日向地域は中九州と違って鉄器製造文化がなかった
隼人地域、つまり熊襲の近くは不穏で人が住めなかったからだ
そこで中九州の国は、隼人の拡大を防ぐため、大陸の傭兵の部族である鮮卑を日向に入れた
鮮卑部族とは政略結婚も行われ、一大勢力となった
この混血の部族はのちに近畿に東征した
先人開拓者の饒速日尊を死なせて天皇を名乗り、ヤマトの国をつくったと
日本海側の出雲国や越国をどうやって支配したかは別の話
古事記はおそらく鮮卑側が書いた神話なので、様々な内乱があったことは、ぼかされている
だから古墳から多くの頭蓋骨が出ても驚くことではないな
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