の毛根を消滅させる方向でぜひ進化して頂きたいものだが俺が生きてるうちにはどうしようもないのでこの前思い切って全部抜いてみた。

まず驚いたことに想像の3倍くらい抜くのが痛かった。ケツ毛に限らず抜け毛には根本に白い半透明の塊がくっついていることがあるが、ケツ毛の場合はそれの大きさが尋常ではない通常の3倍くらいの太さ・長さを備えているのだ。それだけケツの皮膚深くに奴等は鎮座していることの証拠だろう、そりゃ抜く時めちゃくちゃ痛いわけだ。

で、ケツ穴の痛みに耐えながら就寝して起きてウンコしたら驚くなかれ、大便が今までにない勢いで華麗にアナルから発射されたではないか

久々に味わった快便の喜びに激しく動揺しながら気持ちの良い朝日と共にコーヒーと朝食を摂り、久々のオフライン出勤に向けて気合いの屁をこくと、これも先の大便に呼応するかのようなキレの良いフレッシュな屁をかますことができた。

ケツ毛が無いだけでこれだけクオリティ・オブ・ライフが向上するものなのかと感動しながらいつもの通勤路を颯爽と歩き、最寄り駅のエスカレーター足軽ステップ・インすると前にはロングヘアーオフィスカジュアル服装女性がおり、腰のくびれから臀部に至る美しい曲線を描いたデカ尻が視界に入ってきた。

そのデカ尻をまじまじと見ているとふと一つの考えが頭に浮かんだ。世の女性はこの快適な肛門体験を何の苦労もなく毎日得ることができるのか、なんと羨ましいことか、と。

そして、この素晴らしい1日の始まりもケツ毛が再生するにつれ失われてゆくのだろうと考えると少し憂鬱気持ちになり、他の表情筋の死んだサラリーマン達と共に朝の通勤電車の中に私は埋もれていく。

そして徐にスマホを取り出し、Apple musicを起動する。電車不快騒音流行りの音楽ノイズキャンセリングでかき消しながらブラウザ文字入力する。

「ケツ毛 脱毛 値段」

ほほう、時々耳にするVIOラインというのは正にこの不快な毛が集中しているエリアのことだったのか。スマホは正しく使えばいつも新しい知識提供し、私を賢くしてくれる。人類文明科学進化感謝しながら検索を続ける。こんな不快付属物を抹消するためだけにそこそこの費用がかかるのは実に不愉快だが、別に払えない金額ではないということもわかる。だが気になるのは脱毛は痛いという経験者の心の叫びだ。

昨日の人力強制脱毛も相当痛かったが、この痛みを金を払って受けなきゃいけないと思うとなんとも気が進まない。しかし、ケツ毛がない事による爽快感はとても忘れられるものではない。

もう既に“敵”は再生を始めているし、やはりやるべきなのだろうか。脱毛

増田にいる脱毛有識者の屈託なき意見をぜひ聞かせてほしい。

2024-05-14

弱小VTuberYoutubeおすすめされる

再生数3桁の

めっちゃおすすめされる

なんなん?

 

てか無名だと3桁レベルなんだな

大変だわ

ガッツがないとできない

フェミサイド」で検索してみた

YouTubeで、「フェミサイド」を検索してみた。

まず、海外メディア日本語アカウントが、メキシコフェミサイド増加について解説している動画がヒットした。ただ、8年前とかなり古かった。

次に、大量の「小田急線サラダオイル犯人フェミサイドかいう女さんwww」みたいなのがヒットした。量が異常すぎて気持ち悪かった。

最後に、再生数は少ないが、ミソジニーフェミサイドについて解説している動画がヒットした。

分かりやすかったし、データを元に日本では女性殺害被害に遭う割合(男女比)が海外比較して高いこと、小田急線事件がどのようにして起こったのかを解説し、最後刃物を持った暴漢への対処法を詳しく説明してくれていた。

ところで、西新宿タワマン事件犯人を「実は被害者!警察の怠慢!ストーカーじゃなかった!」的な動画を何度も何度も投稿してる人たちは何と戦ってるんだ…?

複数人が、じゃなく(もちろん多くの人がそういう動画を上げているけど)1人で何度も何度も上げている人を見かけた。必死すぎて怖い。

全然記憶にないんだけど

スマホボイスレコーダーに見覚えのないものひとつあった。

再生してみると、驚いた。

この前無事に初出産を終えることが出来たんだけど、そのときの録音だった。

どうやら無意識に録音ボタンを押していたらしい。一生に一度のことだから、と思って録ったんだろう。

聞こえてくるのは私の呻き声や落ち着いて、大丈夫ですよといった周りの声。

そして出産の際、「ぶるぁあああああああ!!!」と私が叫んでいた。

セルかよ。

バトルマンガにおける内臓自己再生能力への信頼は異常

手足が吹っ飛んだら特殊な設定がない限り回復しないけど

内臓はどんなにズタボロになるような攻撃を食らっても、しばらく休養したら障害残さず元気に復活してくるみたいなとこあるよな

自己啓発系のYouTubeを4年間聞いた結果

結論から言うと何も身に付いてない。

2020年コロナ禍になって自宅待機で暇だったか毎日散歩してたけど音楽も飽きたし、何かBGM代わりに聴こうと自己啓発系のYouTubeバックグラウンド再生で延々と聴いてた。

YouTubeに限らずオーディブルボイシーも聴いてた。

仕事が始まってもイヤホンでずっと自己啓発ビジネス方法論みたいなのを聴きながら仕事してた。

飽きっぽい自分なのに自己啓発の語りは飽きずに聴き続けられてた。もしかすると俺はビジネスの才能があるのでは?と思って自己啓発を聴き続けて2024年現在になったが、冒頭に述べたように何一つ身に付いてない。

すごい、あれだけ自己啓発を聴き続けてたのに本当何も覚えてない。

例えばどういうのを聴いてたかをここで語ろうとオーディブル再生履歴タイトルを見ても何の話だったか何一つ思い出せない。

でも心地良いんだよね、興味無い話って。

好きな音楽聴くとその音楽を聴き入っちゃって脳が休まらないんだよ。

だけど興味無い他人の話は耳障りが良い。

とは言いつつ、聴いていればあわよくば身になるんじゃないかと内心思ったがしっかり記憶に残ってない。

意識低い系の人ほど自己啓発は良いぞ。興味無いからスーッと耳に入るぞ。

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