はてなキーワード: 繁殖とは
シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä, 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランドの軍人、狙撃手。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、フィンランドが生んだもう一人の天才スナイパー、スロ・コルッカと並んでソビエト赤軍から恐れられ、史上最多の確認戦果2505名射殺の記録を残している。
当時のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営む。1925年に軍へ入営。1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、故郷の町に近いコッラー河付近での防衛任務に就いた。
ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士からロシア語で"白い死神"を意味する "Белая Смерть"(ビェラーヤ・スミェールチ。フィンランド語では"Valkoinen Kuolema")や“災いなす者”等と仇名された。
冬戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が64000名のソビエト連邦軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。
ヘイヘは冬戦争中、防寒着の背中を砲弾の破片がかすめて切り裂かれた以外はほぼ負傷する事はなかったが、終戦直前の1940年3月6日にソヴィエト軍兵士の銃撃を頭部に受け、あごを撃ち抜かれる重傷を負う。友軍に救出されて一命を取り留めたが、意識不明のヘイヘを回収した兵士は「彼の頭は半分なくなっていた」と述べており、後年の写真でも傷痕が確認される。3月13日に意識を回復したものの、すでに冬戦争はその前日のモスクワでの講和条約締結を以て終戦を迎えていた。
終戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごし、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳でこの世を去った。
ヘイヘは狙撃において、ソビエト側では旧式になりつつあったモシン・ナガンM28を使用していた。冬戦争当時、物資や銃弾が極端に不足していたフィンランドは、戦前からソビエトの軍事的影響を受けていた為、多くの制式装備がソビエト製だった。このため戦場で鹵獲した敵の装備をそのまま使用でき、ヘイヘも敵の武器であるモシン・ナガンを使用することになった。ヘイヘは身長約152cmと小柄ながら、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガン[1]を与えられている。
モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイヘはこれを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れ[2]と装備の軽量化に加え、レンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。ヘイヘの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在もフィンランド国立軍事博物館に展示されている。
ヘイヘの狙撃技術は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だったソビエト軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリア軍SAS狙撃兵などの経歴と共通する。ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に46発の射的に成功したという逸話[3]が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。
ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に24500名から25540名と言われ、いずれにしても世界記録となる[4]。この中には狙撃銃以外の火器によるものや、未確認の殺害数は含まれていない。またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では3200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した10505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも525名の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が4138名に達していたという。
1998年、晩年を迎えたヘイヘは狙撃の秘訣を問われた際、一言「練習だ」と答えたという。また、自らの残した記録については、「やれと言われたことを、可能な限り実行したまでだ」と述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98
http://ton.2ch.net/body/kako/1003/10033/1003305738.html
1 名前: maakun 投稿日: 01/10/17 17:02 ID:???
これほんと。
毎年2回も3回も風邪ひいていましたが
50歳頃からマスクをして寝るようにしたところ
ここ10年間一度も風邪をひかなくなりました。
喉の調子がすごくよくなりました。
夏でも冬でも寝るときはマスクをして風邪ひかないようにしましょう。
8 名前: 病弱名無しさん 投稿日: 01/10/18 00:51 ID:z5uI6zr9
マスクする直前に水分を取っておくと効果が上がります。
ちなみに、今マスクしてます。 このまま寝ます。。。。。
11 名前: maakun 投稿日: 01/10/18 10:53 ID:???
その通りだよ。若いとき風邪良くひいたが、今は風邪しらずです。
昼間もされてるのですね。
僕は夜だけなんですよ。昼間は人と接する機会が多いので外してます。
夜、眼がさめるとマスクは外れている時が多いですが
気がついた時再度付け直しています。
医学的なことは良くわからないですが
マスクの効能:マスクをすることによりのどと鼻の粘膜が湿潤状態になり
のど及び鼻の奥にある繊毛の活動が活発にになり風邪の菌をよせつけない。
マスクしてないと、部屋の湿度が55%を切るとのどの粘膜は乾燥して、
結果のどが痛くなって風邪をひく。
92 名前: 病弱名無しさん 投稿日: 01/11/14 22:02 ID:ecEiVESx
マスクもいいが、プラス鼻うがいをするともっとグッド。もちろんうがいもする。
生理食塩水を鼻に入れて、口からだす。そのまま飲んじゃってもOK。
慣れるまでちょっときついが、慣れるとたいしたことない。
マスクすると口呼吸じゃなくて鼻呼吸になるが、鼻から気管支部分が汚れていては効果が半減してしまう。
俺は、これで咽喉が痛くなることがなくなった。
生き物はゲームのルールに従って行動するのではなく、生き残った生き物を観察するとゲームをしていたように分析できるというだけだ。
倫理に従って生きるのではなく、生き残った者が倫理という協調ゲームのしくみを有していただけだ。
プレイヤーが一人になるとゲームできなくなる(せねばならない)のではなく、結果的にゲームという概念が消滅するだけだ。
そしてこの倫理という前提を認める限り、繁殖はいまや倫理に反するものだろう、と主張したいのだ。
http://journal.mycom.co.jp/articles/2009/10/20/perfectperio/index.html
に対する反論として、いまのところ挙がっているのは、
1. 完全殺菌というのが怪しい
2. 仮に完全殺菌できるとしてもすぐに菌が繁殖するから無意味
3. 仮に完全殺菌できるとしたら善玉菌も死滅するからむしろ危険
現在出ている情報から判断すると、パーフェクトペリオが効果的な殺菌方法であるのは事実のようだ。
ただし、パーフェクトペリオが真に有効な『洗口剤』であることを証明するには、
「口内の細菌を全滅させた後に虫歯菌や歯周病菌の繁殖を抑えて善玉菌の繁殖を促進させる」
といった効果があることを臨床データ付きで示さなければならない。
にもかかわらず、「完全殺菌は本当! よってパーフェクトペリオも本物!」と主張する人は、よくできた広告塔なのか何なのか。
とにかく殺菌さえできればいいのだろうか、彼らは。
あと、マジで実害が出そうなのは「子どもを虫歯にしたくないから使ってみる」とか言ってる人。
試すとしても、まずは老い先短い自分の歯からにしましょう。
部屋中にゴキブリが繁殖して、常に糞のニオイが充満している環境になれば、指で潰せるようになるよ。
去年の夏場にそれはそれは酷い地獄絵図になった。床や壁は言うに及ばず、キッチン周りは中型のゴキブリが
4匹前後蠢いていて。上の戸棚を空けると3匹ほど降ってきたりする。油類を収納している下の戸棚に至っては
もはやオープンなゴキブリの巣といった所で、乾燥した糞がびっしりとこびりついていた。内部外周の陰になっている
スペースを覗くと、3匹ほど整列して身を隠していた。電化製品は熱を発するもので、そこら辺も悲惨。
電子レンジを作動させると、換気用の穴から糞のニオイが噴射され、冷蔵庫を開けるとやはり出てくる。冷凍庫には凍り付けの死骸が溜まる。
極めつけはLANルータで、これは動作させっ放しにしてある上に、ほどよく熱がこもっていて、まごうことなくゴキブリの巣になっていた。
動かすと内部からうじゃうじゃゴキブリが涌いてくる。ケーブルの挿入部が出入り口になっているようで、ここにも糞がびっしりと付いている。最悪だった。
ゴキブリホイホイを仕掛けると、1日で粘着シートが埋まる。中を覗くと駐車場みたいに外周にそってゴキブリが並んでいる。まだ触角が動いていて気持ち悪かった。
悪臭に耐えられなくなって、一気に掃除をした事がきっかけで、もはやゴキブリが出ても驚かなくなった。慣れてしまえばどうということはない、
部屋中にゴキブリが繁殖して、常に糞のニオイが充満している環境になれば、指で潰せるようになるよ。
去年の夏場にそれはそれは酷い地獄絵図になった。床や壁は言うに及ばず、キッチン周りは中型のゴキブリが
4匹前後蠢いていて。上の戸棚を空けると3匹ほど降ってきたりする。油類を収納している下の戸棚に至っては
もはやオープンなゴキブリの巣といった所で、乾燥した糞がびっしりとこびりついていた。内部外周の陰になっている
スペースを覗くと、3匹ほど整列して身を隠していた。電化製品は熱を発するもので、そこら辺も悲惨。
電子レンジを作動させると、換気用の穴から糞のニオイが噴射され、冷蔵庫を開けるとやはり出てくる。冷凍庫には凍り付けの死骸が溜まる。
極めつけはLANルータで、これは動作させっ放しにしてある上に、ほどよく熱がこもっていて、まごうことなくゴキブリの巣になっていた。
動かすと内部からうじゃうじゃゴキブリが涌いてくる。ケーブルの挿入部が出入り口になっているようで、ここにも糞がびっしりと付いている。最悪だった。
ゴキブリホイホイを仕掛けると、1日で粘着シートが埋まる。中を覗くと駐車場みたいに外周にそってゴキブリが並んでいる。まだ触角が動いていて気持ち悪かった。
悪臭に耐えられなくなって、一気に掃除をした事がきっかけで、もはやゴキブリが出ても驚かなくなった。慣れてしまえばどうということはない、
なんでって、だから書いただろ。
産む機能が備わってる方がどんどん死んだらもったいない。
備わってないほうがどんどん争ったり死んだりすればいい。
そのかわり上出来なオスはたくさんのメスと一気に繁殖が出来る。
そしてこれは動物の話であって
人間は仮に全然女にモテなくても、生涯子供を持たないとしても、
別の目的を持って楽しく暮らすことも可能だ。
なんだかんだで大抵のオスに配偶者がいただろ。
モテるオスに種貰っても一緒に育ててくれないんじゃ死なせちゃうだけだから。
昨今また恋愛至上主義とか女性の所得増加でこれは崩れつつあるけどね。
でもオスだって平均よりモテない奴はさっぱりメスに積極的じゃなくなった。
人間は固体の自我があるんだから動物の本能ぐらい超えていける。
それを出来ずに泣き言ばかり言うならお前に知性や意志は要らんかったと言うことになる。
俺と一緒に女を憎みながらも人生は楽しもうじゃないか。
偏見で汚い物事を嫌う潔癖症な偽善者がよくいるが、最近とくに増えてきているのではないかと思う
統計がないのでなんとも言えないが、もし増えているのだとすれば憂慮すべき事態である
典型例の1つとして、ガキにケータイを持たすなという論者がいる
可愛い子には旅をさせよという健全な教育理念を持った親は、今やマイノリティであり、
あろうことか父親までもが、ガキ嫌いもあってか、それに付和雷同しているから、もう手に負えない
俺の母も教育ママでキモいくらい干渉してきたが、父は寛大で器が大きく、信頼できる父親だった
また、俺の世代だと、核家族化がそれほどでも無かったので、祖母に甘えることだって出来た
祖母はお小遣いをくれたり、ガミガミ言う母をたしなめたりしてくれたものである
これに類する現代人的潔癖症というのは、この紙幅に書き足りないくらい、他にもたくさん例があり、枚挙に暇がない
文明が豊かになり、生活が便利になり、選択の自由が出来たことで、それが潔癖症の温床となり、
そのような患者・・・これは患者と言って良い・・・は、人生において数々の制約や衝突を被ることになり、
あとあとの人生の幅を大きく狭めることとなる
すべて自業自得である
----
「潔癖性」を度を超して嫌う「潔癖性」に陥ってないかな
それは何かに対し否定的な人に対して否定的な態度をとる時に共通する構造だから、無理のある批判
過干渉は教育学でも問題視されているから「度を超している」わけではない
結局、この文章から何かを察知できないという事は、根源的に人間理解が異なるんだよ
そういう人が最近多いことは確かだ
ガキにケータイ持たせるなという人の多さに疑問を抱いたことが無いとすれば、根本的に感覚が異なるということだね
上のコメントにも見られるような形ばかりの批判をする人は、たいてい感覚が麻痺してて、安直にすぐに価値を相対化してしまう人が多い
なるほど、任意の価値Xに対して、その反対の価値Yを持ち出し、X-Yという対立軸を作れば、なんでもかんでも相対化してしまえる
それでもって、中庸が一番と主張すれば、いかなる価値Xの絶対性をも崩すことが出来る
例えば、Xが人を殺してはいけないというものであれば、流石に相対化されにくいけれども、
近年では選択の自由が広がったため、多くの価値が相対化されやすくなっていることは事実である
なんでも相対化される背景には、様々な価値観が共存するごった煮社会になり、何が正しいかの感覚が麻痺していることがある
すぐに相対化してしまえる人が何よりも厄介なのは、相手を理解せずに勝手に相対化する点だ
今回の例で言えば、「ガキにケータイ持たせるなという人の多さに対する疑問」を理解できない人が勝手にそういう考えに対し「放任主義」というレッテルを貼る
ここに大きな問題がある
実体験や知識に基づく詳細な理解が無いまま、対立軸を作って相対化し、形ばかりの批判をする
自分で何かおかしいということに気づかないといけない
一言で言うと、理解なき批判は悪ということ
実体験はさすがに難しくとも、せめて知識面だけでも、土台となる知識を身につけることで、将来の人生での知識の実りを大きくし、
それにより、きちんと理解ある批判が出来るようになる
そうではなくて、さまざまな物事に対し、しっかりした理解に基づいた態度をとれるようにすること、それにより、多くの物事との接触を可能にすること
いやぁ、http://anond.hatelabo.jp/20090706095857「IT土方に未来は無い」に思いの外ブックマークがついていて少々ビビリました元増田です。
なぜそうなんだろうか?
「好きな事やってるんだから待遇は問わないよね?」
多分、プログラマーの1/4~1/2は「自分のプログラム通りにコンピュータが動くのが好き」だと思う。けっして「仕事内容が楽しい」のではないんだと思う。充実してるプログラマーは、たまたま、仕事の内容がそれに合致しているに過ぎないんだと思う。
「好きな事やってるんだから待遇は問わないよね?」
だから、上司や管理者、経営者の言うこれは全くのお門違いだ。上司や管理者・経営者はその「習性」を利用して甘い汁を吸っているに過ぎない。現代の蟹工船。だから、プログラマーが潰れようが自殺しようが、痛くも痒くもない。そんな感覚すらない。それどころか「部下が自殺しちゃったよ、ワハハ」と自慢話になるだけだ。IT業界なんて、人を殺した分、昇進すると言われているくらいだ。
プログラムなんて、今や何処にでもあるわけですよ。それこそ炊飯器の中、携帯電話、車、飛行機、人工衛星など。プログラムの入っていないものを探す方が大変だと思う。
さて、そんな中、例えば、医療器具とか、電車など、これらもプログラムで動いているわけだけど、プログラマーがちょっとミスまたは故意の仕掛をすれば、簡単に人を殺せますよね。インフラを麻痺させて困らせる事だって可能だ。
私の今までやった仕事だって、その気になれば簡単に東京中の電車を止めて大損害を与える事だって出来るし、脱線事故起こさせる事も可能。どっかの地方のセキュリティシステムなんか、火事になったら通報もせず、人を部屋に閉じこめておく事すら可能。
※実際には最終的に「連動装置」が働いて、電車の脱線・衝突は無理。でも「継電連動装置」ならプログラムの入る余地は無いけれど、昨今導入されている「電子連動装置」なら可能かもしれない。
プログラマーがその気になれば、りっぱなテロリストになれるんですよ。プログラマーなら自分が出来る事に簡単に気が付くと思うんだけどな。ちょっとバックドアやタイマー仕掛けておくだけで、自分の好きな時に、好きな場所でテロを起こす事が可能なんだから。しかも、テロと思わせない方法で。
それほど、厳しい動作条件を求められるのに、期間も金額も雀の涙。
ブレーキの効かない車や、3日で壊れる車になん百万円も出しますか?ブレーキを踏めば止まるし、アクセルを踏めば動き出す、10年以上も耐久性があるからこそ、車には何百万円も値段が付いていても買うんじゃないですか?(税金・維持費は除く)
ちまたにあふれている「フリーソフト」「無料コンテンツ」これらも、いかん。これらのおかげで「ソフトはただ」「ソフトは安い」というイメージが出来上がってしまっている。ソフトにかかるコストを麻痺させている。
私個人としては、フリーソフトや無料コンテンツというのは極力出して欲しくない、と思っている。確かに私自身だってフリーソフトや無料コンテンツは利用させてもらってる。中には金を出しても良いと言うくらいのソフトすらある。ネット風に言えば「振り込めない詐欺」っていうんですか?
優秀なフリーソフトを提供すれば、それは、提供した本人は優越感・満足感に浸れるかも知れないけれど、それがソフト業界の価値を落としめている事に気が付いて欲しい。
もっとも、無料コンテンツである、ここ「はてな匿名ダイアリー」に投稿してる時点でそんな事言う資格は無いのかもしれないな。
あるシステムを作っていたら、1回の入力操作に対して、4回くらいの入力が生じて困った事がある。何の事はない、スイッチ部分のチャタリングだったのだが、上司とハード屋に「スイッチ部分にコンデンサとダイオードくらいつけませんか?」と提案。答えはNoだった。「だって、たかが10円程度じゃないですか」と言ってもNo。何で?と聞いたら、「ソフトはただでコピー出来るだろ?それに比べてすべてのスイッチにダイオードとコンデンサをつけるのは費用がかかる」と。
私のチャタリング除けのデジタルフィルタの作成値段は10円程度のコンデンサやダイオードにも負けるんですか、そうですか。ちなみに、単品であって、量産品じゃないんですけどねorz。
プログラムとは直接関係ないが、日本の国産ロケットH-2も開発費は2000億円を予定していた。アメリカにその事を伝えたら「クレイジー」という答えが返ってきたそうな。2000億円ぽっちで出来るわけがない、と。
日本のプログラマーも同じ状況にある。期間も費用も教育も与えられないのに、完動品を求められる。
「実弾を使用する訓練は可能な限りこれを避け、必要とあらば一撃必中。日本の兵隊と警察はそういうことになっとんの。」
と、言われるように、日本は昔からそうだったのかもしれないな。
あとIT土方の敵といえば、「人月」の神話ですな。効率を上げれば上げるほど、速度を上げれば上げるほど安くなるんだから得体が知れない。逆に、効率を下げ、ずるずるを引き延ばした方が金になる。するとなんですか、電車は各駅停車が高くて、特急列車が安いんですか?と問いたくなる。
仮に「人月」しか素人にも分かる表現方法が無いとしよう。1人でやれば10ヶ月かかるところを10人でやれば1ヶ月で出来ると本気で思ってるんですか?
かといって、「人月」に変わる指標があるのかというと……。頭の悪い自分には思いつかないな。FPとか???
ま、上司が無能だと困るよ。誰も止められないんだから。無茶な案件受注してきて、ごり押しされても、誰も止められない。
こんな業界に誰が好きこのんで入ってきますか?
でも、不思議な事に、ターゲットはいくらでもいるんだよねぇ。ゴキブリよりすごい繁殖力。なんでこんな現代の蟹工船に入ってくるんだろ?いい加減、目を覚ませ。
前述したように人命や巨大インフラにかかわるんだから、プログラマーは免許制であるといいと思うんだけどな。
あ?俺?免許制になったら職を失うだろうね、糞プログラマーだから。
623 名前: 名無しさん@引く手あまた [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 02:56:26
向上心を見せた途端、それをベッキベキに破壊する物量の仕事がなだれ込むのもポイント
やる気をみせたら、どいつもこいつも喜んで押し付けてくる
そうして身を守るためにやる気のないIT奴隷が出来上がる
真理だね。
現在の人類はただ一種だけだが、人種の違いが、亜種レベルでの変化、そして種レベルでの変化の過程にあるのは間違いない(ただ、今後は融合圧力の方が強くなると考えられる)。犬種(品種レベル)によって性格や知能が大きく違うように、知能や性格において遺伝が果たす役割は一般に考えられているよりも大きいし、その変異の蓄積は数世代で生じ得る。
人種によってポテンシャルの平均が大きく違うとしてもなんら不思議はない。
むしろ「違わない」と仮定することが、実態とかけ離れた結果をもたらすだろう。
ただしここで言う人種とは、必ずしも三大人種のようなステロタイプなものであるとは限らない。皮膚の色はメラニン色素の量であるに過ぎず、知能とは直結しない。
白人なら白人、黒人なら黒人の中で、知能の適用能力の差異が生存や繁殖に致命的に作用する淘汰圧があるならば、当然、「白人であっても」「黒人であっても」知能が高い集団が出現することは合理的な推論である。
しかしここで言う、知能が高いとはいったいどういうことを意味しているのかという問題も生じる。
野生種を家畜化するにつれ、家畜の脳は縮小・単純化することが知られている。これは比較的知能が高いと言われている家畜、犬や豚などでも同じことである。イノシシがブタよりも知能が高いだろうと推論することは解剖学的には妥当な推論だが、比較実験は難しい。イノシシが人間とコミュニケートする機能において著しい欠落があるためである。
手段であるコミュニケーション能力が欠けていれば、知能を計測することは難しく、結果として知能があったとしても「意味」がない。
知能とは所与の条件におけるコミュニケーション能力をあらかじめ含んでいるのである。
非常に危険が多い場所で比較的孤立した生活を送っているヒトはあらゆる事態に自力で対処する必要に迫られ、結果、知能による淘汰圧がかかる可能性が大きい。
一方都市化された地域では比較的脆弱な個体も繁殖することが出来るため、知能による淘汰がかかる可能性は低い。しかし、コミュニケーション能力を知能に含めて考えれば、より複雑で矛盾した情報を同時に処理する能力や、人間関係を調整する能力は孤立した集団の中で生きるよりも、必要の度合いは高くなると考えられる。
つまり知能を問う時に「文明に適合した」ことを所与の条件とした場合、必要とされる知能はイノシシよりもブタの方が高いとも言えるのであり、人種の知能の問題を問う時は、この文明への適応能力を前提にしているのだから、自己家畜化もまた所与の条件に加えておくべきである。
人種の研究において、現代に通用するようなデータは非常に少ないがラシュトンの研究はその数少ないもののうちのひとつであり、解剖学的に、性行動において、人種間に知能の大きな差異が存在することが示唆されている。
代表的な事例は、ネオテニー傾向の差異であり、幼児と成人との間の肉体的な相違の相対的な程度として示され得る。
また、性的機能の早熟さ、初体験年齢の早さ/遅さや、ペニスの平均値の大小などでも知能による淘汰の度合いを推測することは出来る。
こうした研究(ラシュトンはこの研究のために大学を追われている)に対する推論的な反駁の代表的なものは、個人間の遺伝的変異の方が人種間の遺伝的変異よりも多いと言うものである。
つまり、同じ黄色人種の特定の、異なるふたりの個人の間の遺伝的差異の方が、無作為に選んだ異なる人種間の遺伝的差異よりも大きいことがしばしばあると言うものだ。
ただしこれは、人種とは個人ではなく集団であるのだから集団的な傾向を計測する時にそもそも個人を抽出すること自体、不適当だと言うことも出来る。いずれにせよ、実際的なデータの裏づけが不足しているため、推論を戦わせているに過ぎない。
比較的まとまったデータを今日提出しているのはラシュトンの研究だけであり、反駁するのであればデータに基づいたものでなければならないが、むろんこうした研究自体が、現在の政治状況では不適当だといえるし、それをしたところで何の役に立つのかと言う意見の生じるだろう。
学問は必ずしも役に立つ/立たないでなされるものではないが、仮に人種間の「文明的な意味での」知能にポテンシャルの違いがあるとすれば、仮にそれをないと仮定した時に生じるだろう不都合があることは考えられる。
これは基本的に、生理や出産という女性に特有に生じる生物的な所与条件を無視して男性と同じ労働市場に送り出した場合、何が生じるかという問題と同じことである。
「人種の平等」の概念は、文明的かつ生物的なポテンシャルにおいて、より脆弱な人種に対して非常に強力なプレッシャーを与えている可能性が大きい。それはむしろ彼らが社会的な地位を向上させる上で、マイナスに働いている可能性を考慮する必要はあるだろう。
俺の知人に、ゴキブリ蒔き魔がいる。
そいつはアパートに独り暮らしをしてるんだが、そこで大量のゴキブリを飼っている。
部屋に放し飼いしているんじゃなくて、たくさんの水槽の中で養殖しているんだ。
(いや、実際は放し飼いもしてるけど、メインは水槽での養殖ってことで)
そして、そこで増えたゴキブリじゃなくて、小豆みたいなゴキブリの卵を
キレイなマンションや一軒家の庭やベランダに、夜な夜な放り込んでいる。
なぜそんなことするのかと言うと、まあ単なる妬みとか趣味みたいで
クリエイター的やアーチスト的な、なんらかの独創的な衝動があるのかもしれないけど。
やってることは、まあ軽犯罪になるような気がするんだけど、
庭やベランダに卵を蒔いたところで、実際は侵入したり繁殖したりできないだろうし、
まあ結果的におもしろがって見てるんだけどね。
それで何を伝えたいのかと言うと、そいつの部屋にこないだ初めて行ったんだけど
部屋の中に甘い匂いが漂っていたんだ。
そいつに言わせると、その甘いのがゴキブリの匂いらしいんだが、
言われなければ芳香としか思えない匂いなんだよ。
お菓子からこの匂いがしていたら、きっと美味しそうだと思える匂いなんだけど、
なにせその正体がゴキブリだってわかってるから逆に気持ち悪くなってしまった。
それ以来甘い匂いを嗅ぐと、それを思い出してしまってスッキリしないんだ。
ゴキブリ蒔き魔の部屋に行くときにはくれぐれもご注意を。
これになんか頷けないのは何でだろうなあ~と考えて、わかった。
女が綺麗さで好かれるのと男が収入で好かれるのは意味が全然違うんだ。
後者は「そんなんで好かれてもなあ」とか「それで好かれてるってことはこの女警戒しなきゃ」って反応になる。
踏み込んで言えば、全然嬉しくなくて、不愉快さや警戒心が湧き上がる男が多い。
その理由は本能的なことで、
「私は、カッコウのヒナを育ててきた」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20050117
夫が、妻に収入で好かれているってわかった瞬間に嬉しくなくなるのは
妻の最良の繁殖戦略が「自分と子供作ること」ではないとわかるからだよ。
異星人との接触をネタにしたSFライトノベル……と思いきや作者が書きたいのはどうやら政治っぽい。派閥闘争やブラフ合戦を描いているときにもっとも生き生きとしている。地名や組織名が具体的なのが楽しい(たとえば二巻では,東京人にとっては主人公達がどこでどう迷って日比谷から晴海に行き着いたのか容易に想像できる)。設定に突っ込むのは無粋かもしれない。が,あまりに気になる点を二つだけ挙げておきたい。
なおアポストリとは異星人の種族名。外見はヒトの女性に近いが,戦車と素手で渡り合えるような超人的身体能力を有する。なぜかイタリア語を話す。
一巻の最終バトルで利用される設定。アポストリは頑強な骨格と強靭な筋肉をもち,人間離れした怪力と敏捷性,耐久力を誇る。しかし体重はヒトと変わらない。このため,意識して踏ん張っていれば正面から自動車に衝突されても止められるが,不意打ちでヒトに体当たりされれば簡単に姿勢を崩してしまうとされる。
いやいやいや。
水平方向への抵抗は足裏の摩擦だけだろ。体重が同じなら地面からの垂直抗力は同じ,よって得られる摩擦も同じ。自動車に衝突されて吹っ飛ばされる距離も同じ。これは筋肉や骨格とはまったく関係ない話だろう。衝突された時の被ダメージは変わるだろうが,どれほど屈強であろうとヒト並みの体重の生物に自動車は止められない。同様に,怪力で戦車をなぐりつければ自分が吹っ飛ぶ。自分よりはるかに重いものに力をかけたら自分が動いてしまう。作用反作用,おかしくね?
アポストリには雌性体しかいない。異種族の血液を経口摂取して遺伝情報を得,それによって繁殖するとされる。異種族の雌雄は問わない。子は母アポストリと異種族から遺伝子を半分ずつ受け継ぐ。
解釈の可能性としてここには二つあると思う。「遺伝子」が一般的な表現と同じ,デオキシリボ核酸の配列を指している説。血から配偶子を生産してアポストリ自身の生殖細胞と融合させるイメージ。あるいは,アポストリはDNAによらずに形質を娘にコピーしており,異種族から獲得する遺伝情報も核酸なんて物質には依存ないという説。たとえば吸収した血液中の細胞を胎内で物理的にスキャンして形質を抽出するとか。
いずれにせよ,発生起源の異なる異星生物間での生殖を可能にするためには相当の仕組みが要求される。もっとも,こんな設定は作中で明かされることは決して無いだろうしそれで良いと思う。吸血対象がイエバエやサンショウウオでもいいのかについては興味を惹かれるけど。気になるのは,このような生活環であるにもかかわらず,アポストリがまるでヒトのように振舞うことだ。われわれヒトの行動様式や感情は,当然ながらわれわれの生殖形態に強く規定されている。この前提を欠くアポストリがヒトの雌そっくりに振舞うことは強烈な違和感をもたらす。異なる生活環には異なる思考がなければならない。アポストリがヒトの雄にヒト的な意味で恋愛感情をもつなんて不自然きわまるじゃないか。獣姦趣味どころの変態じゃない。
つまらないエラッタ。四巻,稲雀との戦闘シーンで星祭事件が「3ヶ月前」との記述がある。これは単純ミスと思われ。ラパーチェ事件が3ヶ月前(裁判に3ヶ月かかっている)だから星祭事件はそれよりも前。また葉桜以前を「一年前には~」と表現する記述があるが,葉桜が来てからまだ半年じゃなかったっけ。今ちょっと参照できないが一巻時点で
とされていたはず。そしてまだ周囲は共棲を開始していない。なんか季節単位で四巻出てるから一年間の気になってしまうが。(再追記:7月~3月の8ヶ月なので「1年」としても不自然ではない)
これみてふと思ったんだが、
91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 19:38:56.92 ID:7LwtpECw0
どこからが人間かって話になるだろうけど
猿が性行動をするように
理性ではなく本能でやってしまうんだろ。
男の性器が長くて先が傘みたいになってる理由は知ってるか?
あれは女の性器に入った他人の精子をより奥から掻き出すために傘がついて
より奥に発射できるように長くなってる。
男視点で、処女の方が他の男と経験がないため、より自分の子を為す確立が高くなるのだから、
処女信仰というのは当然の成り行きではないだろうかとふと思った。
また、女視点で、自分にだけ精子を持ってくる存在の方が都合の良いように思い、
つまり、お互いにあばずれで独占的でわがままにあるべきなのかと思った。
しかし、
7 : ななしのよっしん :2009/03/04(水) 23:46:14 ID: TUIP9heyo8
城どうこうより単純に生物として考えるとよろしい。
あちこちに種ばら撒くほうが子孫繁栄的な意味で優秀なんだよ。
女は一度受胎してしまったらたった一回の出産に
凄い労力使うんだから種選びと性行為には慎重になった方がいい。
以上の理由で
12 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 14:04:23 ID: VO78SGCTR5
経験人数が少ないほうが良い印象持つのは特殊なことではないだろ。
顔とか他の要素との強弱の差は大きくあるだろうけども。
個人的な中傷をしてなければ、貞操を守る人を男性が求める意見も咎められることではない。
は一理あるな。
より魅力的なステータスのある異性を恋人に欲しいのは当然だろうし、そういう人物を異性に求めることになる場合が多くあるだろう。
性行為の経験で、特に女性は中絶経験・不妊症、貞操観念が存在する社会においては教養不足という負の面が絡んでくるからね。
15 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 22:25:46 ID: pPZrXO2tpw
>>10
おおサンクス。
いやだから、ひ弱な男が死ねばいいだろがjk
>>男は自分が子供産むわけじゃない。つまりノーリスクなんだから
あちこちに種ばら撒くほうが子孫繁栄的な意味で優秀なんだよ。
男は種を「無計画に」待ちきらす方が良いと言っている傍ら、
>>女は一度受胎してしまったらたった一回の出産に凄い労力使うんだから種選びと性行為には慎重になった方がいい。
女は男を「計画的」に選べという。
女だけに「計画性」を押し付けて、男全般を正当化する詭弁だな。
この「子孫繁栄」の意味がイマイチ分からんのだが、生めよ増やせよって事ではないのは確か。少なくとも>>7の論では。
数の増殖が繁栄であるならば、女も男もヤリまくって産みまくるのが最善だという結論になる。
となれば、ガードが硬い女は邪魔者。「慎重」になる女は邪魔者。
どんな男にも股開いて、どんどん孕んで、どんどん出産する女が良いという結論になる。
よって>>7の言う「繁栄」は種の個体数の増殖ではないだろう。
遺伝子的に劣等種的な男が全員死に去り、優良種的男児だけが女とヤって、子作りに励むのが一番だろう。
16 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 23:10:55 ID: pO4jeNIPQ9
>>15
ファシズム正当化のネオナチ君は現代社会に必要ないからさっさと消えてくれ。
17 : ななしのよっしん :2009/03/22(日) 09:12:17 ID: Ti8Z6eSJiN
・貞操ってのは同時に不特定多数の異性と性交しないことで処女とは違う観念。
・実際には処女ってのは痛がるばかりで男性側は気持ちよくも何ともない。元々は処女趣味ってのは加虐趣味のことだ。
・童貞というのはつき合う女性の側からは基本的に好意的に評価される(男に負けず過去の女性関係というのは嫌がるもの)。童貞を馬鹿にするのは他人の場合だ。
しかし、やりすぎると性病などリスクが上がってきて、やらなすぎはもとより、しかしやりすぎより、
結局はほどほどが良いということか。
また、今の人間には経済など要因も含まれるから、生物学の繁殖的な面からだけじゃ言い切れないのか?
うーん、難しい。
何が言いたかったって、男の処女信仰は当然のことだと言いたかったが言い切れなかった、終わり。
http://anond.hatelabo.jp/20081130144046
笑ったw。
swine flu(豚インフル)について。
調べれば調べるほど、おかしいことが出てきた。一番おかしいのは、メキシコには、インフルエンザで死んだ豚が居ないという事である。
鳥による伝播の可能性が無い時期である為に、豚が原因であろうという事で、豚インフルと呼んでいるが、肝心の豚が死んでいないのである。
豚は、人間用の薬品の試験や、製造する為の道具として使われるほど人に近いので、人を死なせるほどに強毒化したインフルエンザウィルスは、豚も死なせている筈である。強毒化したウィルスによって豚がばたばたと倒れるような状態であってこそ、人に感染するようになるのである。
従って、このインフルエンザは、人から人へと感染する性質に変化している状態で、メキシコに持ち込まれたと考えられる。
すると、発生源はどこかという問題が浮かんでくる。
豚が大量に死んでいるという報道をあさると、裏が取れない情報であるが、中国福建省で大量の死豚が不法廃棄されているという報道があった。
http://jp.epochtimes.com/jp/2009/04/html/d64016.html
豚コレラによる大量死であるという主張を匂わせているが、豚コレラである証拠は存在しない。中国の政府発表は、誰も信用しない。
中国からメキシコへの人の移動といえば、2月の上旬に中国国家副主席が訪問している。国家副主席とその随行団が行っているわけで、その時に、弱毒性で人から人へと感染するタイプのH1N1型インフルエンザをばら撒き、それが、抗体を持っていないメキシコ人の間で感染を広げていくうちに、強毒化してしまったという可能性がありえる。
H1N1型インフルエンザは、1918年にスペイン風邪として発生している最初のインフルエンザである。最近の発生は、ソ連風邪として、1977年に中国北西部から始まり、シベリア、西部ロシア、日本、米国、ヨーロッパ、 オセアニア、南米まで流行が拡大している。今は2009年だから、32歳未満の人は抗体を持っていないので、ウィルスが体内で繁殖しやすく、交雑変異型を発生させるだけの余裕がある。
そもそも、おいしさってのが味だけでなく、香りや刺激、それらの変化の過程や、さらには気分や体調にもよる、非常に複雑なもの(というか感情なのだから複雑で当たり前)なので、それをほぼ完全に理解し表現できる人は、それで飯が食っていけます。それでも、メジャーなものは、それなりのセオリーにしたがっているだろうから、食に関するそれについて思いを巡らせるのはダベる程度の価値くらいあるだろう。
人は刺激を好む部分があるようだ。痛みや苦味は嫌いなのに、なぜか炭酸飲料やお茶、香辛料など、多少のチクチク感だったり辛味、酸味、苦味だったりに惹かれるらしい。隠し味としてのそれが他の要素を引き立てるということとの関連は知らないが、それらが主体の一つである場合も好むらしい。これらは、甘味や旨味のような栄養素との関連のある味覚ではなく、それらは嗜好品に当たりやすい要素だろう。中でもお酒はアルコールにそもそも辛味を感じるが、それだけでなくさらに苦味、酸味、辛味を主眼とするものが多くて、まさに刺激物、嗜好品の道を進んだ結果だろう。
その意味でお酒の苦味や辛味を否定することは、コーラやフリスクの炭酸や辛味を否定することに近く、それを否定するのは構わないがなぜかメジャーになれない現実がある。
これら嗜好品は、では甘味や旨味は不要かと言われればそれがそうでもなく、通常とは逆に甘味や旨味が隠し味的に効いているように思う。お酒には様々あるけれど、そのアルコールは結局醗酵により作られており、糖が必要でアミノ酸をはじめ様々な物質も作られる。他の発酵食品と同じようにチーズや漬物的な旨味と香りの要素が加わる。しかも、あの出来立てパンの得も言われぬ味と香りを生む酵母がアルコール醗酵を行うのである。乳酸菌とともにその風味がお酒に与える影響は大きいようだ。
アミノ酸はまだしも、なぜ酵母の作る香りに動物が心引かれるのか、酵母がなぜそれらの物質を作り出すのかは知らないが、それは、なぜ動物はアルコールに酔い、アルコールを作るのがなぜ弱酸性を好む酵母なのかと同様に、偶然か必然かは分からないが、自然が成した結果らしい。
お酒の分類の一つに醸造酒と蒸留酒がある。醸造酒は先ほどの醗酵による風味以外に、元の原料となった作物などの風味や、時に残った糖なども加わっていて、主にそのまま飲まれる。対して蒸留酒では、糖をはじめこういった風味の多くは除去されたり揮発してしまうが、その代わりにアルコールをはじめとしたいくつかの物質は濃縮されることとなって、それはそれで別の風味を生む。また、それ以上に高濃度のアルコールがもたらす溶媒としての能力により樽や漬け込んだ様々なものが持つ味や香りの抽出や、菌の繁殖を抑えるための高い保存性などが得られる。
これらの成分は調味料としても使用され、中にはみりんの様に調味料に特化したお酒も存在する。
などとグダグダ書いても結局のところ、お酒の発展に酔いの存在があるのは確実で、「呑む打つ買う」などと言われる一方で、古くから宗教的意味合いをもつ理由は、それがもたらす高揚感からであろうし、「お酒を楽しむ」という行為には酔うということも含まれるだろう。
などと書いたからといってhttp://anond.hatelabo.jp/20090502021333の増田のお酒がうまくなるとは思えないけど書いてみた。