はてなキーワード: アルファブロガーとは
いわゆるアルファブロガーメソッド
何でもいいから話題になったこときっかけにして
そのきっかけの内容自体は本当はどうでも良いんだよ。
私はニセ科学批判者が嫌いです
攻撃的な姿勢と 改心要求
知識のひけらかしと 優越感で生きている
間違いだ 詐欺だ 馬鹿だと はっきりと書き込んで人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって夢邪鬼です
スルーのそぶりも見せない 遠慮のかけらもない
空気を読む心も 乱入された側への思いやりも 何にも持っていない
そのくせ 上から見下げたようなあの態度
次のエントリを上げる時は足でまとい
逃げ時は悩みの種
そんなお荷物みたいな そんなモヒカン族みたいな そんなニセ科学批判者が嫌いだ
私は思うのです このネット上からニセ科学批判者が壊滅してくれたらと
ニセ科学をブログで褒め称える そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
ニセ科学に無関心な そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
私はニセ科学批判者にならないでよかったと胸をなで下ろしています
私はニセ科学批判者が嫌いだ ウン 私はニセ科学批判者が嫌いだ
ニセ科学批判者が世の中の善良なブロガーのために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ ニセ科学批判者は常に善良なブロガーの足を引っぱるだけです
身勝手で 右手が臭い!
七田式
赤い血液さらさら
簡単なものしか手を出したがらない 難しいものは見て見ぬふりをする
「それは科学の問題ではなくて別の問題です」と書けばすむと思っている所がズルイ
非の打ちどころがないニセ科学批判者も嫌いだ!
チクチクと細かい批判ばかり繰り返し 落としどころも決めずうろちょろしやがって
いつまでもヲチし続けて いつもどんどん群がってくる
あの大局を気にしないネガコメがいやだ!
あの計算高く揺らがないネガコメがいやだ! ネガコメが不愉快だ!
何がリテラシーだ! なにが落ち着いてまず調べろだ!
なぁにが目先の利益、安易な善意に囚われない冷静な思考だ!
そんなニセ科学批判者のために 私達善良なブロガーは なぁんにも対応する必要はありませんよ
第一私達善良なブロガーがこっそりとエントリを修正したところで
これだけニセ科学批判者がいながら一人として 感謝するニセ科学批判者なんていないでしょう
どぁったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう! ネ!
はっ 離せ 俺は善良なブロガーだぞ!
誰が何といおうと私はニセ科学批判者が嫌いだ
私は本当にニセ科学批判者が嫌いだあああああああ!
私は〜が嫌いですのガイドライン
http://ton.2ch.net/gline/kako/1006/10065/1006595233.html
http://jp.youtube.com/watch?v=0B2FZDzXUV4
追記:
映像、歌詞、解説付きなので、こちらの方が目の保養になるかも。
【苺ましまろ MAD】子供達を責めないで(私は子供が嫌いだ)【ニコニコ動画コメント付き】
http://jp.youtube.com/watch?v=32xLyAb_y9k
ある男がメッセで突然、こんな歌を歌い出した。
曲はまだない。
<はてなブックマーカーの歌>
非ITの人をバカにしてれば幸せに生きていけるガンダーラなのさ~
車なんか興味ないさ~
いつか本当の恋愛がしたいのさ~
「マスコミは人の死を利用している!」と人の死をマスコミ批判に利用するのさ~
マスコミ報道とブロガーのエントリー、どっちも検証手段がないけどブロガーのほうは信じるのさ~
誰だって「自分は正しい」と思っているだけなのさ~
自分にできないことも他人には期待するのさ~
FinancialTimesの社説はよくわかんないけどみんながしてるからブクマさ~
「日本のマスコミもこれくらい書ければいいのに」とか書いてみるのさ~
でもやっぱりほんとはよくわかんないのさ~
マスコミは誤報を謝罪すべきだけどブロガーは何を垂れ流したところで別にいいのさ~
でもブロガーも力を持ち始めているのさ~
人がかいたものにはケチをつけ~
でも自分で取材なんかしないのさ~
読書自慢をするのさ~
ぼくはクリエイティブに関心が高いのさ~
でも書けないのさ~
というか関心あるように見せてるのさ~
英語だってがんばるのさ~
でも大学には行けなかったさ~
おれも~クリエイティブさ~
いつか使うかもしれないからさ~
でもそんなの使ったことがないのさ~
ミク曲で泣いた~
レコード会社は不要さ~
JASRACも不要さ~
でも実際レコード会社やJASRACがないとどうなるのかなんて考えたこともないのさ~
とにかく俺は悩んでいるのさ~
自分を受け入れられないナイーブなみなさんの集まりなのさ~
弱さを優しさだと勘違いして生きていくのさ~
だって俺たちは~誇り~高き~はてなブックマーカー~
でもいつか~でもいつか~
それが俺たちさ~
いつか~
いつか~
童貞だって恋愛だってすごいコードだってすごいサービスだってアルファブロガーにだって1000ブクマがつくようなすごいエントリーだって~
いつか~
いつか~
いつか~スイーツ(笑)じゃない~あの子がきっとやってくる~
おれも~クリエイティブさ~
でも~結局~自分さえ変えられずに~
きょうも「今すぐやるべき●●のこと」をブックマークさ~
俺は前向きなのさ~
ダメだこりゃ~
ネットを見ていると非常に多くの人が現状を嘆き、憂い、悲しんでいる。モテない、就職できない、対人関係に悩んでいる。そういう人たちを見ると、何か力になれる事はないかと必死になって慰めの言葉を探したり、自分の経験から何かアドバイスできることはないかと推敲を重ねて文章を書いたりしていた。そういう人たちをどうにかして救えないものかと考えないではいられなかったのだ。しかし、この考えは間違いではないかという事を最近考えるようになった。
自分を顧みて自分は何ほどのものぞ、という事だ。高々ネット歴数年の自分のような凡人が、長年ネットに滞在する人々にアドバイスするなんて、釈迦に説法だ。もう議論なんて出尽くしている。定石、反論、オブジェクション、全部ご存知なのだ。知っていて、さらに嘆き、憂い、悲しんでおられるように素人目には見えるだけなのだ。
ネットで悩んでいるように見える人々のニーズの深遠など凡夫にわかるべくもないのだ。そのニーズとは、ただ共感して欲しいだけであったり、おっさんにアドバイスなどして欲しくないというものであったり、美少女からのみアドバイス募集中ということであったり、俺にアドバイスして良いのは東大のみということが前提条件であったり、いやむしろ偉そうにアドバイスする人を地球上から殲滅するのが目的であったり、そのニーズたるやわかろうはずも無い。
果たして自分は、全ての人のニーズを理解しているのかしらん、くらいのことは熟慮して、アドバイスすべきかどうかを吟味する必要がある。
いや、大体そういう人たちに対して、『嘆き、憂い、悲しんでいらっしゃると見ること』自体がおこがましいのだ。何らかの憐憫の情を感じている時点で、お前は何様だという事になる。彼らにとってみれば、そういう憐憫の情こそが、すでに押し付けであり、鬱陶しいものなのだ。
例えば、モテないという人を集めて、理想の国家を建設するという方法を考えてみよう。絶世の美女で性格が良い処女のみを集め、モテない人たちに配布するのだ。もちろん国家のために生まれてきた女の子は国で接収し、モテない男に配布するために英才教育を施す。条件に合う女性が少なくなれば諸外国から略奪するしかない。国民の男子がこれはどうみてもモテるだろという男に成長したら国外に追放するしかない。これはモテない男にとっては良い国かもしれないが女性にとっては言語道断の国だ。
仕事が無いという人には、仕事を与えるしかない。これはもう、武装蜂起して不正で私服を肥やす役人を廃し、適切な仕事のみを残し、企業を全て国営化するしかない。能力の無い人に不平が出ないよう、国民に等しく平等に仕事を与えなくてはならない。デスマーチと呼ばれる過酷な労働が無いよう、週休三日くらいにして給料は全員、年間1000万円。現在これ以上の給料をもらっている人から不満も出るだろうが、国民の5%にも満たないので、民主主義の観点からも無視して良い意見だ。ひょっとしたら給料が足りなくなるかもしれない。しょうがないので、国民の財産は全て没収しよう。給料を支払うので問題ないだろう。変に貯蓄するから景気が後退するのだ。これで、国民全てに遍く仕事が行き渡るはずだ。
あれ? これってどこかでみた事があるような。理想を掲げて世界を席巻して崩壊した社会主義とか、資本主義に飲み込まれつつある共産主義とかいうものでは?
もしくは、自由も無く、情報も厳しく制限され、インターネットなどもちろん無く、何かの拍子に一族郎党全て粛清される、村人同士が監視しあい、通報しあい、理想を夢見ながら働けど働けど暮らしが楽にならない、極貧に喘ぐ、小太りでメガネのチリチリパーマのおっさんとその一族だけが栄華を尽くすような社会。
今の日本にクーデターを起こしてそんな社会主義や共産主義や独裁政権を打ち立てて、喜ぶ人がいるのだろうか? 誰が救われるのだろうか?
クーデターは極論としても、全ての人を救うなんて、方法が無いのだ。あるという方がどうにかしてる。アルファブロガーが「全ての人を救うたった一つの冴えたやり方」とか「人類遍くみんなを救う3つの方法」とか、釣り記事を書くくらいが関の山だろう。
むしろ、今の日本は社会主義や共産主義や独裁主義とかそういう世界に生きている人たちが、『三つの願い』を願って、それらを叶えてもらったような世界なのだ。
「字の読めない私に、情報(知識)を下さい。勉強をさせて下さい」
「働いた分だけでいいから、お金を下さい」
「自由を下さい」
今、世界に於いてこれだけの願いが叶っている国がどれだけあるのだろうか。
今の日本は、言わば一巡してきたような世界なのだ。モテない人を救うため、仕事が無い人を救うため、クーデターを起こして理想の社会の建設を目指したが、国がとんでもない方向に行ってしまい、民衆が民衆の力で民衆自身の願いを叶えたような社会なのだ。また一からクーデターから起こすような愚を犯せばいいのか。いや、すでに願いは叶えられているはずなのだ。
昔は賢人と呼ばれる為政者が国を治め、民を大事にしておけばそれで良かった。今は情報が溢れていて、誰もが賢人になれる。賢人になった民にはそれぞれの幸せがある。押し付けの幸せは幸せではない。
ネットの世界で悩んでいるように見える人は、すでに色々な選択をしている。今の日本では情報を得ようと思えば、いくらでも得られる。世界経済の知識の代わりにアイマス、法律の知識の代わりに初音ミク、雇用してくれる会社を探す代わりにエヴァンゲリオン、そういう形で常に情報を選択している。これはもう、すでに救われているのだ。
自由の名の元に、超ハッピーなのだ。つまらない仕事でストレスを溜めるよりも、萌えで脳内麻薬を分泌しまくっている方が数百倍は良い、と自ら選択しているのだ。そういう英断を尊重すべきだ。もうすでに救われている。アドバイスの必要は無い。全てわかっていらっしゃって、しかも選択を終えていらっしゃるのだ。
ネットで悩んでいるように見える人に対して、何かをしてあげようとか、こうすべきとアドバイスするとか、する必要はないし、しなかったからと言って気に病む必要は微塵も無い。
放っておいて良いのだ。
彼らを救う必要は無い。
自分がよくわからないことや知らない事を、どんどんブログに書いて「うわ、コイツ痛すぎる」と思われたりして、はてブや他のブログでボコボコに叩かれて、「反面教師としてすごく役に立つブログ」とか評されてもいいんじゃないかな。
そんな状況でブログを何年も続けられる人って、すごい精神力の持ち主だし、才能だと思う。
多いか少ないかは別としても何らかのファンも付くことだろう。
ファンの期待に応えたり、絶望した!とか言われながらもブログを続けていくのは、誰もが出来る事ではない。
私生活との兼ね合いなどもある。
リストラされないとか、回線を維持出来るとか、ブログは運もなければ続けられないという側面もある。
奇を衒って、どんどん投げっぱなしジャーマン的なエントリを書けば良い。
反応も大きくなるし、やりがいも出るだろう。
ブロガーは正しい意見を書かなければいけないという事は、全くない。
ほっておいても訂正を入れたトラバやブコメがどんどん飛んでくる。
自分で訂正する必要は無い。
自blogのPVがン十万を超えたと子供のように喜ぶ態度、そしてそれを恥ずかしげもなくエントリに上げてしまうこと、こんな愛すべきアルファブロガーを他に知らない。アルファブロガーとは皆おしなべてスノッブで、アクセス数なんかに小躍りして見せる人はいない。
じゃあ、ダンコーガイとかネタフルとかがアフィリエイトの売上を報告するのは何か。彼らがやっているのは、「これだけ儲かるのだからみんなやろう」と勧誘するマルチ商法と同じだ。小飼やコグレとかいう連中を支持する者は、今さらながらマルチは後発組が損をするという事実を認識しておくべきだろう。
じゃあ、昨今のエントリで「アフィリエイト売上げが駅前の小さい書店のそれと同じくらいになった」と書いてる池田信夫センセイはその同類だな。
いやいや、「アルファブロガー」自体がそういうものだから。
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0812/16/news053.html
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0812/19/news041.html
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0812/22/news034.html
ここに集っている人達、そしてitmediaだのネットニュース、あとはSixapart関係者以外の、
一体どこの誰が、彼らをアルファブロガーと認め、そう呼んでいるんだろうか・・・?
女はラクが出来て羨ましいらしいです。を書いた元増田です。
温かいほっこりなさせてもらえるコメントから、耳に痛いドキっとするコメントまで、いろいろ考えさせていただきました。
言い訳させて貰えば、日頃の感謝の気持ちまで書き続ければ、ただでさえの長文が更に収まりがつかなくなりそうでしたので極力、割愛しました。感謝の気持ちは本人に伝え、ついつい身の内に湧き上がってしまう傲慢な気持ちの方だけに集中しようと思いました。「苦労自慢になってるよ」というコメントには、普段、自分が毛嫌いしている「私が不幸なのは全部他人のせいなのよ!ぷんぷん!」的な考えにいつの間にか陥ってしまっていたと、気づかされました。
また、男性の男性があるが故の苦労については、日頃はてな周辺でよく目にしているので、私があえて触れる必要もないかなと思ってスルーさせていただきました。
身近な人にこぼしたら、それは「あまやかしてくれ」「がんばってるって認めてくれ」ってそれこそただのエゴイズム。自己満足。無言の強要。
そうじゃないんだ。自分でそんなことはわかってるんだ。
でも、やりきれないもやもやは、どこかでこぼさなければ自分から毒になってあふれてしまう。自分が壊れてしまう。
だからそっと、増田。
こちらのトラバコメの通りです。「そっと」なんていう可愛い内容ではありませんでしたが。
加えて、実生活で愚痴れば「そうそう、頑張ってるよ!」と迎合して言ってはもらえるでしょうが、それで溜飲を下げるだけでいいのか自分?と、思うところもあって。甘えたい。甘やかされたくない。どっちも本心で、その両方の言葉を増田でなら貰えるのではないかと思って書き込みました。
「反応が欲しかった」という点では、「釣りだろ」っていう指摘を否定できません。
言って欲しいと望んでいた「頑張ってるね」の言葉も沢山いただけましたし、「ラクをしてもいいんだよ」という言葉には「ありがとう。疲れを感じたら、きちんと休みをとってるよ」とお返事させていただきます。覚悟の上でしたが「自分の責任だろ」とのコメントにも、まったくもって反論できず、真摯に受け止めたいと思っております。「もっと気楽に要領よく生きてみては?」というお言葉も、普段しっかりと実践しております。食事をおごってもらったり、重い荷物を持って貰ったり…と、「女性であるからこその恩恵」も享受してきましたし、実家で暮らしているのがその典型で、頼れるところに頼ってます。自分に都合良く、そういった部分をカットしたのは、記事の内容がどっちつかずになりそうだったのに加え、女としての…いやいや、「自分自身のズルさ」が現れた結果です。
予想外に文章の優劣までに言及された時には、「うぁ、そんなトコまで注目するんだ」と、感心さえしてしまいました。
更にヒゲのアルファブロガーまで釣れたのを知った時は、頭が真っ白になりました。
このエントリーを読んで、何を一人で盛り上がっているんだろう、恥ずかしい…と、思っていたのですが、実際に自分の身に起こってみると気持ちがちょっと分かった気がしました。
浜ちゃんに突っ込まれた!
痛い!
ケド、嬉しい!
…みたいなミーハー気分だったのだと思います。
せっかく微妙に的を外してるものの、ありがたいお言葉を頂いたので触れさせて頂きます。
でも、そう言ってもらって、認めてもらったという気持ちになったかな?
なったと思いますよ(笑)
残念かつ幸いなことに、一番うれしい「頑張っているね」は、身内ではなく同志のそれ。身内といえど、どう頑張ったかの理解は同志には敵わない。(中略)
あなたの不幸、それは(元)夫にばかり、そして父にばかり、共感を求めたことではないだろうか。
「同志を利用」することを思い立てば、その同志を通して夫や父と共感できたのではないだろうか。
子供を育てていく、家庭を守っていくという点では、私は元夫を同士だと思っていました。
共通の認識を持って、一緒に頑張って欲しかった。家計が今どういう状況で、今の暮らしを続けていたらどういう状況になるかを知って欲しかった。
「いやいや、でも仕事に関してなら、畑違いの人間から言われても嬉しくないだろ?」って事なら、それでも、やっぱり「素直に嬉しい」と思います。
あぁ、気遣って貰えているんだな…と。
本当の意味で100%理解して欲しいだなんていうのは、さすがに傲慢ですし、無理な話でしょう。
大抵の人間は自分の経験したことしか実感できない。他の人の苦労や努力は想像しかできないものです。
ただ、その想像すらしてもらえない。気にかけて貰えない気持ちが当時は言葉にならず、涙となって流れて元夫をうんざりさせてしまったようです。
そして
身内という共有結合を成り立たせるためには、他者という電子が必要なのではないか。
近しい存在だからこそ、距離感の取り方が難しい。私はこの部分が理解できていませんでした。
さすがはマッチョな人は、難しいことを考えているのだな…と、改めて痛感しました。
よく他のエントリーも拝読しておりますが、奥様に対するリスペクトが綴られていて好感をもっておりました。でも難しい言葉を並べたててないで、素直に「頑張ってるね」って言ってあげればいいじゃん。なんで出し惜しみしてんの?とも思います。
相手をいたわる言葉は、言って言いすぎることはありません。ブログで持ち上げつつ、実生活でも言ってしまえ。このオシドリ夫婦め。
悩み相談に男性は『解決策』を求め、女性は『話を聞いてくれる人』を求める。
そういった感覚の違いが、如実に現れたエントリーだったなと思いました。
それと感情吐き出すだけ吐き出して、慰めの言葉を貰えている内に黙って消えればいいのに、なぜ無粋にも戻ってきているのかというと
http://anond.hatelabo.jp/20081217173857
読んでからしばらく腹が痛い。これはやっぱり男性のせいだろう。それ以外にあなたの怒りの持っていきばはどこにもない。だが、男性であるところの僕はあなた個人のために何もできない。憂鬱だ。
優し過ぎです!!!!
あなたが心を痛める必要は全くありません。世間一般の男性の罪?を、あなた一人が背負って苦しまないで下さい。
あなたは私に何もしてくれなくていい。私は私のやりたいように勝手に生きて、勝手に悩んで、勝手に怒っているのです。他の生き方も選べるのに、それを選ばなかったのは私自身です。私の責任です。
その気遣いをご家族や周囲の人たちへ向けていただくことで、私の前記エントリーは報われます。
どうか私の知らないところで勝手に生きて、勝手に楽しみ、勝手に笑ってて下さい。
その他、この場では取り上げきれませんでしたが、応援や慰め、お叱りの言葉をありがとうございました。気持ちが落ち込んだときには、いただいたコメントを読み返して励みにしたいと思います。
優しいコメントは瞬間的に心が温まり、厳しいコメントは時間が経つにつれ身に染みていくのを感じました。
大人になると、ダメな事を面と向かって「ダメ!」と言ってくれる人が少なくなるので、本当にありがたいと思いました。
そして、最後に。
このエントリーを書いた後、コメントを読んだ後に気付いたことを書きます。
私は「優等生な自分」が好きでした。離婚するまで、私は「父の自慢の娘」でした。
今、その地位が揺らいでいるのが怖い。だからニュースや一般論に過剰に耳を傾け「父の考えは古い」「世間ではこうだ」と世間的に認められることで、父に認めて欲しかったのだと思います。
父は戦後の生まれで、物も食べ物もない時代を生き抜いてきた人です。幼い頃から新聞配達をして家計を助け、いつもお腹をすかせていたと聞いています。そして右肩上がりの経済成長期に努力すれば報われる。結果が出なくても努力すれば認めてもらえる。といった状況の中で、しっかりと堅実に仕事をこなしていきました。バブル期の世間が『イケイケドンドン』な浮かれ気分の時も倹約を貫き、ゴルフもパチンコもせずに質素な暮らしを続け、定年退職した今も「年金受給者の身分で贅沢したら申し訳ない」と、テレビを見ながら細々と暮らしています。
ある時、「母と一緒に旅行に行っておいで」と旅費を負担する提案をしたのですが、母と共に頑なに拒否されました。「気持ちだけで充分」だそうです。結局、その時は折衷案として食事をご馳走することで落ち着きました。
母も幼い頃に父親(私の祖父)の借金を背負いながら、その事を決して語らず、その借金がなくなるまで働き、世間では「いきおくれ」となる年頃まで結婚しなかったそうです。大人になって親戚の人から聞いた話です。
父も母も「男だから」「女だから」という枠組みなしに苦労をし、そしてその苦労を人のせいにするでも、いじけるでもなく、ただがむしゃらに生き抜いてきました。
母は「嫁の苦労」を実体験しているので、私に「結婚しなさい」とは言いません。
私が子供の頃からの事ですが、夫婦喧嘩は必ず父の「誰のおかげでメシが食えると…」発言で終結します。もし両親が離婚したとして。父には当時稼ぎがありましたし、家も父名義ですから家事は行き届かないまでも暮らしていけたでしょう。しかし母は実家にも戻れず、住むところも働くところも困り、文字通りに暮らしていけません。その現実を突き付け、自分に反抗するなら出てってもいいんだぞ。と、意地悪く言う父に母は何も言い返さず。そして父の言い分だけが通る様子を私はずっと眺め続けていました。労働収入を得ないということは、こんなに肩身の狭いものなんだ…と、母の無表情になった横顔を見て育ってきました。どなたかのコメントで「保守的な考えを批判しつつも、本人がその保守的な考えに固執している」とありましたが、根本はこの部分にあるのだと思います。
そして大人になった今、私が母の擁護をすると「出戻りのくせに…」と、やはり突かれると痛いところをバシバシと突いてきます。父は真面目で偉い人ですが、出来すぎ故に弱い立場の人間を遠慮なく攻撃してくるのです。
父も母もどちらも苦労した。安定した暮らしを手に入れるという点において、父の苦労は報われた。でも母の苦労は?と、思うと疑問です。どうして二人とも貧しい思いをして、母だけが弱い立場のままいるのか。それは母が女だからだろうか。その気持ちが前回の必要以上に父を、そして男性を貶める内容となりました。
父の世代は努力が報われたのに、私の努力は報われない!と、いじけた発言をし、その私の努力とは比べものにならないほどの大変な父の苦労を評価をしたくなかったのは。母のことは好きだ尊敬してるいいながら同じ生き方をしたくないと思っているのは。
母の俯き黙った横顔が脳裏に焼き付いて離れないからです。
勿論、しょっちゅうそんな一方的なケンカをしているのかというと、そんなことはなく。週末は必ず二人で買い物に行くくらい仲の良い夫婦です。ただ父が定年退職してからは、顔を合わせる時間が増えたせいかケンカになる事が多くなってきたようで、その時は本当にどうしていいのか分からなくなります。母を擁護すると「出戻り。嫁に行け」と、火の粉がこちらに飛んできます。「父の自慢の娘だった私」は、もう結婚することでしか果たせない。でも私は多分、結婚しない。
私はもう父が誇りに思うような娘にはなりそうもありませんが、だからといって無理矢理、父を貶める必要も全くありませんでした。
父にどんなふうに思われようと、父は私の誇りです。勿論、母もです。
これからはケンカになれば引き続き母の味方をしつつも、父の顔を立てられるように、うまくカスガイになっていこうと思います。むしろ孫である私の娘がその役を担っているようです。あと自立も引き続き頑張ります。
前回のエントリーを書いた直後は、答えのない悩みを書いて、私はいったいどうしたいのだろう。頑張るしかないか…と、思っていたのですが、思いがけず奥底にあった他の悩みと、それの解となるヒントを得たような気がします。
とりあえず、出ないと噂されていたボーナスも支給されましたので、両親には日ごろの感謝を込めて何かプレゼントを贈ろうと思います。父には痩せて貰う為にウォーキングシューズとか考えていますが、母は父に輪をかけてシュミがない人なので、本当にどうしようか、それが目下の悩みです。
初めて給料が出たときに花を贈ったら、花瓶にも入れてもらえず枯らされたので、別の何かにしたいと思っていますが…。「何か欲しいものある?」って聞いたら、普通に「洗剤」とか答えが返ってきそうだからなぁ…。
悩みは尽きません。
その感覚には大変同意。
アルファブロガーでなくてもいいよね。
アルファブロガーでなくとも、
http://anond.hatelabo.jp/20080911212438
あさみ81さんは最近デビューしたはてなーの卵なのに、いきなりアルファですよ。はてなで何年もシコシコかいてきた俺の人生はいったい何だったのかといいたい。まあ要するに、非モテは死ぬまで非モテなんだなあ。
TKヲタの俺からいわせると、お前の処女は俺が奪ってやるといいたい。
まず、言ってやろう、アルファブロガー(笑)とか、村長か、村民ぐらいの差しかない。
村民が都知事になるのは難しいだろう。
外から見ればどうでもないんだな。これが。
でも、んーとりあえず顔だしして、適当にファッション指南(笑)とか顎引きまくりの自画像を毎日更新すれば
アルファブロガーになれると思う。
まず起床は午後1時ごろになります。起きてまずすることはパソコンを起動すること。家には時計を置いていないのでこの時初めて時間を知り「あぁ、今日は寝すぎたな。そういえば頭が痛い」と後悔したり「なんだまだこんな時間か。今日はたくさん時間があるな」とワクワクしたりします。
パソコンを起動してすることはRSSリーダーを見ること。たいてい未読は500くらいでしょうか。それを一時間ほどかけて見ていき最新情報に強くなります。そしてニコニコ動画を見ながら朝食(?)&ビール。最近はゲームの実況プレイ動画にハマッており、特にホラー系のサウンドノベルがお好みです。朝食はたいていパン二枚とジャンクフード一袋。カールがお気に入りですが気分によってポテチになったり未開の新ジャンル(最近なら焼きプリンなど)に挑戦したりします。食べ終わり、菩薩のように寝転がりながらビールをチビチビ飲む。俗世間の喧騒から離れた世捨て人のみが堪能できる至福の時間です。
その後は日によってまちまちです。夏ならプールに行きますし、コンビニで雑誌を立ち読みしたり、友人が訪ねてきて馬鹿話に花を咲かせたりします(たいていは『ムー』などの超神秘な話題です)。いきなりの来訪を私は断りません。それが世捨て人の役割です。私の家は社会の荒波に揉まれて日々戦っている人間がつかの間の「世捨て人感覚」を味わうためのオアシスでなければなりません。まぁ、一番多いのは図書館に行くことですかね。ここで最近気になる本を借りたり、雑誌のバックナンバーを読みふけったりします(ここなら女性誌を手にとっても恥ずかしくないのが不思議です。『ハナチュー』を読んでいます)。働き盛りな年代であろう人と毎回顔を合わせるので他人事ながら心配になります。ここの司書さんがなかなかの美人ぞろい。加藤夏希を髣髴とさせるモデル系美女や、学生さんだと思われる目のパッチリしたロリータ顔の子、ふくよかな身体のラインがセクシーな美人熟女など選り取り緑です。どの子にしようか、毎回悩みます。しかし、話しかける機会がない。仕方ないのでわざとわからないふりをして質問をしたりしますが発展はしません。
夕食を買って帰宅し、ネットでダウンロードしたラジオを聴きながら自炊します。しかし、まぁ独身男の手抜き料理なので大したものではありません。カレーを作ったくらいで「今日は頑張ったな」って感じです。そうそう、以前友人がいたときに二人でカップラーメンを食ったんです。私はパパッとテキトーに作ったんですが、そいつは一向に作ろうとしない。何やってんだカップラーメンも知らんのか田舎物が、と思ったのですがそいつは側面に書かれている作り方を読んでいたんですね。なんて慎重で注意深い人間なんだと感心してしまいました。私はと言うとお湯を入れ完成させてから入れる具があったようで今ひとつな味でした。
冬なのでしなくなりましたが「散歩飯」というのもよくやります。少々行儀悪いですがコンビニで買ったものを自然公園などを歩きながらむっしゃむしゃ食べるんですね。何だかDNAに刻まれた原始時代の記憶がよみがえるようで非常に乙なものです。昔はみんな外で食べてたんですよね。
飯を食うと再びニコニコ動画か、書き物をします。この書き物が私の収入源なのでもっと力を入れなきゃいけないのですが、如何せん面倒くさいのです。そして、それが終わると再びネットを見始め、今度は増田でアンチのフリをして火種の延焼を狙ったり、煽ったり釣ったり差別発言をしたりします。一番イキイキする時間であり、やっぱり文章を書くのは楽しいことなのだと、有村悠などのアルファブロガーをボロクソに言った後に再確認するのです。
ところで、私をこの底無し沼にどんどん沈んでいくような生活から助け出してくれる人を募集します。加藤夏希似の社長令嬢で六本木ヒルズに住まいを持っている方が良いですね。同棲から始めましょう。
2chの2ゲットを悪用して、宣伝行為、扇動行為をする人間の存在をご存知ですか。
「2ゲット」とは、2chでスレッドがたった直後に、一番最初にレスをつける行為をさします。
スレッドがいつ立てられるかを予想できないため、2ゲットを意図的にとるのは困難です。
また、ニュース速報板など人気のある掲示板では、多数の人が同時に閲覧をしていて、
スレッドがたった直後に書き込みをしたとしても、自分の書き込みが2になるとは限りません。
ところがその困難な「2ゲット」を何らかの方法でたやすく行っている人がいます。
そして、その2の部分に2chの多数の住民を扇動するためのコピペを貼り付けるわけです。
2chでは2の部分は非常に重要な意味を持っていることがあります。2の部分にはテンプレや資料が貼られることが本来は多いのです。多くの人が見てしまう部分が2です。
どんな内容がさしこまれるてるかは時期によってさまざまです。
これを行ってる人の個人的主観で、その時期最も広めたい内容が決定されてるようです。
私はずっと昔から気がついてましたが、最初それを黙認する立場でした。
毎日新聞への抗議活動のテンプレが2に挿入されていて、「がんばれ」と思った時期もありました。
しかし、今はこの扇動が怖いのです。勢いのある祭りの発生してるスレッドに工作テンプレがはさまれることが多いです。
おそらく自動巡回ソフトを利用しリロードをくりかえし、スレッドがたった直後に、自動的に書き込みを挿入するプログラムを走らせているのでしょう。
2chを目の敵にしてる弁護士先生などは、ご存じない人が多いですが2chはさまざまな「あらし」から掲示板を守るための先進的なシステムが導入されている掲示板です。あらしやSPAM行為への対策の厳しさでは、ハテナやyahooや各種ブログなどよりも実は2chは上です。ブログ運営会社などは、SEO業者の巣にされています。ここで2chの対策をひとつづつ紹介するのは話がそれますが、匿名プロキシリストのプロキシがすぐに2chでは使えなくなるのは、2chの対策の良さのひとつです。
ところが2ゲットは、その規制をかいくぐってるとおもわれます。
ニュース速報板では同一IPアドレスの人が、一人で多数の書き込みをしてスレッドの乗っ取りやスレッド内世論の誘導などができないように、じっくり考えて書く時間がとれるように「120秒規制」が導入されています。約120秒間は書くことができないのです。
2ゲット工作員は、その120秒規制をかいくぐるためにおそらくIPアドレスを自動的に切り替えてるとおもわれます。
2chを何人の人が同時に見てるのかはわかりません。たかが2chといいたいところですが、
ベンチャー企業の経営者たちがでっちあげたアルファブロガーとちがって、2chは確かに何度もネット世論に影響をまきおこしています。その2chで行われる工作行為、ほっておけますか?
女はこんなに酷い性質を持ってるってうるさいくせに
男だってこうじゃんと言われると「男ってのはそういうもんだから仕方ない」とか「それが男」とか開き直る
どうして男ってそう自分を棚に上げてばっかりなんだろう。
他人の事はすぐに評論家ぶって非難しまくって、自身のこととなると甘い点数をつけまくり。
指摘されれば逆ギレして、ギャーギャー怒鳴って、物にあたって癇癪起こして、動物みたい。
「俺は怒ってないよ、怒ってないよ」ってポーズつけながら内心ブチ切れまくってんの、はっきりいってバレバレ。
ちょっとプライドを刺激してやると、面白いほどすぐにファビョる。
あんたたち、ほとんどの男がそんなご大層なプライドを持つほど立派な人間じゃないんだから、ちゃんと現実を見なよ。プライド持ってもいいけどさ、相応のプライドにしなさいよ。
一部の優れた男を見て、俺も同じとか無根拠に思うのやめたら?図々しいよ。
俺はいつか輝くんだって努力もせずに、毎日はてなブックマークでライフハックの記事を見てはブックマークして、実行せず、放ったらかし。でもすごい人の仕事術をブクマしただけで、自分もその人と同等になった気でいる。本当は何も変わってないのに。
プライドがド高い割に努力はしない。ていうか努力したら自分の身の丈が分かってしまうから怖くてしないんでしょ?それならそうとさっさとそれを認めればいいのに、認めることも出来ない。
自分は論理的なつもりだけど、単に詭弁をつらつら並べているだけ。他人に論破されると「常識的に」って言い出す。
アルファブロガー(笑)を、ブックマークで影でこそこそ「分かってない」とか批判ともいえない批判をすることで、アルファブロガーよりも上になった気でいる。
男って基本的にそんなのばかりでしょ?こんなのが8割ほどを占めている。
でもこれを読んで、ほとんどの男がまた、「俺は違う、2割の賢い方だ」って思ってるんだよね。
図々しいったらありゃしない。
もっとさぁ、相応な生き方してくれる?迷惑なの、そういう思いあがった態度。
とかいって完全にプライド捨てないでよ。暴走されても迷惑だから。男って注意するとすぐ極端に「だったらもう○○しなきゃいいんだろ!」とか言うけど。なんでそう両極端なのかな。中庸的な考え方とか出来ないの?それとも拗ねてるわけ?そうやってお母さんに「そうじゃないのよ」って言ってもらうための伏線?どちらにせよいい年こいて気持ち悪いんだけど。
相応のプライドを持ち相応の行動をしなさいって言ってるの。
過剰に卑下するのも結局それって、自身の正確な評価よりも下げた評価をしておくことで、余裕を持たしてるだけでしょ?過剰に自身を持つのも同じこと。自身の性格な評価を男は絶対しない。怖いから。上だろうが下だろうがあんまり関係ないんだよね。要は薄々気がついている自身の本当のレベルと、自身が表面的に下した評価に余裕を持たせることで、他者から非難されてもその余裕分をクッション代わりにして何とかプライドを保たせているんでしょ?非モテだって本当はそんなに自身がないわけじゃないけど敢えて自身をカス扱いすることで他者の攻撃から逃れようとしているんでしょ?
現実見るって要するに自分の正当な評価をちゃんと下せってこと。現実見ろっていうとすぐ男って過剰に卑下して「ハイハイ、私はカスです!存在する意味がありません!!これでいいんでしょ!これでいいんでしょ!」って拗ねるけど、それは単に卑下してるだけ。また逃げてるだけ。正当な評価から。
本当は一番怖いのは、「とんでもないカス!ゼロ点!」と言われることより、「とんでもないカスってほどでもないけど決して飛びぬけた能力はなくて、まあ100点満点中37点ってとこかな」とか言われることなんでしょ?
そういわれたくないからあらかじめ「ハイハイ私はゼロ点男です」と示して逃げておくんでしょ?
男ってそういう現実を見ないところを「男のロマン」(笑)とか言ったりするけど、単に自身の現実をこういう意味で見れてないだけだから。いい加減そういうところ自覚してくれる?
それを「重視」というのだよ、君。そして、君の言っている「形式」は君の独りよがりでしかなく、「重視」しているのは君だけなんだよ。
ごく常識的なチェック機能だから、独り善がりでもなく、ごく一般的に使われているけど。だから別の増田(http://anond.hatelabo.jp/20081111075146)も使ったんじゃないだろうか。科学の教育とまで大仰でなくても、普通に体得するものだ。つまり、形式を使っているのは僕だけじゃなく「重視」するしないというものではない一般教養なんだ。
形式というと幼稚に見えるかもしれないなら、論理的にと言い換えてもいい。言語学でないと言い切れるぐらい言語学に関する一般知識があるなら、たぶん論理的ミスのほうがとっつきがいいだろうし、形式のように無視はできなくなる。
それで何が悪いのかね。
これも僕じゃなく別の増田なんだが http://anond.hatelabo.jp/20081111005657 「印象論だね」と言われて元増田は「ある程度の伝聞情報だけからでも言えることはかなりあるよ。特に、学術的な議論に関してはね。」と答える。その時点では読んだとはいっておらず、伝聞情報の真偽を確かめずにいるなら元増田の発言は印象論そのものだし、元増田は専門家ではないのだから真偽は確かめられないはず。自分の頭で考えていないと言いながら、専門家の発言を鵜呑みにした印象論で自分の言い分を補強する。自己矛盾という形式面の不備。
説明したじゃないか。元記事で。それに対して君が粘着してきたから、黙らせようと思って他人の意見を出したまで。君は理屈で説得されて納得するたちじゃないもん、悪いけど。
粘着と言ってもあれが僕にとっては初回なので、批判を受けると黙らせないとというのはアレな人だ。
ところで、権威を持ち出してイチコロとまで言っていれば、権威を鵜呑みにしていると思われるて当然だろうし、専門家の意見を持ち出しているのは例の印象論のところと含めて二度もある。本当に黙らせようとするつもりならば権威の力を借りているといわれるだろうし、そうでなくとも鵜呑みにしている時点で自己矛盾となり形式面の不備。
誰も釣りなんてやってないんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20081112181335 とか道化になりゃなきゃとか書いたエントリがあったけど、あれは別の増田だろうか。道化のほうはなぜか消えているかみつからない。
http://anond.hatelabo.jp/20081112233759もそうなはずだが、おちょくっていると書いてある。
イチコロという表現からも、なんらかの意図があると推測できる。
僕の推測だけど
ということだろう。
特に釣りが悪いとも思っていないし、元の発言の出来が悪いのでもない。その後の一貫性がなく形式面の不備ばかり目に付くので、誰もいじってくれなかったんじゃないか。ちょっとやばいひとだねってさ。僕もあまりにも形式的に見ておかしい人だと思ったので釣ってしまったんだ。ごめんね。時間取らせちゃったけどそういうことで許してよ。
友達ってなんだろうねって、昔のことを思い出してみる。
その昔、確かに自分に友達はいた。
でも友達と言える彼らにもいつもバカにされていたような気がするような・・・
昔の友人に会っても
「この人、本当は自分のこと嫌いなんじゃないの」
という思いばかりが頭に過ぎって気が気でいられない。
それは自分がこの人達のことが嫌いだから・・・?
友達が居なくなると、自分はとたんに軽蔑の目に晒された。少なからずいじめもあった。
そのことが原因でひどく人見知りをする。家族からはよく「人間不信」と評価を下される。
軽蔑される理由は、自分が客観的に見て「アホの子」だったからだろうか?理由はいまだに、分からない。
友達のいなくなった頃には、現実に見切りをつけてネットの先に友達を見つけようとしていた。
体面上は共通の趣味を持つコミュニティにうまく溶け込んで、仲良く進んでいったのかもしれない。
でもそれは嘘だったんだと思う。オフ会に参加したときに襲った強烈な疎外感。
自分の言葉で話してる間、終始、後悔による頭痛に似た違和感で頭が一杯になる。
確かに彼らは、自分の身近にいた人のように軽蔑の目で見ることはほとんどなかった。
でも少しはそれを感じさせる目を見た。その視線が、自分がコミュニティにとっていらない存在だということを認識してしまった。
オフ会が終わった後はそのことが嫌になって、いい顔をしてるよりも、毒を吐いて後を濁しながら離れてしまおうと思ってた所に、
自分にとってそのコミュニティの中で、天才肌だけど人を食ったような発言を連発して、自分とは一番距離があると思ってた人間が、
「本当に本気で人を信用したことはあるのか」って、ギャップがあまりに笑えるようなコメントをつけてきた。
そのときは「自分が嫌いなだけだ」ってコメントを返したけど、本当に人を信用して、その人から裏切られたことは確かにこれまで無い。
最終的には、IRCに参加しなくなって、内輪向けのブログも爆破して、縁を断絶したつもりだった。
でも、会った彼らはときどき自分の夢に出てくる。そのことが凄く忌まわしい。
縁を切ったことの後悔を引きずってるのかもしれない。
アルファブロガーとしての文才や素養や経験や環境は全く持ち合わせておらず
それでも誰かに注目されたくて、今はTwitterをやっている。
一応共通の趣味で固めている、自分のタイムライン上にいる誰かは、他の人と同じように、自分にも好感を持ってくれているのだろうか?
そういった思いをPCごしに感じ取ることは全くできないし、自分に合った空気も感じられなくて、結局ここも違うんだな、って思ってる。
それどころか、自分に対して汚い言葉で毒を吐くことしかできず、そのことでフォロワーも離れていく。
自分のことをゴミ呼ばわりする人(その人はオフ会主催するぐらいみんなに好かれてるような・・・)の数百倍はゴミな自分に絶望する。
人間は知り合った皆と分かり合えるわけじゃない。
友達は、損得勘定とは言わないけども、お互いに必要としあう仲じゃないといけないと思う。
自分には必要とされるだけの能力を持っていないように思える。
一度でも社会から公式にいらない子宣言された自分には、あるわけがない。
そんな自分が毎晩嫌になる。「それでも自分を愛してくれ」なんて言っちゃダメだと思ってる。
でも、現実の付き合いでも仮想現実(インターネット)の付き合いでもいい、
いつかはそんな自分が、誰かと心腹から話し合えたり、仲良くできる日は来るのだろうか。
誰かに唯一無二で真に評価されて、真に必要とされる存在に、いつかなれるのかな。