はてなキーワード: 秘密基地とは
小学校低学年だった頃、わたしは1,2個年下の男の子たちとよく遊んだ。男の子たちらが「○○ちゃんいますかー」なんてうちの家にきたら、当時まだ自転車に乗れなかったわたしは走って男の子たちについて行った。
3人くらいで遊ぶ時もあれば、男の子らが別の友達を呼んだりして結構な集団で遊ぶこともあった。大抵は、コンビニで駄菓子買ったり公園で遊んだり、もしかしたらなんも考えず街中を走ってたかもしんない。あまり覚えてない。
わたしの家の近くに大きな木があった。休日、お昼食った後に底に行くと、大抵だれかがいて、その木に登っておしゃべりをした。いつもその木に集まってくるメンバーはわたしをいれて3人だった。みんなはその木のことを秘密基地と呼んでいた。
その近くには野良犬も住み着いてたらしくて、みんなでその野良犬をシロって呼んでかわいがった。お菓子あげたりして一緒に遊んだ。
しばらくしてその秘密基地は切られて住宅地になった。シロはその後誰かに拾われたらしいということは聞いた。そのうちわたしは一切男の子たちと遊ぶことはなくなった。
今日、知り合いのばあちゃんちに行ったらシロが居た。なんだ、生きてんじゃん、元気でやってんじゃんって思った。シロはもっと別のかっこいい名前で呼ばれてた。
子供のころの楽しかった日々には、もう二度と戻れないのだなと今更ながらに痛感した。
山本弘のSF秘密基地BLOG「「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する」
http://hirorin.otaden.jp/e92767.html
ロリ規制だけど、子供の為と言っておきながら結局規制を主張する側がその根拠を提示できてないわけなんだから、子供の為なら規制しないのが正しいはずだ。
で、思うんだが、なぜ規制派の人達は、自分達が気に入らないから、不快だから規制しろ、と言わないんだろう?
俺は安易な規制はよくないとは思うから公的には慎重に反対ってところだが、個人的にはロリは不快だから自分の気持ちだけの問題なら規制はOKだ。
賛成の為の行動をするって程じゃないが。
結局、規制の為に動いている人達も自分達が不快だから動いているんだろう?
なら、なぜもっと正直に不快だから規制しろと言わないのだろう?
ロリ創作物が不快だから規制しろ、というのは、それ自体はおかしな事ではない。
タバコ、騒音、立ちション、ゴミ出し、その他、様々な事が誰かに不快だからと規制を受けている。
表現関連でも、名誉毀損から皇族まで、公的なものではなくてもそれなりの表現のコードがある事など、皆、知っているだろう。
そしてそういった規制を受け容れつつ、適当に破りながらみんな生活している。
だからなぜ、規制派の人達は自分達に不快だからと言って規制を主張しないのか?
まあ、そうなったら反対派はロリは創作物を与えられなければ実行に移るぞ、といって批判するだろうし、データからするとそれは正しそうだから、規制派は自分達の快の為に子供を犠牲にするのかどうかを明白にしなければならないだろうが。
最初に「彼女」を見たのは10歳くらいだったと思う。
みんなで盛り土の開発工事をしている場所で「秘密基地」だの何だので遊んでいたんだと思う。
それで、たまたま奥の方にでっかい木が一本生えていた。
俺は「あそこに作ればよくね?」といったが友人五名。全員面倒くさがった。
面倒くさがることにいらついて俺一人で「でっかい廃材」とか「でっかい石」とか運ぼうとした。
今だったら「バカだなあもう。俺じゃあはこべねえよ。大人になっても20kgももてなくて日払いお役ご免になったんだぞ」と言いたくなる。
それでもずるずる汗だくで引きずりながら女子に「お前じゃはこべねえよ?」とか言われる始末。ああそうだ、俺じゃ、運べない。
で、すんげー、親しく話してくるもんだから、女子そっちのけ。相変わらずずるずる「黙ってろ」と言わんばかりに引きずっていたのが俺。
しばらくして(つっても1メートルも運んでなかったんだと思う)、友人の一人が(当然男子だ)、「そろそろかえらねえと怒られるぞ」といってきた。
当然、女子も賛同「帰れ帰れ」だの「帰ろう帰ろう」だの何だの。
ようやく俺は女子がいることにきがついたんだけど、やっぱり、最後までそっちのけだった。ダチの方が気になった。
帰り際、後ろ見たけど、知らない奴がつったっていた。背は俺と変わらないぐらいだった。
それから話をほじくりかえして、聞かなくても良いことを友人に聞いたけれど、
友人はさっぱり覚えていないし、仮にいたとしてもいなかったと証言。
俺も素のボケキャラも相まってか、その話は流れる。そうしてそんなやついなかったということになったし、実際そうだった。
その頃ぐらいから、やれホームレスがいる、やれ不思議なものを見たという話が学校で話題になってか、
よく俺は友達と揃って散策に明け暮れたり、俺一人で散策をしたりもした。でも時間や臆病風が吹いてか
「ふつーにあるじゃん、そんなもん」
というすまし顔の有識者ぶったやつにぶった切られて、俺は渋い顔をしていた。お前、つまらないやつだなあ、と。
それからといえば普通だ。俺は内向型の非モテ二次元野郎へと進化を遂げ……たというより単純にそういう風に育っただけだ。
そういう風に育ったから現実も嫌だし、孤独も嫌だし、泣くし、吠えるし、孤立しまくり。嫌になって学校も休みがちだった。
不思議なことはたまに少しだけあるぐらいだった。夜中の窓にノックされたり、見知らぬ女子が勝手に出てきたりとか、そんなもんだ。
よくいうあの世の入口みたいなことめいたものもあったけれど、単に俺が興味を向けず、ぼんやりしていたら逃した。
逃した俺はあとになって探しまくるがそんなもの一つも出てこないという体験で終わる。もう五回も六回もあったが、気まぐれな俺はいつも行かない。
女子も女子で夢に出てきても、互いに言葉なんか交わさなかった。怖いとかじゃなく言葉を放てない。
放とうとしても金魚の口ぱくぱく。そんなんじゃ意味がないと俺も知っていくようになったから黙り続き。
つまんねーのとおもうけど、数回だけ声を聞いた覚えもある。
18くらいに彼女が出てきたときはおめでとうといったくらいだったか。いや、詳しくは覚えていない。別れたあとには慰めが来たか。でもおぼろげ。
不思議なことなんてそんなもんだ。俺も俺で幻覚症状でているというか誰と話しているのかよく分からないことを素でやるからそういうことが起きる。
んで、ついさっきもまた起きた。
そこでつい最近ネットで暴れていたからか、変な書き込みをしていた。いわゆる自爆芸だ。
でも、待ったがかかったみたいに画面から目を背けたら、頭を押さえつけられたように画面なんか見られなかった。
フォーム入稿だったから、修正すれば間に合った。思いっきり修正しようと心変わりしていたからしばらくもがいていた。
ようやく、そいつがまた見えた。「お前、また自爆芸かよ」という目でノーパソぶんどって。
別に他愛のない話だ。変な憑き物がいても害悪がないのは分かっている。
むしろ、有害な方は俺であり、夜中になってまで処女について変な語りをしていた。
窓際で頬杖をついてあいつを書こうとしたかと馬鹿たれな事を考えては、ただの腐ったまるでだめなやろうに育っているなと俺は思う。
現実で癇癪を起こすようになったのが、ただネットに癇癪を起こすようになっただけかなとか。
でも、かけたらなあと思って二次元に逃避していたかとかどうでもいいことを今更考えている。
結局、拙い文章しか書けないし、文法も支離滅裂だし、言いたいこともろくに伝えられないもんなあとかな。
頭を冷やしてエディターも立ち上げようとしたけれど、やっぱり俺じゃ無理そうだった。
このまんま普通に暮らして普通に死んでおしまい。悪くはないが、なんか、胸くそが悪い。
気を抜いたら一人称普段のまんまだった。やっちまったんだぜ。
米国上下両院議会に渦巻く「早期撤退、増派反対」に真っ正面から抗議の姿勢
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マクリスタル駐アフガン米軍兼NATO司令官は「増派が得られなければ勝利は覚束ない」とアフガニスタン戦争のくらい未来を語った。「従来の戦力と遣り方では、われわれは勝てない」とも。
オバマ大統領は、つい先日まで増派するつもりでいた。ピッツバーグG20でも、オバマ大統領は「タリバンのネットワークを破滅するまでは」と発言していた。
ところが議会の動揺と世論の変化に政策を変えようとしていることは述べた。軍人やゲーツ国防長官の発言は、その空気への牽制球でもある。
ラス・フェインゴールド上院議員(民主党、ウィスコンシン州)は「タリバン退治の日程を明確にして、撤退時期を提示するべきだ」と演説し、同じく民主党のダイアン・フェインスタイン上院議員(カリフォルニア州)は「米軍が向こう十年もアフガニスタンに駐留を続けたいと希望しているとは考えられない」と世論の三分の一が即時撤退という声を背景に吠える。
フェインスタイン女史は超リベラル過激派、米国の福島瑞穂みたいな存在。増派に正面から賛成しているのが皮肉なことにジョン・マケイン上院議員(共和党、アリゾナ州)。かれは大統領選でオバマの好敵手だった。
ゲーツ国防長官は「アフガンからの撤退時期を明示するなどは戦略的ミステークである」とCNNの番組で述べた(9月27日、ウォールストリート・ジャーナル)。
「しかもソ連の敗北同様に、米軍のアフガンからの撤退は敗北感をもたらし、変わりにベトコンが勝利したように、『アルカィーダとタリバンが超大国を打ち負かす』という政治宣伝となり、政治的悪影響は避けられないだろう」。
ワシントンポスト紙(9月27日付け)によれば、最近のタリバンの資金源は麻薬ではなく、外国からの寄付であるという。
CIA報告は「タリバンへの寄付行為は昨年だけで一億600万ドル」と分析している。
またリチャード・ホルブロック米国特別代表によれば「とくに湾岸諸国からの寄付が目立つ」として、国連の制裁を逃れた、巧妙な送金ルートを追跡する作業は困難を極めていると述べた。
9・11テロ事件以来、公式ルートでの送金はサウジ、UEA諸国からは確認されていないが、一番怪しいのはパキスタンである。
イスラマバード政府は否定しているが、軍情報部がタリバンを密かに支援しているのは明確であり、状況証拠は山のようにある。
クーリエは、訪問ごとに一万ドル以上持参せよと命令が出ているらしく、「昨年の麻薬収入は一億ドル前後だが、寄付行為による財政維持のほうが多い」(同ワシントンポスト)と米軍情報部は報告している。
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通巻第2724号 <9月28日発行>
力太郎
ノミのピコ
おおきなおいも
しずくのぼうけん
14ひきのねずみ(引っ越しの話)
11ぴきのねことあほうどり
ある幼稚園の話(「もぐらの基地」だったかの遊び場を他の組と取り合った話があったような)
ズッコケ3人組
ある大家族の男3人が紙飛行機や紙の船に乗って旅をする話(ハッカ入りのおかゆって何だろうと思った記憶)
三びきのやぎのがらがらどん
だるまちゃんとてんぐちゃん
おだんごぱん
しろくまちゃんのほっとけーき
おおきなかぶ
わたしのワンピース
おしいれのぼうけん
どろんここぶた
あーんあん
ノッポとチビの犬の話(ノッポもチビもどっちもいいところあるという内容)
おばけのバーバパパ
さるかに合戦(臼、牛の糞、ハチ、栗)
記憶にあるのはこれくらい
宮崎正弘『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)
ウィグル自治区で殆どのモスク(イスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。
新彊ウィグル自治区は地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。
大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区とカザフスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。
国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派のゲリラが武器を中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。
極めて厳しい自然環境、乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメットを信仰している。
中世から近世にかけて現在の中国北西部を収めていた元は原住民のイスラムの信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民は漢族に立ち向かうようになった。
新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。
あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教の管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。
ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安やチチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク(漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスクに信者がちかつかないのだ。
冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラー、アクバール」とコーランが流れているのを聴いた。
ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪
イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムのアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。
しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。
一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。
寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区のトルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。
北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。
イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国は拙速にも北京と妥協したのだ。
(中略)
村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランのテープやCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。
あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス、茶髪、ショート・パンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコやカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞を北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。
ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ、市民の公園、遊園地も漢族の家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルのチャイナタウン」ではないか。
街の看板は漢字とアラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル。大通りに溢れるのはトヨタ、日産、ホンダの車である。
服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラーの民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。
最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。
都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。
中国沿岸部の人たちは競って英語か日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。
~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~
「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。
南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院、仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。
交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教とイスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画、仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。
嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャンの石仏をイスラム原理主義過激派らはミサイルで破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。
南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教は俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカル・モスクは中国のイスラム教徒のメッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。
現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者を逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒の怨念はなまなかなものではなかろう。
血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。
イスラムの歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明は形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランのホメイニ師のごとく強靱な精神的指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。
(拙著『トンデモ中国 真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)
両親とも、私に自我が芽生える前にこの世を去ってしまったからです。
私は昔でいう孤児院のような所で育てられました。私の最初の記憶は、沢山の子供達と遊ぶ風景です。
普通の家庭?と違っているのは、それが学校や公園ではなく、施設ですので朝起きてから夜寝るまで、
ずっと彼らと一緒に行動していたことです。
ですが幼かったですし、一般家庭の事情はわかりませんので、そうやって沢山の友達と過ごすのは
そういうものだろうと思っていましたし、楽しかったのも事実です。
その施設では1人の同い年とされる(誰も正式な年齢は知りませんでした)女の子と仲良くなりました。
仮名でA子とします。彼女は幼い私の目から見ても可憐でおしとやかで、臆病でした。
お転婆で、男の子に混じって遊んだり、時に彼らを泣かせたりと、いたずら大好きだった私とは正反対で、
そんな私の姿を木の陰から遠く眺めているような子でした。私はA子が大好きでしたし、幼く、臆病だった
A子にとって私は、唯一心を開ける相手でした。
私はA子を守らなければならないと思うようになり、A子は時が経つほどに、どんどん私に依存していくように
なりました。そうやって私たちは心を寄せ合い、世界と向き合っていました。
1年を通して、施設には子供に恵まれない夫婦が訪れました。そういう時には、前日の夜ごはんを食べているときに、
私たちにそのことが知らされました。その時に子供達は少し、色めきたち興奮して寝られない子供も
少なくありませんでした。
彼らは大抵お昼ごろにやってきました。彼らは私たちを優しい目で見守り、一緒に食堂でごはんを食べました。
そしてその後、何人かのこどもたちは別の部屋に呼ばれて、彼らとお話をしました。そして、数日後に突然、
子供が施設を出て行くことになったと知らされるのです。
私が大きくなるにつれてそれが、養子を探しに来る大人たちだとわかりました。その頃には私も、家族というものに
ついて拙い理解と、そして少し心が浮くような気持ちを抱いたりしていました。
施設での生活は何一つ不自由なく、大勢の友達に囲まれて幸せでしたが、未だ見ぬ家族への憧れは、
日に日に大きくなっていくのでした。施設を巣立っていく子供達を見送る朝は、憂鬱でたまりませんでした。それは
そのこたちと会えなくなってしまう気持ちと、自分はいつまでもここにいるのだろうかという、漠然とした気持ちでした。
A子は大抵、施設を訪問するどの夫婦にも気に入られている様子で、必ずごはんの後に呼ばれていきました。
しかし、どうしたことかその後、何も無かったように時がすぎていくのです。その度に私は安堵の気持ちと、
そして次にまたいつ大人たちがやってきて、A子を連れて行ってしまうのだろうと怖くて悲しい気持ちで
いっぱいになりました。でもA子の前ではいつものとおり、明るく元気に振舞っていました。
そしてそれは突然でした。
前夜のごはんの時に、明日はとても特別な方々が見えられますと、説明がありました。
その時私は特別な方々についての説明はほとんど理解できませんでしたが、何かいやな予感がしたのです。
そして次の日のお昼前に彼らはやってきました。幼い私の目にはなにがどう、とはわかりませんでしたが、
彼らはとても裕福で、立派なひとたちなんだと、みんなが眩しいものを見るような目でその夫婦を見つめていました。
彼らは優しい目をしていましたが、私にはなんだか空恐ろしい人たちに見え、A子の手をひっぱって、
裏山の私たちだけの秘密基地に隠れて、時間がすぎるのを待っていました。
お昼ごはんで彼らと会うと思うと気が重かったのですが、珍しくA子が私を促すので、しぶしぶ彼女の後に
続きました。思ったとおりその夫婦は、おひるごはん中にA子のところに行き、A子とだけ話をしていました。
A子も今までに見せたことがなかったような楽しく明るい顔をして話をしていました。
そしてその後、A子だけが連れて行かれました。A子が戻ってくるまで、私は頭が真っ白になり、
何も考えることができませんでした。ただ、A子がどこかに行ってしまうという恐怖だけを、実感していました。
随分と長い時間、A子達は話をしていたようです。
やっとその夫婦が帰っていったとき、丘の向うに太陽が沈もうとしていました。長い影を引きずって、
A子がやってきました。私達は何も話さず、私達が大好きだったブランコで遊びました。
そしてその日の夜、A子が施設から出て行くことが知らされました。私は頭の中に鈍い痛みを感じましたが、
彼女に向き合って、笑顔で祝福しました。なぜならA子も家族に対する憧れがとても強かったことを、
私は知っていたのです。
A子は戸惑ったような表情を見せた後、泣き出しました。私も泣きたかったのですが、この時は精一杯
ガマンをして、ずっと彼女に祝福の言葉を送り、そして、A子は私に手紙を書いてくれること、いつか私が
施設から出たとき、そしてお互いが大きくなって自由になった時、必ず会おうと言ってくれました。
私はその言葉を空虚な思いで聞いていましたが、その夜は彼女の為に最後まで笑顔でいました。
A子が出て行った後、私は悲しみにくれましたが、私は努めて明るく振舞いました。幸いにも施設には
いつも沢山のこどもたちがおり、私はまたすぐに男の子に混じって遊ぶ毎日でした。
それからちょうど1年後、私も引き取られることが決まりました。それも突然でした。
雨の降る朝にやってきたその夫婦は、愛想笑いの一つも見せないような、陰気な感じの2人でした。
私は今回のそのイベントも、他人事のように受け取ってやり過ごそうとしていましたが、
おひるごはんの後に何故か私だけが呼ばれてしまいました。寮長さんのお部屋で私は、彼らに
質問攻めにあいました。今までに大きな病気をしたことがあるか、虫歯はあるか、視力はいいか、
いつも清潔にしているか、などなど、私の体調についてとても興味をもっているようでした。
いえ、興味をもっているのではなく、単に確認をしておきたかったのでしょう。
実際、そうでした。
私が体に不調をきたしたことはないし、全くの健康であることを寮長さんが説明をしてくれました。
私はひとこと、「はい、元気です」と答えたきりでした。彼らは私を気に入ったのです。
私は彼らのことが好きではありませんでしたが、それよりも家族への憧れが遥かに勝ったのです。
私は即答しました。いきたい、と。それで私の人生は決まりました。それより丁度2週間後に、
私は生まれ育った施設を旅立ちました。
初めての外の世界にわたしはずっと浮かれていました。なんて沢山の人で溢れているのでしょう。
01 Cagayake!Girls (豊崎・寿 けいおんOP)
02 Sunday siesta (豊崎 けいおん! 平沢唯キャラソン)
05 dear-dear Dream (高垣 バトルスピリッツ少年突破バシンED)
06 motto☆派手にね! (戸松 かんなぎOP)
08 こいのうた (戸松 神曲奏界ポリフォニカクリムゾンS ED)
10 rolling star (寿 BLEACH OP YUI)
11 You raise me up (高垣 Secret Garden/Certic Woman)
14 Treasures!! (1st c/w トリックスター0 OP)
15 Dangerous girls (2nd c/w PSP 剣と魔法と学園もの2 イメージソング)
16 Super Noisy Nova (2nd 宙のまにまに OP)
17 Future Stream
公式の中国軍事費は次の通り(「公式」とは中国が発表した数字、ロケット打ち上げなど別項目で勘定しているため、世界基準の算定方法ではなく、欧米はこの三倍とみている)
1999 1076億4000万人民元
2000 1207億5400
01 1442億0400
02 1707億7800
03 1907億8700
04 2200億0100
05 2474億9600
06 2979億3800
07 3554億9100
08 4184億0400
(1人民元は14円)
中国は空母二隻建造を堂々と公言するようになり、また中東、南アジア、アフリカ諸国では中国製武器が市場に溢れるようになっている。
いずれ手に負えない化け物として北京へ跳ね返るだろうが。。。
いや中国のことを批判してやまないアメリカは、膝元でおきた以下の数字をみて愕然としている。
ISNニュース(3月10日付け)によれば、アフガニスタンとイラクという両戦域をかかえるアメリカは、武器をせっせと当該戦闘地域の部隊に運んでいるが、多くが行方不明というのだ。
2005年から2008年までにアフガニスタンへ運び込まれたアメリカの武器は、むろん、米兵、米軍下請け傭兵ならびにイラク正規軍と警察に配給された。このうちの36%が「返却」されておらず行方不明だという。
アフガニスタンへの武器は242000点におよび、これらには自動小銃、機関銃、ピストル、ショットガンが含まれている。そのうちの36%が追跡不能状態。
また2004年から05年にかけてイラクへ同様にはこびこまれたアメリカ製武器のうち、AK47ライフル11万丁。ピストル8万丁が「行方不明」。
杜撰な管理をかいくぐり、武器は密輸され、転売されたか、あるいはテロリストの手に渡った。
つい先般、米国の観測船(?)が南シナ海で中国艦隊五隻に取り囲まれる“事件”が起きた。米中外相会談が開催されている最中のこと、両国間に緊張が走った。
この地点に注目である。海南島沖合。
中国は海南島南部「三亜」に潜水艦の秘密基地を建造した。しかもICBM搭載の潜水艦の集積地といわれ、米軍は観測を続けてきた。
「海洋を抑える西側帝国主義と揚子江のファナティックは国家主義者との対決」(英紙ガーディアン、3月10日)は政治の表舞台での「戦略的パートナー」「ステ-ク・ホルダー」「G2」という米中関係の緊密ぶりとは別の思惑で進んでいる。
思うところがあったので書いておく。
オタク文化大勝利!!
http://anond.hatelabo.jp/20081220191940
それなのに最近なんだか様子が変だ。特にオタクを自負する人たちがおかしい。こんな素晴らしい状況に水を差そうと頑張っている人たちがいる。
「そんな奴らはオタクじゃない」「ゆとり」「ニコ厨」「ぬるい」と言ってせっかくやってきた人たちを馬鹿にして排除しようとしている。いったい何を考えているんだろう? さっぱりわからない。
この危機への恐怖を体現しているんじゃないかという発言を見つけた。DJ TECHNORCH氏のブログでのエントリー『自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説』への有村悠氏のコメントだ。
Yuu Arimura | 2008年12月23日 09:46 | 返信
ユリイカ共著者のぼくが申し上げるのもなんですが、どうにもついていけないというか肩身が狭いですね、こういう人々に対しては……。岡田斗司夫をロールモデルとして人生の半分を生きてきたぼくは、滅び去る種族なのかもしれない。
このコメントの「肩身が狭い」に全てが集約されているような気がする。「居心地が悪い」にも言い換えられる。
そしてこのコメントに対してDJ TECHNORCH氏は『もしよければ具体的に「肩身の狭さ」について教えて頂けませんでしょうか。』と返している。
この「肩身の狭さ」の理由を考えることがそのまま現在のオタクの危機を炙り出すことになるのではないだろうか。
数人の気の合う仲間だけで作り上げた秘密基地。仲間以外に教えず秘密を共有しながら遊ぶのはそれはそれは楽しいだろう。
しかし、ある日少年が秘密基地に遊びに行くと何故か基地を知らないはずのそんなに仲良くないクラスメートたちが基地内で遊んでいるのを目の当たりにしてしまう。
誰が教えたのか発見したのかはわからないが、クラスメートたちに知られてしまったのだ。この時やってきたクラスメートが「ここすごい楽しいな」と言ってきて素直に「うん!」と答えて一緒に遊べないのがオタクなのである。
「僕たちが作った基地なのに……」「僕たちだけの遊び場だったのに……」という思いが湧いてきて「盗られてしまった」と感じるのだ。
素直に一緒に遊ぶことができず、下手したらやってきた人間に対して楽しみを取られたと怨嗟の念を抱いてしまう。
このような反応をしてしまうのは非モテ・非コミュの人間です。オタクコミュニティは非モテ・非コミュの受け皿としての役割がありました。しかし、今それが崩壊しようとしている。
オシャレな人がやってくることによって「ダサくてもいい」という機能が失われ、きちんと異性と恋愛関係が築けている人がやってくることによって「恋愛できなくてもいい」という機能が失われ、美形な人がやってくることによって「ブサイクでもいい」という機能が失われ、コミュニケーション強者がやってくることで「話すことが苦手でもいい」という機能が失われる。
オタクには「遊び場」と「逃げ場」が同時に失われてしまうという危機がやってきているのです。
そう考えると誰よりも先に危機に瀕していた、いや常に危機状態にあったのは女性オタクの皆さんではないかとも思う。身なりを整えろ、女性らしく振る舞えという圧力は男性のそれの比ではないだろう。そして、実際に現れ始める身なりの綺麗さとオタク趣味を両立させる人間たち……未だにコミケなどに行くと「ださい」「もさい」女性がいるがこの危機をどう乗り越えたのか非常に興味がある(私の周りにも女性オタクはいるが、完全に男性オタクコミュニティに溶け込んでいるか、サブカル系しかいないのでサンプルにならない)。
それが「ボーイズラブ」「ドリーム小説」というジャンルの誕生やウェブサイトの引きこもり状態化と関連があるのではないだろうか、とも思ったがあまり詳しくないのでやめておく。
さて、タイトルの「でも、大丈夫!」は何の根拠もない希望的観測である。しかし、先人たちが「オタク文化」を発見し作り上げたように、これからの世代が新たなる非モテ・非コミュの受け皿を発見してくれると信じている(それは「再発見」かもしれない)。
今、危機感を感じ肩身の狭い思いをしている人間はコミュニケーション能力を磨いて迎合するよりも全力で新天地を探そうではないか。そう提案したい。
それが新たな文化の形成・発展に貢献すると私は強く信じている。
ところで今、一番危機に瀕しているのかは誰なんだろうかと考える。それはおそらく若い世代でありながら新たな潮流に馴染めず、新天地を探すような余裕もなくオタク業界に既に片足を突っ込んでいる人物……そう、有村悠氏(id:y_arim)のような人物になるんだと思う。
「じゃあよく眠れるお薬だしときますね」で渡された眠剤が効きやせず、23時にベッドに入って50分目をつぶるもやくたいもない事しか考えられず、10分天井を見つめたって状況が変わるわけでなく、手元明かりをつけて本を読み出すも読み終わっちゃってやっぱり眠れなくて仕方ないからまた無理やり目をつぶるんだけどやっぱり眠れなくて、みたいな事を繰り返していたら朝方4時になった。
あほらしすぎる。
もうしかたがないから起きる事にした。ていうか死ぬことにした。死んだらよく眠れるよね、みたいな。
というか私のような駄目人間が起きるの寝るのでどうしようもない時間を使ってるくらいなら死んだ方が良いよね、みたいな。
まずコンビニ行って肉まん食べてちょっとくらい幸せになっても良いだろうと思ってコンビニに向かったら、無かった。久しぶりに帰ってきた地元だからってそりゃないわ。
えー、とかおもって別のコンビニに行ったらまた無かった。なんでよ。3年前にはあんなに乱立してたじゃない。コンビニが向かい合ってたじゃない。共倒れ?なんで全滅してるんだよ。
もういいや、そういう運命そういう運命って諦めて、とりあえず国道三号線に向かう。案の定、トラックがばびゅんばびゅんと制限速度まる無視で飛ばしてる。
で、馬鹿だから早く飛び込めば良いのに躊躇しちゃう。ていうかトラックの運転手さんにも確実に生活があるよね。人身事故なんかクビだよね。自損事故でも1ヶ月社内免停食らったりするのにねって運送業事務時代の知識が脳内をかすめる。倒産した会社のことなんか忘れりゃいいのにね。
コンクリートの地面から屋上駐車場までの高さを目視で確認。15mくらい。たしかひとが即死する高さは20mくらい。一番上からさかさまに飛び降りればけっこういい感じに死ねるんじゃね?いいんじゃね?
車の出口から逆に入る。子供の頃の秘密基地ごっこを彷彿とさせるワクワク感がある。これで私いまから死ぬんだぜ、みたいなね。
で、馬鹿だから気づいちゃう。センサーに。これあれ、駐車場とかで「車に御注意ください、車に御注意ください」って機械音声で喋るあれにつながってるんじゃね?音がして誰かきたらこのうすら馬鹿ヅラさげた25歳おんなはどう説明したら良いの?「テンションあがったんで飛び降りしにきました!」って敬礼しながら言うの?いえねー。むりー。はずかしすぎるー。たぶん、電源は切れてるはず。だからだいじょぶなはず。でも万が一セコムのセンサーだったりしてもやっぱりはずかしい。無理。むーりーだー。
しょうがねえ死ぬの諦めよううちかえろうしょうがねえよもうわたしばかだもん。ばかがあんまり人に迷惑のかからない死に方考えるのがもう無理だもんでも馬鹿だからこそ人に迷惑かけたくねえ!
そんなわけで、ちって舌打ちして腕振り回しながら帰ったら家出て30分しか経ってなかった。
1.武器
2.資金
3.秘密基地
5.「こんなこともあろうかと…」
6.秘密兵器
7.いいところで助けてくれ、味方になってくれる幼なじみ
8.権力を持ち悪役として立ちはだかってくれる肉親
9.土壇場で「やっぱり世界制服なんてやめて!」と止めてくれる恋人
10.ギアス
ちなみにレーザー兵器を作ったり、細菌兵器を作ったりできるマッドサイエンティストならむやみと知り合いがいる…。
「赤信号を渡ってはいけません」というのは法で規定されている禁止行為。ゆえに脱法状態。
一方著作権の侵害については、著作者の権利を規定したもの。
もしこの権利を他人が侵害した場合、「著作物の権利を侵害している」ということになる。
これは権利の問題。
誰かの土地である。
その土地の持ち主が寛容な人だったらもしかしたら勝手に家を建てるのすら容認してくれるかもしれない。
だが、勝手に建てたので撤去させることも可能だ。
もしその土地の持ち主が寛容ではない人だったら立ち入っただけで不法侵入で訴えられるだろう。
土地の持ち主がだれだかわからない裏山に秘密基地を立てたケースを考えてみてくれ。
そんな裏山でもだれかの権利物なのだ。
権利侵害に関しては権利者の裁量ひとつ。
だから揉め事がおきないように家を建てるときは土地の持ち主と契約を結ぶ。
もしそれが違法行為であるのならば、契約を結んで解決できるものではない。
とはいえ、取り締まりたくてしかたがないらしくそういう法律をつくりそうな勢いだけどね。