はてなキーワード: おんぶにだっことは
野球少年にとってプロ野球選手というのは神なのである。野球界には、たとえば「守護神」という言葉がある。「代打の神様」という言葉も。古くは、「神様、仏様、稲尾様」というのもあった。
今日は日本シリーズの第1戦だった。ふとつけたテレビのスポーツニュースで、ひどく悲しい場面を見た。
番組で、ロッテの成瀬のメールを紹介していた。インタビュー収録ではなくメールの紹介という時点で本当にプロ野球まわりは不景気なのだなぁと感じたのだけれど、あろうことか、成瀬のメールの最後にこんな文章があった。
「(番組の司会だったくりぃむしちゅーの)上田さん、ホームランを打たれない方法を教えてください」
最悪だと思った。日本シリーズの第1戦に出てくるピッチャーということは、日本最強を争うチームのエースということだ。そのエースが、芸人風情に「ホームランを打たれない方法」を伝授してもらおうというのである。
私は大人だから、それが番組を盛り上げるためのひとつのギミックであることは理解できる(それにしても面白くもなんともないが)。だが、野球少年たちはどうだろう。あれを見て、明日もキャッチボールの練習をしようと思うだろうか。子どもはそのまま受け取るよ。「上田は成瀬より野球がうまいのか、へんなの」と、そう受け取るよ。
この国のスポーツマスコミは、いつからプロ野球選手を尊敬しなくなったのだろう。スポーツの感動というやつを、そのまま伝えることをやめてしまったのだろう。試合やイベントににぎやかしでタレントを呼ぶのはいい。だが、冗談でも言っていいことと悪いことがあるはずだ。
成瀬は、全国の野球少年の夢を背負ったエースとして、この依頼を断らなければならなかった。テレビスタッフの依頼に対して、激怒しなければならなかった。プロ野球選手として飯を食っている限り、その場所には、真剣に練習をして、真剣に試合に臨んで、勝ち続けなければたどり着けないのだということを、明確に示すべきだと思う。
上田は、「とんでもない、冗談じゃない、あなたに教えることなどあるわけがない」と、真剣に否定しなければならなかったと思う。狼狽さえしなければならなかったと思う。スポーツマスコミとして飯を食っている限り、プロ野球選手の価値を貶めるような言動や態度は、意識的に排除していかなければならないと思う。スポーツが死ねばスポーツマスコミも死ぬ。それは上田自身の食い扶持を減らすことでもあるのだから。
テレビのスポーツマスコミはもうダメになる寸前だ。今日、はっきりとそう思った。現場がスポーツに尊敬を持っていないのだから、それを伝えられた視聴者がスポーツを尊敬できるわけがない。何もかも、バラエティに侵食されて、成瀬がどれだけすごい訓練と技術を持っているのか、誰も理解できなくなってしまっている。
だけど思うんだ。もしスポーツマスコミに復興があるとすれば、そのヒントはきっと、テレビバラエティの中にあるんじゃないかと。
ここ10年、バラエティ番組は字幕テロップに頼ってきた。「めちゃイケ」も「エンタ」も「ロンハー」も、面白いところを全部字幕で流す。視聴者にわかりやすさを提供し、より広い層にアピールする努力を重ねてきた。昨今のお笑いブームを牽引したのは、まちがいなくこの字幕テロップという工夫だったはずだ。
バラエティにはバラエティの、スポーツにはスポーツの面白さがある。だったらスポーツだって、その面白さをそのままわかりやすく伝える努力をすればいい。成瀬と上田の軽薄なカラミなんかより、もっと面白いことが野球の試合のなかで起こっていることは、現場だってわかってるはずだ。
各局のバラエティ班は、バラエティの面白さを伝えるために血の汗をかいて字幕テロップという武器を手に入れた。それにより、バラエティは隆盛した。現在のテレビのスポーツマスコミは、そのバラエティ班の努力によって知名度を得たタレントや芸人におんぶにだっこで、本来、自分たちが伝えなければいけないスポーツの魅力を表現する努力を怠っている。
かつて、日本シリーズやプロボクシング、プロレスは国民的関心事だった。それは、スポーツにしかない感動がそのまま伝えられていたからだ。スポーツマスコミが、「こいつらはすげえんだ」と言い続けていたからだ。今だって、オリンピックやワールドカップになれば、スポーツマスコミは節度と敬意を取り戻すことができる。確かに野球の人気は下がっているだろう。だけど、せめてスポーツマスコミの現場だけでも、「プロ野球の日本シリーズは神々の戦いなのだ」という主張を怠ってはいけない。建前でもいいから、それを怠ってほしくない。野球少年から、夢を奪ってほしくない。それは、夢を与える仕事や、夢を伝える仕事に就いた者たちの責務だと思う。
今日の現場スタッフは、想像してみてほしい。ワールドカップのあの試合の直後に駒野がくりぃむしちゅー上田に「PKを外さない方法を教えてください」と言ったら、どんなことが起こったか。
笑いたくて野球を見ている者はいない。野球にはみんな、別の感動を求めているはずだ。もう一度、自分たちの仕事が何を扱っているのか、見つめなおしてほしい。
とりあえず、働いたと聞いて、労基に告発しろとか言ってみたけど、
面倒なことは嫌いだからって言うんで、色々お流れ。
んで、その店の大本調べてみたらうさんくさい。相当うさんくさい。
いやぁ、こういう経営コンサルってあるんだっていうか、機能してるんだなぁって感じ。
デンプシーロールやっちゃう拳闘漫画の名前が同じ株式会社が大本なんだが、サイト見ても怪しさは満点。
つうか経営コンサルなのに、この店の大本かよ。普通アドバイスとか再建補助だろとか思ったけど、
それは置いておく。凄いおんぶにだっこ構造だなと思った。探せば何かすぐ出てきそうだ。
時給無記載とかあったし、もしかしたら店長の懐に入ってるかもわからんね。
こんなんだし。
基本的に何事も自分が悪いと考える癖ができてしまった。
というか、そう考えることで逆に自分を成長させようとしてる。
とりあえず自分が悪い、もしくは劣ってる→だったらそれを直せばいい、的な感じ。
このやり方が正しいのかどうか分からないんだけど成長はしてると思いたい。
同じことを中高大と10年間続けた経験がある立場から言うと、これはお勧めできない。効果がないというよりも、むしろ逆効果になってしまうからだ。
確かにそのような態度は謙虚に見える。しかし実はこれがさにあらず。これは単なる無責任なのだ。
理由を説明しよう。まず、「常に自分が悪い」と考えることは「常に他人が正しい」と考えることと同じであり、従ってあらゆる他人に判断を依存することになる。そしてその結果、自分でリスクを負って判断する責任から逃れ続けることとなり、自動的に他人におんぶにだっこという態度に無警戒に陥ってしまうのだ。これが実にまずい。当たり前のことだが、「常に他人が正しい」ということはあり得ず、「他人」を信じた結果ひどい目に遭うことだってあり得るわけだが、そうなったときに「安易に判断を他人任せにした自分の責任」という正しい反省ができなくなってしまうからだ。そればかりか、間違った判断をした他人を必要以上に逆恨みしてしまうことになる。
もはやこれは謙虚などというものではない。幼児に全面依存を許す親のような態度をあらゆる他人に要求するようなとんでもない尊大な態度ということになってしまうのだ。
具体的にはどういうものか。例としては厳しすぎるように思えるかも知れないが、オウムやアルカイダの信者がそういう態度の行き着く一番不幸な例だ。彼らの多くは実は自分に厳しく真面目な青年だった。自分を過信せず、世の中に自分をできるだけ適応させるように努めた。だが、世の中には実はかなり酷い面もあった。それを知ったとき、彼らは世の中を憎悪し、次の依存先を求めた。そして行き着いた先が、わかりやすい物語を提供してくれる「尊師」だったのだ。
そこまで行かないにしても、世の中を憎悪するばかりで何も生み出さない人間というのが世の中に結構いることははてなを見ていれば大勢いることはわかるだろう。ああなってはいけない。
俺の場合は、自分の中で恋愛をするまでに超えるべきハードルを設定してるから
それを超えない限り自分の中ではスタートラインにすら立てない。
こんなハードルすら超えられない人が誰かに愛されるわけがないと考える。
実際のところ、宅間守みたいな人間の屑中の屑でも女をとっかえひっかえしているわけで、その時点でこの考えが誤りであることは明らかだ。それに早く気付くべき。
真面目な話、「俺は宅間以下なのか」とまで自分を無意味に責め苛んだあげく、苦しみの他にはなにも得られない非モテははてなあたりを見ていれば大勢いることはわかるだろう。ああなってはいけない。
以上、貴重な青春時代を君みたいな態度を取り続けて浪費した挙句、魔法使いが目前となってしまった元はてな非モテネガティブブックマーカーが実体験をもとに、自分を反面教師として記す。俺の轍を踏まないように、
を心がけて欲しい。
大人になるということは、子供を卒業することだ。精神的に子供だというのはすべて、自分のせいであり、自己責任である。子供であるというのは、親や教師の許可がなければ自分の頭で考えられないということだ。こういう風な子供じみた態度が自分のせいだというのはなぜかというと、それはその態度が、頭が悪いからということではなくて、親や教師の許可を得ずに自分の頭で考えて動く度胸がないところから来ているからだ。だから、「自分で判断しろ」「自分の頭で考える度胸を持て」と私は言いたい。それが大人になるということだ。
出典はどっかのドイツ人だけれど、権威主義みたいになるのが嫌だから敢えて名前は伏せておくよ。もちろん、その「どっかのドイツ人」というのはどこにもいないんじゃないかとか、実はヒットラーなんじゃないかとか色々疑ってみてもいいんだよ。そうやって自分で考えることが「自分で考える」ということなんだから、信用していいかどうかも自分で考えてみてね。
http://anond.hatelabo.jp/20100814023501
VY1と同じ形式で使う限り、手も口も一切出せない。
契約上はVY1もミクも一切違いはないはずだし、この点はVY1が出たからといってなんの変化もないはず。
ブラックロックシューターで名をあげたhukeは、
あれをミクだって言うことの方がよほど不自然だし、「まともなプライドを持った」クリエイターなら口が裂けても言うはずがない。
マージン云々が発生しないのはあくまで「後付」。
最初にミクじゃないから、と明言していたことの消極的な効果に過ぎない。
勘違いしている人が多いのだけれど、「キャラクター権」なんてのは法的に存在しない。
ブラック★ロックシューターのキャラクターをミク曲と組み合わせてどうしようが、
唯一「映像作品において動いているキャラクターの歌声をミクにする」ことを除けば、
どうしたっていい。
ここに「CDの商品名に初音ミクの名前を使うときは許諾を取れ」の一文が入っているおかげで、
マージンが発生している。
逆に言えば、初音ミクという名前を入れない限り、マージンなど一円も払わずにCDを出すことができる。
すると、別にこれはVY1と何も変わらない。
今マージンを払っている理由は、別にクリプトンがみかじめ料を請求しているからじゃない。
商売として、「初音ミク」の名前を入れなければ数が売れない、とクリエイターもレコード会社も思い込んでいるからにすぎない。
だから、レコード会社側が自分から進んで金を払っているのであって、ここの因果関係を逆に見ると本質を見誤る。
つまり、VY1と同じように初音ミクを使うことは可能だし、今までだってそうすることはできた。
にもかかわらず、そうする人はほとんどいなかった。
これが、「単に試行機会が少なかった」のなら、VY1はコロンブスの卵となることもありうる。
けれど、「そのやり方ではダメ」なのなら、ボカロジャンルはキャラ人気におんぶにだっこだった、ということになる。
結論として、「VY1による権利上の変化」ということはそもそもないだろうということ。
ここで言われていることは、別にミクであってもできた。
「地位や名誉、立場にしがみついている人多し。」結構嫁入り先の家におんぶにだっこのままの人って居るよ。
他の色んな有象無象の怒りとごたまぜな様子がよくわかる。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
相談会やってるんでとにかく行こう
寮は遠い
念のため TVK が見れることを確認しておこう。
地方から出てきたなら、東京の深夜アニメの充実度には驚くと思う
みんな見てるので、がんばって全部見よう
情報系だと Windows しか使えないのははずかしいし困るので、Linux を使ってみよう
FreeBSD ユーザくらいだと普通にいるので、独自色を出したいなら NetBSD や OpenBSD あたりで生活してみよう
入学するとすぐに類ごとのオリエンテーションがあり、5類は泊まり掛けでバスゼミをやる
http://www.titech.ac.jp/about/introduction/html_chronicle/422/422-11.html
先生だけじゃなく、5類の先輩も来るので、色々聞いておこう
バスゼミにわざわざ来るような先輩と同じサークルだったりすると大学生活がイージーモードになる
ここで失敗すると大学生活が終わるので、ちゃんとコミュニケーションを取って友達を作っておこう
普通の人なら大丈夫だと思いますが、神々しい人が時々います・・・
学科所属は点数で決まるので、人気の高い学科に行きたい場合はがんばろう
実験系はほとんど満点なので辛くても切らないように
学科所属に失敗しても 1,1,3,4 で復活可能な場合もある
現代問題研究会(左翼)、公害研究会(左翼)、東洋思想研究会(創価)以外ならどれでもいい
技術系サークルなら、Meister、ロボット技術研究会(ロ技研、ろぎけん、口技研じゃないです)、無線研究部あたり
東工大の技術力は、Meister、ロ技研、無線研に、おんぶにだっこって先生が言ってた。本当かどうかは知らん
四川ともみの木は中毒性が高いのであまり行かないように。味覚が壊れます。
つかさは醤油とソースの区別が付きにくいので、刺身にソースかけないように
やぶは出てくるまでが極めて長いので、時間に余裕があるときのみにする
女の子はいません
情報工学科の女性の割合は1%です。しかも大抵日本人じゃありません
学生全体で1割です。でも7類(生命系)や6類(建築系)に偏っているので、それ以外だともっと少ないです。
存在自体を忘れます。
どっちも、内容は違うけれど必要な仕事、だと思えないのかな、ということ。
わたしは自分の力だけで稼いでる訳ではないけれど、
それはその通り。
世の中の技術者には、ビジネスの仕組みに1ミリも興味が無くて全く理解してない馬鹿とかがいっぱいいるんだよ。
だからIT系の雑誌とかに「技術者もビジネスの基礎を知ろう!」みたいな頭悪すぎる特集が定期的に載ったりするんだよ。
まあそういう連中は何度特集しようと読まないんだけどね。
わたしは昨年冬、38歳になった。年が明けたし、39ですって言った方がいいのかな。
ヨメにも行けてないし、お付き合いしてる人もなし。
モテ期なんてなかったからこれからもないだろうし。
趣味はおうちでひとりでする系で出逢いもなし。
ひとりきりの一般職事務員としていわゆる中小企業で働いている。
周りの(といっても月イチの全社ミーティング以外誰も本社事務所に寄りつかないけれど)エンジニアさんたちよりか
当たり前だけれどもお給料は低い、上に、自主的にサビ残とかもしている。
この不況で事務作業のアウトソーシングを請け負ったりなんかもしちゃって
(会社のお小遣い稼ぎとなってる「知り合いの会社さんのwebサイト」づくりも
プライドが許さないのか、エンジニアさんたちは嫌がるのでいつのまにかわたしのお仕事)
なんだかかんだか残業なしでは廻らないけれども
わたし忙しいんだからお給料のせてよ!とはいいづらいようなナマな数字を毎日見ているから
なんとなく、そうしちゃっている。上司には隠しながら。
かろうじて黒字とはいえ、(飽くまで合法的な)あれやこれやな処理をして
「黒字になった」というより「なんとか黒字にしている」状態だし。。。
そんな状態でいつも不思議なのは、エンジニアさんたちのものすごいユルさ。
指摘されないとごあいさつもできない。
知らない人みかけたら、ナンダコイツ?って顔してじろじろ見るんじゃなくてごあいさつしようよ。
あなたがガンとばしてるの、ユーザーのお偉いさんだよ。。。
中学生じゃないんだから、「自分のテリトリーに勝手にいるやつ=そっちからあいさつしろ」ってなんなの。。
勤務表や交通費精算書ひとつ、間違いなしで提出することができない。
間違いがあっても期日までに提出してくればいいほうで、
客先常駐なのに勤務表1枚出さずにお給料もらえると思ってる。
なんとかかんとか出してきた勤務表、書くべきところ抜かしてて不思議な欠勤ついてるけど、
これそのままでいいの?誰かが(わたしが)作り直してくれる前提で勤務表出されても。。
本来、自分でハンコついて出した時点で、そのまま(欠勤減額つきで)通されても文句言えないよ?
ふだんお金を稼いでるのはオレだ!
間接職を食わせてるのはオレだ!とことあるごとにナチュラルに主張しているのに
(社内会議で「(わたし)さんを養うためにみんながんばろ~!お~!」とか
“善意のつもりで”あるいは“気のきいた言い回しのつもりで”言ってたりする)
そして、この不況(同じ契約1件でも、契約金額が何割もさがっている)を通り過ぎた
夏のボーナスは満額出てたのに。誰も首切られてないし、給与も下げられてないのに。
しかも、給料安い!って喚いてる。安くないよ‥。
わたしの知ってる範囲でしか比べられないけれど、他の同業の給与より、むしろ高いと思うよ‥。
社長はものわかりのいい人(わたし)にはタダですむもの(労いの言葉、とかね)を渡して
エンジニアさんがいないと売り上げは立たない、たしかに。
でも、勤務表1枚、まともな内容で期日を守って提出できない人たちが、
自分で請求書おこしたり、社会保険手続きしたり、経理つけたりできるのかなあ。
わたしがえらいって言いたいのじゃなくって、
どっちも、内容は違うけれど必要な仕事、だと思えないのかな、ということ。
わたしは自分の力だけで稼いでる訳ではないけれど、
エンジニアさんにおんぶにだっこで食べさせてもらってる訳でもない、と、思いたいのだけれど。。
会議のときとか飲み会のときとか、別にハブられてる訳じゃない。
みなさんやさしくしてくれる、けれど、なんだか信頼しきれないというか、
だから、ミスしないように、かゆいところに手が届くようにとがんばってしまう。
がんばるのは悪いことじゃないと自分にいいきかせているけれど、
達成感見たいなものとかは、まったくない。
毎日減点法で採点されながら仕事してるような気分になる。
なんて、(匿名とはいえ)グチグチいってるから、わたしは独り者で、縁遠かったりするのかなあ。
黙ってにこにこしてるつもりでも、不満が表情から滲み出ているのかなあ。
今までなにもなく順風満帆な訳ではないけれどそれはわたしだけじゃないし、
「あれがあったこれがあった(だからわたしのせいじゃないorわたしかわいそう!)」と
言い訳しながら生きてく訳にはいかないってアタマではわかってるけれどやっぱり
心のどこか(っていうかむしろ中心?)で思ってるからいまの自分があるのかもしれない。
とにかく目の前のことを誠実にこなすしかない。と思って、がんばる。
きっと、エンジニアさんだってわたしの判らない不満を抱えてるんだもんね。
(でも、勤務表はきちんと出してください。お願いします)
きいていただいて、ありがとうございました。
二時間近く経っていた。 吐きそう。 きもちわるい。 内臓が重い。
思わずひきこもっていた部屋を出て、好きな音楽を聴いたりして、
くだらないテレビでわらいながら両親とどうでもいい話をしたり、
重圧しか感じないし、まだ不安は消えない
けど、これはこれでいい傾向なはずなんだ。そう言えよ誰か。
高校の時メンヘラってた頃から筆をとりはじめて、一二年狂ったように小説を書きまくった。
短編を一週間にひとつは書いた。三百枚だか四百枚の長編を書き上げた。
自分の肉を削っては丸めて、自分の血を吐いては塗り固めて、そうして無様に書き続けた。
幼稚で稚拙だったけれど、身内はこぞって賞賛してくれたし、涙を流したひとさえいた。
祈りながら書いた。海辺で砂のお城を建てるような、緻密な指先で。その城で暮らせるあの子を思い浮かべて。海抜数十メートルからの景色をまぶたの向こうに見やりながら。
オリジナルの文芸理論を組み上げて、誰でも小説が書けるシステムを構築した。 科学的に考証した設計図は、何よりもの安定剤となった。
これさえあれば、人の心をつかめる。だれかの心の中にいられる。 この城はじょうぶできれいだから、みんな安心して暮らせる。 みんなよろこんでくれる。
そう思い込んだ。 価値創造だと言いくるめた。 自分の身長ほどもない砂の城にしがみついた。 ひとりぼっち夕暮れの海。
つもりだった。 図に乗った。 しがみついたら、くずれ落ちた。 日は落ちていた。 なぜか震えている僕。 かじかんでキーボードがうてない。
受験勉強に追いつ追われつしてうまく合格してそれから半年以上経って、いま僕はなにも書けていない。
無い能力が枯渇したら自分の存在意義さえ否定されそうで……っていうのは、うそだ。
でも書くべきだし、書きたい。何より、自分の書いたものを僕自身が読みたい。超読みたい。
だからこうして、また苦しみはじめた。砂浜に、引き戻した。11月8日。つめたい指を 必死で もみほぐす。
音楽でも絵画でも、創作せざるを得ない人間が生み出した作品は 圧倒的 だ。
程度の差こそあれ方法論なんかより“作者を潰しかねないほどの必然”こそが傑作を生むのだ。
卑近な例で申し訳ないけれど、僕だって安定剤におんぶにだっこだった頃が一番活動的だった。
だから、 つまり、
こうして気分が悪くなってることは からだ が創作意欲に燃えはじめたって解釈していいはずだ。
他人を困らせたり迷惑を掛けたりしなければいい。それは十分学習した。なんなら体罰も再履修する。
そこさえ注意すれば、そろそろすごいものが作れるはず。 シンデレラ城だって夢じゃないのさ。
言い聞かせる。火を灯すように、指先をもむ。
ていうかそれを信じなきゃやってらんねえんだってば。
トムヨークは『病気と芸術を結びつけるのはアホだ』みたいなこと言ったしそれはそうだけど。
そういうのじゃなくて、一応 生みの苦しみ ←これでいいだろ?
彼女から連絡が薄くなったのとか友達がいろいろ勤しんで離れていくこととか他人への信じられなさとか臆病とか自己嫌悪とか駅のホームでなんとなく身を投げたくなることとかメールの来ない携帯電話をベッドにたたきつけたこととか正しさとか愛とか自分の中の暴力性とか卑怯さとかこんなやり場のない自己陶酔とか腐臭漂うナルシシズムとか癒しなのか慰めなのかわからない日々のオナニーとか不感症とか人格障害とか甘えとか足りない皮膚感覚とか愛とか = 生みの苦しみ
いいって言えよ誰か。誰か!
こんなものを書いてるエネルギーをどっかにちゃんと使用してればいいのに。
疲れていて、でも身の回りの人は心配させたくないから増田にこう書いて自分を癒す (汚いもの見せてごめんなさい)。
よかったら、今までの文章なんかぜんぶ無視して誰か僕に「おつかれさま!」と言ってください。みなさん迷惑かけてごめんなさい
19ページまで呼んだがこの程度の内容しかない。
語尾は主に「みたいな」が多用されている。
いつでも逃げられるように。
どこそこに家を買っておいたとかそういう話しを聞くと焦る。
目端の利く連中にそろってそういう行動をされるとすごく心配になる。
http://anond.hatelabo.jp/20070210130404
移民についてはそもそもの労働力が足りないから移民しかないよねという論法。
税金を払ってもらうためではなく会社を回すのにそもそも人が居ないと法人税もとれないんだ。
日本が誇るトヨタ様だって国内の実態は既に外国人労働者におんぶにだっこだよね。
年収200万以下は 8%→10%
年収200から700万は 10%→10%
年収700万以上は 12%→10%
素敵。
こういう話題ってあまり見かけることがないんだけど...
ホワイトカラーエグゼンプションは減るからブログ論壇も怒ったけど、700万以上なら実質減税だから黙っておこうという感じなのかな?