はてなキーワード: アフリカとは
http://anond.hatelabo.jp/20071007112814
の続き
子供を3名以上育て上げることができる人が生存競争における勝ち組
2名で中立
1名ではやや敗色濃厚だが、経済状態次第では子が孫を多数生めるので逆転可能
子供無しは敗北
よって、ほぼ全ての女性は望めば確実に子を残せる為、最初から勝ち組である。
(しかし同時に、妊娠可能期間を過ぎて以降は負け組に転落する危険性もある。)
一方男性は、いくら望んでも子を残せない可能性があるため、この世に生まれた時点では負け組である。
原始時代と異なり、現代では各人が保有する貨幣の多寡によって
生存確率が大きく変化するため、単純に子供が多ければいいということにはならないが
平均的に見て子供3名というのが1つの勝敗の目安であることに変わりは無い。
日本国内で言えば、例えば公務員全体の未婚率、子供の数の平均値と
統計的に有意な差が出る可能性がある。
これにより、経済事情による生存確率の差を判断することができる。
(場合によっては、公務員バッシングの材料となるであろう)
性差による生存確率の差、経済事情による生存確率の差については
学校では決して教えて貰えない。
学校では、社会が基本的に平等であるという建前に立っているからだ。
無論幼い頃はそういった教育も必要であろうが、
いざ社会に出る段階になっても空虚な平等論を信じていたのでは不幸になるだけだ。
アフリカのサバンナ、ブラジルのアマゾンの密林と同様に、猛烈な生存競争が日々続いている。
現代社会での生存競争を突き詰めていくと、銀行の口座残高をいかにして増やすかという点に行き着く。
口座残高がある一定量以上に増えれば、他人からの命令に屈することなく、自由な人生を送ることができる。
無論、山村にこもることによって自由になることもできるが、
この場合は社会サービスの恩恵を受けることができないため、結果的に自身や子の生存確率が下がる。
よってこのようなケースは除外する。
銀行の口座残高を増やすには、必ずしも銀行の仕組みや貨幣の仕組みを理解している必要は無い。
単に古来からの本能に導かれるままにビジネスを行って金を稼ぐ人間も多くいる。
泥棒や、売春などはその典型例であろう。
これらは人間社会では法的、倫理的に問題があるとされる行為であるが、動物の世界では日常である。
(例えばある種のサルにおいて、メスが食料と引き換えにオスに体を許す行為が報告されている)
よう貴様ら、久しぶり。
いや貴様らにとっては久しぶりじゃないのかもしれんが、俺にとっちゃ久しぶりなんだ。しばらく見なかったからな。
で、俺は今大学の研究室で徹夜して、ちょっとハイなわけなんだけれども。
俺ちょっと行き詰まったらすぐ外に散歩しにいっちゃうのよ。で1時間ぐらい帰ってこないのよ。結果研究が進んでないのよ。
ちょっぴりまずいんだけど、まあそれはいいや。
で、散歩するんだけど、うちの大学にはあれがいっぱい出るのよ。アフリカマイマイ。雨が降るとね。
わかる?アフリカマイマイ。あのカタツムリのでっかいバージョンみたいなやつ。地方によるのかな。
あいつらでかいわ踏むと最高に気持ち悪いわなぜか1つのポイントに大量出現するわで
雨が降った後は足下にちょいと注意しないといけないわけ。
でさ、あいつら、あ、アフリカマイマイのことね、あいつらってちょっとヤバめの細菌持っててさ。
殻に触っただけで下手すりゃ死ぬ病気になる可能性があるんだってよ。
トゲに刺されるととかじゃねえの。地肌で触れただけで感染するんだってよ。しかもあの柔らかい部分じゃなくて殻。
いやいやいや、お前らそんなに大層な殻を背負っててまだ不安なのかと。
そんなに静かに暮らしたいならまずそのブッヨブヨの体をなんとかしろよと。
ああなんかあいつらのことを考えてたらヘビーウェザーのトラウマが蘇ってきた。
ということで一旦寝るわ。逃避するわ。じゃあな。おやすみ。
『虹』だッッ!!
それはこんなところで言う前にアフリカとかの人にお前ら避妊しろよって言って欲しいw
子供の将来考える時、フツー世界情勢とかまで考えるの?びっくりしちゃった
http://anond.hatelabo.jp/20070831032758
こういう時に自由に放言できるのが増田の良さでもあると思うので、ストレートに。
私は貧困の解消とか、弱者を救えとか、そういういかにもリベラルなスローガンにあまり関心が無い。それよりも今の自分の仕事をしているほうが面白い。もちろん、ダルフールのニュースとか、または最近増田でいくつか紹介されてい親に恵まれない故のきついエピソードとかを読めば胸が痛む。小額なら募金もする。でもせいぜいその程度で、友人のように海外青年協力隊でアフリカに行こうなんて考えたこともないし、そのチャンスが与えられても即座に断る。私には他にやりたいことがあるから。
一応海外で働いている以上、日本の看板(の端っこ)は背負っていると思っている。だから、今の職場で「日本人はなかなか使えるじゃないか、また雇おう」と思ってもらえるようにすることが私に出来るせめてもの貢献。欧米で日本人が(アジア人が)現地採用されるっていうのは、そんなに簡単なことじゃないからね、現状では。もちろん、それは何よりも自分のためでもある。後は新しいエントリーのほうでも書いたけど、自分の失敗談を他人にシェアすること。一個人として社会に出来ることはそのくらい。
むしろ、大上段の議論「だけ」をして、それで自分が社会に対して何事かを為した気分になっている人の方が、私は問題だと思う(これは特定の人のことじゃなくて、社会党とか共産党系の人にかなり幅広く見られる傾向だと思う)。
それから最後に、私は共感を求めて文章を書いているわけじゃない。幸い前のエントリーは数百人、もしかしたら千人以上の人が呼んでくれたかもしれない。彼らがみんな同じ感じ方をするわけが無い。共感だけを要求する文章はアジテーションと大差ない。反感を感じてくれても結構。私の文章が何がしかの思考の糧になるなら、そこでどんな感情が生じようが、私は全く気にしない。出来れば、その思索の時間が有意義なものであってほしいとは思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070831130941
まさにそうなんだ。
で、賢人思想だと言うことで否定されていると思うんだけど、実際問題として、今日軽い盛り上がりを見せている田舎・都会論争にも絡むけど、はっきりいって九州に住んでる人にとっては北海道がどうなろうが知ったこっちゃない(道州制とか興味ない)し、都会に住んでる人は田舎がどうなろうが知ったこっちゃないわけだ。だけど選挙となるとそれらに関する政策を"十把一絡げ"(笑)にして投票しなきゃいけない。で、みんな自分の小さな社会にとってメリットのある政党や政治家を選ぶしかないわけだ。こういう規模で政治を決めてしまうと、それはもう民主主義の根本思想である「最大多数の最大幸福」が得られない状態に陥ってるんだよね。議員にしてみても国全体を良くしようという政策(それ自体が不可能ではあるけれど)を考える人はいなくて、自分に取ってデメリットとならない部分は切り捨てて、自分にとってメリットとなる部分を救う政策しか考えられていない(e.g. 医療費削減、地方切り捨て、奨学金廃止etc.)。
(本質的には無関係ではないんだけれど)投票者が無関係と考えてしまうところの政治をその投票者が決めるというのは無理があると思う。日本人全員でアフリカのせいぜい名前を聞いたことがある程度の国の政治を決めるのとそれほど変わらない。
どのくらいまでなら投票者は自分と関係があると考えられるかによるけれども、市町村単位、せいぜい県単位くらいまでで政府を作って、国政府は外交と国全体に関わる政策のみにすべきだと思うのだ。なんというか、政治家と国民が直接会話出来る程度の距離でないと、政治は自分達と関係ないところで行われているもの・自分達の力では変えようのないもの、という意識は抜けないだろう。
あるとき、アメリカ人とキューバ人とアフリカ人とヨーロッパ人を集めた会議が行われました。司会者は、皆を前にしてこう切り出します。
「今日は、第三世界における食糧不足について、みんなの意見を言ってもらいたい」
ここまで聞いて、キューバ人が手を挙げます。「意見? 何ですかそれは。そんな言葉は聞いたことがないのですが……」。キューバでは社会主義政権が敷かれており、意見をいう習慣がないというわけです。
次にアフリカ人が手を挙げます。「食糧? 何ですかそれは?」。ヨーロッパ人も手を挙げます。「不足? そんな言葉聞いたことがないよ」。対照的な両者ということになります。
みんなが戸惑いの表情を見せる中、最後にアメリカ人が手を挙げて、こう言いました。
「……第三世界って何?」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0706/20/news078.html
英単語いらなくない?
あれは 2000 年春のことだった。20 世紀最後の年。ネットバブルまさに華やかなりし頃、ライフスペース・グル高橋ふうの風貌を持ち、元ベトナム戦争従軍記者/MSN エグゼクティブ・プロデューサなる経歴を主張する椎原が率いる鎌倉「未来創庵」のメンバーたちは、ロサンゼルスで開かれた Internet World の会場にいた。
当時はまさにネット企業が百花繚乱。Internet World の会場を歩けば、ブースの前を通るたびに各社がちょっと気の利いたノベルティ・グッズをこれでもかとばかりに手に握らせてくれた。
だが、未来創庵のメンバーの目的は、むろんそんなことではなかった。
彼らは、ウェストコーストで未来創庵の CTO を獲得することだった。そのため、ロスでひとしきり楽しんだ後は、おなじみの、まるでダイヤが守られないアメリカ国内便空路でサンフランシスコへ、さらにフリーウェイ 101 号線を走ってサンタクララに向かった。
シスコからサンタクララまでの 101 号線のロードサイドには、IT 企業の看板がズラリと並んでいた。まさに当時の繁栄がそこには如実にあった。
未来創庵のメンバーは、サンタクララを拠点に、アップルやインテル、あるいはサンといった並みいるシリコンバレー企業、および UCB やスタンフォードをいった大学を回ることとなった。
しかしながら、週末と重なってしまったため、目ぼしい人材にお目にかかることは叶わなかった。いや、仮にウィークデイであったとしても、人材獲得はムリだったろう。何しろ、スムーズな英会話のできるメンバーは一人としていなかったのだから。
本来の目的を果たせず、ノベルティ・グッズをせいぜいの土産に、未来創庵メンバーは帰国した後、鎌倉の椎原の元に向かった。
椎原はしごく不機嫌だった。当然だろう。メンバーを観光旅行に行かせたわけではなかったのだから。
その後の椎原は、経費詐欺に等しい行為が露呈したり、アフリカの小国からの発信を装う資金提供メールをダシにメンバーに原資の提供を迫ったり、あるいは鎌倉の拠点でのビジネスの目処が立たなくなったりといったいくつかの芳しくない理由で、逃げるように鎌倉を去った。
その椎原が亡くなったという話を聞いたのは、ほんの先日のことだった。
ああいうの見ると腹立つ。
だからなんだよ。だからこのくらいの苦しみでガタガタぬかすなってか?これからますます日本は酷くなるけどアフリカ等の皆さんに比べりゃマシなんだからブツクサ言うなってか?
ふざけんな。そんでまた、そういう事言う奴はたいがいテレビに出ててガッチリ稼いでる奴なのな。てめーがいうなっていう。
もしくは貧しい他国と比べて、俺らまだまだ裕福じゃんって安い優越感を得るバカどもの仕業。
どっちもこりごりだ。気持ち悪いんだよ。吐き気がする。
大体ああいうのって、日本の不幸せな面は全く公表しない。アンフェアだ。
つーかこんな日本で幸せな国とか言われても絶望以外何も思い浮かばない。こんなレベルで、現代の地球にある世界の中ではかなり幸せなほうなんていわれたらあまりに希望がなさ過ぎる。なぜそこに気付かず、暢気に「俺らまだまだ裕福じゃん」とかいって優越感得られるんだ?気持ち悪くてしかたがない。
ところで、この地震で思い出しちゃったのはブラジルの予言者でジョセリーノという人。巷では的中率九〇パーセントとまで言われています。
ダイアナ妃暗殺、911テロやオウム事件、スマトラ沖大地震など、これまで的中した予言は多数あるようです。
彼曰く、
2007年7月13日に日本で地震発生して、多数の被害者が出る。
という予言をしていました。(あわせて津波も予言されていたようです。)
誤差は二日だけ。これってどうなんでしょうか…。
彼は夢で未来を見るらしく、それを目覚めた後にすぐさまメモしていくそうです。彼の予言は非常に小さな事件から巨大な現象まで多岐にわたり、数多くなされています。
今年は他に、
等々といった予言をしています。
それ以降で分かっているのを幾つか見ると、
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地球で安全な場所は14箇所しか残らない。その内1箇所がカナダ、1箇所がアジア、12箇所がブラジル。
ブルブルガクガクげっそり
見た限り、本当にかなり的中してるように見えます。
http://oriharu.net/jstand.htm#time_limit
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小惑星アポフィス衝突の危機は科学的にも(極低確率ではあるが)現実の問題ですが、もし現代の地球に巨大隕石が衝突したらどうなるか、それをシミュレートした映像があります。
http://www.youtube.com/watch?v=oB3G0rvCIJc
見ると鳥肌がたつほどですが、実はこの被害は大昔の地球に実際にあったものです。そしていつまた同じことが起きるか、それは誰にも言えません…。
しかし同時に、これほどの地獄をも生き延びた地球と生命たちのおかげでいまの我々があると思うと、いまこうして豊かな大自然の営みのなかで生かされていることに、ただただ感謝の気持ちを覚えるばかりです。
日本人は食に対して神経過敏過ぎると思う。世界には蠅がたくさんたかる中でトウモロコシの粉しか食べられない人々もいるとゆうのに。経済発展で贅沢を知るたびに舌が肥えてきて判断基準を高く設定し過ぎたんだよ。
昔は食の安全基準はお母さんの鼻が決めていたんだよね。
それでもみんな元気に暮らしてたんだ。
まず、ハエがたくさんたかるトウモロコシの粉しか食べれないようなアフリカの国だと、乳幼児死亡率が日本の30倍とかざらで、国によっては70倍以上のところもある。「みんな元気」かといえば、日本の乳幼児死亡率が現在のレベルになったのもこの20年の話で、1950年代には50%超えていた。もちろん問題は食べ物だけじゃないし、乳幼児死亡率だけが指標じゃない。とはいえ、漠然と「大丈夫だ」と考えるのは意味のない印象論だ。