はてなキーワード: 先入観とは
携帯電話を持たない人がいる。
そういう人らはどこか自慢げだ。
のようなことを唱える処置なしは極端な例だからおいとくとしても(※)、
「持てば便利なのはわかるんですけど、今のところ持ってなくても特に不便は感じてないんですよねー」
などと微妙に謙遜したような言い方に優越感を滲み出したりする人の割合が多い。
そういうのを聞くにつけ思う。
いや、お前が不便かどうかではなく、お前が持っていないことで他の人が不便なのが迷惑なんだよ。
これだけ持っているのが普通の時代になると、待ち合わせなども持っていることを前提として立てるのが普通になる。
そこに、持っていない人が1人紛れると、その人のためだけに、厳密に待ち合わせ場所を決めなければならなくなるし、間に合わなかった場合の連絡手段なども考えておかなければならない。
(「渋谷のハチ公口あたりで○時に集合」という簡便な決め方ができなくなり「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチに○時に集合」のような融通の利かない決め方になる。「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい集まり方ができなくなり「紀伊国屋の○階○コーナーに○時集合」という集まり方になる)
別に昔はそれが普通だったとかはどうでもいい。今が問題なのだ。
お金が無いから持てないというような人はそりゃあしょうがない。だが一般人レベルの収入がありながら、「特別な自分カッコイイ」「古風な自分ステキ」的なポリシーでもって頑なに持たないことを続けようとする人ははっきりいって迷惑だ。
そこまで言うと、携帯教の信者こわい・・・とか思われそうだが、イメージしてみて欲しい。例えば、衣服だって似たようなものだ。今の時代、「俺は別に寒くないから街に出るのも裸でいいや」というのが許されるか?
仮に自分にとって服を着なくてもいいような気温だったり服より自分の肉体美の方が格好いいと思っていたとしても、それだけで服を着なくていいことにはならない。自分が裸でも大丈夫かどうかではなく、周囲の人が、汚いものを見たくないし触れたくないから、そういう人に迷惑を掛けないためにも着る必要があるわけだ。
携帯もいまや、そのくらいのものになりつつあると言いたいだけだ。かつて「衣服」においてあったことなのだから、この意識のパラダイムシフトは何らおかしい話ではない。「携帯を持て」と諭す人を非難の目で見たいなら、「服を着ろ」と諭す人を非難の目で見るくらいの覚悟をもってしろと言いたいだけなのだ。
だからといって「絶対持て」と押し付けるつもりはない。
街に出るつもりも無い人に家の中でまで服を着ていろと強いるつもりがないのと同じで、人と(待ち合わせや緊急の連絡等の必要な)係わり合いを持たずに生きるつもりの人にまで持てとは言わない。また、係わり合いを持ちたい人でも、持たないことによる不便ってのは持ってない人自身の不便ではなく持っている他の人たちへの不便が大きい、ということを理解して、それでも持たないことを選択するというのであればそれでいい。
要は「情けは人のためならず」ならぬ「携帯を持つのは自分のためならず」である。そういう意識と謙虚さを持って「携帯を持たないこと」を選択して欲しいということだ。
そして、待ち合わせ場所に来たときは、
「ごめんねー自分だけ持って無くてー」
のようなどこか自慢げな謝り方ではなく、もっと本気で申し訳なく思って欲しい。
※これ例えば新井英樹だから独特の分野で異才を発揮してくれてるし。
ほんとにわかってないのか、単に反論したいがためだけに反論してるのかわからなくなってきたが…
例えば、初めて会う人の空気読めますか?当然読めませんよね。
なぜか?空気を読むには相手を知らなければいけないからです。
相手がよく分からないうちは差し障りのないことだけ話して、
変な先入観を相手に持たせないようにしながら少しづつ相手を知っていくんだよ。
読むべき空気を知るために、相手の事を知らなければいけないのに、オタクに対して排除な雰囲気を作る奴が必ず居る。
そんな状態で空気読めると思う?無理でしょ?
それはしょっぱなから濃い発言をして、変な先入観を相手に持たせちゃうからだろ。
何にも発言しないうちから自分がオタクかどうかなんて相手にわかるわけないだろ。
そんなのがわかるやつがいたらエスパーだからあきらめな。
週刊少年ジャンプで連載中の、いわゆる、漫画を描いたり出版したりする側の人々を描いた漫画。多分、似たようなコンセプトの作品は他誌にもそれなりにあるんだろう。
こういう作品が注目を浴びる背景としては、読者の好奇心の対象の移ろいを敏感にキャッチした結果という一面もあるんだろうけど、それ以上に漫画家サイドが「読者に知って欲しい」というモチベーションも無関係ではないように思う。
とりあえず「バクマン」に限るなら、そもそも漫画家の立場で考えるともの凄く描きにくいじゃん?
実在の編集長や担当者をモチーフにしたキャラクターを描いて、そのモチーフの当人達に原稿チェック頼んでOKとかNGとか判断もらうわけよ。人並み外れた神経というか自信というか、そういうものがないと作れないよ。「作品では漫画論とか随分と偉そうな事言ってるけど、そういうお前はいつも○○じゃんかよ(笑)」と心の中で思われてるかも知れないと思うと、俺だったら胃が穴だらけになってるだろうな。実際、「バクマンの中の少年ジャンプ」では、主人公達の作品の人気は「中の上」程度は維持しているわけだよね。それって、少年ジャンプの平均以上の面白さの漫画を主人公達は作っているわけで、そんな主人公達を描いている「バクマンの作者(小畑健と大場つぐみ)」はどういう存在なのか、という事にもなってくる。ジャンプ連載漫画家の半分以上に対して「俺が作ったキャラクターが作った作品の方がお前らのより面白い」と言ってるも同然だもんな。いわば現役プロ野球選手が、これまた現役プロ野球選手を批評するような難しさがあるように思う。
そういう難しさを振り払ってでも描きたいという作者の強い意思があるからこそ「バクマン」は未だに連載され続けて、相応の人気や単行本売り上げという結果を残せていると思うわけ。そうでなければ、わざわざ実在の固有名詞(出版社名、雑誌名、作品名)を出しまくったりする必要ないでしょ。架空の世界の架空の雑誌にすれば済む話だもん。
じゃあ、そのモチベーションはどこから生まれるのか?という事になってくるけれども、俺が思うに、(特にネットでの)偏見や先入観にあふれた漫画論に対する回答というか、アンチテーゼみたいなものなんじゃないかな。
世の中、いろんなステレオタイプであふれている。たとえば、アメリカ合衆国は自国の利益のためなら平気で戦争するとか、霞ヶ関の官僚は天下りしまくりで金儲けの事しか考えてないとか、いわゆるそういうやつ。漫画家や漫画出版社にも、おそらく我々が無意識のレベルにまで浸透しているステレオタイプがいろいろにあるんだろう。そういう認識を何とかしたいという思いの結実が「バクマン」なんじゃないか。
突っ込まれたのでこっそり修正。
只今転職活動真っ最中の無職者(28)。前職がいい加減やになったのでキャリアチェンジを狙ってるけれど面接が決まっても通らなくて涙目の日々を過ごしている。
んで戦略を練るべく面接官の思考回路を想像しててふと思いついたんだけど、これってあれかなぁ。
数十人以上の大量採用は別として採用枠が一人から十数人の企業だった場合、書類の時点で枠にはまる分の採用予定人員を決めている。
それは9割方動かないが(特にワンマン型の社長は己の直感・先入観を過信して客観的な判断基準を軽視するタイプが多いように思う。)、
もしかすると話しててウマが合わなかったり辞退されたり書類に未記載の思わぬ穴があるかも知れないので、採用予定者一人に辺り二人程、似たタイプの補欠要員を選出して宛がっておく。
例えば採用枠一名の企業ならドラフト一位、二位、三位の計三名が面接に呼ばれる格好だ。採用枠三名なら面接に呼ばれるのはトップ3とその他とで九名位。
それで面接する時もきっちり差別化する。本命に近い者ほど早く、補欠寄りの者ほど遅くに面接をセッティングし返事の早さもそれに習うと言ったように。
まぁこの辺はセオリーだろう。一回の面接で即日採用してしまうのはブラック企業にありがちだが、上の採用枠一名の企業に当て嵌めればドラフト一位の採用は二位の面接が終わった直後に出す。
二位以降の人員の採用は特に急がない。不採用の告知でも同じ。ゆっくりリミットまで先延ばしにする。二位と三位という区分こそあるけれど企業にとってはどっちも同じ扱い。
ドラフト二位以降を採用するのは企業としては消極的だけど「まぁ他にドラフト一位の選手が何人か獲れたからいいか」と気を慰める。
なので万一当初の有力採用予定候補が一人も入らなかった場合はその時点で採用活動を中止し、数ヶ月時期をおいて再開する企業も多いのではないかと推測している。
つまり面接の目的はあくまで面接前に決定した有力候補者を何人囲えるかに集約される訳で、それ以外の者が滑り込むには採用枠に最低一人以上のドラフト一位がいる状態で無ければいけないという事だ。
中小企業の人事の皆さんどうでしょうか?割とこのドラフト感覚採用で合ってると思いますが。
と、ここまで考えて「どうすればドラフト一位になれるか」を考えなければ就活に活かしようがないと気がついた。
はてサ、というかネトサヨに一番足りないのは「覚悟」だろなあ。
もともと優越感ゲームでうわっついた観念論を振り回してるだけだから、「覚悟」なんて生まれる訳ないんだけど。
連中が本当に人生賭けて、実際に困っている人と会って、その人に先入観でなく本当に共感できた時に
人間や社会は単純な観念論で割り切れるものじゃないとわかって、その時バカサヨ・プロ市民を卒業できるんだろな。
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http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20090708/1247047243
よくまとまってる。
はてサのキチガイどももこれくらい理解できないもんかねえ・・・
まあできないんだろうが。
生まれ育った地域(not東京だけど関東)の水道水がくそまずくて、水とはまずいものだという意識を捨てられない。何とか炭酸水は飲めるのだが、おいしい水とかvolvicとかも全く受け付けない。飲もうと思えば飲めるしものすごく冷たくしていれば問題ないのだが、でものどの渇きがいえてしまうとそれ以上は入っていかない。レストランの水もだいたい飲めない。
だが、ここ数年びっくりするほどおいしい水に出会った。仕込み水だ。仕込み水は日本酒を造るときに使う水、らしい。日本酒のチェイサーみたいな感じで出てきて、まぁ酔い覚ましに仕方ないかという感じで飲んでびっくりした。酒より仕込み水の方が好きかも知れない。
仕込み水にも微妙に少しずつ味があるような気がする。それが何かはまだはっきりとは分からないのだけれども、まぁとにかくうまい水もあるものだとこのとき初めて知ったのだ。
以来、外食するときは水を少しずつ飲むようになった。水嫌いだったので外出するとほとんど水分をとらない方だったのだが(必然的にトイレも遠いので困らなかったが)、必ずいっぱいは飲むようにしている。先入観を捨ててみれば、おいしい水もあるし、まずい水もあるということがわかる。まずい水はやはり一口二口飲んでしまうとそれ以上は入っていかない。
ところで今住んでいるところもやはり水がまずい。水道水を使ってたいた米がまずい、というくらい水がまずい。海が近いからなのかもしれないし、近所の川もなんだかいやなにおいを放っているから、水質がよくないところなのだろう。さて、飯がまずいのは本当に辛い。というわけで異常に枕が長くなったが、浄水器の購入を検討しているのだが、BRITAとかどうなんですかね。本当においしくなるの?
心証を悪くして看護師に嫌がらせをされる心配、とあるのですけれど、私はそんなことはないですよ、と言いたいのです。もっと病院を信頼していただきたいのです。
嫌いな患者に看護師が勝手なことをしていては、それこそ病院が回らないのです。
実際に嫌がらせを受けているではないか、という指摘に対しては、いま多くの病院で訴訟リスクというものに非常に神経質になっていて、元増田さんがいうようなことをしていたら、とんでもなくたいへんなことになるのです。上へ下への大騒ぎになります。看護師や医師だけの責任には止まりません。病院全体が罪に問われます。
元増田さんの文章を読む限りでは、看護師の行為が必要だったか不必要だったか、はっきりとわかるまで私には読み切れませんでした。誤解や動転する中での記憶違いなどもあるのではないかと感じています。
まず最初に病院に相談できないという不信感があって、迷惑をかけたら適切な医療行為をしてもらえないという先入観も見られます。
完璧ではないかもしれませんが、それでも多くの病院が適切な医療を提供しようとがんばっていると思うのです。
だから、ノウハウを持つ病院に、相談して欲しいと切に願うわけです。カウンセリングなどはまた別枠とも言えるのですが、それでも適当な誰かと相談するよりはましだと思います。
もう一つ。元増田さんの旦那さんは結局自分で聞きに行っているわけですが、つまり、質問をしても自分の不利益にならないと確信しているか、あるいは不利益をかぶってもかまわないと思っているように見えるのです。そのあたりの元増田さんの杞憂は、どうしたものなのかなあと思うわけです。こういう時の心配はおそらく止まらない物であるのだと思います。
患者になることは誰にでも起こりうることで、それは夫や妻だけでなく、両親や自分の子供になる可能性だってあるわけです。その時に、適切な医療行為をしてもらえなくなる可能性があるから、身内である患者をなるべく自分で管理しようというのはとても危ういです、という話をしているわけです。
患者の精神状態が普通ではない場合もあります。看護師は邪魔な患者を殺すわけではありません。放置するわけでもありません。不必要なことをすれば、より大きな問題を起こす可能性もあります。
やはりそういう心配も含めて、まずは相談して欲しいのです。
付き合ったことあるし、合コンで最近あけすけにカミングアウトするひとも居るけど・・・
やっぱりな、ってどうしても思わせてくれるくらい、なんかダメ。
もうね、先入観をこちらが持つのは仕方がないじゃない?
だってすげえ決心をして嫁いだのに、なんで?みたいな。
それをなんかもう、あっけらかんとして、なんなら「アテクシそれでもがんばってまあす!」
みたいに誇りにさえ思ってるフシある女は、かなり勘違い。
失敗をしてるわけですよ。失敗してはいけないことで。
事業に失敗したひとなんてまあ、とんでもない責任負わされるよね。
でもなんとか生き残って今に至るひとって、今の自分に誇りを持って
生活をしていても、過去の失敗はやってしまった失敗として、重く
暗く受け止めてる。
けどバツイチ女はどこかそれを、人のせいにしているなあと感じたよ。
アタシはがんばった、あるいは悪いのは自分の「見る目」であり
↑って瞬時に感じさせる女、すでに女としての看板にえらいこと
デカイ泥を塗っておいて、この厚顔無恥さ。笑いものだよ。
いやその理屈はおかしい。
ブスが好き(ブス専)。→ブスで本気で悩んでいる人に失礼?→いや、嫌いと言っているのではないから差別には当たらない
デブが好き(デブ専)。→デブで本気で悩んでいる人に失礼?→いや、嫌いと言っているのではないから差別には当たらない
メンヘラが好き。→メンヘラで本気で悩んでいる人に失礼?→いや、嫌いと言っているのではないから差別には当たらない
というのと全く同じで、
障害者が好き。→障害者で本気で悩んでいる人に失礼?→いや、嫌いと言っているのではないから差別には当たらない
である。
障害者というデリケートな話題なのを良いことに簡単に不謹慎だからダメという一言で済ましてしまう輩に対し憤りを感じる。
人の好みは人それぞれなのに、なぜか障害者が好きという人は肩身が狭い。障害者が好きというと風当たりが強い。
障害がどうした?個性の一つであって、当然嗜好の対象ともなってよい。
もっとも世の中には、障害があるのを良いことに好き勝手暴力をふるうことの快感を描いているような小説やイラストが存在していて、
そういう意味で障害者が好きだというのはおかしなことだとは思う。
しかし、そうではなく対等な立場から個性の一つとして障害をとらえるのであれば、別に障害者が好きであってもなんら問題ないのではないか?
【2ch】ニュー速クオリティ:海外のおたくが製作中の同人ギャルゲー「かたわ少女」がすごい
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51125990.html
この作品をどう捉えるかは人それぞれだろうが、俺は障害を持ちながらも必死で乗り越えようとしている女性に対する慈しみや共感を感じる。
そういうことを言うと、必ず「それは優越感を感じたいだけでは?」という意見が出される。
そのような意見に対しては、俺は、
「そのようなステレオタイプな意見が出続けるから、障害者に対して優しくするのに対して控えめになっている人が多いのだ」
と言い返したい。偽善であろうとなんだろうと、優しくしたいと思ったら優しくして何が悪い。
計算された優しさではないかという批判の目が存在することによって、かえって計算された優しさしか障害者に注がれなくなる
どうもそのあたりのことが分からない人が多いようだ。
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それはともかく、俺は女性の好みに関して独特で繊細な感性を持っていて、世間一般で魅力的と言われている女性を魅力的と感じることが殆どない。
俺に言わせれば、世間でいう魅力的な女性というのは、性的な魅力があるに過ぎなくて、オナニーしまくって賢者モードになれば女性に対する好意は冷める。
よく「美人と結婚したのになぜ浮気するのか」と言われるが、それは当たり前。世間でいう美人とは性の道具であるに過ぎないから「美人は三日で飽きる」。
全てがそうとは言わないが、そういう側面が非常に大きいことに気づいている人がほとんどいないことについて、
みんな性欲の奴隷という意味でロボットだなあと思う。同じ人間とは思えない。
しかし、障害者は魅力的と感じることが多く、ボランティアでいろんな方面の障害者と接した経験を通じて、その感想は変わらなかった。
もちろん、障害であるのを良いことに世話されて当然とふんぞりかえって傲慢になっている醜い人間もいるにはいるが、
割合としてはそうでなくて感謝の気持ちをもって世話されている人間のほうが多い。
障害者だからといって他の障害に対する理解があったり人生のさまざまな苦しみを理解しているわけでは全くないので、
苦を経験した人独特の優しさ(そのような優しさもあるにはあるとは思うが)に魅力を感じているわけではない。
そうではなくて、単純に顔の表情やしぐさや言葉づかいといった存在自体に魅力を感じる。
誤解を恐れずに言うと、顔の好みだけとっても、障害者のあの独特の美しさが好きである。
同様に、しぐさや言葉づかいなど、どれをとっても、独特の魅力がある。
一度は障害者がどんな感性で世界を見ているかについて、ボランティアを通じて、あるいはメル友でもいいから、知って欲しいなと思う。
とってつけたように化粧したり着飾ったりしているいわゆる魅力的な女性とは違って、
障害者の場合は存在全体が一つの世界に対する感性や態度を示している。
「それは人によるよ」「美化しすぎじゃない?」と思ってしまうと、その途端に本質が見えなくなる。
先入観は脇においといて、きちんとありのままの事実を知って欲しい。
最も素敵なファッションというのは、その人に似合っていて、感性・考え方・態度と調和したファッションだと言われる。
また、言行一致(行動と発言の間に食い違いがなく調和していること)が美しいことだという考えもある。
ネット外のことは俺の仕事じゃないからクローズドネットでアイデア出すことはしない。
でも知的に興味のある話だからアイデア持ってるなら教えて欲しい。
それから念のために言っておくけど、クローズドの可能性はまだまだ探求されていないから、
クローズドとひとくくりにして先入観で見るのは危険なことだと思う。
ほら、ネットの世界だとクローズドというと固定したイメージがあるじゃない。
だから俺はあえてクローズドという言葉を使わずに思考するように心がけている。
門戸は開放してても自然と決まったタイプの人間が集まるという現象があるでしょ。
韓国人だからと批判するのは、たとえば「日本人だから君は誠実で謙虚なんだよね?すばらしいね!」と言っているのと等しい。
文化的に「~な人が多い」というだけで、全ての人がそうである訳がない。しかし、「韓国人だから日本で就業する際に差別される」のは「東大生だから就活の際にESで足キリされない」のと次元が等しい。つまり、すごく真面目で誠実な人を採用するために、より確率が上がるよう「国」で判断し差別する事は合理的判断ではあるのだ(ただし正しいかどうかは知りようがないし、実績が優れているのにもかかわらず属性で切り捨ててしまうのは間違っている)。GSやMckといった世界的トップ企業の日本支店が、より優秀な人材を新卒採用するために「大学」で判断し差別することに置き換えて考えてみれば、分かりやすいのではないだろうか。
残念なことは、嫌韓流のような一種のプロバカンダを盲信してしまい、「全ての人がそうでない」ことを忘れてしまう方が少なからず居るということだ。そのような人間はステレオタイプと言ってしまえる。元増田の周囲にそのような人が居るのであれば、こう言ってあげるのがよろしいと思われる。
「全ての韓国人が悪いヤツじゃないんだし、そんな韓国人というだけで人間関係を足切りしてしまわずに、先入観を捨ててちょっとだけ関わってみなよ? 一種のバイアスで世界観を狭めてしまうのは、あまり良いことではないと思うよ」
・情報を集めること。
・妥当性のある結論を導くこと であると。
しかし、これは、数的・論理的な問題と同じプロセスともいえるかもしれない。
(数的・論理的問題とは以下のようなものをさす。)
A、B,Cの三人がいる。
A[俺は盗んでないし、Bは盗んでいない。」
B「俺は盗んでないし、Cは盗んでいない。」
C「俺は盗んでないし、誰が盗んだかは知らない。」
それぞれ半分本当、半分嘘を言っているとすると、盗んだのは、誰?
違いは、結論を出すための情報が『正確』『客観的』であるか。ないか。である。
『Aは金に困っていた』
『現場から、あわてて立ち去るBを見た』
『鍵を持っていたのはC』 などなど
論理的な問題とはちがい、
私たちは、こういった粗い情報から結論を導かなければならない。
勿論、現時点で情報は足りないため、結論を導くことはできない。
しかし、もし、Bが犯人らしいと先入観(前提条件)をもって考え始めれば、
誤った先入観(前提条件)で進みかねない。つまり、
『Aは100万円借金をしている。』【金に困ってるとまで言えるのか?】
『Bは、犯行時に現場付近にいた。』【現場から出てきた=犯人か?】
『鍵の1つはCがもっていた』 【複製できるのか?1つしかないのか?】
我々は、常に描写を、証言を疑い、事実に置き換えなければならない。男の首を絞めている女の姿。その真実は、彼にマフラーをかけている優しい彼女なのかもしれない。いや、まだ違う。マフラーをかけること=優しいではない。
反応を見て、いろいろ考えました。
本当にそうですよね。申し訳ないことをしました。
自分でも、どこにでも必ずあると思っているわけじゃないのです。たまたま漏れ伝わる学内の話も、わたしがこういう人間だから届くだけで、全体から言えばレアケースなのだと思います。
ただ、起きるときには起きるし、集中すれば辛いし、そういう話を耳にしたときに、せめてそういうことがあること自体を疑わないで欲しい、出来れば、怪しい気配を「あるわけない」という先入観で見なかったことにしないで、ちょっと気を配って欲しいと思います。
あと、やっぱり環境というか雰囲気が大きいと思うので、知らないこと自体がそういう環境を作ってしまうので、可能性としては気に留めておいて欲しいです。昨日のエントリに書いたように、女子を意識しなさ過ぎの環境こそが危険だと思います。「うちじゃそんなことありえねーよwそもそもうちの女なんか女じゃねえしw」という感想を持ったら、環境としてはかなり熟成していると思います。行きずりの痴漢の件とちょっと違ってて、女っぽくて大人しくて欲情をそそる(と一般に思われている)女子相手よりも、こういう風に蔑視された相手の方が簡単に行動に出るし暴走しやすい傾向があると思います。
「女の子は進むべきではない」と一般化出来ないのはその通りです。あれは自分の子供の話です。わたしは高校と大学の研究室(複数)全てでこの手の経験があったのですが、それというのも、自分が引き寄せている面もあるのかもしれません。そういうことをする人には分かるんだと思います。なんというか、自分の娘もやっぱり引き寄せてしまう予感がするんです。わたしの娘だから。全く非科学的な話で、つくづく情けないですが。
そう思わせるようなことを書いてすみません。こう思う方々は、元エントリに書いた人々からは一番遠い存在だと思います。心配性で、ちょっとでも挙動不審になったことを重く考えすぎのタイプじゃないでしょうか。基本的に臆病でたまに距離感に失敗する人と、そんな発想すらない人は、外から見たらまるで違います。
ネットでは後者の情報を見て怯える前者の声をよく見かけますが、あまりにもかけ離れてると思います。何故一番遠い人がわざわざそんな心配をするのかと毎回思います。ついでにそういう話だと、後者をイメージしながらレスする人に絡まれて難癖付けられて気の毒です。
- 女のこういう話は大体誇張されている 仮に本当なら増田などで呟いていないで法をもって対応すべき
誇張しないように細心の注意を払って、印象操作になりがちな主観を避けて起きたことだけを書いたつもりですが、また別の立場から見たら、誇張しているように見えたり、大切なことを省いて書いているように見える可能性は否定出来ません。
法でもって対応ということなんですが、わたしはそんなことは全然望んでいないのです。望んでいることは、ただひとつ、こういうことが起こらないことだけであり、起こった後の処罰ではないのです。法に訴えるという手段は、社会的制裁がメインであり、再発防止に関しては疎かであると思います(軽犯罪の場合)。学生時代に軽犯罪で公にされたりすると、挫折感からやけになって常習者にならないか心配です。なんとか年齢的に落ち着くくらいまでやり過ごして、若いときは馬鹿なことをしたと思うところまで無事に到達してくれないかと思います。
- 「お前ははっきり言ったのか?」「察しないあいつが悪い」と言いたげ
「誤解が生じつつあるらしいことに気づく。その状況を続けて誤解を加速させるわけにはいけないから、不本意だが疎遠にする。」の件ですよね。はっきり言うしかない状況に陥らないように予防してるつもりですが、駄目でしょうか。だって兆候に気づいててもそのままで引っ張って、挙げ句はっきり言うって、ひどくないですか?兆候の時点で予防に動きませんか?
それとも、兆候の時点で、相手にとってダメージが少ない時点で、明らかに誰がどう見てもこちらが自意識過剰という時点で、はっきり言葉にして、もっと分かりやすい嫌われ役を演じることこそが求められているのでしょうか。
あと向こうが悪いとは思ってないです。一人一人にとっては自然なプロセスのひとつなんだと思います。グレーなんて書いて申し訳ありませんでした。この件はグレーではないです。ただ、こっちから見たときに、あまりにも集中するので、また悪役をやらなきゃいけないのかと思うと、精神的に参ってしまうんです。一人一人が悪くなくても。誰も悪くないけど巡り合せが悪いんです。
http://anond.hatelabo.jp/20090430121420
いや、まあ、あの
・・・普通、学科の旅行とか社内旅行とか、気のない男子たちの前で水着にならないのでは
いや普通じゃないかも知らないが、なんで彼氏でもない奴らの前でハダカに近い格好をしなけりゃならんのだと
文科系女子はもっと出し惜しみというかTPOを考えると思うのだが
その中に気になる男子がいたのならまあそうかなとも思うけどえーと
呆れ具合がよく伝わりました。常識を知らなくてすみません。秘書さんとか大先輩(昔の話)とか助教授の家族も水着になってたし、全く疑いませんでした。たぶん研究室の反応的には「・・・なんだそりゃ。そんなん意識する方がおかしい。というか俺らに失礼。」あたりではないかと。そんなこと言わずに黙って不参加か偶然生理になればいいんですけど、そんな頭がまわらないんですよね、初回は。その後黙って不参加の人になりました。
「気になる男子がいたら」とか「彼氏でもない奴らの前で」という発想はありませんでした。完全に、中高の体育の時間の延長で考えてました。殆ど義務だと。
就職したらって、一回就職して民間に行ってその後大学に出戻って、30代既婚なんですが。そういえば民間の方の職場でも20人くらい(うち職場の女子2名+社員の奥さん2名)で海水浴に行って、全員で撮った記念写真が職場で普通に回覧されてました。どうもわたしの周りは、そんなん意識する方がおかしい派のようです。
http://anond.hatelabo.jp/20090430113526
俺の場合,女友達にならこのくらい平気で言う。
つーかさ本当に気があったらこういうこと言えねーべや。
言った人は、その通りのキャラです。普段エロ話を交わしたりはしませんが、誰にでもそういう話を遠慮せず振って、秘書さんあたりから「もうー」と言われてたりする人物です。この人に関しては、本気で言ってないのはこっちも分かってます。ただ、そういう要素が全くない写真からああいう台詞を思いつく人かと言えばそれはなくて、良くも悪くも直球の人で、例に挙げてくれたようなシチュエーションギャグの可能性は無く、思ったことを悪気無く口に出しているだけということで・・・つまりどういう写真だったかという推察をしてるだけです。
こういうことを面と向かって言う人の方が心配要らないというのは同意します。
あっさり決定打が出ましたね。
物的証拠がある直接的な事例であっても自分が表沙汰にしなかったのも、これを恐れていたからです。この方はかなり露悪的に書いてますが、これほどでなくても、
性絡みの事件が起こる
↓
↓
次からは女子学生は採用しない、他にも研究室は一杯あるんだから他所に行けばいい
これって、自分の子供だけは危ないところに入れたくないという心理と一緒なので、わたしには批判出来ません。もっとも、こういうことが実行可能なのは、学科に一人女子学生がいるかいないかというレベルまでで、各学年数人いて、数年に一人は絶対当たるようになると実行不可能になってなし崩しになると思います。女子率が1割超えたらもう心配しなくてよいんじゃないでしょうか。そうなる前の笑い話になるといいと思います。
あともうひとつ表沙汰にしなかった理由はあって、普段なんとなく疎まれていたり、一人で行動したりといったタイプの人に疑いがかかると思ったんですよね・・・そう考えること自体が失礼でしょうか。でもそうなったら、自分(が原因となったこと)が辛すぎると思ったので。
いつ、どこで、だれが、なにがおきたか。状況を整理せよ。
上記の整理をしても、犯人が絞り込めない場合、何がその妨げとなっているか把握せよ。
説明しなければ、いけない問題を一言で表せ。
○事実
○主観的な描写・証言
集まっている情報から判断して、一番答えが出しやすいのはどれかにあたりをつけよ。まず、1つに集中して、読解せよ。
○誰が
○なぜ
○どうやって
どれか1点に憶測がついたなら、それを前提条件に、他の2点へと話をすすめ、全ての点について説明できる仮説にせよ
できた仮説と、集めた情報を見比べて矛盾がないか検証せよ。仮説の犯人像なら、こういう行動をするべき。
しかし、本文でそうしていないならば、その仮説は誤っている可能性が高い。
誤っていたなら、■2まで戻り、もう一度検討しなおす。
事実は、けして変わらない。主観的な描写・証言・印象の解釈を疑うべし。
娯楽としてうまれたものである。誰にでも答えが読めるような展開は、まずない。一捻り加わっているとおもうべし。
ノックスの十戒などを、みると好ましい。ミステリーとは、情報を集め、もっともらしい答えを、導き出すゲームである。
本文中に、答えをだすための情報は、必ず埋もれていることを意識せよ。
情報の整理・変換 → 仮説構築。この→には、他のミステリーの知識が応用できる。
古今東西のトリック(どうやって)、動機(なぜ)を予習するべし。
小学校は大阪の公立で、学区に部落地区が含まれていることもあって、道徳の授業は、人権学習というものに割かれていた。
在日問題、部落問題、平和学習、そういうのをいろいろと聞かされて。遊んでた友達にも、部落出身だけでなく、在日の奴がいた。
学校で差別はよくないといわれていて、家でも特に先入観をあたえられることもなかったので、差別的な言動、活動を当然自分がすることもなかった。まわりでも無かったと思う。
しかし、大人になって振り返ると、いろいろと違った側面も見えてくる。
学校の授業の中で、自分は在日であるとカミングアウトした奴が2人いた。今思えば他にもいたかもしれないけど。一人は、中学から民族学校に上がるのでそのの受験をうけるってんで、受験勉強を手伝ったりもした。
そして大人になって、風の便りに二人がどうなったかを知る。
まず民族学校に進学した奴は、創価学会に傾倒して、他の友人を勧誘しまくってた。その友人曰く、「小学校の時と目の色が変わってた、もう友人としてはつきあえない」とのこと。
また、もう片方はもともと強面で腕っ節が強い奴だったんだけど「借金を回収する仕事に就いた」と聞いた。自分は、いわゆるヤ○ザになったことだと理解している。
あれだけ、差別はよくない、差別を断ち切るのだということを学校で言われていたのにも関わらず、彼らなりの事情もあったかもしれないが、結果は偏見を強化するような道に進んでいると言う状況に、自分は失望している。
自分はそういう経験をしており、他にも在日の方々を知っている。在日の方々には、キムチがどうしたとかそういう文化的なところで民族的差別感情を感じることはないのだが、そのロビー活動には非常に警戒している。
まず、あの人権学習というのが、在日の方々が左翼と結びついて行ったロビー活動ゆえのものだと思うが、大人になって思うのは、多感な時期にあれだけ思想を吹き込むのはいかがなものか?ということである。正直言って、日本人であるにも関わらず、日本の文化について体系的に学ぶ時間は与えられていないのに、チマチョゴリがどうした、アリランがどうしたというのに付き合わないといけないというのは、不自然である。
そして、彼らのロビー組織、ロビー活動というのが、「創価学会=公明党」という政教分離の原則に反したものだったり、賭博は禁じられているはずなのに、パチンコに換金の抜け道を用意したり、サラ金を運営してあつめた政治献金だったりと、アンフェアでダーティな強引なものだったりする。
在日の多い地域では、ふとしたきっかけに、そういう組織と在日の強い結びつきを知ることが多々ある。個々人では偏見を持たずに付き合っても、集団に対しての警戒心をなくすのは多分難しいと思う。
育成とか醸造とか肥育とかに音を利用するっていう「工夫」なんだと思うんだけど、
現場でなされている工夫にたいして、
先入観からだめよそんなのと断言するのは科学的ではないような気がするよ。
実験室レベルに事象を落とせば、たとえば、毛細管現象で水をあげる実験をしたとして、
その管に微細振動を加えたもの(別に指で軽くはじくだけでもいい)と
加えなかったものでそこに差があるのかないのかという話しじゃない?
経験からものをいうと、はじいたほうが早く動くんじゃないかと思うんだけど。
動物についてはまったく別観点から、無音状態というのは強いストレスになるので、
刺激のすくない環境音を流すことにある程度の意義はみとめられそう。
問題はそれがどの程度エフェクティブかどうかという問題で、
9:00 出社。PCを立ち上げ一日の予定を確認。(特に予定はない)
9:10 仕様書やプログラムの画面を立ち上げておく。(一応客先なのでフリとして)
9:15 プログラミングのお勉強。(特にプロジェクトとは関係ない)
12:00 昼飯(ネットで午後用の読み物探す。※ネットは昼しか見られない)
12:30 お勉強に飽きたら、収集しておいたおもしろいブログ等の読み物を読み漁る。
17:30 帰宅。
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見たか、とんだ暇人だ。
・Fランの4大卒
・社会人5年目
・肩書きはSE
・幅広い業種を扱う中小IT企業
・某大手に出向中
はっきり言って暇だ。
仕事中にこんな文章書いてしまうくらい暇だ。
社会人5年目にしてこの暇さである。
今のプロジェクトについてもう2年になる。
もちろん今やっているプロジェクトが始まった当初はこんな暇じゃなかった。
終電がなくなることだってあった。(それでも月の残業が最高でも30時間とかだったけど)
でもある程度開発が終わるとこんな感じになってしまった。
いわゆる保守・運用系のプロジェクトと化してしまったのである。
およそ8時間を、特にやることもなくPCの前で過ごすのは苦痛以外の何ものでもない。
それもあと2年はこのプロジェクトに居続けることになりそうだ。
ありあまる時間を有効活用したくても、客先なので堂々と資格の参考書を開いたりするわけにもいかない。
単純に運が悪かった。
社会人5年目で一応SEという肩書きだが、仕様書もあまり書いたことがない。
プログラムが書けるといっても、扱っている言語が廃れゆくとても古い言語だ。
今後、他のプロジェクトにつけば扱うものも変わるかもしれないが、現在の勤務地の仕事の需要は、そういった古い言語を使ったものばかり。
一応別の言語を勉強してはいるが、業務経験の伴わない知識は、どうにも頼りない。
完全に潰しの利かなくなるおっさんロードを邁進中である。
転職!転職!との声が聞こえてきそうだが、この程度の業務経験+この不景気の真っ只中ではかなり厳しいと感じる。
業種を変えようにも、好きで情報系の道を進むことしか考えてこなかった自分には、他に何ができるか怪しいところである。
どうみても詰んでる。
さて、ここまで書いて、一度自分の文章を見直してみると・・・こりゃ批難轟々の予感。
「この御時世に職があるだけましだと思え!」
「8時間座ってるだけで金もらってるんだから贅沢言うな!」
「俺、SEだけど、残業ほぼ0だと!?こっちは毎月200時間超えだぞ! f○ck you!」
「愚痴ウザス」
そんな罵声の嵐が聞こえてくるようだ。
4つ目に対しては、その通りなので正直すまんかったとしか言わざるを得ない。
3つ目に対しては、デスマ乙!としか言わざるを得ない。
1,2つ目に対しては、人には水準ってものがあるよね。
国毎に生活水準があるように、派遣切りにあった人、残業だらけの人、8時間PCの前で悶々としてる人etc...各々の水準がある。
自分と水準の違う人に、贅沢すんな!ってのはないよね。
まあ、あまりそこを突っ込む気は今回はないです。
とりあえず、IT業界ってのはいろいろアップダウンやギャップの激しい世界だと思う。
精神崩壊してしまうくらい忙しい時もあれば、脳みそ溶けそうになるくらい暇な時もある。
入社1年目で月50万超える人もいれば(残業残業でね)、5年目にして手取り20万切ってるこんなおっさんもいる。
3年目でPLやる人もいれば、10年目でやっとって人もいる。
得られる給料も経験値も、やっぱり配属されるプロジェクトによる差が大きいし、それは結構運だったりする。
よっぽど能力が高ければ自分で道筋を変えられるのだろうけど、生憎私は平凡なSEなので。
ITドカタだなんだと、いろいろな先入観を持たれがちな業界だけど、こんなSEもいますよという話。
結論としては、「愚痴ウザス」
80年代中盤から90年代初頭にかけて青春を過ごした,アラフォー(笑)な中年たちについての先入観。反論は認める。
・他人とかかわりをもつことに抵抗が少ない。腹を割って話し合えば人間はわかりあえる。
・人生とか政治とか仕事とか家族とかの価値を強く信じている。その手の物語に対してメタ視する奴はダメ。
・知識に対して敵意とコンプレックスがある。勉強が好きという人が理解できない。馬鹿にするか「矯正」してやろうとする。
・金は使うためにある。他人から格好良く思われるために使う金は投資。
・自分は人生の主役になれる。ようは意識のもちかたしだい。俺すごい。
・衣食住はじめ生活上の享楽は可能な限り追求すべき。