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2010-03-15

スウェーデンモデル日本未来

ttp://d.hatena.ne.jp/statsread/20100314/1268571666

スウェーデンはいわゆる「北欧モデル」の代表選手で、高い税率と高福祉を特徴としながら、維持可能な福祉システムと高い経済競争力を持ち、国民幸福度が高い、と一般的に考えられていて、英米型の対極でありながら成功した経済モデルとして参照されることの多い国です。件の記事は、2006年9月総選挙の直前に書かれたもので、そのスウェーデン経済について、そんなに甘い世界ではないという現実を分析しています。

有料の記事なので全部翻訳してしまうとまずいので、ポイントだけかいつまんでおきます。登録無料期間限定のお試し版でも閲覧できるので、興味があれば直接呼んでみることをお勧めします。

2006年第2四半期は、年率2.6%成長

Social Democrats党が過去74年の中で65年間政権に就いている

社会的な不満を背景に、Moderate党を中心とした4党連合が徐々に力をつけている

しかし、Social Democrats党は依然として力を持っている

スウェーデン経済の黄金期は、1870年1950年ごろで、ここ50年間は経済は長期的な停滞に入っている

1970年にはOECDで4番目に豊かな国だったが、1998年には16位に後退した

現在も依然として経済的な強みを持っている

よく管理された、輸出主体の、ハイテク企業

教育の質の高い労働力

女性労働参加の高さ

英語が広く使われている

コンピューターリテラシのある人が多い

グローバリゼーション経済に有利に働く

公式の失業率は6%だが、さまざまな施策で人為的に低く抑えられている。以下の人失業率に含まれない

政府雇用創出計画に参加している人

早期退職した人

働く意向のある学生

自然に数の多い長期疾病休暇中の労働者

広く見られる常習的欠勤

真の失業率は15〜17%程度と推定される

1950年以降、民間部門での雇用創出はゼロ

企業規模の上位50社のうち、1970年以降に創業した企業はたった1社

自営業者の比率は、OECDの中で最低

公式の最低賃金はないが、労働組合の力で事実上最低賃金がある

労働契約は、一時的雇用パートタイムを嫌う労働組合によってほぼ決められる

公的セクター雇用は、全雇用の30%を占める(ドイツの2倍)

公的セクター生産性は、OECDの中で最低というヨーロッパ中央銀行の調査がある

Social Democrats党は、競争政策、公的サービス民営化規制緩和に消極的

歴史的には、経済が自由で税が低かったときにスウェーデン経済は繁栄していた

北欧モデル」というのはどこか1国の経済のことではなく、さまざまな国のいいところをつなぎ合わせたものにすぎない



読んでいる内、一体どこの国のことをいっているのだろう(笑)と思ったのですが、日本も失われた20年どころか、失われた50年という道を進んでいくと、こういう未来が待っているのかもしれません。

2010-02-17

リフレ村の司祭様かく戦えり

せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。

馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20100217164344

「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。

こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。

名目金利引き下げの余地を残しておいて流動性の罠に陥らないようにしておかないといけないのです。

まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。

ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。

英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。

つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では

The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.

となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形解釈について納得がいかない方はマークピーターセンの「日本人英語」辺りを読んでみると良いでしょう。

つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレ処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。

ですから、

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。

流動性の罠に陥らないようにするために、4%(具体的な数値は検討の余地があるでしょう)のインフレ目標が必要になるのです。

この解釈ブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者コンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。

加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。

「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。

前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。

そして、世界中ゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。

また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。

最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。

とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。

司祭 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」

 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」

司祭 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」

これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。

ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気なっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。

さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達笑顔を取り戻して下さるに違いありません。

というわけで、外野増田矢野先生(及びリフレ村の司祭様方)の逆転の一撃を心よりお待ちしております。

2010-01-10

なぜ今の30代は「助けて」と言えないのだろうか

ttp://d.hatena.ne.jp/Imamura/20091111/help

今の30代が生まれたのは、1970年から1979年です。親は高度経済成長を支えた世代であり、がんばるほど明日が豊かになるという実感を持って生きてきました。ローンを組んで家を建て、将来の昇給をあてにできた世代です。

一方その子供たち、今30代を迎えている人々は、1990年ごろのバブル崩壊を10代で迎えています。このタイミングはなかなか絶妙でした。不景気になり始めたころ高校や大学に通い、いよいよ社会に出ようという90年代後半には不景気が本格化していました。

就職氷河期」は1994年流行語大賞で、この年に就職活動をしている大学生は(浪人してなければ)1971年生まれ、いま38歳です。

親は高度経済成長世代、先輩はバブル世代で、不景気社会でのロールモデルにはなりません。今の30代は、すっかり不景気になった社会へ出てきた最初の世代になりました。景気がよい時代に社会に足場を築いておくことができず、といって社会へ出る前から不景気を前提にした準備もできなかった世代です。

そしてそのまま、年を取るのに合わせ、その場その場で生き方を探っていくことになりました。

自分が生まれた年の、親の年齢を計算してみるとびっくりします。30代で家を建てて子供(つまり自分)もいるのがふつうですが、今の30代ならば成功した人でないと家を建てるなど無理でしょう。

でも当時の子供の多くは漠然と、努力次第で自分も大きくなったら父親のようにサラリーマンとして会社勤めをし、終身雇用に支えられながら、30代になったら郊外新築に住むことができると考えていたのではないかと思います。少なくとも自分はそうでした。

このような、将来像と現実とのギャップが最も大きい世代が、今の30代なのだろうという考えに至りました。

だからこそ、あるべき姿になれていないことを自分責任と感じてしまう傾向が強く、安易に「助けて」と言うことに抵抗が強いのではないかと考えています。

2009-10-04

大人の恋愛なんて誰にもできない

http://anond.hatelabo.jp/20091003233551

かつては「男の美学とはやせ我慢」なんて言われたんだけどさ。

夏場のクソ暑いときでも上着を脱がない、上着を脱ぐなんて締まらない、紳士じゃないってわけで、せめて気分だけでも涼しいようにと麻の上着が着られたんだよね。

かつて(1970年以前かな?)は映画とかでそういうやせ我慢の美学ってのが「大人」の姿だと描かれたわけだが、そういうやせ我慢を失くしたときに恋愛堕落が始まったんだと思う。


10代の恋愛って見っとも無くていい、恥ずかしくていいんだよ。

Tシャツ一枚の恋愛っていうか、そういうのが許されるのが若者の特権なんだろう。


童貞をこじらせると大人になれないってのはいい得て妙だが、いい年こいた女が恋愛初心者の男に大人の恋愛を求めるのも同様に、自分恋愛経験者として男の手を引いてやるって意識がない点で精神処女の匂いを感じるんだよね。

2009-09-28

誤解を恐れず言えば、姫島村のは「ワークシェア」ではない(長文注意

だって西洋ワークシェアという概念が編み出されたのとは全く独立に、かつ、全く異なる動機・背景で発案されたものだから。

姫島村方式』とワークシェアとの共通点と相違点

リーマンショックからこのかた、雇用情勢の悪化で「今度こそワークシェアしかねえ……!」という機運が国内でも出てきている昨今、大分県姫島村、つうか姫島村役場の事例が「国内におけるワークシェアの元祖」であるような文脈で各マスコミで持ち上げられている。うんまあ、『賃金を抑えてその分たくさん人を雇いましょう』という手法そのものはワークシェア的ではあるし、かかる手法において国内最古と言われればその通りだ、っていうか下手したら先進資本主義世界全体において最古かもしれないw(*1)

ただ、姫島村の場合は当時から現在に至るまで一貫して『公共セクターに於いて賃金を抑え雇用を増やす』形態になっており、この点で既に一般的なワークシェア概念――民間ないし官民全体で、『同一労働同一賃金の原則』の徹底を背景に、主として一人当たりの労働時間を短縮することにより、一人当たりの賃金抑制しつつ雇用を増やすこと――とは形態を異にする。

この形態の相違は、姫島村方式の創案そのものが、一般的な意味でのワークシェアとは起源を異にすることに由来する。

http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm

http://www.zck.or.jp/essay/2681.html

において姫島村藤本昭夫村長(40年前にこの制度を創案した村長の息子であったりする:後述)自らが詳しく述べられていることだが、この施策のそもそもの動機は雇用不安の解消などではなく、『昭和四十年代前半に、過疎化人口減対策として若者を村に残すための取組みとして始められ』たものなのである。昭和四十年代前半といえば、オイルショックすらまだ到来していない、高度成長でイケイケドンドン右肩上がりな時代である。しかしながら姫島村ということろは、田舎である大分県の中でも、更に隔絶した離島だ。高度成長の恩恵はさほど大きくはなく、村内の仕事は限られる。とはいえ、今のような雇用不安とは様相が全く異なる。島の外に出て行けば、仕事はいくらでもあるのだから。

村内に仕事はないが、村外には仕事はいくらでもある。この状況下で、村内の仕事を増やすべく始められたのが、姫島村方式である。

効果

では過疎対策としての効果の程如何かというと、これが結構効いている。今なお過疎の村には違いがないものの限界集落は発生しておらず(*2)、また現在でも村職員の人数は村内全人口の約7.7%を占める『大口就職先』だ(*3)。この村職員の人数を背景に、保健や福祉など現場の業務――行政の合理化に於いて真っ先に民営に移されがちな『現業』の分野だ――にその過半を裂き(*3)、結果として村民の居住環境に対する満足度は過疎の村にもかかわらず悪くはない(*4)。一方で、村職員の給与は高度成長・バブルを経た現在でも低廉なまま据え置かれ、その水準は夕張市につぐ低さである(*4)。

とはいえ、一方で人口減は続いており、人口増に繋がる地域振興の決め手とまでには至っていないことは、上掲手記において藤本村長も認めるところである。

姫島村方式の成功』の背景にある姫島村および姫島村役場の特異性

さて、かように長期にわたり姫島村方式が受容され続け、いまなお続いている背景には、その効果が評価されていること以外にも、姫島村社会および姫島村役場の特異性があることを指摘せざるを得ない。

姫島村では、藤本村長の父である故・藤本熊雄氏の代から半世紀以上にわたって村長選が行われていない(*5)。最後の村長選で村全体が『懲りた』のだ、と言う。一方で、熊雄氏は、姫島村出身である自民党の有力者・西村英一にきわめて近しい立場で、二人三脚のようにして姫島インフラを整備していった。『おらが村の西村先生』を錦の旗(*6)に、姫島村政治意識保守自民党への支持を基盤としてまとまっていった。

そこに到来した高度経済成長の波。人口流出の危機。熊雄氏は言った。『役場での共働きは原則、禁止。女性出産育児を機会に退職する。ただ、家庭の事情に応じて優先的に雇用する』と(*7)。これが革新の強い地域であれば、かかる意見昭和40年代の当時ですら『女性出産を機に退職せよ、と強要するとは何事ぞ』と一悶着起きたであろう。都市部であれば首長リコールもありえたかもしれない(*8)。しかるに、ここは姫島村である。保守は絶対優位であり、(大分県内他自治体では今なお猖獗を極める)自治労系の職員組合すらここには存在しない(*9)。反対する者は居なかった。

――そしてこの言葉姫島村方式の発端となった。

今なお姫島村同調圧力は強い。少し前からインターネットに居たはてサ諸君におかれては、「姫島村成人式」を記憶する人もあるかもしれない。「成人式には晴れ着などもってのほか、それが『常識』である」との主張。それがまかり通る社会であればこそ、通用している制度である、という認識が必要だ。

無論、『空き缶デポジット制度の徹底』など、ほかにも同調圧力の強い村社会だからこそ成功した政策を幾つも擁する村なのであり、『みんなで保守化すればいいじゃん!』という解釈もできるかもしれないが、ねえ。

結語

畢竟、姫島村方式は『過疎化の抑止』『過疎地における公共サービスの維持』に対しては一定の有効性を持ち、そういう意味では地方自治体、とりわけ過疎地を抱える自治体が真似するには良い物である。だが、だからといって『雇用不安を解決するためのワークシェア手法の先駆』としては一般化しがたいものだと考える。雇用不安対策としては民間を幅広く巻き込む必要があり、そのためには保守革新使用者労働者の枠を越えた妥協が必要であるところ、姫島村で起きたことは良くも悪くも『保守使用者的立場による善政』の枠を越える物ではないのだから。

……ってわけでな、あれを『ワークシェアだ! ラピュタ本当にあったんだ!!』って言われると、もにょるのだよ。

脚注脚注記法使えないのな面倒くさいな!)

(*1)オランダワークシェア事例が1970年台創始、姫島村方式も「40年ほど前に創始」「昭和四十年代前半」なのであるからほぼ同時期、ないし下手をしたら姫島村の方が古いかもしれんのよ。

(*2)http://kotobank.jp/word/%E5%A7%AB%E5%B3%B6%E6%9D%91%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0 ただしソース朝日

(*3)http://www.oita-press.co.jp/featureNews/12294210095/2009_123180887708.htmlおよび上掲の藤本村長手記から。パーセントで言ってもぴんと来づらいかもしれないが『村民の13人に一人が村職員』と言い換えると尋常じゃない。

(*4)http://arch.oita-u.ac.jp/urban/ppt/2008/B/yamamura.pdf

(*5)http://www.oita-press.co.jp/localNews/2008_122533025626.html

(*6)上掲手記中http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm#section8に『西村先生は、「村の誇り」であり、西村先生を皆で応援しよう、皆で頑張ろうという意識』の言及あり。

(*7)http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/children/227551/

(*8)同じ大分県内の日田市で、近年『共働き職員の給与削減』を言った市長が居た。http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-060207-0011.htmlそして、その市長は次の選挙落選した。

(*9)上掲手記中http://www.zck.or.jp/essay/2681.htmlに「職員団体はない」旨言及あり。

2009-03-07

製薬会社と偽装食品会社の共通点


近年、目覚しい成長を遂げているインド。そんなインドで特に急成長した分野があります。それが製薬会社です。国内の工場で大量に作り全世界、特に先進国で売りまくる。その背景でインド人のビジネスに対する貪欲さが顕著にみられています。その前にジェネリック医薬品をご存知だろうか。そもそも薬とは、大手の製薬会社が膨大な研究費を投じて原料から化学反応を繰り返して薬にしているのだが、自社で作った薬は特許法で20年間守り独占して販売することができます。所謂、先発品というやつです。

それとは逆に、20年の特許権が切れるまで待ち安いコストコピーしたのがジェネリック医薬品であります。初期投資である多額の研究費が不必要な為、先発品より半値以下で販売することができるので、インドではこのジェネリック医薬品で、製薬会社が急成長をし続けているのです。

さて、そのトリガーともなった1970年特許法改正。総人口11億人いるといわれているインドで貧しい人たちにも安く薬を提供したいと国が法律を変更したのです。通常20年間はコピーできないのですが、海外製薬会社製作した薬に関しては国内販売のみコピー薬OKとしたのです。そのことにより、ジェネリック会社バンバンでき国外共に大儲けしだすけっかけになったワケです。

現在はこの法律も禁止され特許法を遵守しなければならないのですが、その当時からの技術は引き継がれ、安いコストで大量にジェネリック医薬品を作り販売し続けています。日本製薬会社インド企業に買収され、日本の製薬市場を開拓しようと万進しています。

さて、私が懸念しているのは、このインドのやり方というか、コストをどれだけ抑えれるかによって売上を伸ばしていることです。インドだけではないと思いますが、製薬業界はライバルが多く競争が激しい、それゆえに薬を作るプロセス研究して安く作る方法、または工場のライン整備を調整してコスト削減する。ありとあらゆる手法を用いて経費を抑えて作っています。

このビジネススタイルどこかの業界と似ていませんか。そう、食品業界と極めて類似しているのです。現況の食品業界は、コストを切り詰める方法として最終的には偽装というデットラインで勝負している業種です。しかも昨今では、不況の為か内部告発などで偽装が発覚し窮地に陥る企業も少なくありません。

食品業界は昔から偽装はしていたが発覚していない状態でした、製薬会社現在そういう状態ではないかと示唆すると同時に、消費者にも警鐘を鳴らします。一番被害を受けるのは消費者です。もしかして、製薬工場内でコスト削減を理由になんらかの偽装が行われている可能性は十分にあるのではないでしょうか。最悪中国工場で作られた薬でしたら飲まない方が良いでしょう。

私個人としましては、よっぽどの重病にならない限り薬は摂取しないと決めています。なぜなら、昔はそんなものなくても生活していましたし、自然の流れを守るためです。それから副作用リスクを背負っての延命はいりません。実際、全部がぜんぶ延命になるわけでもなく、副作用で短命になる可能性もあります。昨今の社会では、風邪をひいただけでケミカルな薬を摂取する。それが子供の頃から刷り込まれています。遅かれ早かれこれから製薬業界で偽装が発覚していく気がします。今でもタミフルという副作用が酷い薬が世に出回っていますし。人事とは思わずに少し考えてみてはどうでしょうか。

じゃあ薬を飲まずしてどうすれば良いか、やる事はたったの3つ。食を追求して無農薬野菜などを使いバランスを考えた日本食を食べる。そして定期的な運動継続し、しっかり寝る。これだけで大概の病気は治る(予防としても効果あり)と私は考えています。もしかして、現在貴方が摂取している薬、短期的にプラセボ効果があるだけではないのでしょうか。

yamalog

2009-03-04

なんかで読んだんだが、かつて苦学って言葉普通に使われていた時代、国立大学に入った学生国民国家貢献する人物になるべし、なぜなら税金で学ばせてもらっているのだから、みたいなことを新入生は上級生から叩き込まれたんだそうだ。

実際、当時は授業料も安くて(1970年ごろで1万2千円くらい)苦学も不可能じゃなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20090304230240

貧乏人が大学に行けなくなるじゃないかっていうけどさ、そもそも大学が貧困から脱出する手段になりえるかっていったら、医学部とかだけじゃないかな?

現実に、欧米研究では貧困は世代を連鎖するって結果が出てるんだよね。親が貧困だと子供に十分な教育を施せないので子供も安定した職に就けない、その結果子供も貧困に陥ってしまうと。

確実に脱出する手段にならずとも、脱出する可能性を広げることは必要だろう。

2009-02-01

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

2008-10-09

日本人」のノーベル賞 文学賞の場合だと?

【まとめ】

ノーベル物理学賞受賞者の国籍が問題となっているが、「受賞者」がどの国の人か、という点ではなく、その「知的な成果」がどの国のものとしてカウントされるかという点から見ると、文学賞の場合がとりわけ問題となるのではないか?

【本文】

先日発表されたノーベル物理学賞受賞者のうちに何人が日本人か?ということが問題となっている。南部陽一郎博士のことです。

ニュース記事ではこういうところが;

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20081007-OYT1T00543.htm

http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080230.html

http://www.j-cast.com/2008/10/08028248.html

ブログでは、たとえば、こんな記事がある。

http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081007/1223385373

 新聞等が「日本人3人」などと報道するからヤヤコシイことになるのだし、実際、読売新聞の記事では「米国籍で日本人」と書いてあったりする。

 とりあえずそれらのいいたいところを忖度すると、日本教育を受けて物理学者となった人であるのだから「日本人」なのだと判断することもあながち強弁ではない、というところだろう。

 もちろん、そうなのだから問題ない、と私は考えているわけではない。報道等がどれくらい考えた上で「日本人」のカウントをしているかということに疑問がないというわけではない。

 この点では、上に引用したブログの記事は、新聞等の報道姿勢に見られる、回復された自尊心や誇らしさの裏側にある他者への無思慮をやんわりと指摘していておもしろいと思った。とくに新聞報道での「日本人」基準が、やや「出生」という点に強調をおいているところは記事から読み取れる気分の高揚と結びついているのではないかなどとブログ記事を読んでさらに考えをめぐらした。

 しかしながら、このような見方もふまえた上でなお、「日本人が受賞」という見方には理由があるのではないか。ノーベル賞がある学術の成果(具体的には研究論文)に与えられるという点を考えると、次のような考え方もできるのではないか。

 つまり、今回の受賞理由となった業績は南部博士日本国籍を有していたときのものである、ということをどのように考えるか、ということだ(ただし、論文発表当時、1960年はすでにシカゴ大学に在籍していた。なお米国籍取得は1970年のようである。南部博士1921年生)。

 ここからが言いたいことなのだが、このように書いてみて、わたしが気になるのは、今回の「日本人○人」という数え上げの問題ではなくて、さらに進んだところにある問題だ。

 受賞者の国籍問題を、「研究の成果たる作品の帰属先」(ただし知的財産権の話じゃないよ)だと考えると、この問題は、ノーベル文学賞においてよりシリアスではないだろうか。

 たとえばこういうことだ。日本国籍の人が、米国に在住し、英語小説発表する。この人に与えられるノーベル賞はどの国の人が受賞したと考えるのか?(いま「英語小説」を例にしたが、英語の場合、事実上普遍語」たる役割を果たしているので、もう一つ難しい問題が生ずるのだが、これには立ち入らない)

 別の言語でも同じ問題が生ずる。日本でも、韓国籍の人がそのルーツ日本語小説とする。中国出身の人が日本語中国社会舞台とした小説発表する(近時の芥川賞!)。日本の例だと議論が別の磁場に引き寄せられるのだが、問題の本質普遍的だ。アフリカ出身の人がフランス語小説を書く。アメリカ人日本語小説発表する・・・等々。

 ここまで考えをめぐらして書いてみても取り立てて結論めいたものはないのだが、今回の報道やそれをめぐるいくつかの議論を見ていて「○○人というアイデンティティの根拠に何を置くのか」ということを、考えた。

ブクマ読んでの追記】

・図式化すると、本文では、国籍あるいはアイデンティティについて、「出生」に対して「言語」という軸で考えるという方向もありうるだろうと考え、特にそれが問題となるのは、文学賞のようなものだろう、ということを述べました。

・Mukkeさんのコメントを読んでさらに考えたところ(また、http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081008/1223473549も読みました)、結局このエントリーを書いたときは、学術的な成果という「普遍的」なものに対して、それを報道する側が(日本メディアなので当然のこととは思いますが)、国籍という「ローカルな」語法をもちだそうとするところに若干の違和感を感じていたのかなと思いました。

2008-09-30

2ヶ月前に、「エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と」を書いたのだけど@補足

2ヶ月前に、エホバの証人(ギリギリ)現役としての

ゆるい本音と、質疑応答をさせていただいた増田です。

こんにちは

160user超えた、はてブがついてビックリもしましたですよ。

でもあの宗教の虚しさや馬鹿馬鹿しさが一般の方に知って頂けたのは目的達成てことで嬉しかったです。

ちなみにその時の記事はこちらです。

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と」シリーズ一覧


  • ちなみに今現在葛藤中の現役てのは探せばぼろぼろ出てきます。

自分がどーなるのかなーって読んでるのはこの人たち。

フェードアウトで言うとホワイトレベル90超えてる自分なんかより、よほど頑張ってる人たちです。







やめちゃった人のブログは、是非、初期の書き始めの頃の文章に注目して頂きたいです。

戸口にやってきているあの奇妙な人たちの、本音(辞めてからだけど)、とか一生懸命自己整理している姿が伺えると思います。

自分のように崩して書いてないので意味不明な用語(神権用語という)も多く、内輪ネタが多いのですが、

自分たちが信じ込まされていることに気付かない、何か変だけど根本が変という点に辞めた後も気付いていない方が

おられるという現実を見て頂けるかなと。

つまり、犯罪者の多くはパンを食べたことがある。

交通事故に合う人のほぼ全員がパンを食べた経験がある。

つまり、パンを食べることは犯罪を犯す可能性や交通事故に合う可能性を上げる。

こういった猿でも解る馬鹿理論エホバの証人の実体です。(詳細:http://anond.hatelabo.jp/20080723230708

でも、現役の人って、論点そのものがおかしいんじゃなくて、椅子に座って自分を納得させようと考えたり、他の信者を説得させようと頑張るんですよね。

ブルースクリーンが出てるPCを叩けば直ると思っているレベルと変わりません。

前も書いたけど、神の側か?悪魔の側か?、これがエホバの証人選択肢です。

神も悪魔もいない、とか、そもそもそれって何?とかまで考えようとすると自我崩壊しかねない人が現実、いるのです。

俺は前回はみんなに読んでもらおうと、半分はゆるく、半分はおもしろおかしく、そしてくだけて書いたけど、

リアルな問題としては深刻なのです。

宗教って何だろう?

信仰って何だろう?

信じること、教義って何だろう?

多くの人はそういったことを深く考えたことがない概念だと思います。

宗教をやる人は、生きるって何だろう?と考え、その答えを教義の中から見つけます。

神に従う道だったり、聖書を読むことだったり、何か修行することだったり、永遠に考え続けることだったり。

ただ、エホバの証人は実害性があります。

なので、もし、家族や友人知人が、軽く手を出そうとしていたら、ぜひこのページを見せて、考えてもらって下さい。

前はネタ化しちゃったので今回はちと真面目に。

つまんないエントリですみませんでした。

2008-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20080614073131

1960年1970年だと、けっこう昔ってイメージなんだよね。個人的に。

それに鎮圧するのが機動隊軍隊でも全然違うでしょ。

光州事件は市民に向けて銃を一斉掃射してるんだよ。

それに対して、市民も武装して市街戦を展開というのも、日本人感覚からすると空想めいてる。

2008-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20080420224136

これ面白いなー。そんなやついねーよ、

なんて突っ込みもやぼなので

私も男性選びの条件を書いてみることにする。

顔は玉木宏級以上。

1970年以降、1985以内の生まれ。

身長は170〜175cmの間でいい。あまり高いのは色々と不便。

体型はやせ過ぎず太り過ぎず。しかし、腹はへこんでいる方がいい。

筋肉による胸板および肩の厚みがある人はOK。

スポーツをやっている/やっていた人の体型が良い。

要領よく行動できる。

ナルシストでない。

人の痛みが理解できる。

いかなるときも冷静に状況を見て把握できる。

誰に対しても気配りができる。

無駄に怒らない。

暴力に走らない。

怒りを物や人、そして酒にぶつけない。

話し上手であり聞き上手である。

感情表現が豊か。

とっさのトラブルにも対処できる。

物事を整理して考えられる。

人見知りしない。

正しい敬語が使える。

店員や作業員に対して無駄に威張らない。

口が臭くない。

酔っていても素面のときでも決して暴力はふるわない。

煙草を吸っても良いが「でも女は吸うな」とか変な理屈をつけてこない。

性病持ちでない。

人前でいちゃつこうとしてこない。

親友だとか同性の友達に自分の彼女とのH話をしない。

(たとえ相談という名の下であっても、そうとわかるように話さない。)

Hのときに変態行為を強制してこない。

デートor電話は週2〜3回まで。

束縛しない。

ほかの男性との接触や会話について詮索しない。

過去男性経験の詮索をしない。

共感できる趣味を持っていること。

パソコン携帯電話勝手に見ない。

きれい好き、掃除好きである。

髪は長過ぎず短すぎず。

それなりに身なりに気を使っている。

変な意味でなく子供好きである。

道につばを吐かない。

吸い殻やゴミをポイ捨てしない。

自炊の経験がある。

嘘をつかない。

あとから「あのときはこう言ったけど、本当は」と言わない。

収入に見合わないものを欲しがらない。

借金をしない。

ギャンブルをしない。

大口を叩かない。

仕事に対してぶれない目標をもち行動している。

と書きだして思ったが、今もっとも好きな人は

この条件のいくつかを満たしていなかったりする。

恋愛感情なんてそんなものさ。

2007-07-21

http://d.hatena.ne.jp/sen_1000/

西暦2026年日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。

もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家市井ブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。

21世紀情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。

この原因が分かったのはつい最近のことである。

O社というある小さな会社の出した女性ロボットが、その原因らしい。

そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。

三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子コピーを広げるためであると言える。生物存在という目標のためだけに生物存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物存在する。

男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性セックスできるだろう。

だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノ存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。

 たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性権力高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領クリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家財界人愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。

しかし、人間婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ

だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンスバーチャルリアリティ、そして人型ロボット研究男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。

月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。

そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性ロボットだった。

ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。

しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。

いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性永遠の理想の体現であった。

だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?

数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。

例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママ女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。

そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実恋愛結婚へと戻っていったのだった。

しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。

こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。

しかし、再び現実恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。

だが、、、これは本当に人類進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。

2007-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20070613172212

そうだなあ。

そもそも(内地人口が一億人を突破した1970年ごろは、どうやって人口を抑制するかで悩んでいたはず。

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