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はてなキーワード: アフリカとは

2008-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20080611055050

アフリカで死んだ人よりはアキバで死んだ人のほうが関係あるでしょ。

そんでもって人は、事が身近で起こらないと、やっぱり実感できないものだよ。

まあ、「人は毎日たくさん死んでるんだから今さらこの程度じゃ何とも思わない」なんて人よりはマシだと思うね。

2008-06-07

純粋科学(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20080607030441

あのさー、学歴がなくてもたまたまやっていける業界(いわゆるITの一部とか)に自分がいたというだけで学歴不要論を語る人がいるんだけど、ほんとやめてほしいんだよね。

いやIT系でもないし、保守的な古い業界の中でもさらに保守的な大会社の話だが、地頭のいい奴は学歴学校歴)なんかにゃ関係なく抜擢されるよ。使える人間放置してくれるほど世の中は甘くない。「学歴がなくてもたまたまやっていける業界」には今の日本の殆どが該当する。例外を挙げた方が早いくらいだろう。潜り込むときには学歴が多少関係するかもしれないが、それすら実績をあげて迎えられるというルート存在するわけだしな。

そもそも地頭のいい奴には学歴なんか要らないよ。学歴が効くのは、凡人で学歴によって底上げされるような層。

数学物理学史上最大の天才の一人にニュートンがいるわけだが、彼が発見した古典力学の基礎や微積分は高校の教材だ。つまり、学歴がなければどんなに頭の良い奴でも高校レベルを出られない分野というものがあるということだ。

それに、現在世界的な天才と呼ばれている人間を思い浮かべてみろ。スポーツ芸術世界を思い浮かべれば特に顕著だが、中国人インド人の少なさは異常だと思わないか?「地頭のいい奴」も学歴がなければ埋もれてしまうんだよ。

他国に目を向ければこれに当てはまらない例があるのはその通りだが、元の「地方国立大には入れるが東大に入れない」という話の前提から外れているぞ。あとこの文脈でインドを例に出すのは「わたしは教養がありません」と言ってるに等しく微妙だぞ。アフリカ中南米の例なら妥当かもしれない。そもそもこの第2段落全体が、こいつには地頭のいい奴について語る資格がないと思わせるに充分だったが。

金になる可能性のある奴を放っておくなんてことも今日日なかなかないよ。たとえ本人が望んでなくても周囲が放っておかないよ。

世の中金になることだけが価値のあることではないのでな。純粋科学然り、スポーツ然り、芸術然り。

世の中金になることだけが価値のあることではない、そりゃその通り。一方で地頭の良さは金になる。金になるから利用しようという奴もまとわりつく。金以外のことに価値があろうとなかろうと、金になるものの周囲ではそういうことが起こる。

2008-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20080606005650

一言で言えば贅沢病なんだと思うな。子育てのために時間お金を費やすのが我慢ならないというか、一時的にせよ生活水準が下がるのがどうしても許せないみたいな。

高度経済成長期に子育てした世代(団塊とか)は「子育てしながら生活水準が向上していく」という、今では考えられない奇跡的に恵まれた環境だったんだよね。

で、残念ながら右肩上がりの成長は止まってしまったわけだけど、その環境で育った子どもたちはそれを当然のように思ってしまったので、「コストを払って生活水準が下がるのに甘んじるくらいなら、子どもはいらない」(=下落分を政策的に手当てしてくれない限り、産まない)という人がわらわら現れたと。

だから、別に心配しなくても日本アフリカの最貧国みたいなところまで落ちれば、またぼんぼこ子ども産むようになると思うよ!

そうなればセックスくらいしか娯楽ないし、避妊具買うお金堕胎手術のお金も無いし……ん?今やたら子ども産んでる人たちって…

http://anond.hatelabo.jp/20080606005650

出生率が上がると非労働力ある子供の比率は増えるし、女性の就労率は下がるし、教育育児予算も増えるので税収不足労働力不足の解決にはならない。

消費不足は一人当たりでもっと金使えば済む話。

出生率が高いと未来が明るいならアフリカ地上の楽園になってるよ。

2008-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20080513215701

元増田です。

酔って書いたので、ちょっと過激な書き方になってすまんかった。

でも本当に彼らは農薬使うぐらいなら感染症が広がるぐらいどうとも思ってないんだって。

北米ウエストナイル熱が上陸したときも、反対にあって空中散布ができなかった。

そのせいで、ウエストナイル熱は北米に広がり、年間数百人が北米で死んでる。

日本でも空中散布に反対する人たちなんていっぱいいる。

http://home.e06.itscom.net/chemiweb/ladybugs/kiji/t14101.htm

6月2日付けの読売新聞に衝撃的な記事が載りました。厚労省西ナイル熱対策として蚊駆除を徹底するというガイドラインを策定したというのです。患者発生時やカラスなどからウイルスを検出時は、まず10キロ四方を目安として下水管や木の茂みなどに殺虫剤を撒き成虫を駆除。空中散布も検討するというものです。

 この指針を6月13日までに都道府県に配布するということだったので、化学物質過敏症患者や、生活環境での殺虫剤規制を求めている団体などが仰天して、直ちに情報収集に当たり、賛同団体を集めて厚労省に要望することにしました。

実際に年間数百人単位で死ぬ危険性のある西ウエストナイル熱よりも、実際に死んだ人はいない化学物質過敏症患者のほうが優先されるらしい。

殺虫剤を練りこんだ蚊帳の、アフリカでの普及活動でさえ反対する。

http://www.kokumin-kaigi.org/kokumin03_51_03.html

日本政府は、合成ピレスロイドのペルメトリンを練りこんだポリエチレン繊維で蚊帳を作った住友化学の提案に乗って、ユニセフの「マラリヤ撲滅作戦」の一環として、アフリカでこの蚊帳の普及に乗り出しているが、ペルメトリンは、乳幼児の脳の発達を阻害する可能性があると、富山医科薬科大の津田らによって報告された論文7)を引用して、黒田洋一郎氏は警告している。蚊帳に付けられている「触れたら、手を洗うように!」という注意書きはアフリカ現実の中で意味をなさない。農薬入りでない普通の蚊帳の普及にこそ、日本国際協力予算が用いられるべきであり、農薬汚染の輸入食品による中毒の再発を防ぐためには、日本の食糧自給率を上げると共に、中国を含めたアジアアフリカなどの諸国に、農薬依存しない有機農業の普及という面で、日本国際協力が行われるべきであろう8)。

論文も読んでみたけど、こんなエビデンスレベルの低い研究に拠って不確実なリスクを削減するよりも、マラリアリスクを削減するほうがどう考えても優先されるだろう。

2008-05-30

YOU ARE (NOT) ALONE.

自殺」とは、人が自らの命を絶つことである。それは惰性的に生きている中で起きるものではなく、確実にその人間が自分で自分の命を絶つ決意をしなければ起きえない出来事である。早くもものすごいスピードで世間から忘れられ始めているが、某アナウンサーが自ら命を絶って以来、彼女自殺を決意するに至った決め手は何であったのかを考え続けている。私は普段死にたいと思うようなことはほとんどないが、仕事に疲れ、たくさん飲んだ帰り道、酔っぱらったぼやーっとした頭の中で、このまま死んでしまってもいいなぁ程度には思ったことがある。下世話な好奇心と思われるかもしれないが、なぜそれをはっきりと決意し、そして実行したのかを知りたいと思う。引き込まれないように、注意しながら。

私は精神科医でも何でもない。これからの記述がすべて後付の理屈であるといわれればそれまでかもしれない。しかし、彼女がどんな道を歩み、どういった気持ちで暗い夜のクルマの中で練炭に火をつけたのか。それを想像し少しでも理解しようという試みは、全くの無駄ではないだろうという希望で記していく。陰謀説は今の所明確な根拠がないため取り扱わないこととし、ブログの記述を追う事で彼女の思考をトレースしてみるという試みである。

兆候

初めての兆候らしきものは、4月14日付の記述にある「家では集中力が持たず、お気に入りの場所に移動。」という記述ではないかと思われる。それまではどちらかというと「ハレ」についての記述が多かったこのブログに、初めて「ケガレ」寄りの記述が現れた日である。なにかしらの影の要素が彼女の心の中に生まれた。そのときは、生きる中では必ずあるよくある不安の一つであったはずだ。

4月26日付の記述には、番組の取材で出会った人々から「私は生きる幸せ、パワーをいただきました。」と記している。もらったと言うことは、その時点の彼女にはそういったものが足りていなかったという事である。前回の記述で生まれた小さな影の要素が、彼女の中で静かに育ち始めていたのが分かる。

具現化

5月12日現在その日の記述は削除されているが、彼女は次のような内容を記している。「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」この記述については様々な憶測が流れているが、どういった心境の時に人はこういった文章を書くのかという視点で考えてみたい。

悪魔」とは「悪」の象徴であり、ここで大切なことは「人間ではなくなってしまっている」ということであろう。そういった人間倫理観から外れた行為を彼女が行ったか、あるいはだれかにされたのか。それが何であるかはここでは邪推しないが、それによって彼女は「生きる意味」を失ったと感じたのであろう。4月中盤からあった懸念が、悪い方向で具現化した。しかし、この時点では彼女はそれを言葉に出来ている。そして、ブログという他者へのコミュニケーションも行っており、完全に閉じてはいない。おそらくはこの時点で死を意識はしても決意はしていないだろう。

一日間を開けた5月14日付では、「すみません」というタイトルブログの一次休止を報告している。「あまりにも沢山の方に心配をかけるということで、元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます。」という文面から察するに、5月12日ブログユーザ関係者の間で話題となり、事務所関係者と話し合いを持ったのであろう。「本望ではないのが、残念です。。。でも私は本当に皆さんに助けていただいています。」という言葉からは、彼女がまだ他者とのつながりを放棄していないことが伺える。そのため、同日付で休止を取りやめている。

9日前から4日前

5月16日付の「みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただきました。」という記述からいったん快方に向かうも、8日前の5月17日付で「うーん 体がまだ元気!といかないようです。」と波が激しいことが伺える。そして死の6日前、5月19日付の「おはよう挨拶したくて…おはよう」、5日前の5月20日付の「こうしてメイクをして仕事の準備をして移動しない空間にいると取り残されている感じ」と再び沈みはじめ、4日前に迫った5月21日付の「言葉が…でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。」という記述で、遂に彼女の側から他者へのコミュニケーションを発することが困難になった事が伺える。

同日夜、彼女徒然草の一節を引いている。「花は盛りに、つきはくまなきをのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。」これは、花は盛りの時だけ、月は曇りなく輝いているだけを見るものであろうか、いやそうではない、という意味で、以降に日々の些細なことこそが生きることであると説き、生きることと隣り合わせである死というものを考えずに生きることは愚かであると結んでいる。

本来は死を意識することで日々を懸命に生きることの大切さを伝えている歌であるが、おそらく彼女はそういった解釈はしていないであろう。確かに紙一重ではあるが、日々の儚いことも美しいという側面だけをとらえ、自信が儚く散りゆくこともまたそんなに悪いことではなかろうととらえたのではあるまいか。

3日前から前日

明けた5月22日、死の3日前の記述には「昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。」とこれまでと同じ日常であるのに彼女認識が180度変わってしまったことを綴っている。移りゆく日常の中で、自分だけがどんどんおいて行かれているような感覚。おそらくこの時点で、未来に対するどんな些細な希望も失われていたのではないかと推測される。そして死の前日の5月24日付、同日行われるイベントの告知が最後の更新となる。

当日

彼女は家の近くにある車に用意しておいた練炭を積み込み、煙が漏れないよう中から慎重に目張りを行った。そして七輪に火をつけ、クルマのシートに横たわる。それから全身が酸欠状態となり意識を失うまでには、どれくらいの時間がかかったのであろうか。そして彼女はその間、何を考えていたのであろうか。

彼女はどこへ行ったのか。

以上のプロセスを振り返ると、心の中の不安が解消せぬまま最悪の現実が起こり、他社への救いを求めながらも絶望希望を繰り返しながら孤立していき、最終的に自ら死を決意していく彼女の姿が見えてくる。私自身の印象としては、最後のブログ更新をした時点では、彼女は死を決意していなかったのではないかと考えている。

最悪な状況が起こった母の日の記述の直後は、彼女は確かに生きていた。人は、絶望を感じたときに死ぬのではなく、希望がなくなったと感じたときに死を決意するのであろう。絶望の中で彼女希望を探したが、彼女にぴたりと合うものはどこにもなかった。大きさや形は異なっても、周りの人間がみんな持っているそれを失ってしまった時、ここは自分の居場所ではないと感じて、違う世界に行ってしまったのかもしれない。その世界にはきっと何かがある。それを最後の希望として。

自ら命を絶った人のブログトレースしたため、どうしても自殺を肯定しているようにとらえられたなら、そこははっきりと否定しておく。人は自分であろうが他者であろうが、命の連鎖を止めてはいけない。その理由はそれぞれが自分自身で考えて結論を出すべき事であるので、ここでは触れない。

人間とは、他者との関係性の中でのみ生きられるものである。関係性の中でのみ具現化されるものである。しかし、人は、その人に見えているすべての世界を救うことは出来ない。アフリカの貧困も、日々新聞に載る事件や事故でなくなった方々も、我々一人ひとりには救うことは出来ない。だが、ごく近しい周りの人々なら救えるかもしれない。この駄文がその一助になれたら幸いである。

2008-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20080522112915

レスだけど、俺(三十二歳、文系博士課程六年目)も

さいきん先輩のすがたが見えないんで、心配してるんだ。

聞いたところでは、アフリカの象の墓場のとなりに、

博士過程単位取得退学者ランド」というものがあり、

そこには、こんこんと清浄な水が湧き、

ある者は、スッポンポンでのんびりと暮らし、

ある者は、コンビニバイトして食いつなぎ、

三年に一度、青き衣をまとった二次元少女

アカポスをひとつ持ってくるのを、今か今かと待っているという、、

2008-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20080510222639

そおかあ?

実際着てどうなの?

体のほとんどをすっぽり覆ってるんで決して涼しくはなかろうと思うんだけど。

アフリカ人とか東南アジア人みたいにほぼ裸にワラパンツとかだけなら涼しいだろうけど。

本当に熱い国の人はそうしてるわけで。

2008-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20080428201117

お疲れ様でした。理解しあうというのは本当に難しい行為です。

ところで、貴女は、日本の平均…水準から見れば相当な高学歴と推察しますが、出身はどちらの地方でしょうか。そして「日本における少数民族問題」「人権問題」について、どのくらいご存じでしょうか。近代初期の問題としてではなく今、現在の問題として。

かくいう私も、それを「知っている」などとはとても言えません。たとえばアイヌの方々の問題にしても、宗教民族だけでなく、政治や金や人間関係がどろどろに渦巻く中で、とてもではありませんが一面的にどちらかが「良い・悪い」で解決できないような複雑さを持っているということくらいはこれまでの経験で分かりますが、とてもとても「知っている」と言えるレベルの知識は持ち合わせません。

だから、日本少数民族問題が「無い」とかあるいは「あっても大した程度ではない」などと断言できない、ということは分かりますし、そのような断言をするのは恥ずかしいことだと思っています。あなたが「彼女」に対して『なんで断言できるんだ…』と絶句したのは、そのような気持ちだろうと理解します。

あなたが日本に生まれ育って養い得たのは、そのような「懐疑」の姿勢でしょう。ならば……あなたが彼女と「理解」し合うためには、あなたは彼女の言い分の中にあるいくらかの真実と、自らの真実に対するいくらかの懐疑に対して目を向ける必要があるのではないかと思います。

たとえば

・本当に現在中国批判の流れは「フェア」なものなのか。

チベット独立運動の「必ずしもクリーンではない」部分について。

日本報道ネット環境が本当に(あらゆる意味で)情報統制されていないのかどうなのか。

・同じ意味北朝鮮の実態についてどの程度あなたが「知って」いるのかということについて。

更に言うと

・我々は本当に「世界」を知っているか。南米で、アフリカで、アラブ圏で人びとが今何を問題だと思い、どう世界を感じているか知っているのか。

民主主義という制度の理念と、それゆえの限界について、よく把握しているか。

・かつてない規模の人口と国土を有する国を、現実に統治するという場合に起こりうる問題と、それへの現実的な対処について。

・「公平・公正さ」という概念がそもそもどこからどのように生まれたかということについて。

異文化で生まれ育ったもの同士の理解というのは、そもそも決して簡単なことではありません。それでも彼女と理解し合いたいという気持ちがあるのなら、こういった困難さを越える努力もまた必要なのではないかと思います。賢明なあなたにならご理解いただけることと思い、メモ書き同様なレスをアップすることにしました。出過ぎた文言もあるかもしれませんが、失礼の段、ご容赦ください。では。

2008-04-07

うへぇ!そこまで進んでるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20080407154245

この問題には、ほとんど興味がなかったのですが、そんな突っ走っている連中がいるんだ?

今回の件は、中国経済的にも目立っていて、この間まで共産国で、現在でも実質には共産党一党独裁による気まぐれな資本化政策が行なわれいるので、国際的に叩かれているだけかと思っていました。

事実中国チベット政策と似たようなことは、ロシアアメリカも行なっております。もっと歴史的にみれば、イギリスフランスといった、今日中国バッシングを率先して行なっている国々でこそ同じような政策を取っていました。アフガニスタンクルドの人々は、今現在、かつての彼らの所業の犠牲を今でも受けています。こうしたことは、アフリカでもそうですし、パキスタン-インド-バングラディッシュにおいても今現在、苦しんでいる人たちがいます。

そういう風に、中国だけを叩けばそれで済む話ではないのに、何故に中国だけが槍玉にあがっているのか理解できない。という感想を持っているので、この問題にはあまり興味がありませんでした。

しかし、日本においてもネット上だけでしょうか、問題に乗っかってお祭騒ぎをする連中が増殖しているというのは、違和感を通り越して恐怖にすら思います。

2008-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20080330195044

世の中は全部繋がっているわけで、いつまでも下層民が防波堤になるわけじゃない。

そもそも下層民は本当に防波堤になってるか?自殺しようが餓死しようがいわゆる特権層には関係のないことでしょ。

アフリカかどこかでたくさん飢え死にする人が出たところであなたの生活に影響あるなんて思わんでしょ?ニュースなければ気づかない程度の話。

そう簡単に「誰が要らないか」などという決定をなすことはできない。

視野狭窄の結果は、いささか短絡的に言えば治安の悪化などが起こるだろう。

これはシステムの構成員がシステムを否定していく過程だ。

倒産とか不採用とか不合格とか失恋とかいくらでもいらないとみなされることはあるのが現実。それをないとごまかすのは欺瞞。

あと日本の凶悪犯が減少傾向で殺人戦後最低とかになってるという現実を見る限り視野狭窄で治安の悪化が起こるというのはこじつけなんじゃないかな。あるいは今の日本は視野狭窄になどなってないということかもね。

確かに矛盾は無いが、それよりかは

「なんかあったときが怖いから助け合う制度がありますよ」

と考えればいいだけだけではないのか?別に赤の他人も身内も関係ない。

確かに、人間には赤の他人より身内を優先する傾向があるが、それとこれは別の話。

セーフティネットの意義から内心を論じるのは的外れだろう。

「怖いから助け合いが必要」というのは内心から論じたことにならないの?

「自分の言ってることは的外れ」だといいたいのなら何の矛盾も感じないが。

2008-03-22

すでに職場が法的に禁煙になっている国一覧

WHOタバコ対策の現状についての報告書(http://www.who.int/entity/tobacco/mpower/mpower_report_full_2008.pdf)より、"Regulation on smoke-free environments"の"Indoor Offices"がYESの国を書き出してみました。

アフリカ

アルジェリアベナンボツワナブルキナファソエリトリアガンビアギニアマダガスカル、マリ、モーリシャスモザンビークニジェールナイジェリア南アフリカウガンダザンビアジンバブエ

南北アメリカ

ウルグアイ

地中海東岸

バーレーンジブチエジプトイランヨルダンクウェートリビアモロッコパキスタンソマリアアラブ首長国連邦イエメン

ヨーロッパ

オーストリアベルギーエストニアフィンランドフランスドイツアイスランドアイルランドイタリアリトアニアマルタノルウェーポルトガルルーマニアスロバキアスペインスウェーデントルクメニスタンイギリス

東南アジア

ブータン北朝鮮インドスリランカ

西太平洋

カンボジア、クック諸島、ニュージーランドシンガポールベトナム

*

WHOの「タバコ規制枠組み条約」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty159_17.html)というのがあり、わが国を含め152ヶ国が批准しています。この条約の第2回締約国会議において、タバコ規制ガイドラインとして職場禁煙が全会一致で採択されています。

http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/jouyaku/071107-1.html

・すべての屋内の職場、屋内の公共の場及び公共交通機関禁煙とすべきである。

http://www.nosmoke55.jp/data/0707cop2.html

参加126ヶ国のなかで日本政府だけが3カ所の削除曖昧な用語への変更を訴えた。

http://www.mynewsjapan.com/reports/680

「しかし、その発言はパラオ代表の反対演説やニュージーランド代表の反論を招き、議長を務めるドイツ代表からは、議決をとってもいいが、141対1で否決されると思うが、と諭されて、日本代表団は提案をひっこめていました」

その結果、最重要課題であった受動喫煙防止問題をはじめ、議案は満場一致で原案通り認められた。

「残念だったのは、国際的に重要会議なので各国からはメディアも多数取材に訪れていたのに、日本マスコミは全く姿を見せず、

法的規制なんてこれまでの日本喫煙慣行からは無茶に思えるかもしれませんが、実際には上記の通り、すでに規制を実施している国が軽く50ヶ国以上あります。

いわゆる喫煙所コミュニケーションが有益(だった)としても、今からそれを理由に喫煙を始めることはおすすめできません。何年後かわかりませんが、近い将来日本でも法規制がかかったとき、そうした喫煙メリットはなくなります。残るのはタバコ依存になった身体だけです。

新大学生や新社会人も多い時期、誰も「たばこを吸うことの利点」を教えてくれなかったのような誘惑もあろうが(俺こういうのタバコ会社PRじゃないかと疑ってるんですよね)、ロボコップ日本語版風に言っとく。

タバコに手を出すな」

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320182703

宮崎県はどこにあるか」ということ自体を暗記するのは、たしかに意味がないし、馬鹿げている。

だけど、自分が住んでいる場所とは気候風土歴史も産業構造も異なる土地があり、でもそこで日々の暮らしを営んでいる人々がいるということを知ることは、大人になるためにとても大切なことだ。で、「日本地図を示されて、最近これだけ話題に上っている宮崎県がどこにあるかすら指示できない」ということは、結局、自分の国の同胞の暮らしのありようについてすら、ちゃんと関心をもっていないことを疑わせる指標になっているわけ。

たとえば、俺は別の似たような記事でケニアの場所を世界地図できちんと示せないなと気が付いたんだけど(西アフリカでもないし南アフリカでもない、くらいにしかわからん)、それで「ああ、俺、ケニアのこと、というよりアフリカのことは良く知らないし、関心ももっていないんだなあ」ということも改めて自覚させられたよ。

2008-03-08

経済解釈と大衆的意見メモ

従業員の給与を下げたいのは、雇用者の論理です。

自身の生活を守りたいのは、労働者論理です。

マクロミクロを持ち出すような経済学的な観点に立つと雇用者(経営者)の論理が先に立ちがちですが、労働者論理も無視できません。

労働者がいない資本主義は成立しませんよね。

現在単純労働に分類されている派遣労働者の生活を守るために最低賃金の増加を言うのに論理的な破綻はないと思います。


【派遣・日雇い】共産党志位委員長の国会質問が話題になっていますが、これらも含めた最近の「派遣は悪」という論調の議論がイマイチ理解できません。 論点を明確にするた.. - 人力検索はてな

これね勘違いというわけではないのですが、根本的に立ち位置が違うんですよ。経済学的な視点ってのはあくまでも経済「学」なんですよ。さらにいうとid:tableさんが経済学だと思っているのは、あくまで新自由主義的((新古典主義的でもいいのかな?))な視点から解釈する経済学なんですよ((現在の主流は自由主義に沿った考え方なのでほぼ正しいのですが、それでも新自由主義を推奨しているわけではなくて、経済を基本として社会をとらえた時に、よりシンプルな解釈ができる方法・思想・考え方ってだけのことなのです。))。そうだとしても、経済学経営者論理に立っているかというとそれはウソです。経営者労働者市場原理にしたがって駆動するプレーヤーとして扱われています。経営者が自己利益の最大化を図ろうするときに、同時に労働者も自己利益の最大化を画策します。ゆえに両者は対立する関係ではなく、同じフィールドで協調しながら個々の利益の最大化を図るプレーヤー同士なのです((残念ながら抜け駆けや騙し討ちなども平気で発生するし、条件がアンバランスだったりするドイヒーなフィールドなんですけどね。))。

なのでねid:tableさんが言っていることと、id:curry21が質問していることとは、見ているものが違うんですよ。

id:curry21さんの考え方((回答への返信から勝手に推測))だと、単純に外部化できる労働はどんどん労働単価の安い所にまわしてしまいましょうって感じなんですよ。それに対して誰かが「国力が...」とか言っても、国家ってなに?経済地理的循環を停めようとする邪魔存在のことですか?そんなもんは無くしちまえよ。というような考え方なんですよ((こうした国家をシカトするような考え方自体は悪ではない。実際、歴史を振り返ると第二次大戦のきっかけとなった世界恐慌国家保護政策的なブロック経済がそもそもの原因だったりします。))。別に日本人ばかりが裕福な暮らしができても仕方がないでしょ?中国人だってインド人だってアフリカ人だって裕福な暮らしをしたいし、それを実現する権利があるんだから、日本人が自分達の生活を守るために第三国を排他的に扱う正当な理由はないでしょ?って考えているわけですよ。そんな風に考えないないで一部の日本人の都合だけを考えて「派遣は悪だぜ」なんて言ったら、一方が圧倒的に有利な条件でゲームをしているようなもんなんです。

そういう観点からid:curry21さんは質問をしているわけだと思います。こうした一見すると無茶苦茶に見えるようなことでも、じっくり考え((自分自身の感情や立場を脇においておいて、合理にのみ徹して考え))てみると、芯が通っていて先まで見通せるような気になってきます。まぁ、もちろん実証出来ないよとか、現実にはあてはめられないよとかの反論は多々あると思います。でも「学」なんてそんなもんです。でも、そんなもんなんですが、それでも現実においては思想にもとづいた一貫した主張・行動は必要だと思います。その時々によって自分に都合のいいことばっかりだと愚衆とかイナゴとかになってしまって、メディアや声の大きい人達にいいようにアジられてしまいます。

なんでもかんでも何かの主義にあてはめろというわけではありませんが、せめて自分自身がどんな立場で、どんな思想を持って物事を判断したり、ケチをつけたりしているのかを振り返ってみる必要はあると思います。そうでないと単にムカついたとか感情だけで反応してしまってどうやってサヤに戻すか困惑してしまうことになるかもしれません。

  • はてなブックマーク - J-CASTニュース : 一番の関心事は貯金 20代は「かわいそうな世代」なのか
    • 例えばこういう反応。自分(もしくは自分に近い人達?)の生活を否定されたと思ってしまうから素直に反応をしてしまうのだと思う。ちょっと距離をおいて考えてみると、みんなが消費をしなくなってしまったらお金が流れなくなってしまうのは自明なんですよ。だからといって、現状のまま消費だけ増やせってのはこれもまたムチャな話です。じゃぁ、どうすればいいの?って考えないといけないんですよ。
    • 恐らくなんですが(20代が貯金しかしないってのが仮に正しいとしたら)、将来が見えない不安が貯金に駆り立てる原動だと気付くべき。ならば将来の不安を取り除くような対策が必要だと思います。選択の余地はいくつかあると思いますが、生活の安定を担保するようなことさえやってやれば済みそうなことです。
    • にも係わらず、そうした考えには至らずに、団塊世代以上のおっさん共の考え方が異常!、俺たちは正常な反動なんだよ!で終わってしまうのは残念です。(ホント残念メソッドです。)

2008-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20080212220828

アフタヌーンの実態はなんだろうね。

お店とかブランドによって違うからよくわからないや。

でも、アッサムみたいに名前が売れてる産地だったら「アッサム」で売ると思うんだ。

大抵アフタヌーンは安かったりするから、知名度のおちる産地じゃないかな。

ニルギリとか、キャンディとかそこらへんとか中国紅茶のブレンドかもしれない。

もっといえばそういう産地名すらまだないような地域のやつかもしれない。

ちなみにティーバックとかで使われてる茶葉(ダストいうんだけど)そこらへんはアフリカ産だったりする。

極端に不味いわけじゃないけど極端に安い。

ブレンドの内容も時節によってずいぶん違うんじゃないかな。

結局は茶葉も農作物なので、「安いけど美味しい茶葉みっけ!」ってなったら、

それをブレンドしてアフタヌーン!ってことでいいと思う。

ブレンドするのは単一の地域でやるより味の調整がしやすいとか、そういう理由らしい。

お題のヤツは・・・なんだろうね。

アールグレイロイヤルミルクティかな。

2008-02-05

ん?おれはすでに実行してるよ

http://anond.hatelabo.jp/20080204225725

いや、人類大虐殺計画wじゃないけど、アフリカ子供たちのために募金したことも、阪神淡路大震災被害者を救う義捐金を払ったことも全くない。

ネパール子供たちに学校をとか、小児心臓病のxxちゃんの移植手術のための寄付を、なんてのも一度も協力したことない。

ユダヤ教徒とイスラム教徒が殺しあったり、キリスト教徒イスラム教徒テロ戦争が起きたりしても、愚かだなあとは思うが心痛めることもあまりない。

2008-02-04

おまえら馬鹿だろ?

アニメ制作者がネットラジオでニ○○○動画を痛烈に批判

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071026_anime_nicovideo/

心情としては理解できるけどさ、

少なくとも、1stガンダムまでさかのぼらなくても、だ。

ソフトを販売するビジネスモデルはなかったわけじゃん。

おもちゃ屋の宣伝アニメだとしてもさ、テレビ放映で何とかペイするモデルだったと類推できるのよ。

大体僕らが子供だったとき(30年前)にはゴールデン子供向けの特撮とかアニメバンバンやってたし、戦隊ものだって、少なくともジャッカー電撃隊ぐらいまでは土曜の夕方やってたよね。(塾の時間とかぶっていたので記憶がある)

いまさ、ゴールデンでやってるというか、数字を期待されてる、広告でペイできるアニメって「サザエさん」とかぐらいなんじゃね?

まずさ、ソフトを買う人間はさ「すきもの」なんだから少数なわけじゃん。

DVDになって買う障壁が低くなっても、アニメDVD映画より割高だしさ、しかも全巻セットだと軽く4万とか以上するじゃん。

あのさ、このビジネスモデルが少し異常なんじゃね?

あとね、ぼりすぎ。GUNSLINGER GIRL DVD-BOXを例に挙げると

日本:¥ 12,600

http://www.amazon.co.jp/GUNSLINGER-GIRL-DVD-BOX-%E5%8D%97%E9%87%8C%E4%BE%91%E9%A6%99/dp/B00078RR0G/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=gateway&qid=1201888084&sr=8-1

アメリカ: $44.99

http://www.amazon.com/Gunslinger-Girl-Complete-Box-Set/dp/B000FS2VU4/ref=sr_1_10?ie=UTF8&s=dvd&qid=1201888038&sr=1-10

3倍っすよ。専用じゃないんだからさ。

権利者が権利を主張するなとはいわないが、時代が変わったんだからさ気づけよ。

大体この深夜枠でアニメを宣伝として放映して、DVDをうるビジネスモデル自体、歴史としては10年くらいしかないわけですが、モデルとして終わりに来てるのよ。

映像プラットフォームとしてケータイ市場が来るのがあと3年後ぐらいなんで、そのときは1クリックダウンロードして課金する仕組みができるよね、それまで、ケータイ向けのコンテンツ案を考えたほうが建設的よ。

それにさ、現状勝ち組の角川は逆にYOUTUBEとかニコニコとかでDVDの売り上げ上げてるじゃん。

ハルヒとか全国放送じゃないのになんで、DVDが売れたの?

いいこともあるじゃない。

去年一番売れたアニメDVDは「らきすた」よ。

そうそう、ハルヒダンスとか外人とかも踊ってるじゃん、それって、ビジネスチャンスって考えなよ。

ピータガブリエルがさ昔に海賊盤がでまわってた、アフリカ諸国でライブをやって大成功した例もあるのよ。

時代の流れはさ、逆らわないで、利用しなよ。

それでだめなら、時代から必要とされてないということなんで、規模縮小すれば?

映像とかやってる人間が時代から必要とされないなんてさ.........

まーいいや、本物は残るし、去年だって、「グレンラガン」や「電脳コイル」があったもの、

だから、YOUTUBEで満足する人間はもともとDVDなんか買わないの、レンタルで十分、なんでDISCASとかは攻撃しないのかね?あれ、ってセルDVD売り上げ落とすのにすごく貢献してるよ?

ちゃんと消費者してないと、買う人の気持ちわかんないぜ。

2008-01-18

ひいばあちゃんが死んだ

去年の年末の話だ。

ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。

すぐ実家へとび、すぐに通夜お葬式が開かれた。

つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。

それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……本当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。

「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧ろ好きだった。でも、別に、今特別悲しくて仕方が無いというわけでもなく、といって「マジたりーな。ったくこんなときに」とか言うほど悪態をついてるわけでもなく。ただただ「まぁ……こんだけ生きれば大往生だろう」「そうだね」「最後まで肌きれいだったなばーちゃん」「本当だ!これで90か!すげー!」(<ばーちゃんの遺体を見て)

そんな感じだった。

正直最初俺は「おいおい不謹慎じゃないか?」と思っていたが、徐々に「そういうわけじゃないのかな?」とも思えてきた……なんという感覚か表現しづらいのだが。大体、俺自身、そんなに悲しくなかった。悲しいといえば悲しいけどべつに涙は出てこなかった。「そっかーばあちゃん死んだんか……」なんともいえない感じ。

俺はこれまで、死ぬ時は大々的に葬式が行われて皆が悲しむほうが、親戚がちょろっと集まるよりよっぽどいいと何となく漠然と思っていたがそれは寧ろ逆かもしれないと思った。死んでも、そんなに悲しまないレベルまで、「まぁそろそろ死ぬ年頃だしな」そんなレベルまで生きた方が寧ろ幸せなのかもしれないと思った。死んで、大々的に葬式が行われて皆が悲しむなんて、悲しさを増やすだけだ。自分が死んだとしても、今のひいばーちゃんくらいの感じの方が寧ろいいんじゃないかと思った。例えば俺が幽霊になったとして、自分の死後葬式を上空から見れたとして、たくさんの皆がヒーヒーいいながら悲しむのを見るより、ひっそりと「まぁ大往生ですよ」「まあそういう年だったからね」とか言われながら無難にこなされるほうが、多分、いい。悲しい事は少ないほうがいい。

思えば俺は、人の死というのを初めて見た。俺が生まれてから20年、俺の親しい人はまだ誰一人死んでなかった(死んでたとしても物心つく前)。物心ついてから「身内の死」を体験したのは、これが初めてだった。

そして、人の「死体」を初めて見た。チラっとだが。正直怖かった。生で見た事が一度も無かったしグロ画像は徹底的に避けてきた俺だ……皆がチラチラ顔の白い布をとって顔を見ていくのを俺は「すげーな…よく皆見れるな」と感心していた。見てみると、まるでロウ人形みたいだった。タッチじゃないけど「死んでるんだぜ……信じられないだろ」的な感じだった、確かに。陳腐だが生命の不思議さを思った。この今動いていないロウ人形みたいな物体が、昨日までは一応、心臓がバックバック動いて、血を全身に流していたんだ。昨日のそれは「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なのだ。ここにある身体を構成している、原子や分子はほとんど変わっていないんだろうに、昨日は「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なんだぜ……すげー不思議な気がした。

そしてひいばーちゃんを焼く事になった。

これで俺はまた無知ゆえに驚いたのだが、なんと本当に人間死体を箱にいれて、そのまま焼却炉みたいなところにいれて焼くというのだ(当たり前だろ!!っていうかもしれないが)。それを皆で見てるんだぜ。死体入れて、火つけるとこまで。てか、火つけるボタンは自分で押せってんだぜ。なんという火葬の厳しさ。土葬とは比べもんにならないほどリアルに死を感じざるを得ない(って土葬もよくしらんけど)。そこまでしているとは知らなくて俺はただただ驚いた。まるで「ひいばーちゃんは死んだ。死んだんだぞ。さっきロウ人形みたいで、生きてるように見えたかもしれないけどやっぱり死んでるんだぞ。もう戻らないんだ」とつきつけられている感じ。何故そこまでする必要があるのか、俺らの場合ひいばーちゃんだったから冷静に見ていられたものの、これを交通事故で小さい子供をなくした親にもやっているというなら物凄いことだと俺は火葬がちょっと怖くなった。土葬みたいになぁなぁにして片付ければいいのに、ここまでする必要があるというのか?日本らしくないじゃないか。こんなに白黒はっきりつけるなんて。

そんな事を考えていたらさらにものすごいことがおきた。その火葬から数時間後、今度はお骨を拾うというのだ。俺はまた無知ゆえに、「お骨を拾うつっても、大体スタッフの人が手はず整えてくれてて、骨をあらかじめ砕いたりして壺にいれてくれてて、俺らはちょっと最後にそれを箸でやるだけだろ?」なんて思ってた。そしたら、皆知ってると思うけど、普通にさっき焼いた焼却炉を開けたのだ。出てきたのは、ボロボロの骨たち。俺、生で人骨見たのも初めて。ビビった。更に思った。「ここまでするの?ここまでして死をつきつけんの?すげーな、火葬。すげーな、日本……皆これをかいくぐってきたってのか」と。死体のままに置かれた骨だよ。生々しすぎる。そのまんますぎる。なんという死。完全に死だよ。紛れも無く死だよ。ひいばーちゃんのあの肉体はもう焼かれて灰になったんだ。頭じゃ分かってるけどそれをダイレクトに、完全に、脳に伝えてくるこの骨。そしてそれを、親戚数人で、箸もって、ここから骨を拾って、リレーさせて、壺にいれろっつーの。マジかよ、おいおいおい。お骨を拾うって、なに。そういうこと?!本当にそのまんまの意味なの?!ビビった。本当ビビった。何ちょっとこれおま……「死」じゃん。「死」だよ。死に、触れまくってる。俺。

骨をリレーさせた。うわ。段々麻痺してくる。この異常な状態に。皆「やっぱ年だからスカスカやね」とか言ってる。俺も「本当だ」とか頷いてる。なんだこの異常な……いや、これこそが正常なのか?これ、俺が今掴んでるこの、そこにいるスタッフが「それは大腿骨だよ」といったこれは……ばあちゃんの足にあった骨なんだ……昨日、ロウ人形みたいになってたひいばーちゃんの皮の下の筋肉の下にうもれてたもの……俺が小さかった頃、ひいばーちゃんのももに座ったとき、あのときも下にあったもの……それが今俺が掴んでるこれなんだよ。どうなんだよそれは。生きるって……生きるってのは、全然たいしたことじゃねえんだと俺はそのとき思った。人間生きるなんて全然たいしたことじゃない。骨を見たとき思った、これはあれに似てるんだよ、フライドチキンの骨に似てるんだ。フライドチキンの骨って、いつも全然意識してないけど、あれって鳥の骨なんだよ。生きてた鳥の骨だったんだよ。人間が死ぬのも、それと全然変わりねーんじゃん。人生とか言っちゃって、人間は何故生きるのか?とか言っちゃってるけど、別にやっぱり結局、人間フライドチキンになった鳥と同じじゃん。支離滅裂だけどそんなような事を骨リレーの間ずっと思ってた。何がどうあろうと死ぬし、死んだら、こうやって焼かれて、骨になって、俺も誰かに骨リレーされて、あのスタッフが持ってる壺んなかいれられて、残りの骨は土に返るんだ。土に返るってのは本当その通り土に返るんだ。土に混ざって土になるんだ。それはもともとは、今こうして俺がキーを打ってた、この指の骨だったのかもしれないけど、それはいずれそうやって土の上に捨てられたりしてあるいは壺に入ったりして……そんでその土の中で微生物とか動いてて。みみずとか動いててそういうのも全部死んでまた何か生まれてきて死んで生まれて土ってのもそのうちなくなるかもわからない、それでもしかしたら地球もなくなるかもわからない、でもそのいつだったか俺を構成してた原子は……なくなるのか?どこへ行くのだろ?俺を構成してた原子とかは散らばってまた違う何かを構成していくのか。なら死ってのは、あくまで俺を構成してた、それらのチームが解散するだけの話?ていうか、死っていうか、生と死って、白と黒、みたいな感じじゃなくて、生―死―生―っていうか、いや、っていうより生とか死とかいう概念がそもそもこの全体の流れを無理矢理名付けたものであって、生って……そういう意味じゃ別にたいしたこっちゃないんじゃないか……

そんな事を思った。

そういうのを輪廻っていうのかな?と思ったけど仏教に疎くて分からない俺。

リレーした骨は壺にいれられた。ひいばーちゃんがあそこにおさまっちゃったよ。すげぇ。この葬式システムってすげぇ。死を認めざるを得ないこのシステムってすげぇ。これ昔の人が考えたの?昔の人凄すぎ。俺なら死が怖くて避ける。死んだ人埋めてなぁなぁにして済ませたい。何かで土葬はそう言う意味では未練がましい、火葬は完全に「死」が分かるが、土葬は未練がましさがある、土から復活してくるゾンビや何かもそういった欧米諸国の死のなんちゃらをどうこうと言うのを読んだ気がするがなんとなく分かった気がした。確かに人を人のまま埋葬する土葬は、有る意味未練がましい。それがいいとかわるいとかじゃなくて。火葬は激しすぎ。どっかのアフリカの部族が、死んだ人の頭蓋骨を枕にするとかいうのも聞いたけどそれは火葬以上に激しいかもしれない。昔の人、死、意識しすぎ。すげぇ。俺はそんな度胸なかった。

通夜葬式って正直言って本当面倒くさかったけど、あれはやっぱり本当、生きてる人のためにあんだな。生きてる人が「はい、これで、彼彼女は死にました、以上!解散!」的にケリをつけるためにあんなに長々とやるんだ。

なるほど。ひいばあちゃんはそれでも俺の心の中に生き続けてるだとか、そういうことは思わない。ひいばあちゃんは列記として死んだのだ。死んだし、生きてたのだ。悲しさもあるが、それは、生死に限らずなんでもそうで、時間は、そんなこと気にせず動いてくのだ。死んだのも、事実で、悲しいのも、事実で、でもそれでも進むし、俺も死ぬし、それでも多分人間はまだ生きてて、そいつらも死んで。その流れそのものを止める手立てが出来れば、人間はそこで本当に特別な存在になれるのかも。今の状態では、また他の動物よりなんかよーわからんけどごちょごちょやってるよってだけに過ぎなくて、全然この流れに対抗できてない。病気とか治せても、寿命ちょっとばかし延ばせても死ぬことにかわりがない。俺の意識というこのものを再び俺が死んだ後にも復活できたら人間は特別なものになれるかも。わかんない。でも本当、宇宙とか、なんとかより時間っていうのか、この流れっつーのか、あまりに大きすぎる。陳腐だけど俺は本当ちっぽけ、ちっぽけもちっぽけ、ていうか、もうどうでもいいというか……本当どうでもいい存在なんだと思った。いい意味で。

2007-12-17

小泉外交といえば

国連常任理事国入りってまだ狙ってるんだっけ?

アフリカ票を取るためにだいぶバラまいたと思うんだけど、効果はあったの?

こういう税金の使われ方って全く文句言われないね。

http://anond.hatelabo.jp/20071217083005

2007-12-14

ゴキブリくらいで何を大騒ぎしているんだ?

ここ最近のケン〇ッキーやバー〇ヤンのバイトが起こした騒動を見ていて一番驚いたことは、

世間のあまりにも大袈裟なその騒ぎようだ。

私が思ったのは、

ゴキブリフライヤーで揚げた?バカなことするなよ、そんでそんなことミクシで書くなよ。ホントバカなやつ。

で、今度はラーメンスープゴキブリ入ってたの?そんでそのスープ出したの?ゴキブリは入れてないんでしょ?

見つけたらすぐにゴキブリは捨てようね。でも、そんなくだらねぇことミクシで書くなよ。ホントバカなやつ。

くらい。

大して驚きもしない。驚いたのはそのニュースを見て反応しすぎる世間の方だった。

もうケン〇ッキー行けない、本当にゴキブリを揚げたの!?そんなの嘘だろう!?

だってゴキブリを揚げたら即効死ぬはず。いや、死なないよ、あれは本当。

とか、ケンタ〇キーはゴキブリを揚げてないことを証明するべき、

とか、わざわざエントリゴキブリフライヤーに落ちた時の思い出を書く人までいるし、

しかもその人はそのゴキブリが落ちたフライヤーの油を全部廃棄したとか

、泣きべそでキッチンを消毒しただとか、

あのさぁ、油、もったいないよ。

バー見ヤンの件でも、スープを作り直すべきだとか、

もうバー見ヤン行けないとか、外食できないとか…

もう、あきれ果てる。

この現代人達食材というものをどういう感じで捕らえているのだろう?

料理とかしたこと無いのかな?

子供の頃はいつもママの作ってくれた料理が食卓に並び、

今はコンビニで買ってきた弁当を食べ、

あるいは主婦スーパーのお惣菜コーナーで買ってきた工場生産された食材を食い散らかす。

そりゃあ、綺麗なご飯だろうねえ。虫なんか入ってたら大変なことなんだろうねぇ。

でもさ、実際にスーパーでもいいけど野菜買ってきて洗ってみ?

虫だらけとは言わないけど、虫は普通にいる。芋虫、ナメクジ油虫

農薬振り撒いたスーパー野菜でもこれだけいるんだから、

虫の全くついてない食材だけを食べるなんて出来るはずが無い。

むしろ、そっちの方が危険なはず。

スープゴキブリが入っていたというだけでその料理が食べられない人間なんて、

地球上で生きていけるはずがない。

みんな、知らないだけ。

飲食店バイトなりした経験のある人ならわかると思うけど、ゴキブリのいない飲食店などない。

大きいところであればなおさらだ。もし、全くいないとしたら逆に怖い。

どんだけ殺虫剤撒いてんだと。それが、食器や、食材にかかってないわけないし。

私も何軒か飲食店バイトしたが、多かれ少なかれどこにでもゴキブリはいたし、驚きもしなかった。

大きな店なんかだと、出汁とかスープとかは大きなポリバケツタンクみたいなところに入れておくが、

いくら普段は蓋を閉めていても、どうしても知らない間に虫が入っていることはある。

そんな時は虫を取り出してまた蓋をしめるだけ。

たかが虫一匹のために何十リットルも作り直せるわけないし、そんなもったいないことしたら

アフリカの貧困で苦しむ子供たちにに申し訳なさ過ぎる。

というか、そんなこと考えもしなかったが、世の中にはそれを作り直せという人もいるんだという事に驚いた。

ホント、みんな騒ぎすぎ。

飲食店関係者ならみんな思うはず。

だけど言えないよね。ゴキブリなんかいて当たり前なんて。

バー見ヤンの店長が「絶対にあり得ない」と言っていたけど、こう言うしかなかったんだろうね。

ゴキブリがいてもしょうがない、だって飲食店だもの。なんて口が裂けても言えないし。

この騒動はゴキブリ飲食店関係の問題などではなく、

ゴキブリ飲食店を題材にした、ただのよくあるネットリテラシーの問題に過ぎなかったと思う。

ただ今回の場合は、触れちゃいけないタブーが大き過ぎたようだ。(個人的には小さな問題なのだが)

個人的には、バーミヤ〇はセーフだと思う。だけど、ケンタッ〇ーはアウトだ。

この二つの騒動は全く別の意味を持つ事件だと思う。

入っていたのはしょうがない、だけど、故意に入れるというその悪意が絶対にダメ。人として。

ハッキリ言って、飲食店の衛生問題に関する個人の悪意の行為の数々は、

ネットで見たり、知り合いに聞いたりしただけでも今回の事件とは比べ物にならないほど酷いものもある。

だけど、そんなことを知っていても普通外食出来るし、出されたものを食べたからといってどうということは無い。

このニュース発展途上国の人たちが聞いたらどう思うのだろう。

日本ゴキブリスープに入ってて大騒ぎ」

ああ、日本平和でいいなぁ。

2007-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20071202171554

哲学者の持論を持ち出されてたところで何の意味があるか分からないが,

異性(もしくは同性)への外見アピールという面があることから考えると,

飯の種(=金と仮定)のためだけではないのはわかるよな。

その哲学者ファッションの何について語っているかはわからないが,

ファッション自体は遠い昔から存在するものだし,文化が発達していない

アフリカ少数民族にだってファッション好きはいる。

帰結としての飯の種ならあるかもしれないが,それを言うならあらゆる

分野でも同じ結論になってしまう。人間は食べるために稼ぐのだし。

2007-11-27

難病移植救う会の本質は非対称の保険制度

今もまた誰か病気に苦しむ人に救う会健康保険でまかなえない負担を肩代わりしようとしている。

この問題は炎上しがちだ。したがって相互の言い分は多分に政治色を帯び、印象に残る「分かりやすい」批判と擁護のフレーズが飛び交う。

しかし少し引いて見れば分かるようにこれは健康保険制度そのものだ。それも不完全な。

大数の法則によって少数が直面している突出したリスク社会の多数が広く薄く負担することで吸収しようとするところは保険概念だ。

では既存の強固な制度である健康保険や生命・医療保険を利用しないのはなぜか。これらが利用できれば金銭の扱いは当然として、公平性確保や給付金額、自己負担の範囲などあらかじめ決められていて揉めようも無い。

利用できないのは制度の不備だけでなく、無制限の保障の拡大が制度を維持できないからだろう。つまり『給付・反対給付均等の原則』に基づいて参加者の公平さを担保しながら『収支相等の原則』をもって持続的な運営が出来ないからだ。

映画「ペイフォワード」はよくできたおとぎ話だが見た誰もが「だったらいいのにね」と思わずに居られなかった。それは直接の見返りを期待せずに施すことで自らの境遇が漫然と良くなることを期待する話だったからだ。

そこでは合理的にはフリーライダーにならざるを得ない。

見返りをよこさなかった者への社会報復も許されないのだから当然だ。

随時に任意に組織された保険の負担をしても自分が扶助対象になる保証もなく、制度が持続する構造的な裏打ちもないどころかフリーライダーになることが最も合理的な保険に何の意味があるのか。

保険金給付の審査が気の毒そうな境遇だけでいいなら傷害保険詐欺がしのぎのヤクザはずいぶんと仕事がはかどるだろう)

アフリカの難民に何かを期待して寄付するのかといわれればそうでもないのも確かだ。

しかし、これが持続的に発生している情況で、少なくとも募金だけでなく新たな難病保険の設立も含め、既存保険制度に対する干渉を行わなければ(なんら報いることも出来ず喜捨を期待するだけの)乞食の群れといわれても仕方が無いだろう。

保険の原理

引用Wikipedia 保険

大数の法則

確率論・統計学確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。

給付・反対給付均等の原則

P = ωZ

ここでPは保険料、ωは定量化された保険事故リスク、Zは保険金を表す。この原則は、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくなるように要請されていることを示す。

収支相等の原則

保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がその集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則といい、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。

2007-11-25

そういや

世界には時差があるんだよな。

ってことはだよ。

いつか増田が激しくグローバルになったら、24時間常に人が待機している夢の空間になるんだろうか。

アフリカから書き込んでいる増田や、アメリカから書き込んでいる増田が、もっと増えたらいいのに。

2007-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20071119085621

ただ在日に生まれて、そのまま生きているだけで

同じようなことを言われる。

特権受けてんだろ?悪さしてんだろ?って。

要は罪なのか?捨民の子は罪なのか?

親だの出自だの選べんのんだけど。

在日は特権を受けていない≠選択の権利があればよい国を選ぶのは当たり前

特権はない≠選択の権利があればよい国を選ぶのは当たり前

一般に在日に対して言われる「特権」とは税などにまつわる「在日特権」と呼ばれるもの。

意図的に用語を混同するのは、議論としてかなり卑怯なことですよ。

ここまで見え透いていると、かなり情けないと思います。

国を選べる人はそうはいないぞ

ましてやその選択肢に豊かな国がある人は世界中でかなり珍しいぞ

豊かな国(=日本)を選択可能であることが、在日の利点と言いたいのでしょうか?

生まれた時から日本に住んでいる在日に対して、「日本が豊かだから幸せなはずだ」と言ったところで、何の意味も持たないでしょう。

在日の問題を取り違えているか、意味のない根拠で議論をすり替えようとしているとしか思えませんね。

在日の抱える問題は、生まれ育った国と祖国が別であるという事実、及びそれから生じる生活の不便と差別です。

それは、日本であろうと、アメリカであろうと、アフリカであろうと、途上国であろうと、本質的に変わりません。

在日の「親だの出自だの選べんのんだけど。」という発言は、「祖国と生まれた国の不一致は自分で選んだわけではない」という意味であり、「差別を受けている現状は、自分が望んだ結果ではない」という意味です。

それを差別する側が「豊かな国が選べるのだから問題ない」と言っても、はっきり言えばただの傲慢であり、まったくもって無意味です。

2007-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20071114185420

あーもう。そこから話さなくちゃダメか。

あのな、期待値ってのは試行条件が明快じゃないとダメだろ? 「子孫存続期間期待値」なんて書くのはな、「オレは予言ができるぜ!」って言ってるのと同じなんだよ。1年とか60日単位世代交代する昆虫とかならともかく、人間の遺伝的スパン未来予測なんてできないんだよ3世代(100年)後の気温すら予想が割れてるってのに。

「筋力が高い」とかは普遍的に「良い遺伝」だろって?

鎌状赤血球症って知ってるか? 生物の時間に絶対習うはずなんだけどな。鎌状赤血球症ってのは遺伝病で、赤血球の形がヘンだから効率的に鉄分を運べず、貧血になりやすいんだ。ホモでこの遺伝子を持ってると、骨壊死、下腿潰瘍、細菌感染とか重篤な症状に陥りやすい。でも、地球のある地域、簡単に言うとアフリカではこの遺伝子を持ってる人がいっぱいいる。貧血になりやすいなんて遺伝病は「子孫存続期間期待値」にマイナスのはずだから、それが多いってのは「アフリカは退化してる」ってこと? 母なる大陸なのに?

ちがうんだなぁ。

この遺伝病を持つ人は溶血が早いから、マラリアにかかりにくいんだ(病原体を持つ原虫が赤血球内で発育する)。つまりマラリア危険が高い地域では、鎌状赤血球症は生存の可能性を高めるってわけ。

遺伝も表現型も、一義的な価値なんてものはあり得ない。

ところで、マラリア世界から根絶されたら、鎌状赤血球症の人は減るのかな? ……かもね。でも、マラリアじゃなくて別の、赤血球を巣とする病原があらわれたら、相変わらず鎌状赤血球遺伝子は生存にプラスに働く。そして、もしかすると「生まれつき筋力が低い」って遺伝子を持つ人だけが生き残る、致命的で爆発的な感染力をもつウイルスが、今アフリカの森の中で生まれたかもしれない。パーーーーーンデミーーーック!!!

なんつって。

そう。

ウイルスや細菌の進化は、でかくなりすぎた人類に比べて、とてつもなく速いんだ。

そこだけ考えても、「期待値」なんて言葉はととても恥ずかしくて使えたものじゃない、ってのはすぐ分かりそうなもんだ。

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